『誰かの役に立つかもしれない創作のヒント』


誰かの役に立つかも知れない創作のヒント★その1:名前をつける

・登場人物の命名について

登場人物の名前、どうやってつけていますか?

名前をつけるのは最後、という作法の方も多いと思いますが、私は話の方向性が決まって、こういう人物を出したいとなった時点で、すぐ名前を決めます。名前は一種のペルソナだと思っているので、名前をつけたらその人物に定着するよう、最低一晩おきます。それから書き始めます。

名字については、ふだんからコレクションしています。何かでみかけた面白い名字をストックしています。外国語の教習本などで面白い意味や音のものがあると、名字にできないかな、と思ってこれもストックします(例えば「鷲尾養太郎」は「ハゲタカ」の意味のギリシャ語をみた時に思いつきました)。モチーフにしている海外の作品があれば、登場人物の名前の意味を日本語に変えたり。しかしこれも善し悪しで、チェスタトンなどは登場人物の属性をそのまま名前にしたりしているので、使えない時があります。

あと、これは好き嫌いがあると思いますが、だじゃれ的な要素も入れたりします。
「納谷みらい」は「悩み+未来」みたいな。
これは子どもの頃に「パタリロ!」を読んでいた時に思いついた手法で、「パタリロ!」の初期に、ラーケンという名前の悪役が出てくるんですが、パタリロが「ラーメン!」って呼ぶんですよ。そうすると「ラーメンじゃないラーケンだ」って怒って切り返すわけじゃないですか。そうすると、後で再び出てきた時に「あ、こいつの名前はラーケンだ」って思い出すんですよ。くだらない冗談かもしれないですが、印象に残るので、使えるなと。
なので、登場頻度が低いけど重要な役の人には、わざと呼び間違える、という方法なんかもとれると思うんですよね。まあ、うまいこと使えれば、ですけども。

他の小説や映画からとる時は、そのまま使わないで、名字は役名・名前は俳優名、みたいな使い方をすることもあります。割とカッコイイ名前になるみたいで、「ぜんぶ良い名前ですね」とほめられたこともあります。他人のふんどしで相撲をとってるわけですが、読めない名前より読める有名人の名前!

下の名前は名字との組み合わせで考えていかないといけないんですが、問題は登場人物の年齢です。若い子とお年寄りに、同じ名前はつけられません。自分の同級生と、今の子どもたちの名前の流行はまったく違いますよね。子どもの頃に読んだ小説で、天才マジシャンが出てくるのですが、本名が戦国武将のようないかめしい名前で、それに意味があるかというとそうでもなさそうで、「これは、ない」と幼心に思ったことがありまして。実際にそういう名前の若者がいるかどうかでなくて、らしいからしくないかです。もちろん、なんらかの意図があってそういう名前をつけているなら、ありです!
便利なのは、子どもの名前ランキングサイトです。今年うまれた赤ん坊だけでなく、昔のランキングもあるので、「この登場人物は現在××歳だから、昭和××年の人気ランキングを参考にしよう」となると、あまり外さないと思います。
名字に比べて安易な命名方法だと思うかもしれませんが、話によっては下の名前が出てこないまま終わる可能性もあるので、名字の方に重きをおいています。

登場人物の名前なんてどうでもいいよ派の人には、本当にどうでもいいと思いますが、名前についてはいつも悩んでいるという方は、こういう方法もありますよ、ということで。


誰かの役にたつかもしれない創作のヒント★その2:文体について

・文体について考えたことがありますか?

