最終幕 そして始まる物語。




 天を仰ぐ。
 見上げた空は、雲で覆われていた。
 冬は昼が短く暗くなるのが早いと言うが、それを証明するかの様に辺りは暗い。 とは言っても、駅前の公園もそこから伸びるアーケードもクリスマスのイルミネーションに彩られていて、 人工的な明るさには十分過ぎるほど満ちていた。路地の一つでも奥に入れば、一瞬にしてその明るさは失われてしまうだろう。
 アーケードの方に目をやると、店頭には小さいながらもツリーやクリスマス特有の装飾が施されていて、 まだまだクリスマスセールが続きそうな雰囲気である。
 はぁ、と口から吐く息が白い。子供の頃は、当時流行った怪獣映画に出てくる怪獣の名前を連呼しながら、 白い息を何ども吐いて遊んだものだ。友人たちと誰が一番長く白い息を吐いていられるかなど、今となってはいい思い出である。
 後ろに振り向くと公園の中央に位置する噴水。 さらにその噴水の中央には、存在を強調するかのようにイルミネーションで色鮮やかに装飾された、一際大きなクリスマスツリーがある。 一年で一度の彼? 彼女? どちらでも構わない。兎にも角にも年に唯一のオシャレ。 各所に括り付けられた電球があちこちで光る様は、ツリーが喜んでいるようにも見えた。


「……寒いな」
 一度口にしてしまうと体感以上に寒くなるような気がして、なるべく口に出さないようにして来たが、耐えられなかった。
 待ち合わせの時刻は六時。ポケットから携帯電話を取り出し時間を確認する。 開いたディスプレイにはそろそろ六時になるであろう時刻が映し出されていた。 携帯電話をポケットに閉まってから、目の前の駅の屋根部分に時計が掛けられていることに気付く。 いつもなら少し後悔するところなのだが、今日に限っては不思議と何も思わなかった。
 と、ちょうど目の前を1組のカップルが通り過ぎて行った。年は自分と同じくらいかもしくは上。 何となくそのカップルを目で追う。勿論以前どこかで見たとか、そんな関係では無い。全く持って赤の他人である。 カップルは公園を通り過ぎアーケードの方へと歩いていった。彼らの手元に目をやると、男性の方はいかにもクールっぽい雰囲気を出そうとしているのか、 ポケットに両手を突っ込んだままだ。いや、単に寒いだけかもしれない。手袋を忘れたとか。 それに比べ女性の方は、着ているコートにはポケットらしき物が付いていたが、女性は手を表に出していた。 離れた所から見ても分かるくらいに両手を真っ赤にしていたが、手袋はしていなかった。 一瞬感覚が無いのか、と危なげなことを考えたりもしたが、公園の周辺又はアーケード内を歩いているカップルに目をやれば、自然と答えが見えた。 どのカップルも手を繋いでいる。手袋越しに繋いでいるカップルもあれば、素手同士で繋いでいるカップルもいた。
 あぁ、彼女は手を繋ぎたいんだな、と思った。でも、彼女はそれを口に出すことや彼の手を無理やり取る様なことはしない。 いや、違う。しないんじゃなくて出来ないんだ。良く見れば分かることだった。あまり凝視し過ぎると周りから変な目で見られそうだから強くは出れないが。 さっきから一度も互いの顔を見ようとしていなかった。笑うことも無かった。話すことも無かった。 彼は彼女とは全く違う方向ばかり見ていた。彼女は彼の顔を見ようとせず俯いてばかりだった。
 実に今日は変だと思う。今までならカップルなんて見ようともしないし視界に入れようとも思わない。 それ以前にこんな寒い日は外に出ようとさえ思わない。名前に反して寒いのは苦手だ。それなのに現在いる場所は外。 しかも周りを行くカップルなんかをチラ見で観察なんぞをしている。実に興味深い。そしてカップルの挙動が怪しい理由も何となく分かっている自分がまた面白い。 恐らくあのカップルはまだ付き合い始めて日が浅いのだろう。もしかしたら初めてのデートなのかもしれない。
 そんなことを考えていた時、挙動の怪しいカップルの目の前を楽しそうに笑顔を浮かべながら互いの手を握っている別のカップルが通り過ぎた。 ……あれは付き合って半年ぐらい経つな、などと思う。 その予想付き合い始めて半年のカップルの姿がアーケードの一角に消えると、挙動の怪しいカップルの動きが止まった。 彼女の方がちらちらと彼の様子を窺い始めた。もしかしたら彼女は内気なのかもしれない。 あれだけ挙動の怪しい彼女が実はアグレッシブな人でしたとか、かなり面白い。 そう考えると今のあのカップルの状況はかなり貴重ということだ。
 冗談、と一蹴。彼の方に目をやると、彼は真っ直ぐと正面を見据えたまま動こうとしない。実は彼も少々内気なのかもしれない。 これからの展開は何となく読めた。むしろお約束と言っても良いぐらいじゃないのか? と問う。 もう十分、と目を外そうとしたが、ここまで見ていた手前、何となく最後まで見なければいけない感がした。 案の定、2人とも顔を赤く染め照れながらも手を繋ぎ、アーケードの奥へと消えていった。






