第27章4節 : 交錯する思惑と策略




 それからしばらくの間、ふたりは言葉を交わすでもなく無言のまま時間だけが過ぎていった。叩きつける雨音を遠くに聞きながら、空調機器の発する僅かなモーター音が室内を満たす。そこにあるのは緊張や平穏とはまた別の静けさだった。
「ありがとう」やがて俯いていたケリーが顔を上げ、ぽつりと言う。
「今の俺に何ができるのかは分からない。でも、今回もお前の言う事は正しいんだと思う」
 立っていたフレッドを見上げて、ケリーはいつもの笑顔を浮かべた。
「店でお前と顔を合わせると、いつも頼んでもないのに冷静な言葉をくれるだろ?」気晴らしにとセブンスヘブンへ来たはずなのに、気がつけば諭されている事も珍しくない。議論が白熱した挙げ句、物別れに終わって帰途につくこともあった。そんな日は気晴らしどころか余計に疲れたと後悔するが、日が経つとそれが有意義だった事に気付く「正直けっこう助けられてたんだ」。
 ふたりは同じWRO隊員とはいえ、所属する部隊や管轄地域、活動内容どれを取っても共通項はなかった。だから彼らが顔を合わせる機会と言えば、客としてセブンスヘブンを訪れた時ぐらいである。別に約束をするでもなく、店で顔を合わせれば酒と議論を交わす、そういう常連客は少なくない。そんな人々が集まるのも、店の魅力だった。
「だから俺も、俺が思うようにやってみるつもりだ。……それしかできないしな」最後は苦笑混じりに言った。
 一つ頷いてから、フレッドは嬉しそうに応じる「それでこそケリーだ」。
「しっかし、考えても俺には分からない事だらけだ」ひときわ大きく溜息を吐いてから、ケリーは両手を頭の後ろで組んで続けた「お前が言ってた話、どうも引っかかる」。
 どうした? と首を傾げるフレッドにケリーは言った。
「はじめからプレート落下を想定した設計がされていた、って言ったろ? それを都市開発の連中は知らされないまま建設を続けた、だから憤る。それは分かるんだ」
 ミッドガル七番街プレート支柱爆破が、神羅による自作自演だと言う噂は確かにあった。もしそれが事実なら、形はどうあれ少なからず存在する関係者が情報の出所になっている。そうでなかったとしても、憶測や先入観などが錯綜し様々な経路で話が広がった結果が「噂」だ。信憑性を問わなければ、話の種類は多かった。
 けれど、緊急用プレート解放システムと言う話は一度も聞いた事がない。居住区を支えるプレートを落とすための仕組みがあったなどとは誰も考えないし、そもそも発想自体が現実性に欠けている。フレッドの言うように、都市開発部門の人間にさえ知られていなかったとしても不思議ではない。今でさえ信じがたい話であるのだから、これまで噂としてでも話題に上ることが無かったのは当然と言える。
「……なあ、フレッド。お前さっきの話を誰から聞いた?」
「ダナからだ。プレート支柱爆破のデータと一緒に――」話している途中で、フレッドの表情が変わる。「……おかしい」
「だろ? 都市開発部門の連中でさえ『誰も知らなかった』事が、なぜ今になって?」しかも元都市開発部門のダナがその話を信用した、つまり情報元にかなりの信憑性があったという事だ。
 二人は顔を見合わせる。この事態を引き起こした首謀者として、脳裏に過ぎった人物は一人だけだ。
「……局長?」
「しか考えられない」
「どうして!?」
「分からない、分からない事だらけだ。でもこれだけは言える」

 局長が、事態の混乱を煽動しているのは間違いない。

***

 空爆まで、あと僅かの時間さえ稼げればそれでよかった。
 ダナは自分の行動がもたらす結果と、その先にある現実を思い描いた。今よりも情勢が悪化する事は容易に想像が付く。今回の件をケリーが知ったら何と言うだろうか? 罵倒され非難を浴びるだけで済むのなら御の字だと、そんなことを考えている自分に気付くと、ひどく落胆した。
 俯いた視線の先には、電源を切って繋がらなくなっているはずなのに、ずっと握りしめていた携帯電話があった。
(隊を離れると決めた時から、とっくに覚悟していた……はずなのに)
 いざというところで決心が揺らぐのは、意気地の無さなのか。それとも、まだ覚悟が足りないからなのか。
 まぶたを閉じてダナは首を横に振る。揺らいでいる自身を否定するように。
(違う)
 まとわりつく過去の記憶や、未練を振り払うように。
(……私は……以前から決めていた。そう、あの日から)
 大きく深呼吸をした後、ゆっくりと瞼を開く。
(ミッドガルのために生きる)
 それから手にしていた携帯電話を、静かに置いた。