文体については、ル=グウィンのいい本『文体の舵をとれ』が出てますから、友人と切磋琢磨できる人はあれを読んでやってみるといいと思うのです。
ただ、そもそも、文体ってそんなに重要なのか?って人もいると思うんですよね。

同じ内容の話だったら、ふさわしい文体で書かれている方が絶対面白いです。物語に没入できる文章にした方がいいです。人はその内容によって文体を使い分けています。仕事の文書と友達にかく手紙は文体が違っているはずです。文体チェッカーみたいなもので自分の文章を分析してみると、評論系は硬い文体になってますし、二次創作は読みやすく柔らかい文体になっているので、「ああ、ちゃんと書き分けられているな」と安心します。

一番書きやすい文体は一人称に近い三人称とよく言われますが、作風によって、完全に三人称の方がうまい人、完全に一人称の方が強い力を持つ人をみてきているので、やっぱり「ふさわしさ」が重要だと思います。

文体のレベルをあげるには「記憶した文章をみないで再現する」「好きな作家の文章を書き写す」「信頼できる人に添削してもらう」などなど、いろいろと方法がありますが、ふさわしい文章にするには、「そのジャンルの本をたくさん読む」のがやはり大事だと思います。読まないと語彙がストックされない。

私は十年ぐらい、歴史系アクションゲームの二次創作を書いていますが、最初、すごく困ったんです。現代文の文章だと(ゲームなのに)すごく書きにくい。それで歴史小説を読み始めました。どういう風に書いたらもっともらしくなるのか? 司馬遼太郎はもともと、そんなに好きな作家ではありませんでしたが、私が書きたい武将をどう書いているのかというところで、少しずつ読み始めました。なんで彼が読まれるのかわかってきた。「もっともらしい」のです。文中に作者が顔を出して「いまここを行くとこうなっていて」みたいなことを書くのは古くさい手法で、普通は興ざめするものですが、あきらかな嘘でも「なんとなくらしい」のです。司馬史観、という言葉、私は大嫌いですが(一小説家の嘘を、いわゆる「歴史」と混ぜこぜにしているのは、この言葉を使ってる人たちの方ですね)、説得力があることの現れなのでしょう。

そんなわけで歴史小説っぽいものが書けるようになったのですが、自分で書いた物なのに、後で読み返すと「あれ、これ誰が書いたの」とびっくりすることがあります。それぐらい、現代物と、文章が違っているのです。最近では現代物の方がひきずられつつあるぐらいなのですが、語彙をストックすることは、こんなにも大事なんだなと思います。十数枚の話を書くために知らない分野の本を何冊も読んだり、何ヶ月もかけたりしているので、重みがでてくるんですよね。

話は面白いはずなのにどうも受けがよくないな、という方、たまには文体の冒険をしてみてはいかがでしょうか。少なくとも、内容がつまらなくなることは、ないはずです。

たとえば時代物っぽい文体で歴史小説を書いてみましたよ(ゲームの二次創作ではないです)

「いぶくろをからに」 -- いしだみつなりとおおたによしつぐのおはなし --


誰かの役にたつかもしれない創作のヒント★その3:キャラクターの魅力について

・キャラクターの魅力とはなんでしょう?

「私はストーリーテラーです」と自分で言う人の話は、面白くないです。
本当に面白いストーリーを書く人は、わざわざそんなことを言う必要がないからです。
もっと言えば、その人の描くキャラクターにはあまり魅力がない。だからこんなことを言って、ごまかそうとしているのです。
その昔、某推理小説家が「シリーズ探偵なんて非現実的だ。同じ人間のところにそんなに連続して事件が起こるわけがない」と他の作家を非難しました。
彼はキャラクターメイキングがあまり上手でない作家でした。
ところが彼の作品で人気があって、テレビドラマ化されたのはシリーズ探偵物だったのです。ほんと、笑い話ですね。

魅力的なキャラクターの作り方については、いろんなノウハウ本が出ていますので、そういうものを読んで参考にすればいいと思うのですが、長い話やシリーズ物を書こうとする時は、メインの登場人物は自分の好みに寄せた方がいいと思っています。長いつきあいになるのがわかってるのに、「この人あんまり好きじゃないな」と思いながら書くのは苦痛ですし、確実に読者にバレます。嫌われます。なのであるていど感情移入できるキャラクターにするのが無難だと思います。自分の趣味は極端すぎてウケない、という人もいるかもしれませんが、その場合はじゃっかん和らげて描けばいいと思います。一般的な魅力も加味してあげるというか。

