第24章1節 : その男、タークスにつき




「……ツォンさん。その記事、信じるんですか?」
 そう言って、ツォンの背後から訝しげな視線とともに問いを向けたくなるのも無理はない。記事の投稿日は明らかに改ざんされているし、情報の出所はおろか投稿者の身元すらも不明だった。こんな物ではゴシップにすらならない。そもそも記事の内容に信憑性がまるでない、というかデタラメだ。読むだけ無駄とすら思えた。だから、そんな物をじっくり読んでいるらしいツォンが、何を考えているのかと尋ねたくなるのは自然なことだとイリーナは思った。
「たしかに信用に足る要素はないが、嘘と断言できるだけの根拠も揃っていない。……その意味では興味深い記事だと思う」
「だいたい『ヤマネコ』って何ですか?」
「ネコ、だろうな」
 ツォンが口にした言葉を最後に、場はしばらく気まずい沈黙で満たされた。当然ながら彼女はそんなことを聞いたのではないし、ツォンもそんなことを聞かれている訳ではない事も分かっていた。しかし、それ以外に答えようがない。
「まさかケット・シーと引っかけてる、ってだけじゃないですよね?」
「そうかも知れないが、現時点で記事の投稿者の意図を類推しようにも、手がかりがこれだけではな」
「ヤマネコが居るならウミネコだって……」
「ウミネコは鳥だ」
「じゃあそもそもケット・シーだって『ネコ』じゃありませんよ!」
 発言者の意図とは全く別の方向に傾いてしまった機嫌を、今後どう修正していくべきかツォンは僅かに悩んだが、今はそれどころではないのだと思い直して画面の表示と思考を切り替えた。
 先程から幾度か経路を変えて試みているが、飛空艇師団中央管制とのコンタクトは未だに成功していない。先ほどの記事は、気分転換も兼ねて開いたページで偶然見かけた物だった。イリーナの指摘した通り信憑性は薄い記事だったが、それでも何か興味を惹かれたのは確かだった。



「……それにしても」
 席に戻ったイリーナは、ディスプレイに次々と現れる情報を追いかけながら、興味深げに呟く。
「ツォンさんが見つけたこのデータって、よく考えてみたらちょっと変わってますよね?」彼女は隣の端末に表示されているデータに目をやった。
 名を呼ばれたツォンは視線を向けると、短い返事と共に顎を引いて言葉の先を促した。イリーナが見ている画面には、全ての発端となったデータ――以前にWRO使途不明金疑惑の内偵調査を進めていた際、機関のデータベースから無断借用したもの――が表示されている。先ほどのゴシップ記事よりは、よっぽど信憑性と重要度が高そうですよ。とでも言いたげな眼差しをディスプレイに向けながらイリーナは話を続けた。
「これって全部、建材調達に使われたって事ですよね? だとしたら正確には『使途不明金』ではないと思うんですが」数字で埋め尽くされた画面上に指を当てると、時間の流れに沿って指を滑らせた。
 彼女の指摘通り、一見すると建材調達費の収支データでしかない。しかしこのデータの真価は、建材の購入量とかかった費用、実際に各地の復興事業のために使われた量、さらに事業の進捗状況を参照しているところにあった。そうすることで、購入されたまま使われない建材がある事実を示している。数値だけで言えば1件1件の差異は辛うじて誤差の範囲と言えなくもないが、累積するととんでもない量の建材が消失していることになる。
「データが事実なら、これだけ膨大な量の建材が何に使われたのかが不明だ」購入された建材に金銭的な価値があるか否かという判断は保留とした上で、建材購入がロンダリング目的という可能性も否定は出来ない。そもそもこんな量の建材が跡形もなく消えるというのも考えにくい、つまり建材の購入量を水増しした架空支出だった可能性もある。今回、シェルクに建造中のWRO新本部施設の構造解析を依頼したのは、この可能性を検討するのが第一の目的だった。
 建材流用が無ければ、完全に『使途不明金』だ。今のところどれも実証はないが、いずれにしても不審な点は多い。「実際、我々と同じ事を考えている者は内部にもいた様だしな」
 現時点で彼らに心当たる名前は無かったが、このデータ作成者こそWRO隊員にして元都市開発部門のダナだった。
 建材費を中心にして緻密に整えられた費用データは、さらに各地域の復興事業の進捗状況を参照しつつ約3年にもわたって記録されていた。その事からもデータ作成者の明らかな意図、半ば確信めいたものを感じた。こんな大量のデータだ、いくらなんでも一朝一夕にとはいかない。
「だとすると、3年前から始まったって事ですか?」顔を上げて問い掛けたイリーナの言葉に、ツォンははっとした。
(そうだ、なぜ“3年前”からなんだ?)
 このデータの作成者がWROに入隊したのがその時期なのか? と考えたが、おそらく違うだろう。ここまで細かく記録を整理するような人物が疑念を抱いたのなら、自分が入隊する以前からのデータを徹底的に洗い直すだろう。それこそWRO発足当初、“姿無き出資者”の支援を受け入れ始めた頃にまでさかのぼるはずだ。でなければ、資金の流れの全容を把握することは不可能だからだ。
 ではこの記録が始まった3年前に大きな異変があった? ある時点を境に何かが変わった、その正体は分からないが、異変を契機に記録を取り始めたと考える方が自然だ。
(3年前……?)

