第27章1節 : 霹靂がもたらした波紋




 目に見える風景の輪郭はかすみ、やがて混じり合った色が滲んで見えた。

 ――SND<センシティブ・ネット・ダイブ>は、
    君の意識をそのままネットワークへ投影し潜行する事ができる能力。

 当時、実験棟の連中は私が初の成功例だと言って喜んでいた。
 私は当初、それをネットワーク上を巡回するプログラムの1つだと考えた。でも、連中が目指していたのは全く違う物だった。
 ディープグラウンドに隔離されていた身では知る由もなかったが、当時すでに通信網を使ったエネルギー転送技術を、神羅はタークスの活動で実用化していた。彼らの間では『マテリア援護』と呼ばれていたらしい。SNDはこの技術を応用、さらに進化させようと試みたもの、という事になる。
 実験棟に連れてこられた私の目の前には、ベッドに横たわっている被験体がいた。私と同じ服を着た彼は、どうやら眠っているらしく身動き一つしなかった。どうして良いのか分からずその場で突っ立っている私に、連中は「第二段階だ」と言っていつもの装置を指した。
 これが人に対して直接SNDを実行した初のケースとなる。このとき被験体から得られたのは、こちらの処理能力を上回る多量の雑念だった。量こそ少ないがフィルタリングに成功し取り出せた情報も、被験体が直前まで受けていた苦痛と、連中に対する憎悪の念だった。内側から浸食されていく恐怖、それは言葉でいくら説明しても伝わらないだろう、実際にSNDを行った者にしか分からない感覚だ。私は必死で回線を切断し外へ逃れようとした。けれど、連中がそれを許さなかった。内側からのコマンドは受け付けないよう、あらかじめプログラムを修正してあったのだ。
 装置に横たわっていた私の耳が、外にいた連中の声を聞いた。

 ――こうなると、肉体は枷でしかないな。

 ベッドに横たわっていた被験体は、この直後に死亡した。私は生きながらにして、彼とともに死の感覚を味わう事になった。被験体の持っていた記憶の一部、特に死の間際の苦痛や混乱、恐怖や憎悪は接続を切った後も私の中に蓄積され消えることはなく、それは死ぬこと以上の恐怖を永続的にもたらした。もう二度とあそこには行きたくないと、最初のうちは必死で抵抗を試みた。
 けれど連中がやめるはずもなく、その後も実験は繰り返された。むしろ抵抗すればするほど、その姿を面白がっているとでも言うように実験は過酷さを増していった。そのうちに、怒りや恐怖と言った感情を表に出すことをしなくなった。それが私に出来る唯一の抵抗なのだと経験で知ったからだ。
 けれども数多の死と記憶に触れるうち、自分の中にあるはずの記憶でさえ、もはや誰の物か区別が付かなくなり始めていた。さらに脳の正常な機能を維持するための投薬と度重なるSNDのお陰で、ひどい時には意識障害まで出る有様だった。私が昏睡するぎりぎりのところで、連中は魔晄照射を施す。こうして繰り返される日々は、苦痛から解放されることのない拷問のようだった。ようやく保たれた意識の中で、正気を手放すのも時間の問題だった。
 けれどそんな中で唯一、辛うじて自分が自分であると認識できる証明があった。
(助……けて……お、姉……ちゃん)
 その思いにしがみついていなければ、私は私でさえいられなかった。

(助けて……)