 カップルを見送ってから、もう一度天を仰ぐ。家を出てくる前に調べた今日の天気予報を思い出してみる。 ……十二月二六日、曇りのち晴れ、降水確率ゼロパーセント。夜になると冷え込むので、外出する際には厚着をしましょう、だったか。
「……外れそうだな」
 口にしてからふと思った。
 自分は天気なんか気にする人間だったか?
 ここ数年、天気予報など見た記憶が無い。引きこもりという訳ではないが、大学の他に用事がある時以外は外に出ようとしない。 故に雨が降ってようと飴が降ってようとどうでもいいことだ。 もし外出時に晴れていて、帰宅する時に降っていたら? 普段使っているショルダーバックには絶えず折畳み傘が入っている。 何も問題は無い。そして今所持しているショルダーバックにも、もちろん折畳み傘が入っている。
 それなら、何故今日に限って天気予報なんか見たのだろうか。
 自分は天気など気にしない。なら答えは一つ。自分以外の誰かのことを考えて気にしているのだ。
「……はっ」
 白い息を吐きながら嘲笑うかのように声を出す。嘲笑っているのは自分。嘲笑っている対象も自分。そんな滑稽な自分に再度笑いたくなった。
 時が経っても変わらないと思っていた自分。二年経っても変わらなかった自分。 心の底では変わったクラスメイトたちを見て、自分だけが二年前に取り残された気がしてならなかった。 そのまま置いて行かれるかもしれないと思い焦った。それでもいいかなと思ったりもした。
「結果はこれか……」
 黒いコートを着ているため白い息が目立つ。
 再び携帯電話を取り出し現在時刻を確認した。先ほどから1分しか経っていなかった。そして再度、駅の屋根に時計が掛けられていることに気付き少し後悔した。
「何をやってるんだか俺は……」
 変わるということはこういうことなんだ、と思う。でも、それも悪い気はしない。 今までこうやって誰かを待つなんてことはほとんど無かった。大体がストレスを溜める要因にしかならなかった記憶がある。 でも今は違う。何だか楽しそうにしている自分がいる。誰かを待つことを楽しいと思い始めている自分がいる。
 つまり、変わるということはこういうことなんだ。
「ははっ……」
 白い息を帯びながら天を仰ぐ。
 見上げた空は、雲で覆われていた。






「……………」
 最初、何を言われたのか全く分からなかった。日本語かどうかも分からなかった。第一印象としては、とても重要なことを告げられたように感じた。 でも彼女が何を発したのかは分からない。唯一理解できたことは言葉を言った後の彼女を反応を見るに、同じ言葉を再度要求してはいけないということだけだった。

 深雪は元々はっきりと物事を口に出来るタイプではない。しかし、この2年間で深雪はまるで別人の様に変わっていた。 今時の若者の様にファッションに気を使い、自分から積極的に話す様になっていた。 もし、深雪がこの変わったままの深雪であったなら、緋河もよく聞こえなかった。もう一度言ってくれ、などと言えたかもしれない。 だが深雪は変わっていなかった。正確に言えば、内面までは変わることが出来ず、緋河に内面を見せてしまった。 その内面を見たからには、緋河にとって深雪は学生時代のままの深雪にしか捉えることが出来ない。 だから聞けない。だから聞くことが出来ない。深雪にはもう一度同じ言葉を言うだけの勇気が残ってないから。 緋河にとって、一度目で深雪の勇気を受け取れなかったのは、最大の失敗と言えよう。

