第八話
〜She is mysterious?〜



 朝、柔らかい日差しがカーテン越しに窓から……差し込んではいなかった。
 窓から見えるのは一面の青い空……を覆っている雲。
 雨が降っている。ハッキリ言って雨は好きな方ではない。むしろ雨が好きな人はいるのだろうか?  そういえばどこかの島の大王は雨が降ったら学校を休む、とか言ってたなぁ。まったく、羨ましいヤツめ。 雨の降っている日は大抵ロクなことが起きない。彼は過去の記憶からそういう結論を導き出していた。 降り畳みはともかく、普通の傘は荷物になる。歩いているとズボンの裾が自然に汚れる。風が強い日なんか最悪だ、と。 これは誰にでも共通する雨によるハンディキャップ。 さほど苦にはならないのだが……。それに子供の頃はそんなことを気にも留めずよく外で遊んだものである。 水溜りを見るとつい飛び込みたくなってしまったあの頃が懐かしいと思う。 と、ここまで上げた点だけなら頑固として雨を嫌いなる理由にはならないはずである。

 ……なら何で俺は雨が嫌いなんだ? 俺はいつ、雨が嫌いになったんだ?

 神倉明彦は洗面所にある小さな窓から外を眺めつつ、そんなことを考えていた。 彼の記憶にはポッカリと穴が空いているところがある。それが彼が雨を好きにはなれない理由だとは言い切れないが、自分ではそう思っている。 彼自身何故そこだけ記憶が無いのか判っていない。雨の好き嫌いで何かが変わるわけではないのは誰の目からも見ても明らかである。 それに彼はそのポッカリと穴が空いている部分の記憶をそれほど重大ではないと思っており、深く考えたりはしなかった。
……今現在に至るまでは。






 顔を洗い終え、今まで考えていたことをリセットするかのように頭を横に何度か振る。
「何今日に限ってこんなことを考えているんだ? 俺は」
 鏡に映っているもう一人の自分に言い聞かせるように口に出す。 髪に掛かっていた水を落とすと、傍に掛けてあったタオルを手に取りリビングに戻った。 そして、そのリビングではあかりがソファーに座って毎朝恒例の占いを見ていた。
「今日の運勢第1位は……牡羊座、ねぇ……」
 あかりは占いをあまり信じないくせに、見るのは好きだったりする。彼もどちらかというと信じない方だ。 何たって番組ごとに運勢が違うのだからこれほど曖昧なことは無いと思う。 明彦は部屋に戻り、今日の講義の支度を始めた。あかりは相変わらずテレビに見入ったままである。 何故こんなこと、つまり何故あかりが明彦の家にいるのか? それは45分程前まで時間を遡る……。






 45分程前、時刻にして7時5分前。詳しくは6時55分。
 神倉明彦はベッドの上で眠っていた。窓にはカーテンが引かれているため日差しは差し込んでこない。(雨が降っているので当たり前だが) 恐らく夢を見ているのであろう。どんな夢を見ているかは明彦本人にしか分からないが。 頭上にある時計の長針が12の時を指すと同時に、けたたましい音が部屋に鳴り響く。 その音が聞こえたのか、明彦はうっすらと目を開けると寝返りを打った。 そのまま腕を布団の中から出し目覚まし時計の上部を軽く叩こうとした。 が、明彦の手が目覚ましに触れる前にけたたましい音が鳴り止んだ。 ついさっき鳴り始めた目覚ましの音が自分で止める前に止まれば誰でも驚くだろう。(と、思う) 不審に思い、視線を目覚まし時計の方へ向けると目覚ましの上には明彦ではない、別の誰かの手が置かれていた。 この誰かの手が目覚ましを止めたのだ。 明彦は恐る恐る視線を徐々にその別の誰かの手から腕、腕から首そして顔へとずらしていった。 視線がちょうど顔まで来た所で声が掛かる。
「おはよう♪ 明彦」
 その声に驚きベッドの上で顔を背けながら壁際まで後ずさりをした。とても寝起きとは思えない程の速さで。
「? どうかした?」
 もう1度声が掛かる。聞き覚えのある声。 ゆっくりと振り向くと、明彦の視界の中に頭上にハテナマークを掲げたあかりの顔が入ってきた。
「あっ……あかり!?」
 思わず声を上げる。
「何驚いてるの?」
 三度目の声が掛かる。紛れも無い、あかり本人の声である。
「なっ、何であかりが俺の家……いや、俺の部屋にいるんだよ!?」
「いちゃ悪い? それに昨日『またね』って言わなかったっけ?」
 言った。確かに言った。昨日の別れ際に。しかしそういう問題ではない。
「普通いきなり次の日に来るか!?」
「来ちゃいけない?」
「別に……いけなく…ない」
 あっさりと打ち負かされる。
「けど、普通は忘れた頃にやって来るだろう! こう、何だ。いかにもいわくありげに『フフッ、久しぶりね』とか言いながら」
 明彦がジェスチャーを踏まえて主張する。が、待っていたのはあかりの細い目だった。
「明彦……ドラマとか小説の見すぎじゃない? 今日大学の講義があるじゃない」
「……………」
「しかもいわくありげって何よ?」
 ぐぅの音も出なかった。あかりはわざとやっているのか、素なのか全く分からない。 ある種、天然というカテゴリーに分類されていてもなんら問題はないと思う。 驚きのあまりベッドの端で固まっている明彦を見て、溜め息をしながらあかりが口を開く。
「朝ご飯、食べるでしょ? 作ってテーブルの上に置いといたから。私はテレビの続きでも見てるわ」
 そう言って部屋から出て行った。

