第十一話
ファースト・ラウンド



 発砲音が教室内に響く。
平和なこのご時世に誰が教室内で拳銃などを持ち、発砲するなど想像出来ようか。 出来るわけが無い。ゆえに誰もが振り向いた。発砲音の音源へ。
 振り返れば誰が拳銃などを持ち発砲したのか、その場に居る全員が一瞬で理解できた。
 その男子学生は、まるで拳銃を見せびらかすかのように天高く掲げ立っているではないか。
 ある者は凝固し、またある者は全身を震え上がらせ恐怖を表している。 場が凍りついた、という表現が最も相応しいと思うぐらいに、教室内が静まり返った。 いや、訂正しよう。時が止まった、と言う表現が一番似合っている。誰もが拳銃を持つ男子学生に釘付けである。 そして誰もが動かない。動かない? それは違う。彼らは本能で動くのを止めている。 それすなわち、動かないではなく動けない。そう……まるで蛇に睨まれた蛙の様に。
 最初に言葉らしい言葉を口にしたのは選択講義の教師だった。

「キミは何だね……? 何がしたいのだね?」
 と、瞬間。再び銃声が轟く。銃口から発射された玉だと思われる物質は、教師の右頬をかすって後ろにあった黒板にめり込んだ。
「講義を潰したことに関しては悪いと思ってる。だけど今が絶好のチャンスなんだ。悪いんだが、そこで震えててくれ」
 そう言うと三度トリガーを引いた。発射された弾は、今度は教師の左頬をかすり黒板にめり込んだ。 その二発で腰を抜かしたのか、教師はその場に腰を落とし、恐怖の表情を浮かべ動かなくなった。両の頬から赤い滴を垂らしながら。
「さて……」
 銃口の向きを変えずに、そのまま横に平行移動させる。教室内に居る全員がその銃口に注目している。
「本題に入ろうか」
 そう言った彼の左腕は、銃口を神倉明彦に向けて止まった。その瞬間、明彦の近辺に陣を取っていた学生たちが散っていく。
「初めまして、神倉明彦君」
 明彦は答えない。
「そうだね、まずは自己紹介でもしようか。俺の名前は神沼燈夜[かみぬま とうや]。  年齢、身長体重、生年月日は秘密ということで。趣味は寝ること。職業は学生だ。あと好きなものは……」
「もういい」
 明彦が遮る。考える振りをして逸らしていた視線を戻すと、明彦が立ち上がりこちらを凝視していた。
「そうか? 残念だなぁ。いろいろ考えてきたのに」
 残念そうには全く見えない表情で微笑している。
「それで……俺に用事でもあるのか? 俺の知り合いに拳銃をぶっ放すようなヤツはいないんだがな……」
 いつでも行動出来るように、燈夜には見えないようにすこし膝を折り力を溜める。隣にいるあかりも同じように準備をしていた。
「ふむ、どっちかと言うと君より隣に居る穂村あかりさんに用事があるんだけどね。 でもその用事をこなすには神倉明彦君、君が予定外というか……邪魔なんだよね。だから先ずは君に用事があるんだ」
 燈夜と名乗る人物が言い終える前に、明彦とあかりは机の下に伏せた。 その直後、教室内に銃声が二発響き明彦が立っていた場所には弾痕が二つ付いていた。
「いい勘してるなぁ」
 避けられるのは予想範囲内、と言わんばかりに余裕の表情を出す。その表情は明彦とあかりには見えない。 むしろ見る必要が無い。見なくとも喋り方から予想が出来る。
「というか私に用事ってアンタ何?」
 あかりが顔は出さずに告げる。
「そんなこと君なら既に理解してると思っていたんだが……まぁいいか、教えてあげるよ。 神倉君も一緒に聞くといいよ。いや、聞こうとしなくても聞こえるか。隣に居るもんな」
「御託はいいからさっさと言ってくれない?」
 燈夜のもったいぶった遠まわしな言い方にあかりが釘を刺す。
「あぁ失敬。それでは穂村あかりさん、貴女は知りすぎてしまいました。 だから重要人として俺と一緒に来てもらいます。もちろんそんなことは神倉君が許さないだろうからね。 だから君を先に何とかすることにしたんだよ」
「何とかする、ねぇ……その何とかするってのは殺すってことか? 俺を」
「いや、そういう風にとったなら訂正するよ。君を動けなくさえすればいい。足の一本でも折る、とかね?」
 表情は先程変わらず、微笑したままためらいもなく言葉を紡ぎ出す。
「邪魔さえしなければそんなこともする必要は無いんだけどね。君はリストに載っていないからね。 それでも穂村さんの最も親しい友人だからな。それなりに調べさせてはもらった。 まぁ参考程度にしかならなかったけどね。得た情報はこれだけ、君と接近戦はしないほうが無難」
「だからこその、その拳銃か?」
「そう言うなよ。君にはその体があれば戦えるだろう? 俺は貧弱だからこれに頼るしかないんだよ」
 燈夜の言ったことは嘘だと、明彦とあかり二人して思った。机の影に身を潜めながら、燈夜に聞こえないように話をする。
「あかり、何だアイツは?」
「よくは解らないけど、ターゲットは私で明彦は不穏分子ってところかしら?」
 気配を探り燈夜があの場から動いていないことを確認してから、再び話し始める。
「それで、重要人ってのが気になるんだが……まさかとは思うが天使関係じゃないだろうな?」
「まだ推測の域だから何とも言えないわ。ただアイツ……神沼燈夜って言ったっけ? アイツが言ったこととあの拳銃から察するに天使がらみなのは予想できるわ」
 今あかりは不思議なことを言った。
 アイツが言ったこととあの拳銃から察するに……どうしてそれだけで天使がらみだと解る?
 燈夜が言ったことが少しずれてることは解る。だが……拳銃? あの拳銃に何かあるって言うのか?

