第31章1節 : フィールド遁走曲




 エネルギーの振幅現象が発生した直後、周辺エリアの電力供給が一時的にストップしたことは通信ログを調べてようやく分かったことだった。どうやら“外”では、予想以上に大きな動きがある様だ。さらに数分もしないうちに、伝送路の一部に生じた異変を検知した。
 シェルクはこのことを“外”にいたイリーナに伝え、彼女たちに事実関係を調査してもらう事にした。内側から外観を見る事は難しい、だから外のことは外にいる者に任せた方が効率が良い。その代わり、外側からは見えづらい内部の異変について探る事にした。最終的に両者は同じ場所に行き着くはずだ。
 一時的であるにしろ電力供給が断たれたことで、周辺のネットワークを支えるシステムが不安定な状態に置かれていたのは間違いない。しかしその要素を除いても尚、不審な点――具体的に言ってしまうと何者かの作為――を感じずにはいられなかった。この混乱に乗じてよからぬ事を企てている輩がいる、もしかしたら混乱それ自体が、既に計略の一端であるのかも知れない。リスクが伴うことを承知の上で、シェルクはより強く振幅の影響を受けているエリアを目指す事にした。
 シェルクの行動を例えるなら、深い霧に包まれた山奥の古道に足を踏み入れる様なものだ。しかし周囲に立ちこめる濃い霧も、生い茂る草木によって隠された道も、ここを訪れた者の視界を奪い惑わす目的で人為的に作り出されたものである。この先、目印になる道標どころか道そのものも曖昧な中を進んでいくことになる。そんな場所へ立ち入るのだから当然、遭難の危険性だってある。そして万一ここで遭難しても、救助は期待できない。
 そもそも、何故そんな細工をする必要があるのだろうか? シェルクは考える。外部からの進入を阻もうとするのは、逆に言えばその先に都合の悪い何かがあるという証だ。
 問題は、その“都合の悪い何か”が誰にとって、どう都合が悪いものなのかという事だ。

***

 一方、シェルクから依頼を受けたイリーナが振り返ると、既にツォンが端末の操作を始めていた。使われなくなって久しいが、これでマテリア援護要請者の端末番号と現在地を特定できる。しばらくして検索結果が画面に表示された。
「……支給リストに登録の無い番号だ」
「じゃあ、非正規品って事ですか?!」
 イリーナの問いをツォンは即座に否定した。技術的に考えてもそれはあり得ないからだ。マテリア関連の技術は、膨大な財力と魔晄炉というマテリア量産の基盤を有する神羅の専売特許であり、世界中の魔晄炉が停止したメテオ災害以降はマテリアの流通も無くなり、研究さえままならない筈だ。こんな状況で非正規品が出回るとは考えられない。
 ツォンは表示された端末の位置情報を読み上げる。イリーナが手元のパネルで数値を入力すると、画面の地図上、エッジ郊外に光点が現れた。すぐさまエッジ周辺の施設データを呼び出し、その地図に重ね合わせる。
「ここは……変電所です」
 ツォンが無言のままで頷く。変電所周辺から援護要請が発信されているのは間違いなさそうだ。ネットワーク上で観測された値も、マテリア援護が実際に行われていたことを示している。となれば旧タークスの誰かが、今回の騒ぎに関与しているのは確定的だ。援護要請を発信した端末番号から所有者を特定しようとしたのだが、それは叶わなかった。
「使用されたのは恐らく正規品、ただしメンバーに支給されていない予備用の端末だ」支給リストに登録のない番号の端末が存在する理由を語ったツォンに、イリーナは疑問をぶつける。
「そんな物、どうやって手に入れるんです?」
「まだ旧体制だった頃……」つまりイリーナがタークスに加入する前の話だった。「我々タークスに支給される端末の管理は、すべて当時の主任が行っていた。端末番号と所有者のIDを登録、それを元に行動を把握するためだ」
 最も大きな目的は、各地で任務に就いているメンバーからのマテリア援護の要請と発動の管理にあった。性質上、援護の要請者は少なからず危機的な状況に置かれている。タークス本部は独自にその人物と、関わっていた任務について――万が一の際の救助や後処理の為に――常に把握しておく必要があった。イリーナ加入後の新制タークスでは、それまでと比べ大幅に人員が減ってしまったためマテリア援護のシステム自体が機能しなくなってしまったのに加え、取り組める任務の総量が減った事で人員の行動管理が容易になったという事情が重なり、システムは廃止された。
「って言うことは……」
 ツォンは頷いて、イリーナの推測を肯定する「ヴェルド主任。他に該当者はいない」