 ――オメガ戦役。

 思い浮かんだのはそれだけだった。確かに3年前のあの事件で、WROは多大な犠牲を強いられた。その頃から軍備拡張を推し進めて来たとする見方もあるが、真相は定かではない。あの混乱の中、WROに何が起きていたのか? ツォンは考えてみたが、どれも憶測の域を出ることはなかった。
 ただ、どちらにしてもこの費用データは内部告発のための資料として充分な力を備えたものだった。言ってみればこの武器を使えば、WROに致命傷を負わせることができる。
 にもかかわらず、これが公表された形跡は今のところどこにも無い。WROデータベース内でもセキュリティロックがかけてある場所に保管されており、そう易々とはアクセスできない仕様になっていた。
「でも、外部に公表するつもりがないのに、こんな物をわざわざ?」
「これを使って脅迫を企んでいたと言うなら、まだ分かるが」交渉の切り札は、必要なときまで厳重に保管しておくのが鉄則だ。
「隊員が局長を……ですか?」
「もはや私設団体とは言い難い規模にまで成長したからな、当然そこには利権も生まれる。おおかた狙いはその辺りだろうな」
 反論をあきらめ黙って画面に視線を戻したイリーナの横顔を見つめながら、ツォンは思った。「彼女はこの仕事に向いていない」と。
 メンバーの中で神羅カンパニーへの入社が最も遅く、また在任期間も短かった彼女は、任務を通して“世界の暗部”に触れる機会が少なかった。それは彼女にとって幸運であり、同時にこの仕事に向かないと思う一番の根拠になる。
 彼女は事態を予測できないのではない、予測したくないのだ。だから反論も同意もせずに目を逸らした。そんな彼女の性格はタークス向きではないと言わざるを得ない。しかしながら、だからこそ彼女は必要なのだとも思う。
 正直なところ心情的にはイリーナに同意したかった。いま口にした話がすべて自分の思い過ごしであればいいと、内偵調査を始めた当初から思っていた。しかし調査を進めれば進めるほど疑惑の色は濃く、混迷の度は深まるばかりだった。
 リーブは星を救った英雄であり、元神羅カンパニー都市開発部門統括、神羅解体後は私財を投じてWROを設立し局長を務めるという変わった経歴の持ち主だ。かつてタークスが神羅内で孤立無援になった時、社命に背くことを知りながらも彼は密かに協力してくれた。その一件を知るからこそ、彼が私欲に走る男でないことは分かっている。今でもそれは変わっていないのだと信じたい。それを証明するための内偵調査だと、自分に言い聞かせていた。
 なにより、任務を途中で放り出す訳にはいかなかった。たとえ結果がどうなろうと、完遂しなければならない。これだけは、どうしても曲げられなかった。

 なぜならば、それがタークスだから。
 神羅がなくなってからも、彼はタークスとして生きることを選び、今もそれを実行している。
 かつてタークスを救う手助けをしてくれたリーブに報いることができるのは、タークスである自分の役目だと信じていたからこそ、曲げるわけにはいかなかった。





―ラストダンジョン:第24章1節<終>―
 
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