第七話
〜それぞれの考え〜



 清香が指差した先、モニター内のそこにはビルが映っていた。
 何の変哲も無いビル。どこかの会社のオフィスだったが、昨年廃ビルになった所だった。 画面から見る事が出来るのは窓際の一角のみだが、そこだけで十分だった。 そこには窓に手を当てて覗き込むように外を眺めている人がいた。 人……? そのビルは昨年に廃棄されたビル……。そのビルの中に人がいる? 何の変哲も無い場面。人が廃ビルの中から外を眺めているというだけの場面。 多少はおかしく思うかもしれない。使われなくなったビルの中に人がいるのだから。 だからといって特別に変、というわけでもない。そんな場面だった。ビルの中から外を眺めている人物を除けば。
 それはとても見覚えのある人だった。 ローズグレイ──どちらかというとベージュに近い──のロングヘアーをしていて全てを見通すような大きな瞳。 性格は大雑把だが世話焼きという意外な一面を持つ。そして明彦の彼女……。

 ──穂村あかり。

 彼女が映っている。彼女がビルの中から外を眺めている。
 あまり分かりやすいとはいえない大きさであるし、似た人かもしれない。見間違いでは?と、思いたかったが見間違いなどではなかった。 他の人なら「似てる人じゃない?」で済んだかもしれない。
 だが明彦、遥、清香の三人にはそれで済まされなかった。根拠が無くともテレビに映っている人は穂村あかりだと本能的に理解してしまっている。 モニター内の明彦が大通りを去ると同時にあかりの姿も消えた。 まるで明彦を監視しているかのように……。 ビデオはちょうどそこで──あかりが消えたところで──終わっていた。 それと同時に身を乗り出してモニターに食い付いていた三人はもとの座り位置に戻った。 誰もがもう一度ビデオを見ようとはしなかった。そして部屋には静寂だけが流れ始めた。






 穂村あかりは空中を漂っていた。
 足元には少し遠くに住宅街が見える。 時間的には住民が路地を歩いていてもおかしくはない。が、今、穂村あかりの見ることができる範囲には人っ子一人居なかった。 原因は大通りで起きた、選ばれた者たち──背中に翼を持っている者──が現れた事件のせいである。 それが原因で住宅街にはほぼ、と言っていいほど人が居なかった。 そんな中、穂村あかりは空を漂っていた。とある一角にある一軒の家を眺めながら。 周りには誰も居なく(当たり前だが)静寂が漂っていた。たまに、あかりの背中にある翼の羽ばたく音を除けば。 大通りを見て、やや前方に見えるマンションを見る。そしてそのマンションの二つ隣にある一軒家を見ては自分の背中にある翼を見る。 あかりは今までそんなことを繰り返していた。何故そんなことをするかは穂村あかり本人にしか分からない。
 大通りの野次馬が気になるのかもしれない。
 神倉明彦の住んでいるマンションが気になるのかもしれない。
 もしくはその二つ隣にある相沢遥の家が気になるのかもしれない。
 はたまた自分の背中にある翼が気になるのかもしれない。
 しかしそれはいずれも穂村あかり本人にしか分からないことであり、他人がどうこう言って変わるものではない。
 ふと、あかりは口の端を上げた。 あかりが見たのは一軒の家。瞳に映るのは三人の男女。その三人は身を乗り出している。何かに驚き、何かを見つけたのだろう。 距離は十分だが角度が悪く、その「何か」は見ることは出来なかった。だが、あかりにとってはそれだけで十分だった。 「それだけ」であかりは三人の男女が何をしているのか、何を見ているのかを理解することが出来た。 ちなみにあかりの漂っている場所はその家から直線距離でざっと七十〜八十メートルといったところ。眼鏡は掛けていないので、視力はかなり良い。
 穂村あかりはその大きな瞳を閉じると、再び微笑した。 そして胸の前で組んでいた腕を解くと、背中の真っ白な翼を羽ばたかせ軽快な音と共に移動を開始した。 彼女が向かうのは一軒の家。そう……相沢遥の家……。そして三人が……神倉明彦と相沢姉妹の三人が居る部屋……。






