第十三話
もう一つのステージ



 迷うことは無い。悩むことも躊躇うことも無い。これが私に与えられた任務なのだから……。
 そう自分に言い聞かせた祈は、校舎の一角にある教室──ターゲットである相沢清香と永森結乃がいる教室に向かって飛び込んだ。 豪快な割れる音と共に窓ガラスは崩壊し、破片と雨粒が風に乗り教室内へと降り注いだ。 突然の出来事に教室内にいる全員が割れたガラスと、その窓ガラスを割った突然の来訪者へと顔を向けた。そして誰もがその来訪者に対し驚愕の表情を浮かべた。 来訪者の後ろに真っ白な翼が広がっていたからだ。昨日の事件以来、危険と恐怖の象徴となった天使が今、目の前にいる。それだけで怖くて動けなくなる。
 しかしその恐怖以上に、来訪者の容姿に目を奪われていた。 子供向けの絵本等に登場する天使はきっと彼女ぐらい綺麗なのだろうと思わせるぐらい、来訪者の容姿は背中の翼に負けていなかった。


 祈は何事も無かったかのように髪の毛に引っ掛かったガラスの破片を落とし始めた。
(恥ずかしい……もぅ……。もっと別の方法を考えれば良かった……)
 祈は目立ちたがり屋ではない。むしろ内気な方である。本当なら授業中の教室内に窓ガラスをぶち破って登場するなど、祈にとっては考えられないことである。
(時間は無かったですし……元々は自分のせいなのだからしょうがないですね……)
 時間的には、神沼燈夜と会っていた時刻が清香と結乃の当校時間と被っていて、本来ならその時に接触する予定だった。  しかし祈が燈夜にレポートを頼んでしまったために、受け取りに行かざるを得なくなってしまった。
 粗方破片を落とし終えると、ゆっくりと教室内を見渡しターゲットを確認する。
(……見つけました。二人ともいますね……)
 教室を間違えることは無いだろうが、どちらかが欠席などをしていた場合後々手間が掛かってくるので少し安心した。 それは、こんな風に授業中の教室内に飛び込むことにも、いくら任務とはいえかなりの抵抗を感じていた祈にとっては嬉しいことでもあった。
 とりあえず彼女たちの前に現れることは出来たが、どうやって二人を連れ出すかで悩んでいた。落ち合う場所は神沼燈夜からの連絡が来なければ解らない。 それ以前に、相沢清香と永森結乃の二人をここから連れ出すための説得が出来るかどうか。現状ではこれが最大の難関である。 腕ずくで黙らせることも出来ないわけではないが、大半の人がそうであるように祈もまた暴力を振るったり喧嘩をしたりだの、いわゆる戦いが好きではなかった。 それに相手の同意を得た上で本題に入ったほうが脅迫まがいなことをするよりも後味は良いだろうし、有利でもあるのは明らかである。その分失敗する可能性が大きくなるが。


 祈は浮遊させていた体をゆっくりと地につけた。そこは教室の中心あたりで、丁度相沢清香の席の傍に位置する場所だった。 背中の翼を具現させたまま視線だけを動かし永森結乃の姿を再度確認すると、まるで誰かに呼ばれたかのような仕草で振り返った。 そしてターゲットのもう一人である相沢清香を視線に収めた。


 実のところ、神沼燈夜があのレポートをどこからどうやって入手してくるか祈は全く知らない。 今回に限ったことでは無いが、そのレポートは誰かの特殊な能力で作成されたものではないか、と祈は考えている。その理由は顔写真にあった。 いつもターゲットと顔を合わす度に不思議に思っていた。顔写真と本人に時間の差がほとんど無い、と。 とてもじゃないが神沼燈夜が正規のルートで入手してくるとは思えない。……訂正。 正規なルートで入手出来るとは思えない。……コネクションの可能性を否定しているわけでは無いが。 それで問題の顔写真。普通ならその人の個人データを大まかな箇条書きなどではなく、 解りやすくまとめるための作業時間と印刷するのを考慮して一週間以内のものが妥当だと思われる。 しかし、祈は以前に渡されたレポートの中に明らかに矛盾しているものがあったのを覚えている。 それはレポートの顔写真が、祈が対象と接触した日に撮られたものだったからだ。
 そのことに気付いたのは、手渡されたレポートに張られていた顔写真と本人の服装、髪型、アクセサリーの形や位置まで、全てが一緒だったからである。 神沼燈夜が祈にレポートを渡した時、とてもじゃないが急いで用意してきた様には見えなかった。ならばどうやってその顔写真を用意したのか?
 これはあくまで祈の推測に過ぎないが、とある条件を満たすことで、 あるいはその必要無くして対象から顔の画像及び個人データを引き出すことが出来る、そういう能力の持ち主がいるのかもしれない、と。


