第五話 後編
〜強力姉妹登場 その2〜



「これで良し、と」
 包帯を巻き終え、遥は救急箱を片付け始めた。それと入れ替わりに相沢妹がやってくる。
「明彦さんでもケガするんですね」
 相沢遥の妹、相沢清香[あいざわ さやか]。ウェーブの掛かった短いポニーテールの遥に比べ、清香は肩にかからない程度のサッパリとしたショートヘア。 姉の遥を豪快にしたような性格で、よく喋りよく笑う、良く言えば元気、悪く言えば迷惑の表現豊かな女の子である。 開放的なものもあり、学校では男女ともに人気がある(ちなみに高校二年生)。どちらかというとあかりに似ている。
 両親曰く「遥の字を晴香にすればよかった」とのこと。晴香に清香、同じ韻を踏むし確かに語呂もいい。 が、分かりにくい。特に漢字で書いたときは。本人たちは遥と清香で良かったと言っている。

「そりゃするだろう、普通の人間なんだから」
「普通の人間だったら学校の四階から飛び降りて全治一週間の片足骨折では済まないわ」
 明彦の言った言葉に対し、遥が救急箱を片付けながらやや皮肉を込めて横から放つ。
「明彦さん、学校の四階から飛び降りたことあるの!?」
 清香が遥の話に食いついてくる。
「確かにそんなこともあったけど……」
 ばつの悪そうに頬を掻きながら視線を逸らせる。 しかしその視線の先に回り込み、鼻先から二十センチも離れていない距離に清香の顔が現れる。
 少し近づけばキスが出来そうな距離。
 その距離を保ちつつ清香は何も喋らない。 いや、喋る必要がないのだ。明彦は清香の行動が意味することを理解している。 これが清香流の攻め──アップで近づき見つめる、一見単純にも思えるがかなりの威力で、大概親や友人などはこの攻撃に耐えられず撃沈する。 姉の遥でさえも負けたことがある。明彦も小さい頃は撃沈し放題だった。 小学時代の清香がいつ、どこでこんな技を身に付けたかは知らないが、高校生になった今でも清香のメインウェポンであるのは間違いない。
「……………」
「……………」
「……………」
「……うっ」
 さすがに耐えられなくなったのか、明彦が低い呻き声を上げる。
「……………」
 それでも容赦なく見つめ続ける清香。遥は「どこまで耐えられるかしら」といった表情で楽しそうに二人を見ている。
「……………」
「……う、くっ…分かった、分かったよ」
 勝負の行方は清香に軍配が上がった。やったーと喜び、清香の顔が明彦の前から離れていく。 通算成績は五十戦五十敗から覚えていないとのこと(明彦談)。
 清香がさっそく教えてもらおうと口を開いたが、それより先に遥が制した。
「清香には悪いんだけど、明彦とはちょっと重要な話があるのよ。だからそれは今度私が教えてあげるから、少しの間部屋に入っててくれないかな?」
 明彦は遥の言った言葉に一瞬反応した。 それはほんの小さな変化で本人以外は気付かないであろう小さな反応だった。 そしてそれは明彦がまだ迷っている証拠でもあった(ちなみに清香とのバトル中も迷っていた)。
(やっぱりそうきたか……)
「えー? 何でー?」と非難の声を上げるのは清香。
(本当に言ってしまっていいのだろうか……)
「ほら、清香には関係無いことだし」と説得するのは遥。
(どうする? 腹をくくるか?)
「関係なくても別に聞いたっていいじゃない」
(でも巻き込みたくは……)

「いいから、大学の話よ? 聞いても全然分からないわよ?」
(大学の話……違う! 遥さんが俺に聞きたいのは……)
「何だ、先にそれを言ってよ。それならお姉ちゃんの部屋で話したら? そっちの方が大学の講義の資料とかもあるし」
(それで納得するのかよ!)
「そうね、それじゃあ私の部屋に行きましょう」
(はっ! 何で俺はツッコんでんだ? 今はそれどころじゃ……)
「明彦?」
(こうなったら腹をくくるしか……)
「明彦さん?」
「ん……えっ? 何?」
「何? じゃないでしょ」
「ん、ああ、遥さんの部屋に行くんでしたね。そんじゃあ行きましょう」
 少し暗い表情でリビングを出て行く明彦。 たった今、心の中で葛藤していることなど知る由もない二人、遥と清香はそんな明彦を見て二人して首を傾げていた。






 相沢遥の部屋はフローリングの床に部屋一杯に綺麗なマットが敷いてあった。 それは小学、中学、高校と変わらずのものだった。まぁ大学に行ったからと言ってそれが変わるとは思えないが。 窓際には簡素な勉強机、上には大学の講義で使っているだろうと思われる参考書の類が綺麗に整頓されている。 逆の壁際にはベッド、その隣には小さな本棚にテレビ、部屋の中央には小さなテーブルと無駄が一切なく配置されている。 確かに質素ではあるが、大学生の部屋といえばそれらしい。 それにカーテンの色がピンクという辺りで女の子の部屋だということを表している。

 明彦は部屋のドア沿いの壁に座った。そしてテーブルを挟んだ対面に遥は座った。 いつもの場所、いつもの配置なのに今日はやけに重い空気を漂わせていた。それは明彦、遥、両者ともに感じていた。 部屋に入って十分経つが二人とも未だ一言も喋らずに沈黙を保っているのが何よりの証拠である。 明彦は相変わらず迷っている。遥は遥で明彦が口を開くのを待っている。 そして十五分が経過し、先に口を開いたのは遥だった。
「……お茶、入れてくるね。明彦はコーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「紅茶で……お願いします」
 その言葉を聞くと遥は部屋から出て行った。 部屋を出た直後二人同時に(明彦は部屋で、遥は廊下で)はぁ、とため息をついた。






 相沢清香は部屋のドアの隙間から姉のため息を見て、二人が何について話しているのか気になってしょうがなかった。 何について話してるんだろう。明らかに大学のことじゃないわ。色恋沙汰? お姉ちゃんが明彦さんのこと好きだとか? はたまたその逆とか? それは無いか。明彦さんにはあかりさんがいるし。 などと、清香の頭の中では既に彼女の世界『清香ワールド』が形成されていた。
 階段を上がって来る足音に清香は部屋に隠れる。 足音が通り過ぎ、隣の部屋──姉の遥の部屋──のドアが開き閉まる音を確認すると再びドアを細く開けた。 だが、その程度では隣の部屋の話声など聞こえるわけが無い。何かを決心したようにうん、と頷くと清香はそっと部屋を出た。






 遥の部屋では明彦と遥が互いに紅茶を飲んでいた。その場はただ静かで、時計が時を刻む音だけが響いていた。
 遥の部屋に入ってから総計二十分が経過。紅茶のカップを置くと、遥はゆっくりと口を開いた。
「それじゃあ何があったか説明してもらいましょうか?」


 その時、部屋の外、一枚のドアを挟んだ廊下で一人の女の子が聞き耳を立てていることなど二人は知る由も無かった。



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