***

 深い霧に包まれた古道を慎重に進んでいたシェルクは突然、開けた場所に出た。そこはまるで、人里離れた山奥にひっそりと暮らす人々の小さな集落だった。
 どうやらここは、ネットワーク上に誰かが作ったフィールドらしい。
 シェルクはしばらくその場から動かずに、注意深く周囲を観察した。立ち並ぶのはどれも低層の木造建築物ばかりで、規模は小さいながらも商店や宿屋もある様だ。周囲を走り回っている子ども達の格好を真似て、シェルクは自身に偽装を施す。言ってみれば、踏み入れたフィールドという名の郷に従って変装したのだ。そうしなければ、すぐに自分が部外者だとフィールドの主に知れてしまい、ここを追い出されることになるからだ。
 それからシェルクは村の中心と思しき方向へ向けて歩き出した。自分のすぐ横を、ボールを追いかけて数人の子ども達が走り抜けていく。彼らの背後に目を転じれば、民家の屋根の上で羽を休める色とりどりの鳥たちが、まるで世間話でもしているようにさえずっている。その家の軒先で日向ぼっこをしながら寝ている親猫と、その周りをくるくると走り回る子猫の姿があった。民家の並びの商店では、別の子ども達が商品棚の前であれこれと談笑している。どこを見てものどかな風景が広がっていた。
『シェルク、聞こえる?』
 唐突にイリーナの声がした。シェルクは慌てて周囲を見回す。子ども達がボール遊びをしている広場の隅、古めかしい街灯の横に公衆電話機があった。それを目指して駆け出すと、受話器を取り上げる。誰かが作り出したフィールド内で外部との“会話”を行えば、侵入を察知されてしまう危険性がある。だから彼女はここに存在するオブジェクトを使って偽装する必要があった。
 要するに、場にそぐわない不自然な行動は避けなければならなかった。誰もいない場所で話しかけても、「その方向には誰もいない」とメッセージが出る。そのメッセージは、システムが検知した“異常行動”に対する反応であり、ここでは致命的なミスとなる。ネットワークに潜行中のシェルクの行動要領は、ゲームと似ていた。
 公衆電話の受話器を取り上げて、耳を当てる。
『シェルクどうしたの?』
 だからといってイリーナの声は受話口から聞こえる訳ではない。
「……問題ありません、続けてください」
 送話口に片方の手を添えて、この場では電話で話すフリをしながらシェルクが頷く。実際は“外”にいるシェルクの耳と口によってイリーナとの会話が成り立っているので、このフィールド内にいる他のオブジェクトには影響がない。ただしそれには、シェルクの侵入が発覚していないという条件を満たしていなければならない。
『エッジの変電所が何者かに襲われた事が、一時的に電力供給がストップした原因だったわ。あなたの言っていたエネルギー波の正体は、通信を介したマテリア援護によるもので間違いない』
「関与した者の特定は、可能ですか?」
 シェルクの問いに答えたのは、遠くの方から聞こえてくるツォンの声だった。
『おおよその見当はついているが、もう少し時間がほしい』
「分かりました。こちらも“振源”に近い所まで来ていますが、少し厄介な物にぶつかりました」
 この時、受話器を持っていたシェルクの後ろ姿をじっと見つめている子どもの存在に、彼女はまだ気付いていない。

***

『こちらも少し時間が掛かりそうです。ここを突破したら連絡――』
 明らかに不自然なところで言葉が途切れた。驚いたイリーナが呼びかけるが、横たわるシェルクからの返答はなかった。
「どうしたのシェルク?」
 肩を揺すっても頬を叩いても反応はない。触れれば人肌の温もりは感じるものの、外部からの刺激にはまったく反応しない。
「ちょっと、大丈夫!?」
 イリーナの様子を見かねた様に、ツォンが声をかける。見上げたツォンが手にしていたのは、ヘッドセットだった。
「彼女は今ネットワーク内に潜行中だ、直接話しかけるよりはこの方が適切かも知れない」
 そう言ってプラグを端末に差し込む。ヘッドセットを装着した状態でイリーナが席に着くと、目の前にはモニタリング用の画面があった。その様相はさながらオペレーターだ。
 ひとつ深呼吸をするとイリーナはもう一度、名前を呼んだ。
「シェルク、聞こえる? 聞こえたら返事をして!」