 祈は最初に何を言おうか迷っていた。覚悟を決めて姿を現したのはいいが、 彼女──相沢清香の目を見た途端、一応は考えていたせりふが頭の中から抹消されてしまったからだ。
(きれいな瞳……それだけじゃない。とても純粋……)
 人は写真だけでは判らないということを再度確認させられた。
(いけない……。私がこんなんじゃ連れ出すなんてもってのほか……)
 人だけでなく事象についても同じことが言えるが、第一印象は大事、と祈は思っている。 他人との出会いに関してはそのときの状況や自身のみてくれも重要だが、最も大事なのは最初の発言ではないか、と。
 さすがに脅迫じみた言葉は言いたく無いし、というかむしろ言えない。 変に感情を込めるより普通に話した方が祈という人物がよく解る、と以前に言われたことを思い出し口を開いた。
「相沢清香……さん、ですね?」
 何度も顔写真は見て、目の前にいる女子生徒が本人だということは分かっていたが、敵意は無いということと確認の意を込めて祈は訊ねた。
 突然教室内に、今や悪い印象しか持たない天使が飛び込んできて、その天使に「あなたは誰々ですよね?」と訊ねられて冷静に答えることが出来る人なんていない、 と祈は思っていたが、その予想とは打って変わって相沢清香は冷静だった。
「そうですけど……あなたは?」
 清香の反応に、表情には出さなかったが驚いた。渡されたレポートには書いていなかったが実は冷静沈着だったとか。 もしくは単に神経が図太いだけなのか、どちらにせよ祈にとってはすぐ話し合いに移れるということで、嬉しいことだった。 ……さすがに清香が以前にあかり──つまり天使を手の届く範囲で見たことがあるなど思いもしなかったが。






(いきなり窓ガラスを破って入ってきたのにはびっくりしたけど……)
 一瞬だけ結乃の方に視線を向け、
(大丈夫。この人は大丈夫……信用はまだ出来ないし、警戒はするに越したことは無いけど……大丈夫)
 清香は昨日、明彦とあかりが会話をしているところを目にしてから、天使という突発的に発生した現象に対しある推論を考え、仮にだが答えを持っていた。
 まず天使というのは新たに生まれた種族ではなく、天使化という現象が人の体に働いたということ。清香の中ではこれが前提となっている。 風邪の様に一種のウィルスが体内に侵入して起こるのか、それとも細胞を構成する原子が……はたまたDNAが外的要因又は内的要因により一から再構成させられることによって起こるのか。 さすがにそこまで深いところは解らないが。
 清香が考えたのは天使化の原因や方法ではなく、天使とは何なのか? という定義のこと。 昨日の大通りで起きた事件では五人ほど天使がいたが、その五人に共通していることが数点あった。
 まず背中には真っ白な翼があったこと。次に普段持っている身体能力以上の能力を所持していたこと。そして最後に、性格が五人とも好戦的であったこと。 この中で重要なのは二番目と三番目。身体能力の向上で、実際に戦った明彦の話を踏まえた上での結果は、 筋力の上昇、運動神経・反射神経の上昇。さすがに頭脳指数までは上昇しないらしい。
 身体能力の向上と性格の好戦的化という二点を見れば、天使化というのは一種の麻薬を服用した状態になると考えることが出来る。 しかし、それが正解だとするといくつか不思議な点が浮上して来る。昨日の穂村あかりと同様、清香の目前にいる来訪者はとてもじゃないが好戦的には見えない。  それは清香にも分かっていた。そしてそれに対する清香が出した答えはこれ。