「あっ……あのね!」
 一世一代の勇気を振り絞って告白したのに、解答を得られず沈黙が続くというのは何と気まずいことだろう。
 深雪は、緋河がその言葉を聞き逃した可能性があることまでは頭が回らない。だから沈黙=ノーと思っていた。 でも深雪は諦めなかった。諦められなかった。高校時代からずっと想い続けた人が目の前にいるのに、答えが得られないというそんなことで諦めたくなかった。 イエスならイエスと、ノーならノーと、せめて言葉で言って欲しかった。 だから深雪は顔を紅色に染めながら続けた。
「あのね……や、やっぱり気持ちとか想いとか……あ、はは……どっちも同じことだね……」
 深雪は折角上げた顔をまた俯かせてしまった。言葉を選んでいるのか、それとも探しているのか。もしかしたら恐くて言えないのかもしれない。
 と、不意にカランと音がした。グラスの中の氷が融けたのだ。それに連動するかのようにベッドの上に置いてあったアルバムが床へと落ちる。 とすん、と。落ちた拍子に開きっぱなしだったのが閉じられた。
 だが、緋河と深雪はそれらに対し目も向けなかった。アルバムを元に戻そうともしなかった。 床に落ちたことに気付いているかすらも怪しいぐらいに、止まっていた。
 2回ほど、置時計の秒針が動く音が静かな部屋に響いた後。
「その……気持ちとか……ちゃ、ちゃんと言わなきゃ……伝わらないと思って……だから……だからっ……!」






 と、ポケットの中で何かが震えだした。まさか、と思いながら携帯電話を取り出すも、ただの出会い系メールだった。 それを見て安心している自分が、少しだけ嬉しかった。あの時言った言葉に偽りは無かったんだと。
 メールを削除してからポケットにしまう。
「手袋でもしてくるんだった……」
 時期は冬にて気温は零から数えた方が早い。外は雪が降ってもおかしくないくらいの寒さである。 そんな中、素手をポケットにしまわず外に出してる人はあまりいない。 中には、こんな時期にも関わらずランニングや半袖を着用し食べ物を食べ回る人もいるが、そんなのはほんの一部だけで、大抵の人は手袋を使用するのがお決まりである。
緋河には、真冬に外で誰かを待った記憶なんかここ数年無い。買物などでは外出するが、動かずに外でじーっと止まっていた経験は無い。 故にコートと言った主流の防寒具を除いて、大抵のものはクローゼットの奥底へと封印している。 勿論手袋も。今日という日にあたってそのことだけが後悔の対象だった。