***

「ここを突破したら連絡を入れますので……」
 そう言ったシェルクの足にぶつかって、ボールが止まった。どうやら広場で遊んでいた子ども達の物のようだった。ゆっくりと視線を落とし、シェルクは足下に転がっているボールを見つめた。それから、広場にいる子ども達の方へ視線を向ける。彼らは皆、シェルクを見つめて立っていた。
「おねえちゃん、そのボールこっちに投げて」と、そんなことを頼まれそうな状況なのだが、子ども達はじっとシェルクを見つめたまま微動だにしなかった。全ての動作が停止し、この場に流れる時間が止まったように感じた。
 シェルクは事態が急変したことを悟ったが、一足遅かった。
「……ねえ」
 シェルクの背後で小さな声が聞こえたのとほぼ同時に振り返ると、公衆電話機の後ろに少年が立っていた。彼がこのフィールドを巡回する監視者だったのだ。
「キミ、誰?」
 少年が口にした言葉は、システムがシェルクを異物と認め、排除のためのプログラム実行を意味する合い言葉だった。足下にあったボールが破裂し、噴出した煙があっという間にシェルクの視界を覆う。周囲にあったのどかな風景は一瞬にして消え失せ、集落を構成していたオブジェクトはたちまち塀のような防壁へと姿を変えて行く手を阻む。先程までいた子ども達はシェルクを追跡する役を担ったプログラムのようだ。
 彼ら同様に、シェルクも自身に施していた偽装を解く。こうなってはどんな偽装も意味を成さない、強行突破しか方法はない。
 走り出したシェルクは、背後からの追撃を避けながらこのフィールドの出口を探さなければならない。この場合「出口」は、このフィールド内のどこかに存在する特別なオブジェクト――作成者に繋がる「入口」の事を指す。
 ネットワーク上に構築されたフィールドには、必ず作成者が存在する。作成者によって作られた物には、多少の差はあるもののその個性がクセとして反映している。潜行中のシェルクがまず最初にしたのは、フィールド上のオブジェクトから作成者の“クセ”を見極めることだった。
 のどかな集落に見立てたフィールド――先程までシェルクが見ていた風景の中に、必ず答えに繋がるヒントがあるはずだった。
 しかし出口探しに考えを巡らせようとすると、自身の操作がうまく行かなかった。そもそも人の肉体はネットワークに最適化された物ではない。だからSNDで潜行中は、運動と思考を並行処理するためのプロセスがほぼ同じ経路で行われるせいで動作効率が低下する、それはSNDがディープグランドで研究されていた頃からの欠点だったが、けっきょく解決策が見つからなかった為、SNDは実戦向きでないとされた。
『シェルク、聞こえる? 聞こえたら返事をして』
 イリーナの声が聞こえた時、シェルクは目の前の壁に阻まれ足を止めたところだった。振り返ったところで、煙幕の向こうから自分めがけて飛んで来た石を避ける為に屈んだ後、いま来た道を戻った。
 まるで迷路だった。
『大丈夫なの?』
 再びイリーナの声がする。相変わらず飛んでくる石を避けようと、細い路地に駆け込んだシェルクは、壁を背に背後を伺った。
「聞こえます。……あまり大丈夫とは言えませんが……」
『どういう事?』
 シェルクは手短に状況を説明した後、イリーナに尋ねた「そちらのモニタに何か映っていますか?」。
『……ええと……。あなたの今いる位置ね、たぶん』目の前のモニタに現れた幾何学模様と、中心に現れた光点を見つめながら、それが膨大な迷路のようだとイリーナは感想を漏らした。
 彼女の言葉で確信を得たシェルクが申し出る。
「出口までの誘導をお願いできますか?」
『出口!?』少しの間が空いてから、イリーナが言った。『……そんな物、一体どこに?』
 そのまま進んでもこの迷路に出口は無い、それは分かっている。
「出口になる仕掛けは、ここにいる私が自力で見つけるしか方法はありません。ただ、追い詰められると圧倒的にこちらが不利なので、それを避けたいんです」
『分かったわ。それじゃあ早速だけどシェルク、その道を進むなら2ブロック先で右よ。他は全部行き止まり』
 イリーナの誘導で、シェルクは迷路のように入り組んだ道を走り出した。






―ラストダンジョン:第31章1節<終>―
 
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