第26章5節 : 魔晄炉が生んだ小さな悲劇




『止まるんだデンゼル! これ以上制止を無視して走行を続ければ、お前を拘束しなければならないんだぞ』
 拡声器を通して名を呼ばれて、デンゼルは声の主に思い当たった。
「……フレッドおじさん!?」
 今日、セブンスヘブンを訪れた最初の常連客にしてWRO隊員。彼はデンゼルもよく知る人物だった。そんな彼になぜ追われているのか、デンゼルにはますます理解できなくなった。
 普段は気さくで笑顔の絶えない人だった、だからきっと何か事情があるんだろうと思った。でも今は、デンゼルにも事情がある。だからブレーキペダルから足を離そうとはしなかった。
(ごめんなさいおじさん。でも俺、約束したんだ)
 変電所はもう目の前だった。
 デンゼルが止まるのを待っていたのだろう、しばらく何もせずに追尾していただけだったが、走行を続ける作業車からデンゼルの意図を汲んだらしいフレッドはアクセルを踏み込んだ。
 力だけで言えば作業車には敵わない。そこで助手席に同乗していた隊員は作業車の車体下部に設置されているバッテリーエンジンに照準を合わせた。デンゼルが4発の銃声を聞く頃には、彼らのねらい通り動力となる電気系統の破壊に成功し、かろうじて走行は維持するものの火花を散らしながら作業車の速度はみるみる落ちていった。
 デンゼルは停止寸前の作業車から飛び降りて、必死に道路を走った。変電所は目前、もう100メートルも離れていない場所だった。しかし人の足で車の追跡を振り切れるはずもなく、あっという間にデンゼルを追い抜いた車は行く手を阻むようにして道の真ん中に停車すると、降りて来たフレッドがデンゼルの前に立ちはだかった。
「デンゼルやめるんだ」
「おじさんお願い! ここを通して」必死に乞うデンゼルを見下ろすフレッドの表情は、いつもの気さくな彼とはまるで別人だった。
「変電所に行って何をする気だ?」
 まるで懇請を切り捨てるような声でフレッドに問われて、デンゼルは何も答えられなかった。答えてはいけないような気がして口をつぐんだ。でも、ここで引き下がるわけにはいかない。意を決してデンゼルはもう一度言った「お願いです、ここを通してください」。しかしフレッドからの返答は無かった。
 背後からデンゼルを呼ぶ声がする、エルフェだ。呼びかけに応じて振り返ろうとしたデンゼルは、不意に髪を捕まれた。突然の出来事に驚いて顔を上げようとした時、こめかみの辺りに小さく鈍い痛みが走った。
「お嬢さん止まりなさい」
 デンゼルを盾にした格好でフレッドが告げると、状況を飲み込んだエルフェはその場で立ち止まった。助手席から降りてきた隊員が、すかさずエルフェに銃口を向ける。
「その子を離せ」それでも尚、毅然とした物言いだった。
「まずは君が持っている物騒な物を捨てるんだ」
 フレッドからの要求をエルフェは迷わず受け入れた。鞘に収めた剣を目の前に掲げると、前方に放り投げた。
 エルフェの手を離れた剣は、両者の立つ位置のちょうど中間辺りの泥土のうえに転がった。
「さあ、その子を離せ」
「この子は俺の知り合いだ、こちらも手荒なまねはしたくない。まずは聞かせてもらおう、ここで何をしていた?」デンゼルに向けた銃口を離さずにフレッドは問う。その様子を目の当たりにしたエルフェは僅かに眉を顰めながらも、質問に答えた。
「帰宅中、私はたまたまこの道を通りがかった。すると作業車に乗ったその少年がモンスターに襲われていた。だから助けた」
「刃先を向けたのはモンスターだけではないな?」
「少年は自衛手段を持たない様だった、だから私が代行したまでだ。それに大人が寄って集って子どもに銃を向ける状況は、どう考えても正常ではないだろう?」
 不利な状況に置かれているにもかかわらず、エルフェは怯むどころか毅然とした態度を崩さなかった。あくまでも自らの行動の正当性を冷静に主張する彼女の姿は、理知的であるとすら思えた。言葉と共にフレッドに向けられた鋭い視線を見つめながら、この人は一体何者なんだろう? とデンゼルはぼんやりと考えていた。