 そんでもってあかりが用意してくれた朝飯を食って歯磨きをして、顔を洗い終えて今に至るわけなのだが……。
「まだやってるんだ……」
 テレビのチャンネルを回していたあかりが言う。横から覗いてみると、昨日の大通りでの事件のことがテレビモニターに映っていた。
「下手な政治事情より視聴率は高いだろうな」
 タオルで頭を拭きながら冗談混じりに言う。チャンネルを回してみても大体のニュース番組では同じように取り上げていた。
「それより、今日は一日中雨らしいよ」
 我関せず、といった口調で現在時刻の隣に出ている小さな天気予報を指差す。  その先には傘マークが3つ、その下に50%、60%、60%と降水確率が表示されている。
「あぁ、こりゃ駄目だな」
 テレビモニターを覗いた後、頭をタオルで拭きながらベランダへと続く大きな窓の傍まで足を進める。
「風が強くないだけ幾分マシ……か」
「そうね」
 ソファーに座ったまま上半身をこちらに向け、明彦同様窓の外を見ながら言う。 窓の外では視認出来るほどの量の雨が降っていた。大雨ほどではないにしろ、あまりいい気分では無い。 近くに見える大きな木が、ほとんど揺れてなかったことから風は強く無いと判断したのだろう。 続けるようにあかりは「さて」と言うとテレビの電源を消し立ち上がった。
「そろそろ時間よ? 玄関で待ってるから」
 そう言い残し、リビングを後にした。
「……あぁ」
 やや愛想の抜けた返事をし、明彦は洗面所にタオルを戻すと自室へリュックを取りに戻った。 デスクの一番上の引き出しを開ける。それは昨日から気になっていること。中には三枚の赤い羽。 明彦は意味も無くその三枚の羽を掴んだ。 その羽で何かをしようと思ったわけでは無い。ただなんとなく、そう、なんとなく羽を掴んだ。 その行為が当たり前であるかのように。
「ん?」
 掴んだ羽がほんの一瞬光ったような気がした。よく見てみるが変化はなし。以前のままである。と、
「明彦まだぁ〜?」
 玄関の方からもう待てないのか、あかりのせかす声が聞こえる。
「わりぃ、今行く」
 気のせいだろう、と三枚の羽を引き出しに戻す。リュックを手に取り部屋を後にした。 明彦の目には未だ、羽の赤い色が眼に焼きついて離れなかった。