 神倉明彦は静寂の流れる部屋の中、壁にもたれながら先程見たビデオの内容について考えていた。 いや、ビデオの内容というより、穂村あかりのことについて考えていたという表現の方が正しい。 あの場所に居て何故気づかなかったのか。 不可思議なことの連続で冷静さを失っていたのか。 そして何であかりはあの場所に居たのか。まるで俺を監視しているかのように。 明彦の頭の中はそんなことで一杯だった。遥と清香はそんな頭を抱えて考えている明彦に声を掛けることが出来ず、ただ見ているだけだった。 遥はどうしていいか困惑している清香を見て「お茶を入れてくるわね」と一言発し、立ち上がろうとした。
 その瞬間。
 その瞬間を清香は見逃さなかった。明彦の表情が厳しいものから何かに気付いた表情へと変わったのを。
 未だ困惑している清香を尻目に、明彦はゆっくりと立ち上がり窓の方へと目を向けた。 それにつられて清香と遥も窓を見る。……何もおかしなところはない。 そう言おうと遥が口を開けた瞬間、カーテンが部屋の中へと靡いた。 明彦は動じない。これから何が起こるのか、全てを理解しているかのように。 逆に遥と清香はその靡いたカーテンを緊張した面持ちで凝視している。 遥の表情からは、これから何が起こるか何となくだけど理解している、ということが伺える。 打って変わって清香はと言うと、恐怖や不安より好奇心が勝っているといった表情だ。 弱い風が収まり、軽く舞い上がったカーテンがゆっくりと降りてくる。 窓ガラス特有の反射光が無いことから窓が開いているのに気付く。 悠然と立っている明彦の後ろで遥と清香は喉を鳴らす。 そしてカーテンが降りてきた裏には一人の女性が窓枠の上に立っていた。
 背中から真っ白な翼を覗かせて。
 そう、穂村あかりが……。

 明彦とあかりの間に緊張が走る、かと思い気や、あかりの第一声はごく自然なものだった。
「また会ったわね、明彦」
 口の端を上げながらあかりは言う。あかりにつられ、明彦も口の端を上げながら言う。
「……ああ、そうだな」
 口は笑ってはいるが目は笑っていない。それに対しあかりは完全な『微笑んでいる』状態で明彦の顔を眺めている。 明彦とあかり、二人の視線は交わったまま。そしてその光景を凝視している遥と清香。 まるで四人の周りだけ時間が止まってしまったように誰も動かない。

