『いぶくろをからに』


 大谷吉継は、主君の湯治に連れられて有馬にきている。
 夜、なかなか寝つかれず、一人で湯にひたりにきた。
 なんとなく愚痴が出る。
「まったく、佐吉の奴は」

 先日、主君から三成の名をたまわったばかりの石田佐吉は、昔から胃が弱い。
 にもかかわらず、よく朝飯を抜く。
 食っている暇がないのだという。
 いくさの後など、薄い粥をすすって気絶するように寝てしまうが、当たり前のことだ。
 朋輩として意見したこともある。
「これは大事ないくさよ。出る前に握り飯のひとつぐらい」
「大事だからこそ、飯は後だ」
「おい佐吉」
 すると支度の手をとめて、こちらをじっと見る。
「貴様ともあろうものが、それを本気でいうのか」
「なんだと」
「いやいい。とにかく後だ」
 言い捨ててそのまま出てしまう。
 こちらは佐吉の親ではない。食わぬ者の口に飯を押し込むこともできない。思い返せば賤ヶ岳の時も、小牧・長久手の時も、雑賀攻めの時もだった。決戦となると食わない。それが吉継は気に入らない。

「……腹一杯食えなどというておるわけではないのに、それをあやつは」
「どうした吉継、三成は何をやらかした。今はよく寝ておるよ」
 誰もいないと思っていたので仰天した。闇をついて現れたのは主君の秀吉だ。
「聞き流してくだされ」
「心配はわかるが許してやれ。おまえとていくさの前に、眠くなるほど食べるまい」
 すっかりお見通しだ。吉継は身をすくめ、さらに湯の中に沈んだ。
「それはまあ、動けなくなりますゆえ」
「頭がぼんやりするというのもあるだろう。だがな、それだけではない。喧嘩の前に飯を食う奴は、馬鹿だ」
 それはそうだ。腹に痛撃をくらった場合、ひどいことになる。
「しかしあれは、先陣に立つのでない時も」
「いくさで生き延びた兵どもは、みな腹は空っぽにしておいた方がよいという。なぜかわかるか」
 吉継は思案した。つまりあれは、考えがあって食べないのか。
「……火縄、ですか」
「死なずにすむという」
 そういうことか。腹に何か入っていると、銃撃された時にそれが腐敗して死ぬが、空にしておけば撃ち抜かれても、一命をとりとめる可能性が高い、ということだ。
 秀吉は笑った。
「三成も、おまえの小言をみな聞き流しているわけではない。あれを心配するのはおまえぐらいとわかっている。面倒だろうが、よろしく頼む」
 主君と入れ替わりに湯からあがり、吉継は少々のぼせたまま、床へ入った。
《よろしく頼まれても、年かさの佐吉の面倒を、なぜ己がみなければならぬ》
 みなければいいだけのことなのだが、それに気づかぬまま、眠りに落ちた。

 石田治部少輔三成は、己の身こそかまわぬが、その生涯を通じてみるに、なかなか面倒見のよい男であった。
 東国に重税にあえぐ者がいれば、己の検地尺を持ち込んで公正な年貢を示す。西国にお家騒動がおこれば、駆けつけて相談にのってやる。自国で領民が困れば当然ほうっておかない。すかさず手当し、やさしい文章で今後の方策を知らせ、安堵させる。
 しかし誰からも好かれるかというと、そうでもない。仕事が滞っているのを見つけると、まかされた者をすっとばして己で解決してしまう。相手の面子は丸つぶれだ。しかし三成は、激怒されようと気にしない。かまっている暇がないという。秀吉にその才覚を見いだされ、十代の頃から重用されてきた三成は、ひたすらに忙しかった。必要な糧秣や金子をぬかりなくそろえるだけでなく、主君の代理人として多くの施策を行った。信長の死後、秀吉はほぼ十年で天下を統一したが、三成という柱が支えなければ、そこまで早く成し遂げることは不可能だったろう。
 大谷刑部少輔吉継もまた、秀吉の懐刀であった。母が秀吉の妻の侍女をつとめていたことから、幼き頃から秀吉に仕え、いくさばでの活躍のみならず、様々な密命をこなしてきた。活躍の場こそ違え、二人の距離は近かった。最底辺の身分から天下人に成り上がった秀吉は、他の大名たちと違って、古い家臣をもたない。つまり重臣は、彼の親類縁者ばかりだ。そうでない三成や吉継は、自然、浮いた。そして、彼らを抜擢した秀吉が亡くなれば、立場はなくなる。主君の遺児を支えるためにどんなに奮闘しようが、表舞台から排除されていった。
 成り上がりの秀吉がこしらえた豊臣政権に、義理を感じるものは少ない。三成は長年にわたって多くの大名につなぎをつけ、政権の安定をはかってきたが、大大名である徳川家康が天下を簒奪しようとするのをとめられるものではなかった。
 三成は立ち上がった。吉継はいくさをとめようとした。だが無駄だった。むしろ加勢をするはめになった。なんと防衛の要をつとめる。
 関ヶ原の東西に別れた決戦前夜、吉継は三成に問うた。
「どうせ明日も、おぬしは朝飯を食わぬのであろうな」
 三成は微笑んだ。
「そうだな」
 貴様は食うのか、とはきかなかった。

 西軍が大敗すると、大谷吉継は腹を切った。
 その腹には米粒のひとつも残っていなかった。



(2023.11脱稿 ぺらふぇす2023秋参加作品:二人の人間関係は資料に基づいた史実ですが、司馬遼太郎『覇王の家』の安藤直次の話を読んで思いついた話なので、はんぶんは真っ赤な嘘です。そもそも大谷吉継の遺体は、胃の中がわかる状態で発見されていない……)

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Written by Narihara Akira
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