 2人してエントランスを抜ける。 入り口のガラス張りのドアを開けると同時に、雨の匂いと降る音がエントランスに入り込んできた。
「思ったほど強くないみたいね」
 あかりが傘を開きつつ、空を見上げながら言う。
「そうみたいだな」
 遅れまいと明彦も傘を開き歩き出した。 傘を差しながら2人して横に並んで大学へと続くいつもの道を通る。 二つ目の角を曲がったところで、思い出したように明彦が口を開いた。
「そういやあかり、翼はどうしたんだ?」
「翼? もちろん隠せるに決まってるでしょ。あんなにでかいものを出しといたら生活の邪魔になるじゃない。それとも見たい?」
 と言いつつ不適な笑みを浮かべるあかり。
 いつもと同じように他愛ない会話をしている明彦だが、内心かなり悩ませられていた。 言うまでもなくあかりのことで。 明彦からして見ればあかりが何を考えているか全く分からなかった。 だからといってストレートにあかりに「何故?」と聞いても素直に答えるハズがない。 そんなことはハナから分かっている。 だが、それでも聞いておかなければならない。いや、聞かなければならない、と本能が訴えてくる。 そして今の会話で新たに不安が浮かんだ。それはあかりの言った言葉。

『羽は隠せる』

 つまりだ、いくら選ばれた者達といっても一般人に羽が生えただけであって、その羽さえ視認出来ないようにすれば普通の一般人と同じ。 昨日の事件で捕まった連中で全部じゃないとすると、これからは目立った行動はしないようになるはず。 ということは普通の人と選ばれた者達との区別が付かないということになる。 全く持って厄介である。 人間は『力』を得るとその『力』を誇示したくなる生物である。 それに人類の夢でもあった空を飛ぶという行為が個人の力で出来るようななったとなれば、それを使わない人はいないだろう。 だからと言って、それが明彦にとって障害になるわけではない。けど、明彦は知ってしまった。 選ばれた者達がどんな人たちかということを。そして自分の彼女であるあかりも選ばれた者の1人。 明彦の性格から言って放っておけるわけが無い。少しでも何かできることは無いか自然と探してしまう。 明彦はそんな自分の性格が嫌いではなかった。だからこそ首を突っ込んでしまった。『羽』という未知なる力に。 出来ることからやっていく。これは明彦の根本にある考えである。 無理な高望みはしない。出来る範囲のことから確実にこなしていく。となれば今はあかりに聞くしかない。 無駄だと分かっていても出来ることがあるならやるべきだ。前を歩くあかりの背中を眺めながら心の中で決心をする。 次の曲がり角を曲がれば大学が見える、といったところまで来たとき、明彦はおもむろに立ち止まり、言葉を紡ぎ出した。
「なぁ、あかり」
 その声に反応し
「何? 明彦」
 と、振り返ったあかりの姿が目に映る。
「あかりさ……何か隠して無いか?」
 無駄だと分かっているその言葉を口に出す。
「隠してること? 別に無いけど?」
 本当に何も知らないかのように純粋な瞳が明彦を捕らえる。全てを見通すような大きな瞳。あかりの自慢でもある。
「……そうか、ならいいわ」
 予想通りの答えに予想通りの反応を返す。
「羽のことについて考えてたんでしょ」
「ん、まぁな。あかり、何か知ってそうな節があったからさ」
「明彦が疑問に思ってることのほとんどは昨日のうちに全部話したはずだけど?」
 いや、違う。あかりにはまだ俺達に言ってないことがあるはず……。
「……………」
 その言葉が出てこない。いや、出せない。あかりの言葉を聞いてるとそれが真実のように思えてくる。
「深く考えすぎなんじゃない?」
 そうかもしれない。突然いろいろなことが連続で起こったから頭が付いていけてないのかもしれない。
「今日の講義、身が入らないんじゃない?」
「そうかもな。俺の考えすぎか……」
「そうそう、考えすぎ考えすぎ。あんまりのんびりしてると本当に遅刻するよ?」
 あかりが微笑む。それにつられて明彦も鼻で笑う。
「そうだな」
 そう言って明彦は歩きだした。ウンウンと頷きながら自分を追い抜いていく明彦を見る。
「おい、何やってんだ? 行くぞ」
 数メートル先まで行った明彦が振り向いて呼ぶ。
「はいはい」
 あかりが歩き出す。足を踏み出した直後、傘を深く持つ。丁度表情が見えない程度まで傘を自然に下げた。 その際、あかりがクスッと笑ったような気がした。 その声は雨音にかき消されて明彦の耳に届くことは無かった。

「そう、明彦は知らなくていいの。……今はね」




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