 ――富と繁栄、そして魔晄文明の象徴、
    しかし今や永遠の未完成都市となったミッドガル。
    そこはあまりにも多くの物を置き去りにしたままの、“故郷”だった。

 ダナがWROに入隊したのは、組織発足とほぼ時期を同じくしてのことだった。元都市開発部門に在籍していた同僚の多くがそうだったように、6年前のメテオ接近の際にミッドガルの住民避難にあたっていた当時――WROという組織が形を成す前――から、リーブの下で活動を続けていた。
 メテオ災害からの復旧も一段落し、世間ではちょうど星痕症候群の脅威が去った頃、ダナはWROを離れる事を考えていた。
 各地の復興事業も軌道に乗り始めた頃で、離れるなら頃合いだと判断しての事だった。この後に起きるオメガ戦役の事など、彼女に予想できたはずはない。知っていれば、この時点で隊を抜けていただろう。
 メテオ災害直後の混乱から成り行きでWROに籍を置くことになったものの、彼女にはどうしても『神羅』の影から離れたいという思いがあった。いつの頃からか人々の間で囁かれ始めた噂――「七番街プレート支柱爆破は、神羅による自作自演だった」――は、ミッドガルの都市開発従事者であったダナを苦しめた。このことが最も大きな動機であるのは確かだった。ただ、それを口外することはしなかった。彼女と境遇を同じくする者達も皆、好んでその話題を口にしなかった理由を、彼女自身が一番よく知っていたからだ。
 周囲の隊員達の多くはダナが去る事を惜しみ、止めようとしてくれる者もいた。彼らの思いは彼女にとって有り難く、同時に枷でもあった。
 そんな折、偶然にもリーブと顔を合わせる機会があった。たまたまルート上にロケット村があったので、ダナ達の乗る移動車に同乗したと言う経緯だった。魔晄を廃しエネルギー事情が逼迫していた災害直後はもちろん、この当時でも珍しい行動ではなかった。
 元都市開発部門の統括にして、現WRO局長。昔も今もダナにとっては従うべき上官である。神羅カンパニーで都市開発部門に在籍していたという共通点はあっても、個人的な面識は無いに等しい。神羅にいた頃のダナが知るリーブは、「部門の統括責任者」という程度だった。逆にミッドガルだけで数百は下らない部下を抱えたリーブが、ダナの事を知っているとも思えなかった。
 予想通り、リーブはダナのことを知らなかった。しかし彼は今のダナの仕事ぶりを評価し、さらに彼女が去る事を惜しむばかりではなく、必要だと言った。その上で、ここを去る事にも反対はしなかった。この辺はいかにも局長らしいとダナは思った。
 ダナから一通り話を聞き終えた後、最後に付け加えるようにして「個人的にはとても残念だと思っているのは、間違いありませんけどね」と言って微笑を浮かべた。ダナは返すべき言葉を見つけられず、会話は終わった。
 直接会ってみて改めて驚いたのは、想像していた以上に物腰の柔らかい、とても神羅カンパニーの重役に名を連ねた人物とは思えない口ぶりだった事だ。経営者も含めて神羅の重役はクセの強い人物ばかり、というダナの先入観もあったのだろうが、それにしても当たりの柔らかい人だ。しかしながら、リーブにまったくクセが無いか? というと決してそうではない。むしろ物腰が柔らかい分、いっそう厄介とも言える。
 どうあっても、ダナにとってリーブが上官であるという事に変わりはない。そして、彼女がそう認識している事を把握した上で、リーブはそれを上手く利用している。
(話をすればした分だけ、逃げ道を塞がれてる気がするわ)
 さすがに神羅カンパニーの重役に名を連ねていただけあると、ダナが溜め息を吐きたくなったのも無理はない。


