第六話
〜清香と明彦〜



「それ、本当なの!?」
 急に遥が驚きの声を上げる。そしてそれは、廊下で聞き耳を立てている清香にも聞こえた。
「うそ……」
 さらに落胆の声が部屋の外に漏れる。それに続き明彦のハッキリとした口調の言葉が聞こえた。
「本当です。あかりは……あかりの背中には……白い翼がありました」
 その事実に清香は声を出すことが出来なかった。 遥がちょうどお気に入りのドラマ──つまり臨時ニュース──を見ていた時、清香もそのニュースを見ていた。 だから背中に翼を生やした人たちが存在してまた、取り押さえられたということも知っていた。 そして、遥と同様、背中に翼を生やした人間なんていない、と思っていた。 だが現実はどうだ? 実際に明彦が見たと言うではないか。 清香は驚きを隠せなかった。 そして驚きのあまり、友人から来たメールを返そうと手に持っていた携帯電話を床に落としてしまった。






「あかりの背中に……?」
「ええ、間違いありま……」
 明彦がそこまで言いかけたとき、廊下の方から物音が聞こえた。 それに反応して遥はすぐに立ち上がりドアを開けた。
「清香……聞いてたの?」
「お姉ちゃん……」
 廊下では清香が座り込んでいた。悲しい表情をして。
「清香、部屋にいたんじゃなかったの?」
 ため息をつきながら遥が清香に聞く。
「お姉ちゃん、ごめんなさい。気になって……」
 遥は再度ため息をついた。部屋の中で紅茶を飲んでいた明彦が、遥のため息を聞いて口を開いた。
「まぁそんなに責めることもないんじゃないですか? いずれは知られる羽目になっただろうし」
 清香が盗み聞きしていたことを気にも止めず冷静に話す。
「別に責めてるわけじゃ……」
「明彦さんの言うとおりだよ」
 清香の声が遥の言い分をかき消した。明彦の言葉を聞いたときから清香の表情は笑っていた。
「それに大事なことは皆で話さないと」
 そう言うと、清香は遥の横を通り過ぎ明彦の隣に座った。そんな妹を見ながら遥が呟く。
「はぁ、全く……調子がいいんだから」
 私も清香には甘いのかな? などと思いながら。






 ドア沿いの壁際ではそんな遥を横目に明彦と清香が既に話しを始めていた。
「明彦さん、怒らないの?」
「何が?」
「私が盗み聞きしてたこと」
「何だ、そんなことか」
 明彦は清香の質問に対し笑みを浮かべながら答えた。
「何となく予想はついてたからな」
「予想?」
「ああ、それに清香の性格からいって盗み聞きしないとは思えないし」
 その言葉を聞いた清香が頬を膨らませてそっぽを向いた。
「ひどい。明彦さん、私のことそんな目で見てたんだ」
 そんな清香を見た明彦はもう一度笑みを浮かべ清香の頭を撫でた。
「そんなんでふてくされる事無いだろ。俺が悪かったよ」
 明彦が清香の頭を撫でながらそう言うと、清香はえへへ、と笑いながら向き直った。

 清香は高校二年生だが少し子供っぽいところがある。
 小さい頃から姉といる時間がほとんどだったので親の愛情に欠けているというのが正しい表現かもしれない。 それを補うほどに姉の遥にやさしくしてもらっていたため、少し子供っぽい思考になってしまったのだ。 それでも人前ではちゃんと一人前を演じているし、回り(高校の同級生)からの信頼も得ている。良く言えば世渡り上手といったところか。 だが、姉の遥以上に甘えている人物が清香にはいる。

 それが神倉明彦。

 父親は母親よりも家にいる時間が少なく、大体の時間を海外で過ごしているため(何の仕事をしているかは母親しか知らない)、遥にも言えることだが清香はほとんど話しをしたことがない。 さらには姉妹と、家にいる間で男性と接する機会が皆無に等しい。 そんな理由から唯一身近にいる男性、神倉明彦には姉以上に甘えている。 清香自身もお兄ちゃんが欲しかったと言っている(だからと言って姉はいらないというわけではない)。 あかりが背中から翼を生やす──選ばれた者になる──前に、あかりと清香で明彦争奪戦がという事件があったりもする。その時遥は呆れていた(明彦も)。 高校二年生にもなったんだからいつまでも子供でいないの! と遥に言われたこともあり、清香もその辺りはちゃんと分かっている。 それでも明彦には甘えてしまう、と。清香らしいと言えば清香らしい。明彦もそんな清香のことが嫌いではなかった。 ちなみに明彦は、清香が盗み聞きしていたことに対して「何となく予想はついてた」と言ったが、実際は知っていた。 紅茶を飲んでいる時に廊下から気配を感じていたのだ。そのことをストレートに言わないのは明彦らしいと言えば明彦らしい。

