第三話
〜翼を持つ者たち登場〜



 マンションを後にした明彦は大通りに出た。広い場所の方が見つけやすいと判断したためだ。
 しかし、そこで目にした光景は日常と呼べるものではなかった。
「何がなんだかわけわかんねえ……」
 悲鳴を上げながら逃げ惑う人、泣きじゃくる子供、立ち向かう警官たち。
 立ち向かう? 何に?
 その答えは上空にあった。上空には影が数個浮かんでいた。大きな鳥や低空飛行している飛行機などではない。 それは人。数人の人が空で高笑いを上げていた。そして明彦の目が一点を凝視していた。
「翼……あかりと同じ……白い翼……」
 空に浮かぶ人々の背中には白い翼があった。あかりと同じ白い翼が。 人に翼が生えて空を飛んでいるという事態に、パニックに陥らない人などいない。その事実を証明するかのように人々が逃げ惑う。 そんな状況だからこそ冷静にならなければならない。

「どんな時でも自分を見失わないで。そして自分が正しいと思ったことをするのよ」

 明彦の亡き母の言葉である。
 落ち着け! 周りを見ろ! 自分のすべきことを考えるんだ!
 だが、明彦の思考は幼い女の子の泣き声で中断された。
「おかあさーん! うっ、うっ、おかあさーん!」
 泣きじゃくる女の子。母親とはぐれたらしい。 ほんの二、三十メートル先では翼の生やした人間、いや人外の生物が人々を襲っている。 そんな中で幼い女の子が一人でいたら真っ先に狙われるのは目に見えている。
 明彦は無意識のうちに少女の下へと向かって走っていた。気付いたときには、その少女を庇うように立つ自分。 そして一人で泣きじゃくる少女に気付き、今まさに飛びかかろうとしている白い翼をもった生物が眼前にいた。
「何だテメェは? へっ、一緒に逝っちまいな!」
 眼前の生物が、手に持った工場の鉄パイプを思いっきり振り下ろした。
(やばい……あんなので頭を叩かれたら絶対逝く……どうする? どうする?)

 ……やられるわけには……いかない!

 明彦の頭で何かがスパークした。
 その途端明彦の表情が変わった。瞬時に明彦は両腕を頭上でクロスさせる。 その直後、まるでコンクリートの壁に鉄パイプを打ち付けたような打撃音が響いた。 明彦はインパクトの瞬間、両腕で受けると同時に膝を曲げスプリングの働きをさせ少しだけ衝撃を逃がした。そのおかげで両腕を失わずにすんだ。
「へっ! 馬鹿な奴……グホッァ!」
 セリフの途中で、背中に翼を生やした生物が倒れた。明彦が水月を蹴ったのだ。 直後、明彦は痺れる腕を我慢しつつ少女を抱きかかえ走った。ここでこのヘンテコな生物を倒すよりも少女の身の安全が第一と判断したからだ。
「ヤ、ヤロォ……」
 腹を押さえ悶えている生物の瞳には、走り去っていく明彦の後姿が映っていた。そんな同胞を見つけた背中に翼を生やした連中が集まってきた。
「おい、どうした? まさかやられたのか?」
「クソッ! ぜってぇーぶち殺してやる! あのヤロウ……」
「へっ、ざまぁねぇな」
「うるせぇ! あいつはオレの獲物だ……手ェ出すなよ!?」
「わあってるって。……俺たち、選ばれた者にケンカ売るような輩は生かしておけないからな」
 背中に白い翼を生やした連中は自分たちのことを『選ばれた者』と呼んでいた。 白い翼と聞いて浮かぶのはハト等の鳥類、そして子供の頃に夢見た天使。 天使……神の御使いとして地上に降臨し、世界を平和にしてくれる。ものすごい個人的偏見の塊だがこんなところだろう。 その天使になぞらえて『選ばれた者』などと呼んでいた。






