第29章2節 : 奇跡の先に




 ヴィンセントの肩が揺れる。
 それは正面から至近距離に突きつけられた銃口への恐怖ではなく、その持ち主の姿を見た困惑と、なにより驚きだった。それでもヴィンセントが躊躇わずに銃を下ろしたのは、向き合った人物に覚えと信用があったからだ。
「……シャルア、か?」
 呼びかけてみたものの返答はなく、目の前に立ちはだかった女性からは依然として鋭い視線と銃口を向けられたままだった。
 この時ヴィンセントの脳裏には彼女と初めて出会った3年前の光景が重なった。霧雨の降りしきる無人のエッジで、今と同じようにして銃を向け合った。それが彼女との最初の出会いだった。白衣の下は黒いスラックスに袖無しのブラウスという、以前と比べてだいぶ慎ましい服装になった事を除けば、当時と何も変わっていない。
「本当にシャルアなのか?」銃を下ろしても尚、ヴィンセントは訊かずにいられなかった。3年前、彼女はWRO本部に侵攻したディープグラウンドとの交戦において重傷を負い、医療班から「奇跡でも起きなければ目覚めない」と宣告された事を知っていた。さらにWRO本部が陥落した後、延命装置ごと移動した飛空艇シエラ号も墜落して以降は、消息不明となったままだった。シャルアの生存に肯定的な要素が限りなくゼロに近い状況では、再会の喜びよりも先に、疑問が口をつくのはごく当然の事だった。この再会はまさに“奇跡”であり、人が“奇跡”と呼ばれる現象に遭遇したとき誰もが最初にする反応だった。
 問われたシャルアは苦笑混じりに銃を下ろすと、こう返した「私が人形だとでも?」。
 うっすらと汗の滲む額を見れば、彼女が人形でないことはすぐに察しがついた。ヴィンセントは首を振るとこう返す「ここでは笑えない冗談だな」。
 やれやれと溜め息を吐くヴィンセントに、シャルアは苦笑したままで尋ねた。
「……本物の局長には、まだ?」
「その言い草からすると、我々よりもここの事情に詳しいようだな」
「それはない」そう言ってシャルアは片手をあげる。「まして、あんた達の様に呼ばれて来ている訳ではないしな」
「呼ばれた?」
「ああ。あんたの事だ、もう気付いてるんじゃないのか?」
 問われたヴィンセントの表情が僅かに曇る。まだ憶測の域を出ていない、それでも自分達がここへ「呼ばれた」事実とその理由に、おおよその見当がついたばかりだった。
「……では、やはり?」
「舞台となるこの建物を設計、建造した張本人が、この難解なシナリオの作者だろうな。あんた達は出演者、それも主演として選ばれたってわけだ。私はエキストラに過ぎない」
 そして、エキストラは台本を持たない。シャルアはそう言って笑った。
「てっきり、このシナリオの結末を知っているものと思ったが?」
 ヴィンセントの問いにシャルアは首を振った。
「言ったろう? 私はエキストラだ。シナリオの結末どころか、全容すら知らされる事はない」
 シャルアの言葉を受けて、ヴィンセントは反論する。
「もし君の言うとおりならば、我々こそエキストラだ」
 確かにここへ呼ばれてはいるものの、台本どころか詳しい状況を聞かされていないのだ。これまでに起きた出来事から結末を推し量っても尚、そこに必然性は見出せないし納得のいく結末でもない。こんなシナリオを書いた脚本家がいるのなら、直に会って文句の一つも言いたくなる。
「では……」シャルアは頭上に視線を向けながら呟いた。「出演者に渡されているのは、すべてシナリオの断片でしかないと?」
「およそ科学者らしい発想とは思えないが、今のところ私の見解も同じだ」
 一連の事態がシナリオに沿って引き起こされたと言うのであれば、この舞台の主役はいったい誰なのだろう? ふとそんな疑問が頭に浮かんだ。