「嘘をつけ。さも尤もらしいことを並べているが、こんな悪天候の中しかもあんな場所をうろついていたお前の話に、信憑性があると思うか?」
「貴様が信じようと信じまいと、私には関係ない」
「それはどうかな? 我々の治安維持活動の妨害行為で公の場に突き出してやる!」
「善良な一般市民をどう突き出すのか、やれるものならやってみろ」
(あんまり煽らない方が良いと思うんだけど……)
 申し訳程度にデンゼルが反論しようとしたが、当然この状況下ではそんなこともできず、結局はただ成り行きを見守るより他になかった。
 このまましばらく膠着状態が続くのかと思ったが、それを破ったのは豪雨にも負けない爆音だった。その場にいたエルフェを除く3人が異変に気付いたのはほぼ同時だった。爆音の正体は車のエンジン音、それも今までの小型車とは違う。しかも恐ろしいスピードでこちらに迫って来ている事は、音だけでも充分伝わってきた。
「なっ、なんだ?」
 状況を把握しようと隊員の意識が目の前のエルフェから逸れた、その一瞬を待っていたと言わんばかりに駆け出し、地面に転がった剣を拾い上げると勢いよく鞘から引き抜いてフレッドの隣に立つ隊員の銃をたたき落とした。あっという間もなく起きた出来事に、唖然とする隊員めがけて剣の切っ先を向ける。
「さあ、これでおあいこだ。その子を離せ」
 息をのむフレッド。デンゼルは瞬すらできなかった。緊迫するこの場の空気を読まずに尚も突進してくる車からは、やや緊張感に欠けた声が聞こえてきた。
「待ったせたな〜デンゼル!」
 またも名を呼ばれ、デンゼルは我に返って顔を向けた。彼らの方へ向かって来る車は全く減速する様子がない、このままではここにいる全員が轢かれてしまう。
「ケ、ケリーおじさん!? ストップ、ストップ!!」
 焦ってデンゼルが叫んだのと同時にケリーはブレーキを踏み込んだらしく、タイヤが地面と擦れ合って甲高い音を立てた。幸い交通事故は免れたものの、急停止の反動で車体後部が大きくぶれた。お陰でその場にいた全員が泥水を頭からかぶる結果となった。
「や〜、遅くなってすまないな」
 運転席のドアを開けて降り立ったケリーに、4人の冷ややかな視線が一斉に向けられる。
「おじさん、もうちょっとマトモな運転はできないんですか?」
「どうやらこの少年の方が運転技術は優れている様だ」
 デンゼルとエルフェから苦情を付けられたケリーは、頭をかきながら反論する。
「おいおい俺を悪者にしないでくれよ、悪いのはこの車の持ち主だ。明らかに正規仕様じゃないぞこれ……」面白いぐらいにスピードが出るんだと、そう語るケリーの口調がどこか楽しげに聞こえたのは、おそらく気のせいではない。
 まさか、ここへ来るまでに人を撥ねていたりしないだろうか? 極めて不吉な想像が頭を過ぎってしまったデンゼルは、恐る恐るケリーを仰ぎ見た。そこにはいつもと変わらぬ笑顔のケリーがいた。「うん、そんなはず無い」自分を励ますようにしてデンゼルは心の中で呟いた。
 こうして、本人の意図するしないは別として、和んでしまった場の空気を味方につけたケリーが本題を切り出した。
「フレッド、……デンゼルから手を離せ」どこか悲哀を含んだような声だった。
 言葉に応じてフレッドがゆっくりと手を離す、それから小声でデンゼルに詫びた。
 デンゼルも首を横に振って「大丈夫」と答えた。ちょっと驚きはしたけれど、フレッドを悪く思っているわけじゃない。
「……手引きをしたのは、ダナか?」
 質問と言うよりは確認の意味合いが強く、問う声が僅かに震えていた。フレッドはとっさに隠せなかった驚きを顔に貼り付けたままケリーを見返す。それだけで答えとしては充分だった。
「すまんな。実はお前の経歴を少し調べたんだ」
「そうか」ケリーの言葉にフレッドは観念したように項垂れて、乗ってきた小型車の扉に寄りかかった。
「どういう事ですか?」デンゼルがケリーを見上げると、彼は話を始めた。
 もともとフレッド自身は神羅カンパニーへの勤務経験も無く、かといって反神羅活動に身を投じていた事もなかった。言ってみれば彼自身は直接神羅と関わらずに生きて来れた、ある意味において幸運の持ち主だった。ただし、彼の父親が神羅の社員だった。所属は都市開発部門だったと言う。