 ……………。






「はぁ、はぁ、はぁ……」
 明彦はビルの陰で呼吸を整えていた。腕の方はまだ痺れていたが、どうにか動かせるまでには治っていた。持って行かれなかっただけ幸いだろう。
「はぁ、はぁ……」
 明彦には微塵の余裕も無かった。先刻の攻撃は何とか凌げたものの、数人で襲いかかってこられたらどうしようもない。
「くそっ! どうする?」
 逃げられたと言ってもほんの数分の時間稼ぎ程度にしかならないことを明彦は理解していた。それにこの少女……。
「うっ、うっ、おかぁさぁん……うっ、うっ」
 多少は収まったものの、さっきから泣いてばかりだった。  明彦は深い深呼吸を一回した後、表情を引き締め泣いている少女の前に屈んだ。
「いいかい? よく聞くんだ。これから君のお母さんを一緒に探してあげるよ」
「うっ、うっ……ほんとう?」
 少女の表情が少しばかり柔らかくなった。
「ああ。だからいつまでも泣いてちゃだめだ。それに、泣いてばかりいたらお母さんが悲しむよ? だからもう泣くのは終わりにしよ?」
「うっ、うっ……うん。もう……泣かない」
「よし、いい子だ」
 明彦が少女の頭を撫でてやると、その少女は嬉しそうに微笑んだ。 明彦は少女が泣き止んだのを確認して立ち上がると、瞬時に思考を巡らした。
(ひとまずは落ち着いた。だがどうする? どっちにしてもここを動けないことに変わりはない)
 明彦は精神を集中し始めた。
(相手の気配は……一……二……三……四,五。五人か……厳しいな)
 母親が亡くなってから独自で剣術の腕を磨いていた明彦にとって、気配を読むことぐらいは朝飯前であった。
(一人ずつならなんとかなりそうだけど……っ!!)
「へへっ、見―つけた」
 明彦が上に振り向くと同時に二人の頭上からどす黒い声。その声の持ち主は背中に翼を持っていた。 そして手に握られていたのは先刻とは異なり金属バット。叩かれればヤバイことにはなんら変わりはない。
「もらいっ!」
 頭上の金属バットを持った翼の生えたヤツが思いっきり振り下ろしてきた。 本来の力に加え、重力がかかっているため威力、速度ともに先程のより上なのは間違いない。
「……っ!」
 明彦は瞬時に少女を抱きかかえ後方へ飛んだ。
 明彦の居たところは見事にへこんでいた。もし気付かずに直撃を受けていたら明彦の頭は勝ち割られていただろう。
「ちっ、外したか。うまいこと避けるじゃん。でも次はないぜ」
 ヤツがじりじりと間合いを詰めてくる。明彦も一定の間合いを保ちながら後退する。 小さい頃から剣術を学んでいた明彦にとって、目の前に対峙しているヤツはただの雑魚にしか過ぎない筈。 それなのに苦戦を強いられているのは何故か?
 獲物がないというのは決して不利になる要素ではない。 明彦は護身術も使えたし、それなりの格闘術も使えるため大して問題にはならない。 また、少女が一緒だからと言ってここまで戦闘力が落ちるの考えにくい。 理由としては敵が空を飛べる、というのが妥当だろう。地上から上空より上空から地上のほうが明らかに優位である。
 だが、明彦の中で最も大きいウェイトを占めているのがあかりの変貌である。 つい数十分ほど前に見たあかりの姿。 明彦の姿は落ち着いているように見えるが、実際はかなり動揺している。 意識が半分ほど飛んでいる、という表現がもっとも近い。それほどのショックを受けたのだ。 明彦は自分で理解していた。どうして戦えないのか。明彦は今、現実から目を離している。 彼自信が現実を受け止めなければ、一向に進展しない。開き直るというのも一つの手段ではあるが……。 そんな悩みを抱きつつも、時間は無情にも刻一刻と過ぎていく。
「いい加減、諦めたらどうだ?」
 ヤツが話しかけてくる。
「素直に俺らの餌になっちまえよ」
 じりじりと近寄ってくる。妖しい瞳を光らせながら。
 その瞳に気付いたのか、少女の顔が見る見るうちに恐怖の混じった表情になってくる。
 明彦は何も言わない。いや、言わないのではなく、声を出せないのかもしれない。恐怖で……。 少女は彼も自分と同じなんだと、怖いんだと、無意識の内に感じていた。
 だが、実際は違った。  明彦は神経を総動員させて考えていた。

 ──このままだとやられる……どうする?

 明彦は無言で考えていた。この状況を打破する方法を……。



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