 部屋の中にはあまり楽しいとは言えない雰囲気が漂っていた。 清香が話しに加わり今までのことをまとめるという名目で明彦がまた始めから話し始めたからだ。 あかりが人を殺したところを見た。その後背中から翼を生やし空に飛んでいった。 それを追いかけて大通りに出たところ、背中から翼を生やしたあかりとは別のヤツに襲われそうになっていた女の子を助けた。 簡単に説明すればこんなところだ。 ただ、遥さんの家に来るまでにあかりを見てないことが気になると言えば気になる、と最後に付け足して。 そこまで話したところで沈黙が訪れた。

 これだけ説明されてもまだ信じられない、清香はそう思っていた。
 普通の人なら誰もがそう思う。けど明彦さんが嘘をつくとは思えないし……。 それにテレビでもあんな大題的に取り上げてたし、他にも見たっていう人がいるらしいからやっぱり本当なのかな……。 ……でもあかりさんは何でその場で明彦さんに手を出さずに逃げるようなマネをしたんだろう?
 何か考えが、目的があるとか? ……それ以前に何で翼なんかが急に生えてきたんだろう? 何か共通する事柄があるのかもしれない。
 清香の中で思考がめまぐるしく回転していた。甘えるなど、子供っぽいところがありつつも頭は切れる。 正直言ってかなりいい。学校でも学年で十番以内には必ず入るという頭脳の持ち主なのだ。ちなみに遥も頭がいい。 姉妹揃って頭脳明晰。明彦もそのことに関しては素直に感心していた。






 沈黙に耐えられなかったのか、遥がリモコンを取り電源ボタンのスイッチを入れた。
「どうやら警察はこの事件を──」
 スピーカーから声が聞こえてくる。まだニュースのようである。どのチャンネルに変えてみても同じようなニュースを放映していた。
「──通りで謎の事件発生! 天使が現れた!? か。マスコミも早いわね、まぁ無理もないか」
 遥が今までの話を聞いた上でのメディアに対する感想を言う。
「天使……あれが天使ねぇ。随分な呼び方をするもんだ」
 選ばれた者たちがどんな輩なのかを知っている明彦が皮肉の混ざった口調で述べる。
「そういえばお姉ちゃん、ドラマのビデオ録画してなかったっけ?」
 清香が思い出したように遥に尋ねた。
「そうなんだけど、途中でニュースに替わっちゃったのよね」
 遥が残念そうにため息をつきながら答えた。
「ってことはそのニュース、録画したんだ」
「したんじゃなくてしちゃったの」
 遥の口調が少しきつくなったのを瞬時に悟った明彦はこれまでにないタイミングで切り出した。
「んで、そのビデオを見ようってのか?」
「うん、何となくね」
 振り返り、明彦に笑みを送る。
「別にそんなもの見る必要なんてないじゃない」
 遥は言う。当然の意見である。誰が間違って録画した──よりによってニュース──番組を見るものか。
「……ダメ? お姉ちゃん」
 清香が遥の目を真っ直ぐ見始めた。妹の純粋な瞳が姉の心を覗き込む──そんな表現が合ってるな、と明彦は思った。 そして遥さんはきっと負けるな…とも。
「……………」
 遥は何も言わずにはぁ、と今日何度目かのため息をつきながらしぶしぶとリモコンの巻き戻しボタンに手を掛けた。 明彦の予想通りの展開である。清香は明彦に振り返りブイサインを決めていた。
 ある程度巻き戻しをしたところで遥は再生ボタンを押した。 タイミング良く、ちょうどドラマが臨時ニュースに変わったところだった。
「臨時ニュースが入りました。たった今──」
 三人同時にテレビに目をやる。
「──取り押さえられた模様です! 警官隊によって見えませんが──」
 何の変哲も無いただの臨時ニュースがテレビのモニターには流れていた。
「……ただのニュース……だな」
「ええ、何も変な所は……」
 遥がそこまで口に出した時
「ちょっとストップ!」
 清香のハッキリとした声が遥のセリフを遮った。
「清香?」
 遥は冷静に聞き返すが清香はそれを聞き流して遥の手からテレビのリモコンを奪い取った。
「ちょっ……清香! 何するの!」
「お姉ちゃん、ゴメン! でも今……」
 清香がそこまで言うと、争う姉妹の間から今度は明彦がリモコンを奪い取った。
「明彦さん!?」
「二人とも落ち着けって。……それに、俺もちょっと気になった所があるんだ。多分……清香と同じところだと思う」
 明彦はリモコンの巻き戻しボタンを押す。 そしてちょうど選ばれた者たちを収容したトラックが映っている所で巻き戻しボタンを離した。
「ここ……じゃないのか?」
 明彦の問いに清香が答える。
「うん……ここから、ここから何か、引っかかるの」
 モニターに食いついている二人にあっけを取られていた遥が口を開いた。
「急にどうしたの? 二人とも」
「ここから……この場面から……何か違和感を感じませんか?」
 遥の問いには明彦が答えた。
「違和感?」
 そう言うと遥はテレビのモニターに見入った。隣ではずっと前から清香が目を凝らしている。
「言われてみればそんな気もするようなしないような……」
「明彦さん……」
 遥の曖昧な返答を清香のいつもより小さな声がインターセプトした。
「何か見つかったか?」
「あれ……」
 清香は力なくそう言うと、ゆっくりと腕を上げテレビモニター上の右上を指差した。



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