 WRO局長は多忙を極める。直接会って話す機会というのは隊員であっても滅多にない。このときも、話ができたのは本部を出てから目的地に到着するまでの間だった。移動中の車内でも通信で方々と遣り取りをしながら、僅かな空き時間も持参した資料に目を通していた。そうこうするうち車が目的地に近づき減速し始めたのを知ると、広げていた資料を片付けながら思い出したように切り出した。
「もし、あなたさえ良かったら1つお願いしたい事がありまして」
 それは何かと尋ねるダナに顔を向けると、リーブはやや声を潜めてこう答える。
「ミッドガルと同じ過ちを繰り返さない為に、私を監視するという仕事です」
「……はい?」言葉の意図を汲みかねて、なんですって? と思わず口に出そうになって慌てて手を当てる。ほぼ同じタイミングで車は停車し、エンジン音の止んだ車内は急に静かになった。お陰で奇妙に裏返ったダナの声だけが車内に響いた。
 リーブは運転者に礼を告げてから、降車のために開けかけたドアからいったん手を離して振り返る。
「もちろん繰り返したいなんて思っている訳じゃありませんよ。ただ、この役にはある程度の経験と知識を要しますからね。なり手の心当たりは、そう多くないんです」
 ダナに向けられた言葉も声も眼差しも、どれもが真剣だった。だからこそ反論した。
「失礼を承知で申し上げますが、WRO局長はあなたです。あなたさえ道を踏み外さ……」

「本当にそうでしょうか?」

 車から降りようとしたリーブは背を向けたまま、さらにダナの語尾に重ねるようにして言い捨てた。今までになく低い声で告げられた言葉は、ひどく耳に残った。
 まるで予言者の語る凶兆とでも言うように。
「えっ?」半ば無意識に出た声に、車を降りて振り返ったリーブは笑顔を向けた。
「何事も、備えあれば憂いなし、と言いますからね」口調も声も表情も、いつもの穏やかなそれだった。「ここを出てからの行く先が決まるまで、当面の間でも構いません。考えておいてくれませんか?」
 それだけ言い残したリーブは、ダナの返答は聞かずにさっさと歩き出してしまった。ダナの乗った車も、本来の目的地へ向けて発進する。サイドミラーに映る局長の姿が、あっという間に小さくなっていった。
(一体なんなのかしら?)
 車が発進してすぐ、ダナは座席の下に落ちていた紙切れを見つけた。先程リーブが開いていた資料の中から落ちたものだろうかと、慌てて拾い上げた。内容によっては急いで局長の所に引き返さなければならない。
 ところがそこに書かれていたのは、ダナ宛てに走り書きされた文字だった。恐らくリーブが書いた物だろう。ファイルアドレスらしく、アクセスに必要なパスワードと思しき文字列も記載されている。他にメッセージなどは添えられておらず、書かれているのはそれだけだった。
(これは?)
 翌日、本部へ戻ったダナはメモに記載されていたファイルを開いていた。ファイルの保存場所、セキュリティの設定から考えても局長の物に間違いない。
 開いたファイルの正体は、ミッドガルのプレート構造に関する詳細な資料、当時の部内でも関係者以外が目にすることは無いものだった。同時にダナを苦しめていた噂の真相を確かめるための数少ない、しかしながら決定的な証拠だった。
 七番街プレート支柱爆破事件が当時、会社が発表した『反神羅テロ組織アバランチ』による犯行ではなかった事。支柱爆破の決議には、重役会議での全会一致が必須条件であった事。その手続きを踏んで引き起こされた神羅の自作自演であった事。そこに都市開発部門統括だったリーブも関与していた事。なによりも。

 ――『緊急用プレート解放システム』と呼ばれる装置が、支柱の爆破により起動。
    これによってプレート落下を招く事は、設計段階からあらかじめ想定されていた。

 それでは、都市開発部門の人々は何のためにミッドガルの建造に携わったのか?
 壊される想定で建設された街に人を住まわせ、結果として住民の多くが命を落とす惨事を招いた。その事実をすべて知りながら、リーブはミッドガルの都市開発を進めていた事になる。開発に携わる多くの部下と、街に暮らす住民を欺き続けながら。
 ダナの家族も、愛する人々や同僚も。その多くが七番街のプレート崩落で命を落とした。何も知らないまま、知らされないまま。ダナ自身でさえ、6年経った今になってようやく真実を知った。
(……なぜ、今さら?)
 指先から一気に熱が引いていく。画面に並ぶ資料を前に、開いた瞼を閉じる事ができなかった。やがて手が震え、全身に戦慄が走った。
(私、たちは……最初から?)
 裏切られていたと言うのか。ならば、あまりにも滑稽ではないか。
「……分かりました、局長。あなたの言う『ミッドガルと同じ過ち』は繰り返させない」
 ダナにとってそれは、ミッドガルの弔い合戦に他ならなかった。





―ラストダンジョン:第27章4節<終>―
 
[REBOOT] | [ラストダンジョン[SS-log]INDEX] | [BACK] | [NEXT]