 私はあの頃からずっと、姉の存在に救われていたのだ。

***

 まぶたを開く。
 ネットワークに意識を投じただけの状態では、何も見えない。視覚としての情報を何も得ていないし、見ようとしていないからだ。目的の情報にたどり着くまでは、ずっとこの状態を維持しなければならない。何せネットワーク上には膨大な量の情報が溢れている、不用意に“意識”を解放すれば、許容量をはるかに上回る情報が流れ込んでハングアップしてしまう。その意味では通常の端末と同じだ。
 座標指定したのはWRO新本部施設内の端末だったから、目的の情報はすぐそこにあるはずだった。けれど“何もない”。偽装か何かで隠れているのだろう、それ自体はよくあることだった。厳重に施された偽装を解除していくことが、ディープグラウンド時代にシェルクの担っていた主な任務だった。
 肉体は今も端末の前にある、だから視覚だけではなく五感のどれもが中途半端な感覚を残したままだ。たとえるなら入眠直後の半覚醒状態の感覚に近い、外部から刺激を受ける肉体の感覚と、半覚醒状態の脳が引き起こす錯覚。それに慣れるのがSND最初の関門だった。
(おまけに意識の混線。……ブランクがあるとは言え、相変わらず不安定ですね)
 やれやれと溜息を吐きながら、巧妙に隠された入口を探し出すためのプロセスを開始しようとしたその時、シェルクはネットワーク上に起きた波に遭遇した。
 その波の正体が、通信網を経由したエネルギー転送による振幅現象である事はすぐに察しが付いた。しかし現状から鑑みるに、それは起こり得ないはずだった。
 SNDの実行に専用端末が不可欠であるように、エネルギー転送も特殊な仕様の移動端末を用いなければならない。転送に利用する帯域も、通常使用されているものとは異なるからだ。
(たしかエネルギー転送に対応した端末の製造は、記録上すでに打ち切られているはずですが)
 それはかつてタークスが利用していた携帯端末に施されたものである。この技術が広く一般に普及しなかったのは、普及以前に神羅カンパニーの破たんによって、技術開発と設備メンテナンスが行われなくなった事。加えてマテリアの使用に関する協約が発効した事があげられる。
(発信者はエッジ。受信者も、そう遠くない場所にいるようです)
 ネット上にいるシェルクが伝送路をたどり、エネルギーの発生源と宛先を割り出すのは比較的簡単だった。しかし、エッジで何が起きているのかは分からない。すべてはネットワークの“外”で起きているからだ。



「……聞こえますか?」ヘッドセットを装着していたシェルクは口だけを動かす。
「なにかあった?」
 モニタから目を離したイリーナが答えると、シェルクは問う。
「エッジ付近で発生した強力なエネルギー波を観測しました。心当たりはありますか?」
「エネルギー波?」イリーナが首を傾げると、シェルクはやや事務的に答えた。
「おそらく、通信を経由してのエネルギー転送です」
 その言葉に心当たったツォンが口を挟む。
「マテリア援護の事を言っているなら、ずいぶん前に使用を取りやめた。それに転送に対応できる端末や回線も、現在では無いはずだが……」
 だからといって可能性が全くない訳ではない。言葉を濁すツォンに向けて、シェルクは問いかける。
「設備さえ整えば実現は可能、ということですね?」
 ツォンの返答は肯定だった。と同時に、この件に関与しているであろう人物の顔が脳裏を過ぎった。
(となると、この件に主任……もしくは元タークスの誰かが関与しているのは間違いない。しかしなぜ?)
 仲違いではないにしろ袂を分かった彼らがメテオ災害以降、活動を共にすることは一度として無かった。こうして自分達は今回、WROの出資者としてこの件に関わっていく事になったが、ヴェルドがどの立場からどのように関与しているのかは一切不明だ。ただ幸いとすべきなのは、少なくとも彼がWROに加入したという情報は得ていないという事だ。
 いずれにせよ、この件に関わっていれば形はどうあれ遠からず再会を果たす事になるだろう。
 しかしもっとも懸念すべき点は『マテリア援護』が行われたという事実だ。それはどこかで複数の人物が、決して穏やかとは言えない事態に直面している事を示している。
(一体、なにが起きているんだ?)
 足を踏み込むほどに混迷の度を増す事態は、まるで見通しがきかない洞窟に迷い込んでしまったような、そんな得体の知れない不安を抱かずにはいられなかった。





―ラストダンジョン:第27章1節<終>―
 
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