私の場合は、キャラクターを、自分の中にある要素と自分の外にある要素で考えています。内面まで理解して書けるキャラクターと、外側しか見えなくて内面を推し量るしかないキャラクター。それをメインのアイデアがいきるように配置して力関係を塩梅すると、プロットらしきものが見えてきます。自分に都合のいい相手ばかりを配置すると話が盛り上がらないので、自分にとっても謎な人物を置くわけです。それから脇役を添えていきます(あ、プロットについては、ストーリーとあわせて、別の日に書こうと思います)。登場人物の全員を、自分の分身にしてしまうと、話が動き出さない時があるのです。そもそも全部ひとりごとになっちゃいますからね。

誰かの役に立つかもしれない創作のヒント★その4:プロットとは何か

・プロットとはなにか?

物語を書く時、プロットをするかしないかは、その人の自由だと思います。
が、プロットとは何でしょうか?
実は創作の本を読んでいても「それはプロットの説明ではないのでは?」ってことがあったりします。

ものすごく簡単にいうと「AとBが衝突してCという結果になった」という、作品の基本構造のことです。 美少年興信所だったら「大人たちに狙われている少年がいる。彼を助けるためにある青年が、問題の根源を解消しようとする」でしょうか。ネタバレになるので、これ以上書けませんが。 私はシーンから考えていく派なので、このプロットの作業をあまりやってきませんでした。むしろ長い小説の場合、シナリオで言うところの「箱書き」をやっていました。「この話はだいたい十章で書くとして、この場面ではこれが発生してこうなる、次の場面ではこれが発生してこう展開する」というのを書いておくのです。そこまで考えておけば、あとはシーンを書き込んでいけばいいだけなので、結末までブレずにすみます。

プロットが必要なのは、物語の方針が決まらない時です。
この人物とこの人物はこういう力関係で、メインアイデアはこれ、だけど話をどこへもっていく?という時です。
私はだいたい、A4かA3の用紙に、人間関係を書き出します。それとにらめっこします。何と何が衝突してどうなるのか?を考えます。できればその時に名前もつけます。
そうすると必要なシーンも見えてきます。冒頭ができていて結末が決まっていれば、長いものでなければ、これだけで書けます。だいたいは。

話がどうしてもブレてしまう人は、プロット作業をきちんとやった方がいいと思います。
ただ、ブレていくのも味なのでやらない、というタイプの人もいるので、好き好きではあります。
あと、キャラクターにいっぽん芯が通っていれば、話が当初の予定と変わっても、そんなに問題がないというのもあります。キャラクターが思いも寄らぬ結末を選ぶことは、私もよく経験しています。


誰かの役にたつかもしれない創作のヒント★その5:長いものと短いもの

・長編を書く、短編を書く

私は短編作家です。
細部を積み重ねて、ダイナミックな展開をする長編を書く体力がありません。連作小説やシリーズ物という形でなら書けますが、それでも大長編とよべるほどのものはないです。
ただ、どうしても書けという話になったら、箱書きを積み重ねていくしかないんだろうなと思っています。私が初めて原稿用紙100枚を越える話を書いた時、「この場面に十五枚、この場面に五枚割り振るとして何をどう書くのか」というのを箱書きしました。そしたら書けました。書き始めてまだ二年目ぐらいのことです。

ウェブ連載の小説では、長いことが大事だそうです。売れているものは、やはり細部をうまく積み重ねているもののようです。随時勉強するのは嫌いではないのですが、これをコンスタントにやるのは大変だなあと思います。すごい。

ただ、枚数が少ないと言うことは原稿料も少なくなりますから、短編作家にはあまりいいことがないかもしれません。
ただ、アンソロジーなどで名前を覚えてもらうには、短い物が書けた方がいいと思います。
私は「この字数ならこれぐらいの内容が書ける」というのがある程度わかってきているので、内容が字数に対して過多な場合は、削れるところを思いっきり削っていきます。4000字ぐらいでも人の半生が書けるので、作品の密度を高める方向で頑張っています。
短編のいいところは、書き出すまでは時間がかかったとしても、書くのは一日ですむことです。多少長いものでも数日で書けるはずです。結果がすぐに目に見えるのって嬉しくないですか? 人に読んでもらうのも楽ですし。

人には向き不向きがあって、短編が苦手な人は無理する必要はないと思います。
長編のワンシーンみたいなものだと思えば書けるんじゃないかとは思いますが、それじゃ納得できないから長編を書かれるんでしょうし。

違いますかね?