 ……………。

「ねぇ」
 そんな時間を動かしたのは
「明彦は私に用があるんじゃないの?」
 あかりだった。
 その口調は、まるで母親が赤ん坊をあやすかのように軽く、優しく、そして楽しげなものだった。 この場の雰囲気にそぐわないほどに。 明彦はあかりが考えていること「今ここで何か行動を起こす気は無い」ということを理解してか、握っていた拳の力を抜き警戒を解いた。 依然として一定の距離を保ったままではあったが。
「……いくつかあるんだが……まずは……翼のこと……だな」
 右手を後ろに頭を掻きながら少し言いにくそうに途切れ途切れに言う。
「あー、別に二人が居ても問題ないだろ?」
 頭を掻いていた右手で、親指を立て後ろにいる遥と清香を指す。
「問題もなにも……どうせもう話したんでしょ?」
 そんなこと言わなくても分かっている、という意味を込め目を瞑り鼻で笑う。
「おっしゃるとおりで」
 明彦もあかりと同じ様に目を瞑り鼻で笑った。互いを理解しているからこその暗黙の了解。 それでも明彦はこれ以上近づこうとせず、そしてあかりもまた、窓枠のさっしの上に立ったままで部屋に入ろうとはしなかった。
「でも残念ね」
 あかりは組んでいた腕を解き、窓枠に右の手を添えてバランスを取り、風で靡いた髪の毛を左の手で掻き分けながら言った。
「どういう……意味だ?」
「どうもこうも、言葉通り……って分かんないか。まぁ、結論から言っちゃうと私も詳しく知らないのよ。翼に関しては」
 人差し指を立てながら楽しそうに言う。  明彦はそんなあかりの言葉を聞き一瞬、そう、ほんの一瞬だけ、しかもよく見ても分かるか分からないかぐらいの小さな反応を示した。 数メートル先にいるあかりにすら分からせないほどの小さな驚きを。
「……ならいい。……次は」
「マンションでのこと……でしょ?」
 明彦の言葉を受け継ぐかのようにあかりは言った。 自分の言おうとしていた言葉を先に言われても、明彦は驚かなかった。予想していたのだろう。そしてそれはあかりも同じ。
「違う?」
「いや、合ってる。話が早くて助かる」
「それはどうも」
 あかりがそう言うと、先程と同じ様に二人して目を瞑っては鼻で笑う。
「これも結論から言うと、あの女性は死んでないわ。今頃病院じゃないかしら?」
 さすがの明彦もこれには驚いたようだ。目を大きく見開いている。
「明彦、ちゃんと確認しなかったでしょ?」
 あかりが軽蔑の意を込めた細くした目で明彦を見る。
「なっ、あんだけ血が出てりゃ」
「脈は確認した?」
 明彦の言葉を遮るようにあかりが言う。
「……してない」
 自分の方に非があることを自認したのか、声が徐々に小さくなる。 言い終えた後、目線の先は既にあかりの目ではなく部屋の床に移っていた。 あかりはそんな昭彦を見て勝ち誇ったように三度鼻で笑った。
「たくさん出ている様に見えただろうけど、致死量には程遠いわ」
「……………」
 明彦は何も言わずにあかりの表情を伺っている。
「……もぅ、そんなに疑うんならあの部屋に行って確認して来なさいよ。何号室かは忘れちゃったけど」
 あかりはじれったいなぁ、といった感じで明彦にややきつめに言った。 あかりがここまで肯定するのならそれが真実なんだろうな、と思い軽く肩を上げる。 あかりは決して嘘を付かないというわけではない。 ただ、あかりの方が正しい時にそれを疑ったり否定したときだけ言い方がいつもよりきつくなる。 明彦はそんなあかりの性格を知っていたからこそこの場で引き下がったのだ。
 その後もいくつかの質疑応答がされたが、聞きたいことが無くなったのか明彦が口を閉ざすと部屋の中には今日何度目かの静寂が流れた。 さらにその静寂を促すかのように優しくも少し冷たい風が部屋の中へと入ってくる。 カーテンが靡いてあかりの髪の毛が靡く。そして背中の白い翼が顔を覗かせた。
 一点の曇りも無い真っ白な翼。 風に靡く様子はあかりの髪の毛と一緒に風に乗って遊んでいるようにも見える。 あかりの真っ直ぐな視線を正面から受け止め同じようにあかりに返している明彦の後ろで、清香がその翼に吸い込まれるかのようにあかりを見ていた。
 言いたいことがある。
 聞きたいことがある。
 それなのに言葉は出てこない。喉の奥で止まってしまう。近づこうとしても、まるで蛇に睨まれた蛙のように動けない。 不安や恐怖が清香を拘束しているのだろう。いや、違う。清香を拘束しているのは他でもない……好奇心だ。 あかりさんがこれからどんなことを話すんだろう。明彦さんはこれから何をするつもりなんだろう。 これから二人がすることを無意識の内に頭の中で考えては思い描いている。 さらに二人が向き合っている光景は清香にとってとても幻想的に見えた。 ここで水を差してはいけない。折角のこの幻想的な光景が一瞬にして崩れていく。 清香は明彦とあかりの二人が織り成すこの幻想的な光景を見ていたかった。 清香の中のそんな思いが清香の動こうとする意志を封じている。
隣では遥がそんな清香の思いをよそに、あかりがいつ、どんな行動を起こしても対応出来るよう絶えず身構えていた。 清香と同様、遥にも聞きたいこと、言いたいことがあったが、そのほとんどが明彦の質問と同じ内容だったので遥の疑問は既に無くなっていた。