『天使化には適性がある』

 天使化における主な変化は翼の具現、身体能力の向上、性格の好戦的化の三点。 この三つの症状が正しい天使化だとすると、穂村あかりと来訪者は間違った天使化となる。 そうなると、天使化の目的は悪い意味での人類の解放、自由化となる。
 だが、もし天使化が誰かの策によるものだったと仮定すると、自らの欲望にのみ順ずる大量の天使など不必要だろう。 それこそ排除するべき存在である。……それが目的なのかもしれないが。 しかし一般的に考えれば必要とするのは命令通りに動くことが出来、自己で判断できる──自我を持った天使だろう。 そうすると、正しい天使化をした昨日の事件の天使たちより、穂村あかりや来訪者の様な間違った天使化をした天使が必要とされる。 つまり天使化しても自我を失うか失わないかには人それぞれであり、失わない者には適性があり失う者には適性が無いということになる。 結果として穂村あかりは正しい天使の在り方であり、昨日の天使たちは天使の成り損ないとなる。
 この考えが正しい回答かどうかは解らない。けど自分で出した答えなのだから、と清香はその考えを信じている。だから今、目の前にいる天使は大丈夫だと。






(頭の回転が早く発想力もあると、確かレポートには書いてありました……)
 真っ直ぐと自分を見つめている瞳から目を逸らさずに、祈りは
(では、下手な誤魔化しは通用しませんね……。始めからそのつもりでしたが、素直に話すしかないみたいですね……)
「唐突で申し訳ないのですが……、相沢清香さんと」結乃の方に振り向き
「永森結乃さん。……私と一緒に来て頂けませんか? あからさまに怪しいことだというのは承知しています。ですが」
「ちょっと待って」
 清香が祈を制する。
「……何でしょうか?」
「えっと、あなたはいわゆる天使ってやつですよね? 私と結乃は見て分かる通り翼を持っていない普通の人間です。……そんな私たちに何かあるんですか?」
(やはり一筋縄ではいきませんか。──見て解る通り、か。目に見えているもの全てが真実とは限らない……。まぁ今の彼女たちにとってはこれが真実なのでしょうけど)
「……それはここでは言えません」
「ここでは言えないってことは……一緒に行けば教えてくれるってこと?」
 後方から清香の名前を呼ぶ声が聞こえたが清香は無視しているようだったので、祈はそのまま続けた。
「はい。……では、一緒に来て頂けます?」
「もう一つ聞いていいかな?」
「……どうぞ」
 予想以上に手強いですね、と祈は思った。
「結乃も一緒に行かなきゃダメなの?」
 友達には優しいんだ、とも思った。
「……はい。お二人でなければ駄目です」
「そっか……」
 清香の表情が曇る。が、すぐに明るさを取り戻す。
「でも結乃が行かない、もしくは行きたくないって言ったら私も行かないよ? ……結乃はどうする?」
 清香と祈、クラスメートたち全員が結乃へと視線を向ける。ほんの数秒だけ悩み、結乃は顔を上げた。
「清香は……どっち?」
「私?」
「うん。清香は私に任せるって言ったけど、私としては清香の意見を尊重するよ?」
 この二人は本当の意味での友達なんですね、と祈は再度認識させられた。
「私は……興味があるかな。それに、多分大丈夫。危険な状況になったりはしないと思う」
「清香がそう言うのならきっと大丈夫なんだね」
 清香が結乃に対し絶対的な信頼を置いているのと同様に、結乃も清香を心底信頼していた。 それに、大概清香が危険だと判断した時は本当に危険で、大丈夫だと判断した時は大丈夫だったことが幾度もあるため、清香の言うことは結乃にとって道標でもあった。
「興味、興味かぁ。……そうだね。私も何故招かれたかは知りたいな」
 祈は二人を交互に見て
「それでは……」
「交渉成立ってところかな。一緒に行くよ」
 清香のその言葉を聞き、表には出さなかったが安堵した。 任務はほぼ成功したと言っても過言ではない。あとは神沼燈夜からの連絡を待つだけなのだが……。




 当の本人──燈夜はと言うと、
「作戦は決まったかい? こっちとしてはあまり時間を掛けたくないんだがな」
 たった今、牽制のために撃った拳銃をしっかりと握り直し
(……こんなことになるなら俺が祈の方に行った方が良かったかも知れないな……)
 講堂内でターゲットと対峙していることなど、神倉明彦と穂村あかりを連れた燈夜と再会するまで、祈は知る由も無かった。
 そしてこれから祈自身に起こることも……。



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