誰かの役にたつかもしれない創作のヒント★その6:ネタ帳について

・ネタ帳はおもちですか?

私は一番シンプルなテキストファイルに、創作用のメモを打ち込んでいます。本を読んでいて何か気になった時とか、日常生活で疑問に思ったこととか、面白い名前とか、そういうことをちょこちょこメモしておきます。PCを開く時間がないときは紙に書いておいて、あとで打ち込みます。

ネタ帳については皆さん、お好みのソフトとか方法があると思います。大事なのは、続けられることだと思いますので、これがベストだと思うものを使ったらいいと思います。整理しやすいソフトもあるようです。私がシンプルなテキストファイルにしているのはどのPCでも開けるからで、定期的にバックアップをとっています。もちろん紙ベースでもいいと思います。なくさなければ。

ネタ帳は必要なのか否かの問題ですが、もっておく方がいいと思います。
アイデア出しでゆきづまった時に読み返す。
自分が何に興味をもっているか思い出す。
考えが熟成される。
いろいろとメリットがあります。
アイデアをどんどん出していく派の人は、古いネタなんていらないと思うかもしれませんが、見返すと役に立つことがあるものです。

ネタ帳を読み返して、繰り返し出てくるテーマやアイデアがある場合、それはあなたが書きたいことです。書きたいけれど難しいとか、書いてきたけれど深めたいもののはずです。
私が講談社文庫デビューした短編や、英語圏デビューした短編は、それこそ十数年以上、ネタ帳に埋もれていた話です。依頼を受けた時に「あ、あれを書こう」と思えたのは、自分の中でずっとあたためていたからです。あたためていると、ずっと書けないでいても、ある瞬間に「あ、これで書ける」となるものです。その時に出します。蓄積した時間が作品の厚みになります。絶対に。


誰かの役にたつかもしれない創作のヒント★その7:タイトルについて

・タイトルをつけるのはお得意ですか?

私は作品タイトルをつけるのが苦手です。
最初から決まっていることはまれです。
タイトルが決まっている時は、ネタ帳に古くからある場合です。「このタイトルで書く」と思ってメモを蓄積している場合は、それがそのままタイトルになることがあります。
それは本当に例外で、だいたいは、書き上がってからタイトルをつけます。
作品のイメージ・モチーフ・中の一文などを抜き出しています。
これについては、本当に、得意な人にコツを教えてもらいたいところです。
タイトルはその作品の顔になるわけで、響きのいい、内容にぴったりした、売れそうなタイトルを考えてあげるのは、重要な作業だと思います。

ライトノベルはタイトルに流行があるので、それにあわせてつけることになるんだろうなと思います。作者の手を離れたところでつけられることもあるのだと思います。
デビュー作が投稿時と出版時で変わることなんかも、よくききます。
いや、ライトノベルや大衆文学に限った話でもないのでしょう。
坂口安吾に「道鏡」という作品があります。私がこの作品を読んで一番びっくりしたのは、安吾が後書きで「主人公が道鏡ではないのに道鏡というタイトルになったのは編集がその方が売れるからといったからで私がつけたわけじゃない」という愚痴を書いていたことです。作家ってそんなに自由がないのかと。まあ道鏡の方が売れるであろうとは私も思いますが、この話では脇役だもんな、道鏡。