「明彦、ちょっと聞いてる?」
「お……ん?」
「まったく……この状況で自分の世界に入り込むなんて、ある意味大物ね」
「褒め言葉として受け取っておくよ。それで、だ。この状況を何とかするいい案は浮かんだか?」
 明彦の問いに答えようとあかりが口を開いた途端、今日何度目かの銃声が響いた。
「作戦は決まったかい? こっちとしてはあまり時間を掛けたくないんだがな」
「もう少し時間をくれてもいいんじゃない……えっ?」
 その言葉を聞いた明彦は何を思ったのか、ふぅ、とため息を吐き頭を数回掻いたあと徐に立ち上がった。
「時間を掛けて悪かったな」
 隣から小声で訴えてくるあかりを足で制す。
「こちとらちょいと情報不足で混乱してたもんで」
 口から言葉を吐き出しつつ、足であかりに指示を与える。『回り込め』と。
「それより、随分なモン持ってるな。ガバメント……いや、ダブルイーグルか?」
 明彦の行動に納得したかのようにあかりが動き出す。なるべく悟られない様に静かに、かつ素早く身をかがめて机の影を移動する。
 明彦の言葉を聞いた燈夜が少し目を見開き驚いたような表情を自然に作る。
「意外だな。知ってのかい? いい趣味してるよ。あっ、もちろん良い意味でね」
 再び頭を掻き、間を取る。もちろんあかりはその間にも移動している。
「それ……実銃だろ?」
 燈夜の眉が僅かに下がる。
「確かコルトダブルイーグルってのはマガジンに八発しか入らなかったよな?」
 あかりが丁度燈夜の左隣に位置する場所まで移動してきた。明彦は自然に目を瞑る。
「お前は今日、この室内で何発撃った?」
 閉じた瞳を開く。だらしなく垂らしていた右手を裏手の机にゆっくりと伸ばす。
「俺の記憶だと六発なんだけど……ねっ!」
 目を勢いよく開く。あかりが立ち上がり燈夜の後ろに回り込むため、机を飛び越そうとしている姿が視界に映る。 燈夜がつられてあかりの方に目をやる。と、同時に後ろ手で傍にあったノートを掴み、燈夜に向かって投げつける。 瞬間、明彦は燈夜の左側へと走り出す。丁度挟み撃ちの形になった。
「ちっ!」
 舌打ちをしつつ銃を持たぬ左手で飛んできたノートを払う。神倉明彦との距離はまだある。視線を右へと移す、があかりの姿は映らない。 さらに首を九十度、真後ろに回したところで、燈夜のいる列の一列後ろで構えているあかりの姿を瞳に映す。反射的に拳銃をあかりの方へと向ける。
「っ!?」
 拳銃を突きつけられたにもかかわらず、あかりは微笑している。何故?
「!!!」
 思いついたように首を百八十度戻す。視界に入ってきたのは燈夜の丁度一列前の列で構えている明彦の姿。
 なっ!? バカな……あれだけの距離をこの短時間に詰めたのか!?
 明彦とあかりが右足で同時に廻し蹴りを放つ。再度舌打ちをしつつ、あかりに向けていた右腕を戻すと同時に伏せる。 そして低い大勢からのバックステップで二人から距離を開ける。
 このままだと互いの足がぶつかる。二人とも燈夜の頭を蹴る気満々だったため、今から寸止めなど出来るはずも無い。 明彦は軸足の左足をさらに九十度奥へと入れる。それにより蹴りの軌道が下がり、明彦の右足はあかりの右足の下を通過していった。
低い大勢から立ち上がった燈夜が銃を構える。同時に二人に向けて一発ずつ弾丸を放つ。が、その弾丸も机に阻まれた。