 ただ立ち止まっていることに敵わず何となく振り返った瞬間、視線の先でツリーに付けられた大きなベルが揺れ、ガラーンと辺りに響いた。 直後、ただ交互に点滅するだけだったイルミネーションが流れるように下から上へと点灯していく。 六時と十二時になった時のみに見られる特別な演出である。
「六時か……。そう言えば女はわざと遅刻するものだって、誰か言ってたな……」
 そう呟くのと、背後からやや怒気の混じった声が聞こえたのは同時だった。
「定刻ぴったりなんだけど……」
 振り返った先には、深雪が頬を膨らませて立っていた。
「……いたんだ」
「いたんだ、じゃないよ……」
 言ってから不味いなと思ったが、案の定彼女は不機嫌だった。
「噴水の前にいた真冬君を見つけて、時間に間に合ったと思って手を振ったら私のこと無視して後ろ向いたんだよ?」
 そう言われると、後ろを向く瞬間に手を振っていた人影が視界の片隅に映っていた様な気がしなくも無い。 「そういえばそうかもしれない」と口から出そうだったが、彼女の言葉の方が先だった。
「真冬君、私は悲しいよ」
 軽く泣きまねをしつつも、こちらの反応を窺っているのが分かった。
「いや、それは確かに俺が悪かった。謝るよ」
 口に出してから、ここ数年誰かに謝った記憶が無いことに気付いた。自分が悪いと思うことをしなかったのかもしれない。 ……いや、そうじゃない。その時間分だけ他人との余計な接触をしなかった。面倒事が嫌だったから。
「私よりクリスマスツリーの方がいいんだね……」
 昨日の深雪を、高校時代の深雪を知っている自分にとっては、今の深雪の言葉は微笑の対象にしかならなかった。
「とても……昨夜と同一人物とは思えない台詞だ」
 そんなことを言っては相手に失礼だと分かっていながら、思ったことをすぐ口に出してしまうことが自分の悪いところなのかもしれない。 だが多少なりとも罪の意識を感じている辺り、まだ救い様があるかもしれない……と思っている自分が滑稽だと思えた。
「どうしてそういうこと言うかなぁ。今日の服装はお気に入りのなのに……。でも、真冬君らしくて逆にいいかもね」
 そう言う深雪の表情からは、(結果的に)無視されたことも服装について何も言ってもらえなかったことも、どうでもいいように見て取れた。 ただ簡単なことで。実に簡単なことで、俺と話したがっているように見えた。
「あのツリーより綺麗とか、そんな気の利いた台詞を言えなくて悪かったな」
 だから、冗談交じりに言ってやった。
「ぷっ……真冬君。そんな冗談言う人だったの? おっかしー」
 ひどく笑われた。だが、深雪の言うとおりだと思った。そして、素直に言えない自分は本当に滑稽だ、とも。
「……そんなに笑うことは無いだろ」
 そう言った言葉に対し、返ってきたものは予想していない答えだった。
「私なんかと比べたら、あの子が可哀想だよ」
 と言って、噴水の中央に背筋をぴんと伸ばして立っているクリスマスツリーに目をやった。
「あの子は年に一度の最高のオシャレをしてるんだよ? 私なんかと比べられないよ」
 深雪につられてツリーに目をやると、まるで「分かってるじゃないかキミは」とでも言っているようにイルミネーションが交互する。
「……あぁ、そうだな」
 今までしたことが無いようなこんな会話でさえとても楽しく感じる。
「あっ、真冬君、手袋しないで寒くないの?」
「凄く寒い」
 胸元まで挙げた手は両手とも真っ赤で、細かい指先運動が出来る自信は微塵も無い。
「私が温めてあげる」
 深雪は自分の両手の手袋を取った。素手で俺の両手を覆うように包んで自分の胸元へと持っていった。
「ほら、温かいでしょ?」
 凄く楽しそうに深雪は言った。まるで、昨日の深雪とは別人の様に。そして気付いた。 変わるとはこういうことなんだ、と。彼女は変わったんだ、と。
 彼女は俺のことを名前で呼ぶようになった。『真冬』という女の子みたいな名前が好きになれず、今までは名前で呼ばれることを酷く嫌っていた。 昨夜も唐突だった。彼女は俺のことを名前で呼びたい、と。その真意は分からなかったが、何故か彼女に呼ばれる分には悪い気がしなかった。
 彼女は変わった。彼女自身が変わろうとした結果なのか。それとも俺という存在が彼女を変えたのか。 それは彼女にしか分からないことだが兎に角、彼女は変わった。 ……俺はどうだろうか。俺は変わったのだろうか?
「俺は……変わったかな……?」
 だから、つい口に出してしまって焦った。冗談だと受け流されてしまうと思ったから。
「私には分からないよ」
 でも彼女は真面目に答えてくれた。
「分からないけど、変わらなくてもいいと思うよ? もし変わっても真冬君は真冬君でしょ?」
 それが彼女の優しさだった。それが朝樺深雪という人物だということに気付くのが遅すぎた。 そして後悔した。自分が気付けなかったことに。彼女に二度も言わせてしまったことに。 出来ることなら昨夜の時点からやり直したい。もっと気の利いた言葉を最初に言いたかった。 でもそれはもう叶わない。だから。だから二度も言ってくれた彼女に対し一度しか返せなかった自分には、もう一度返すことぐらいしか思いつかなかった。
「どうしたの? まだ寒いの?」
 この寒さはどこか室内に入らないと収まらないと思ったことは口に出さなかった。 その証拠に、深雪に温められた両手だけは暖かかった。
 そっと両手を下ろし深雪に抱きついた。いきなりのことで慌てていたが、そんなの関係無い。 ぎゅっと抱きしめてから、二度目の答えを口にした。

「好きだよ、深雪」

 多分、俺はこの時変わった。
 これからどうなるかなんて分からないけど、一つだけ。
 変わっていくのも、案外いいかもしれない。



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