だいぶ長いシリーズになった「美少年興信所」ですが(美少年探偵団より古いんですよ)、これはタイトルが先でした。私の代表作の一つである『彼の名はA』がオンラインノベルとしても人気があったため、それを本で紹介してくれたライターさんがいらしたのですが、どうも内容を読まずに紹介文を書かれたらしく、初稿に「美少年が興信所で活躍する話」と書かれていたのです(Aちゃんは美青年で、活躍の場は姉の喫茶店です)。で、そういう話にニーズがあるなら本当に美少年がでてくる興信所の話を書いてもいいんじゃないかと思ったのです。すごく単純なきっかけだったのです。
今や少年たちは卒業してしまって、所長と副所長しか残っていませんが、最新刊『美少年興信所〜所長の回想〜』を頒布中ですので、よろしかったらご覧ください。


誰かの役に立つかもしれない創作のヒント★その8:宣伝について

・自作の宣伝、どうしてますか?

X(旧Twitter)が、宣伝ツールとしてほとんど死にかかっているので、皆さんも告知には苦労なさっていることと思います。
ただ、自作の本を手売りする皆さんは、どうしたら売れるかはご存じだと思います。

いろんなイベントに幅広く出る。
よい宣伝素材をつくって自作の魅力を広める。
自分でなんらかの企画を立ち上げて、顔を売る。

これ、お金・時間・体力をものすごく消費します。
リターンを考えると割に合わないと思います。
これはアマチュアだからではなくて、プロでもそうです。商業出版で本を売っている人も、手間暇かければ本が売れるのはわかっているのですが、やってもそこまでのリターンがないので、適当にバズってるものに乗っかるのです。

せめてお金をかけたくないという人は、いろんな作品を読んで感想を書くのもいいと思います。素敵な感想をもらって悪い気のする人はいません。そういう人脈の広げ方があります。でもこれも時間がかかりますし、そもそもけっこうなスキルの必要な作業です。
ただ、セルフ・ブランディングという言葉があります。商品じゃなくて自分を売る。この人は魅力的な人だから作品も魅力があるだろうと思わせる方法です。感想スキルもそういう意味で、磨いて損はないと思います。書ければですが……。

私の大学の先輩に、北原尚彦さんという人がいます。
日本有数のシャーロキアンなので、ご存じの方も多いと思います。私も在学中からホームズについてわからないことがあると、北原さんにきいていました。北原さんは学生の頃からホームズファンで、プロになる前からシャーロキアンの本に寄稿していました。
好きな物を絞り込む。これも売れるには大切なことです。
サラリーマンをやめて筆一本で暮らせるようになるまで、北原さんはコツコツと実績を積み重ねました。
好きこそ物の上手なれといいますが、気の遠くなるような努力があったはずです。

北原さんは親切な人です。
実は私が大学に入学した年に北原さんは卒業していて、OBとしてサークルに遊びに来た時に初めてお会いしたのですが、「なりはらさんは何を読んでるの?」と言われ、図書館から借りて鞄にいれていた香山滋の一冊を見せました。するとサークルの合宿の日、北原さんは再び姿を現して、「この本、うちにダブっているからあげるよ」と香山滋の『ゴジラ』の復刻版をくださったのです。後で「どうして私に?」と質問したところ、「18歳の女の子が香山滋を読んでいるなんて、えらいと思って」といわれました。「つい最近も若い子にそんな風に本をあげた」と。
そりゃ人脈も広がろうものです。

北原さんのお話をきいていて、すごいなと思うことは、「自分の苦手なもの、嫌いな物であっても否定しない」という態度を一貫して貫いていることです。売れるために嫌いな物に迎合するのでなく、「その人にはその人の立場や好みがあるのだから、否定しない、気持ち悪いとさげすまない、馬鹿にしない」という姿勢を崩さない。

実は結構難しいことです。だから嫌われないのです。ファンが増えていくのです。私なんか顔に出ちゃうよ。口からも出ちゃうよ。
もしセルフ・ブランディングをするなら、この域までいかないとダメなんだろうなと思います。

コストパフォーマンスのよい宣伝方法というのは、なかなかないものなんですよね……。




(2024.1 ふらっとぺらっとpage3告知用記事)


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