「お母さん」うちあけ話

この本は、二〇〇〇年春に、エニックス(現・スクウェア・エニックス)で出版され、その二年後に講談社文庫化された、幻想文学アンソロジー『血の12幻想』に収録された短編「お母さん」を再録したものです。発売からすでに十五年以上が経過し、今から新刊としてアンソロジーを購入される方はいらっしゃらないと思いますし、そろそろ図書館でもお目にかかりにくくなっていると思いますので、今回、私家版として、ほんの少しだけ再版することにしたものです。
この幻想文学アンソロジーは、三種類出ておりまして、第一弾が十二星座をモチーフとした『十二宮12幻想』、第二弾が性をテーマにした『エロティシズム12幻想』、そしてこの、血をテーマにした第三弾が発売されたと記憶しています。このシリーズは、単行本と文庫と二度出て、また、一般書籍として図書館等にも置かれたので、私の書いた作品の中で(翻訳されて海外で出版され、そのアンソロジーが賞をもらった「ピンクの水」をのぞいて)、この「お母さん」が、私の作品の中で一番、老若男女に幅広く読まれたのではないかと思います。おかげさまで、多くの方から、それこそ百人百様の感想を頂戴しました。ひとつとして同じような感想がなく、つまり、読んだ人の心をうつす鏡として、よく書けていたのではないかと思っています。