「都市開発って……」
「そう、局長やダナと同じだ」
 都市開発部門と言っても、地方に建造された魔晄炉に勤務していたというフレッドの父親と、本社勤務だったダナに直接の接点があったわけではないし、まして世代も違う彼らが知り合う機会はない。ただ単に、所属部署が同じというだけだった。そんな人間なら他にもたくさんいる。
「……子どもの頃」フレッドがゆっくりと語り始める。「親父が働いていた魔晄炉を見に行ったことがある。当時あの大規模な施設に圧倒された。それに魔晄炉にいる時の親父は格好良いんだ。だから俺も大人になったらこんな仕事がしてみたいって思ってたんだ」
 そう語ったフレッドの表情は、どこか誇らしげだった。
「じゃあ、どうして……」
「職員の失踪事件だ」
 話はジェノバ戦役よりもさらに5年前までさかのぼる。魔晄炉に勤務していた職員全員が忽然と姿を消す、という不可解な事件がニブルヘイムで発生した。本来の予定であれば事件発生の翌日から1週間の日程で、半年に一度の炉心部総点検が実施されるはずだった。そのための準備に当たっていた作業員も含めて、全員が消息を絶ったのだ。
 神羅はこの事件を世間には公表せず、社内でも一部の関係部署以外には通達しなかった。後にソルジャーを投入し実態調査に乗り出す事になるが、それにも数日を要した。
 消息を絶った作業員の中には、フレッドの父親がいた。
「ある日、休暇中だった親父に連絡が入った。作業員の欠員を補充するために呼び出されたらしい。翌日から急きょ親父は1ヶ月間の日程でニブルヘイムへ出張することになった」つまり欠員さえ出なければ、フレッドの父親はニブルヘイムに行く事もなく、もしかしたら今も元気に暮らしていたのかも知れない。
「1週間後、本当ならおふくろと俺は親父に会いに行く予定だった。でも、前日に熱を出して寝込んでいた俺はニブルヘイムには行けなかった」
 ニブルヘイムへ向かった母親は、戻らなかった。
 今にして思えば、セフィロスの起こした所謂『ニブルヘイム大火』に巻き込まれたのだろうと思う。しかし当時はその情報すら公開されていなかった。その後、村は神羅によって完璧に復元された。
 たとえ村は復元されてもフレッドの両親は戻らなかった。それは紛れもない事実だった。戦争や事故でもない、何の前触れもなく唐突に訪れた現実を、当時幼かったフレッドは理解できなかった。正確には、未だに本当の原因は知らされていない。今の話もすべて、資料からの推測でしかなかった。
「俺たちに対して説明は無かった。もちろん納得できたわけじゃない。……その一方で、俺は神羅の救済措置のお陰でその後も生活には困らなかった」
 どうして両親がいなくなったのか? あるいは誰の仕業だったのか? どうする事もできないのなら忘れてしまいたかった。忘れようとした。でも忘れることはできなかった。
「残された手がかりは『魔晄炉』だけだった。だから俺は神羅に行くことを決めた」けれど時期が遅すぎた、折しもミッドガル壱番魔晄炉爆破事件の起こった年だった。それから世界は瞬く間に混乱の渦に呑み込まれ、その中で神羅も消滅した。
 神羅と、各地の魔晄炉が機能を停止した後の世界は、どこも戸惑いに満ちていた。確かに神羅には敵対者も多かった、しかし裏を返せば、良くも悪くも神羅の存在があらゆる形で人々の拠となっていたのだ。メテオ災害後、フレッドは神羅の規模と役割の大きさを身をもって知った。
「俺にできること、俺がしなきゃならないこと。とにかく手探りだった。
 そこでWROと出会った。しかも局長は、あの『魔晄都市建造の功労者』と呼ばれたリーブさんだと言う。ここへ来るしかないと思った」各地の復興事業の傍らで、失われた魔晄炉関連の資料を集めようとした。そこでダナと出会った。





―ラストダンジョン:第26章5節<終>―
 
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