 数分の沈黙の後、先程の柔らかい表情とは違う(だからといって硬いわけでもない)、あかりに敵意を向けるような表情で明彦が口を開いた。
「……さっきの話……いくら死んでないからといって……俺は許されることだとは思ってない」
 風により靡いた髪の毛を再び掻き分けながらあかりは言った。
「私もそう思うわ。それに殺そうだなんて……まして危害を加えようとも思わなかったわよ?」
「じゃあ何で?」
 表情を変えずに極自然な切り返しをする。
「それは言えないわ。それに……」
 そこまで言いかけて言葉を止める。
「それに……何だよ?」
「……残念ね」
 あかりの口から突如出た言葉は、明彦だけでなく後ろに居た遥と清香も面を食らったような顔にした。
「時間切れ。こう見えても意外と忙しかったりするのよ」
「はい!?」
 思ってもいなかった展開についていけず、明彦の口は半開きで固定されていた。 そんな明彦を見て少し笑いながらあかりは続ける。
「でもよかったじゃない? まだ死人が出てなくて。大通りの方も負傷者だけでしょ?」
 そう言うと窓枠のさっしから軽く後ろに飛び、背中の翼を大きく広げ羽ばたかせて空中で止まった。
「それじゃまたね、明彦。それに遥と清香も」
 陽気に手を振り身を翻すと再び翼を羽ばたかせて、あかりは空へと消えていった。
「なっ、ちょっと待て!」
 羽ばたく音で我に返り急いで窓枠から身を乗り出したが、少し遅かった。 既にあかりの姿は遥か遠くで小さくなっていた。 明彦が溜め息を吐きながらさっしに両手を付き肩を落とすと、それとほぼ同時に後ろにいた遥と清香の二人が線を切られた操り人形のように床にへたり込んだ。






 明彦は垂らしていた頭を上げると何かが落ちてくるのに気付いた。 無意識に腕を伸ばしその「何か」を掴んだ。握った手を広げなくても分かる。

 それは真紅の羽。

 先日大学の講堂内で拾ったもの、そして今日あかりがいたマンションの一室で拾ったもの。それらと同じ羽だった。
「どうかしたの?」
 先刻から窓際に立ち尽くしている明彦を不思議に思ったのか、遥が聞く。 明彦は今、二人に対し背を向けているため、二人は明彦が赤い羽を拾ったことなど知る由も無い。
「いや、何でもないです」
 そう言うと、明彦は窓を閉めカーテンを元の位置に移動させた。 そして振り返り様に素早くポケットに羽をしまう。もちろん遥と清香の二人には見えないように。 別に見られても何も問題は無いのだが、この赤い羽を持っていることにより何かしら事件が起きた時、二人を巻き込まないようにするための明彦の配慮だった。
「あの……あかりさんのことは……」
 振り返った直後に清香が少し申し訳なさそうに口を開いた。
「大丈夫だろう、あの様子なら」
「そうですか……ならいいんですけど」
 清香がやや不安そうに答えた。そのときの清香の表情を見ていたのか、明彦は付け加えた。
「あかりは『またね』って言ったからこっちから探さずとも、おのずとあかりの方からやって来るさ」
 明彦は口の端を上げながら言った。少なからず遥は納得しているようだった。






 その夜、明彦は自室のイスにもたれながら右手で掴んでいる三枚の赤い羽を見ていた。
「一枚目は大学の講堂内、二枚目はあのマンション、三枚目は遥さんの部屋……と」
 右手を動かし、羽を揺らしながら思考を廻らす。
 三箇所に共通するのはどれも屋内、俺とあかりが行ったことのある場所、そして天使が出てきた後……。
「全然分からん」
 そう言って羽をデスクの一番上の引き出しに入れると、イスから立ち上がり部屋の電気のスイッチを切りベッドに入った。

 何なんだ? あの羽は。 何故赤い? やっぱり今回の事件と何か関係が? その線が一番有力だよなぁやっぱ。 この辺に赤い羽の鳥なんて見たことないし。 ……俺が三枚拾ったのは偶然? それとも必然?  あかりが仕組んでいる……とは思えない。俺に何か関係あるとか?  でも身に覚えはないよなぁ。 ……じゃああの赤い羽は一体何なんだ?  それにあかりが言った言葉……『翼に関しては詳しく知らない』……そう、『詳しく』は知らないわけだ。 『詳しく』は。ってことは裏を返せば最低限のことは知っている、ってことになる。なら何故隠す必要がある?  その上『まだ死人が出てなくて』だ? 『まだ』ってことはこれから出るってことか? くそっ!
 ……………。
「くわっ! 何で俺がこんなに悩まなきゃいけないんだ!」
 布団を勢いよく頭まで被ると、そのまま意識を失っていった。



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