「危ねぇ……」
「間一髪ね」
 蹴りの硬直が解けた途端、二人はすぐさま屈んだのだ。丁度机の端が背に来るような状態になった。
「イテテ……」
 明彦が右足の付け根を押さえている。無理な蹴りの軌道修正で痛めたものである。
「大丈夫?」
「大丈夫っちゃぁ大丈夫だが……これなら素直にぶつけとくんだった」
「そしたら私も痛くなるじゃない! さすがにそれは勘弁ね」

 机の端に隠れている二人から視線を逸らさず、右手に持つ拳銃を向けたまま燈夜は考える。
 ……シャレになってないな。聞いていたのと段違いじゃないか。 あの距離をあの時間で詰めるのかよ。銃の意味がねぇ。それに二対一ってのも厳しい。まぁ覚悟はしてたけどさ。 ……勝機があるとすれば、神倉明彦と穂村あかりが勘違いをしてるところ、か……。 神倉明彦を戦闘不能にさせたとしても穂村あかりが大人しく言う事を聞くとは思えないな。 てことはだ、今この状況で一番厄介なのが『力』を持つ穂村あかりなわけで……。 どんな『力』かは分からないが、まだ発動させていないのは間違いない。 ……無傷で連れて来いとは言われて無いしな。先に穂村あかりの方から倒すか。

「さて、次はどうやって攻めようかね」
 やや気の抜けた声で明彦が言う。
「普通に真正面からでいいんじゃない? もうあの拳銃に弾丸は入ってないんでしょ?」
「そうだな。代えのマガジンは持っていないみたいだから、後一発凌げば終わる」
 あかりが不思議そうに、
「後一発? さっきで六発。さらに今ので二発撃ったから計八発で、もう空のはずよ?」
「最初に一発、先に本体の方に入れておけばマガジンも含めて計九発装填することが出来る」
 明彦の声が真剣みを帯びる。
「きっとアイツはそれをしている。それにさっきの蹴りをかわした動き……反射神経、運動神経ともにいいみたいだ」

 燈夜と明彦が互いの戦力を分析する。第三者の視点で考えると、どちらの指摘も間違っていない。 どちらにも戦況をひっくり返すことの出来るファクターがある。 弾丸の入っていない燈夜の拳銃に、あかりが持つという『力』。 それが何を示すのか、二人には何となくだが分かっているはず。 そして燈夜とあかり、どちらに対しても不確定要素である明彦。 ある意味、鍵は明彦が握っていると言っても過言ではないのかもしれない。

 先に動いたのは燈夜の方だった。右手に拳銃を携え、体勢を低く屈め走り出す。 それに反応したのは穂村あかり。燈夜は明彦の方を見ていない。急停止急旋回から拳銃を構える。 銃口の先にはあかりがいる。戸惑いもせずに向かってくるあかりに銃口を合わせトリガーを引いた。 明彦の予想通りのシナリオ、九発目の銃声が響く。が、放たれた弾丸はあかりの額に当たらず左頬を掠った。 明彦の投げた携帯が銃口の先端に当たり、軌道をずらしたのだ。あかりは口の端を上げつつ燈夜に向かう。

 ここまでは明彦のシナリオ通り、のはずなのだが、そのシナリオを描いた本人が思う。
 ──違和感を覚える。
 そう、何かがおかしい。明彦の頭からどうしても違和感が離れない。 このままだと何か嫌なことが起こる気がしてならない。そして咄嗟に出た言葉……。
「あかり! 避けろ!!」

 弾切れを起こした銃を再びあかりの眉間に向ける。
 驚いた。まさかここまで追い詰められるとは思わなかった。 ここまでは神倉のシナリオ通りなんだろうな。だが、ここからは違う!ここからは……俺のシナリオだ!!
 トリガーを引く。そしてあるはずのない十発目の銃声が教室内に響いた。



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