 エレベーターを降りてシャルアの横に立つと、ヴィンセントは周囲に目をやった。先ほど降りた階と代わり映えの無い薄暗いフロアが広がっている。ただ、見たところ幸いにも、ここには物騒な出迎えは無さそうだった。
「ところでシャルア、君はなぜここへ? それにシェルクはどうした?」
 “建造中の施設に閉じこめられた”と最初にもたらされた報の真偽は別として、ヴィンセント達は確かにここへ招集された。しかしシャルアの口ぶりからすると、彼女は別の経緯があってここにいるらしい。それに3年前の当時、自らの命とまで言っていた妹について触れていない事を少し不自然に感じた。確かユフィに聞かされた話では、シェルクは消息を絶った姉を捜しに行くと2年前にWROを出て行った筈だった。その事をシャルアが知らないと言うのも妙だ。
 何か事情でもあるのかと尋ねると、シャルアはここへ至る経緯を語り始めた。
 飛空艇の墜落現場で目覚めてから、シャルアは真っ先にWRO本部を目指そうとした。程なくしてWROの捜索隊と合流し、その目的は達せられた。ところがシャルアが到着した頃、一足違いでシェルクが既に機構の施設を出た後だったと知らされる。
「どうやら私はあの場所で、1年ほど過ごしていたらしい」
 局長の話によると、魔晄依存症の治療を終えたシェルクは行方不明のままだった姉を捜すためにWROの捜索隊には加わらず、機構を出る事を申し出たのだと言う。恐らくそれはシェルク自身で自立を目指そうとする意識の表れであり、リーブとしては影ながらその支援をしたい。と、シェルクを送り出した意図と今後の方針を聞かされた。
 療養も兼ねて半月ほど本部に滞在した後、シャルアは機構を出た妹の後を追う事にした。シェルクの時と同様に、局長はその申し出を快諾した。
 そこまで話し終えたシャルアはしばらく黙り込んでいた。その姿を無言で見つめていたヴィンセントに顔を向けると、やがて重い口を開く。
「……WROには、3年前の戦役に関するあらゆるデータが残されている」言葉を選んでいる様にも聞こえたが、シャルアにしては珍しく歯切れの悪い話しぶりだとヴィンセントは思った。しかし続く言葉を聞いて、その理由を理解した。
「保護したディープグラウンドソルジャーの治療経過だけではなく、3年前の交戦記録や、ツヴィエートの個体データ。……カオスの覚醒とオメガ顕現についての記録も、すべて」
「ああ、知っている」
 ヴィンセントは努めて穏やかな口調で返した。「私への気遣いは不要だ」と、言外に含まれた意図を察したシャルアは顔を上げると、頷いて見せた。
「私が異変に気付いたのは、本部に滞在してしばらく経ってからの事だ」
「と言うと?」
「データベースには、兵士の治療に利用するためディープグラウンドから引き上げた各種のデータも含まれていた。1日に照射する魔晄の量や時間、施された実験の内容や頻度。そう言った物が細かく分類されライブラリに保管されていたんだ。しかし、その中からSNDに関する記録だけがそっくり消えていた」
「SNDの?」
「ああ。それに……」
 シャルアは取り出した自身の携帯電話の画面をヴィンセントに示しながら、こう告げる。
「シェルクの行方について、局長は私に知らせなかった。そればかりか、シェルクにも私のことを一切告げていない」
 画面には、シェルクが姉宛てに出し続けていたメールが表示されていた。姉を捜しに機構を出たというシェルクは、実際には姉が保護された後しばらく本部に滞在していた事実を知らされておらず、今なお姉を捜し続けている事が文面から分かった。
「私がこうして生きていると言うことは、メールを受信している事からも察しがついているだろう。ただ、シェルクが妙なことに巻き込まれている様な気がして、返信を出すことが憚られてな」
 そこへ追い打ちをかけたのが、シェルクからのメールに記された『システムの星還』という言葉だった。それはシェルクがWROのデータベース内で見つけた残滓から唯一読み取れた単語だと書いてあった。
「実は3年前、WROの調査団と共にディープグラウンドに関する資料調達のために神羅ビルへ出向いたときの事だ。あのとき私は、恐らくシェルクが見たものと同じ物を目にしていた。それは『星還論』と名付けられた未完成の研究論文だ」
「星還論?」
 そんな言葉、今までに一度も聞いたことがない。話の先を促すようにヴィンセントは頷く。
「著者も時期も不明。手がかりになるのは年代順に保管された様子からルクレツィア・レポートと同じ頃か、フォーマットからすると作成はその少し前の物だろう。扱っている題材からして実在するかも分からないものだし、内容はどれも仮説を元にした推論だけで検証が一切されていなかった。それらが原因で論文としては価値のないものと判断され、データ化もされないまま書庫に眠っていたのだろう」
「内容は分かるのか?」
 ヴィンセントの問い答えるべく、シャルアは論文の一節を口にした。

 ――『インスパイア』とは、
    ライフストリームによる生命循環システムから逸脱した存在であると同時に、
    この星の内部を巡る生命循環システムを超越した存在であると仮説する。
    また、インスパイア因子を持つ変異体を『インスパイヤ』と呼称する。

「インスパイア?」
「そう、局長の持つ異能力。それに関する論文が、既に40年以上前に出されていた事になる」
 星還、それがキーワードだった。
「WROのデータベースから消えたSNDの実験データ。残滓としてのみ確認された『星還』という言葉。未完成の論文……。確証はない。だが、何らかの形でこれらに関係性があるのではないか? だとしたら」
 ヴィンセントが頷く。
「この件にはシェルクも関わっているのかも知れない。彼女も知らないうちに、な」





―ラストダンジョン:第29章2節<終>―
 
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