第26章3節 : 荒野に立つ女剣士 |
悪天候も手伝って、市街地を抜けるまでは誰とも遭遇せずに来ることができた。デンゼルの前には分厚い雨雲と、衰える気配のない豪雨に打たれる荒野が広がっていた。 ここから先、徒歩での移動となると時間がかかってしまうし、デンゼルは車を運転できない。そこで街外れに放棄された荷役作業車に目を付けた。名前に「車」と付けられているものの本来は移動を目的として使われる事はなく、車体前方に突き出た2本の巨大な爪で荷物を持ち上げ、リフトの上下で荷役を行うための専用車両だった。1人乗りの操縦席に扉はなく、操縦も立ったままで行う。手元にある2本のレバーとハンドル、足下のブレーキペダルで車体の稼働停止、方向転換からリフト上下動など全てをまかなっている。ふつうの車よりも構造は単純で操作も簡単だった。 それは6年前のエッジ建設の際、大人達が使っていたものだ。デンゼル達が数人がかりで運んだ資材も、あれを使えば一人でさらに何倍もの量を一気に運ぶことができた。やがて交通網も整備され、大型輸送車両が登場するとメインの役目は取って代わられたが、今でも港などで荷役に使われている。しかしここの作業車は、たまに子ども達の遊び場として利用されている程度でしかない。大人達に知られてしまうと、これも撤去されてしまう。だからここを知っているのは街の一部の子ども達だけだった。 用途が荷役作業というだけあって走っても速度は出ない。だが徒歩よりは随分マシだ。バッテリー充電式でなんとか今でも動く。充電用のバッテリーは今も子ども達が廃材から拾い集めて来た物を利用していた。 とにかく今は変電所まで走ってくれればそれで良かった。運転方法は遊んでいるうちに覚えた。デンゼルは動力を起動させると、ハンドルに手を置いた。 「大丈夫、いつも通りやればうまく行く」 たたきつける豪雨に視界を遮られながらも、操縦には影響が出なくて済みそうだ。デンゼルは力一杯レバーを引き、作業車を稼働させると全速力で変電所へと向かった。 「よし! これなら後15分もかからない」 ここまではデンゼル自身が思い描いていた以上に順調だった。でもまだ気は抜けない。自分に言い聞かせるようにして、ハンドルを握る手に力を込める。申し訳程度の舗装しかされていない路面は、ゆっくり走るだけでもかなり揺れた。これは注意しないと、突き出た岩に爪が引っかかって走行に問題が起きる可能性も出てきそうだった。路面状況の確認をと、顔面に叩きつける雨粒を左手で拭いまぶたを開けた次の瞬間、デンゼルは見たくない物の影を目にした。 「げっ!」 豪雨に曇る視界の向こう、地上の土砂を跳ね上げ凄まじいスピードでこちらに向かってくる影が見えた。しまったと口にする余裕もなく、デンゼルはハンドルを握り直す。 ガードハウンドだ。見えた影は3つ。 (……よりによって何で!) デンゼルはまだ身を守る術を持たなかった。銃でも持っていればここから撃てたのだろうが、仮にあったとしても俊足のモンスターを相手にするにはそれなりの技術と経験が必要だ。それに作業車は小回りがきくものの、速度は出ない。モンスターに囲まれたら終わりだ。 (どうすればいい?) 考えているうちにも両者の距離はどんどん縮まっていく。これが普通車であってもメーターぎりぎりで走行してどうにか振り切れるほどの速さだ、このままだと後20秒ほどでデンゼルの喉元に噛み付かれる計算になる。 (どうしよう!) 思わずハンドルから手を離し、投げられる物はないかととっさに辺りを探してみた。作業車には何も積まれていないし、持ってきた鞄の中身は変電所の見取り図、携帯電話、お菓子……武器の代用品どころか、投げられそうな物は1つも無かった。車から降りて逃げたとしても、この距離ではすぐに追いつかれてしまう。 どうしたらいいのか分からなくなって、デンゼルはとうとう頭を抱えた。もうダメだ、お終いだ。 (ごめんなさい) 覚悟と言うより投げやりになったデンゼルの耳に、希望の声が聞こえてきたのはこのときだった。 「手を離すな! しっかりハンドルを握れ!!」 その声にはっとして顔を上げる。目前に迫ったガードハウンドの前に、もう1つ別の影が見えた。黒いマントを靡かせてそれは一瞬にして視界から消える。と、同時にガードハウンドが悲鳴と血飛沫を上げて次々と路肩に横たわった。 目の前で何が起こったのかを理解できず、ぼんやりと立ち尽くすデンゼルは再び一喝される。 「聞こえなかったか? しっかりハンドルを握れと言っただろう!」 その声で我に返ってハンドルを握り直す、危うく路上の石を撥ねて岩盤に乗り上げるところだった。ホッとため息を吐くのも束の間、デンゼルは声のする方向に顔を動かしたが、姿は見えない。 「あ、あれ?」 きょろきょろと顔を動かすデンゼルを諭すように声は続く。 「ただでさえ覚束ない運転なんだ、しっかり前を見ろ」声の主はデンゼルの目の前に立っていた。突き出た爪の上を歩きながら、持っていた剣を一度大きく振り下ろすと鞘に収めた。それからマストに寄りかかって上目遣いにデンゼルを見上げた。黒いレインコートを羽織った出で立ちからしても、単なる通行人とは思えない。「そんな運転だと、モンスターに襲われるまでもなく自滅するぞ?」 「……誰ですか?」 「単なる通りすがりだ」 「単なる通りすがりの人が、あんなに鮮やかな剣さばきをするとは思えませんけど?」 「通りすがった人であるには間違いない。そもそも君は助けられたのだから、先ずは礼を言うものではないか?」 素っ気ない口調で切り返されて、一方その言葉で思い出したように慌てて頭を下げてから言い直す。 「あ、ありがとうございます。俺はデンゼルです、あなたは?」 問いかけてから不自然な間があった。しかし返ってきたのは、またも素っ気ない返答だった。 「……人前で名乗る名前は……考えてなかった」 そう言って視線をそらす。思わずデンゼルは反論した。 「そんなの良いですよ、親からもらった名前をふつうに教えてくれれば!」何を気取っているんだと言いかけたところで、思いがけず真剣な口調で返答があった。 「こうして剣を持つときは、親からもらった名は捨てる。私の中での決め事なんだ」それからフードを取って、再びデンゼルに顔を向けた。自分の顔にまとわりつく不揃いな茶褐色の髪をうっとうしげに梳きあげる仕草を見て、デンゼルははじめて気が付いた。驚くことに剣を振り回してモンスターを一刀両断した人物は、女性だったのだ。 「あ、あの……」 「『エルフェ』、私をそう呼んでくれた者達もいる」 それだけ言うと彼女は再びフードをかぶってマストに背を預けた。いったいこの人は何者なんだろう? デンゼルは不思議に思いながらも、彼女が悪い人では無いような気がして、それ以上は何も聞かずにいようと思った。 ―ラストダンジョン:第26章3節<終>―
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