構想自体はずいぶんと昔からあり、パソコンで創作用のメモをつけはじめた頃から、この「お母さん」のネタが出てきています。人に内容を話したこともあります。ただ、この話をどういう形で書いたものかな、という迷いがあり、着手できないまま、ずっと眠っていました。
一九九九年のある夜(年の前半だったと思います)、お風呂に入っていると、監修者の津原泰水さんから電話がかかってきました。彼は大学のサークルの先輩で、私の個人誌『水晶の舟』が出た時にも、解説を書いてくれていました。
「僕、エニックスで幻想文学のアンソロジーを編んでるんだけども、第三弾のテーマが《血》なんだよね。星座をやったから、次は血液型、みたいな安易な企画だけど、なりはらさんも、もう商業誌デビューしてるわけだからさ、新人枠ってことで、一本書いてみない?」
「はいはい、わかりました。《血》ですね」
いい機会だから、「お母さん」を書いてみよう、と思い、二つ返事で引き受けました。バスタオル姿のままで、枚数規定や原稿料、印税の話やらをメモをとりながら、ひとしきり話して、その日はそれで終わりました。あとで風呂に入り直しましたが、身体が冷えて風邪をひきましたね。
この時の私は、正直、「また津原さんの企画話か」という気持ちで聞き流していました。彼はプロの小説家であるとともに、多産な企画屋でもあり、学生の頃からたくさんの案をきかされてきました。ただし「なりはらさんもやらない?」という企画は、ことごとく流れていたので、今回もまあ、期待しないでおこうと思いながら、規定の枚数におさめるべく、資料を探して読み始めました。
やっぱり企画が流れたかな、と思っていた年末のある日、突然「締切は一月ね」という連絡がきて、本当のお誘いだったことがわかりました。この連絡は、あまりよく覚えていないのですが、監修の津原さんからだけでなく、エニックスの編集担当者の青島岳志さんから来たのだと思います。タイトルを伝えた時に、青島さんに「血で、お母さん?」と冷笑された記憶がありますので(安易だと思われたのでしょう)、締切前に何らかのやりとりをしていたと思います。じゃあちゃんと書かなきゃいけないな、と年明けに四十枚ほどを書き上げて、フロッピーディスクに入れてエニックスに送りました。
締め切り当日、青島さんから電話がかかってきました。
「なんでフロッピーで送ってくるの。メールで送って」
「メールでいいんですか。ちょっと待ってください」
その日、私の部屋は内装工事中で、パソコンを電話回線から外しており、あわててつけかえてメールで送りました。この頃のインターネットというのは、本当に非力で、原稿用紙二十枚程度の原稿でも、メールで送りきれない時があり、それまでの出版社へは、プリントアウトと、テキストファイルを入れたフロッピーディスクを送っていました。なので、エニックス宛てもそれでいいのかと思い込んでおり(提出方法についての指定はなかったように記憶していますし、こちらは四十枚でしたので)、「先に言ってくださいよ」と思ったことです。
届いた原稿を読んだ、青島さんからのコメントはひとつ。
「なりはらさん、これ、最初の二枚、いらなくない?」
初稿の「お母さん」は、クライマックスの抜粋が冒頭についていました。これは私の書き癖で、今でもよくやるのですが、「こういう話になりますよ」というのを最初に呈示しておいて、そこまでひっぱって行く書き方で、別の編集さんからも「なりはらさん、これ、毎回やるのはやめましょう。飽きられます」といわれたことがありました。
「短い話だからさ、そういうの、必要ないと思うんだ。驚きが薄れるし」
もっともな指摘と思われたので、そこだけ削って、話の流れがそれで成立するかどうかを点検してから、もう一度送りました。
後日、また、電話がかかってきました。
「なりはらさん、どうしたの!」
なぜか、青島さんが興奮しています。
「なにがですか」
「すごく面白くなってる! ずいぶん書き直した?」
「言われたとおり、最初の二枚を削っただけですが」
「いいよ、これで載せるね。じゃあね!」
自分で言ったんじゃないの、変なことをいう人だなあ、と思いましたが、本当にそれがそのまま通って、ゲラチェックもすんなり終わり、エニックス版の単行本が出ました。参加者の先生の中で、締切にだいぶ遅れた方がいらしたそうで、四月発行のはずが、実際の出版は五月頃までずれこんだ記憶があります。
なお、私が某誌でデビューした時、ペンネームはローマ字表記でしたが、この「お母さん」の時に、「流通の関係で、ローマ字表記の名前はあまりよろしくないので、漢字をあてるか、別の名前にして欲しい」というお話が出まして、初めて《鳴原あきら》という漢字をあてました。
この時に名前を変えなかったことが、良かったか悪かったかわかりませんが、表記を変えても同一人物であることは伝わったようで、当時、「これって、あのなりはらさんですか?」と某評論家の先生から訊かれたり、某巨大掲示板で「なりはらさんて、某誌でデビューした人だから、女性だよね?」などと書かれたりして、むしろ「どうして某誌を知ってるの!」と驚愕したものです。たしかに地元の本屋でも売っているのも見ましたが、専門誌なので、数千部しか出ていなかったはずなのです。
その後、二〇〇二年に出た文庫版は、編集を講談社の森澤憲子さんにご担当いただき、エニックス版にあった誤字や重複などを削除しました。プロフィールはそのままにしましたが、見返してみると、もう存在しないサイトが書いてあります。通信環境の事情が変わって、プロバイダを変えざるをえなかったからです。いまどき、作家の情報を知りたいなら、名前で検索してこられるとは思いますが。
これが出た時、特に両親には伝えませんでしたが、ある日、父親のCDラックの中に『血の12幻想』がささっており、どうやら読んではいたようです。内容を理解していたかどうかはわかりませんが。むしろ『夏の黄昏』に再録した「ピンクの水」が父親の話なので、そちらを読んでもらいたかったところですが……。


以上、いわでもがなのことを書きましたが、「どうして無名の鳴原の作品が、突然、幻想文学のアンソロジーに掲載されたのか?」「編集さんとのやりとりってどんな感じ?」などというあたりを、時々訊かれることがありまして、興味のある方もいらっしゃるかと思い、古い記憶を掘り起こして書いてみました。


再版にあたり、一部、表現を書き改めたりしていますが、今だったらこうは書かない、というところも残してあります。このあたりの年齢ならではの、もしくはこの時代ならではの心情を描いた部分もありますので、修正は最低限にとどめました。
最後になりましたが、あらためまして、関係者の皆様に、深く御礼申し上げます。

(初出・私家版『お母さん』後書き 2017.8)


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Narihara Akira
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