第21章4節 : 交渉の切り札




『リーブさん、まだ聞こえていますよね?』
 手にした携帯電話のスピーカーから聞こえてくるマリンの声に、リーブは答えようとしなかった。それでも、マリンの声は一方的にこう続いた。
『リーブさん、話してくれませんか? どうしてこんな事をしたのか。これから何をしようとしているのか』
 みんな不安なんです。と、最後に告げたマリンの声は小さく揺れていた。
 バレットの電話を手にしたままだったリーブは、何も語ろうとしなかった。最初から、彼らに何かを話すつもりはない。また彼らとの取引に応じる気もなかった。セブンスヘブンに向かわせた人形を破壊された今、この通信を維持している目的は彼らの動向を探るためでしかなかったからだ。
 通信越しに返答を待つマリンと、沈黙を続けるリーブとの間の膠着は、マリンの意外な言葉によって破られた。
『……話す気がなくても、話して貰います。……リーブさん、私は』
 意を決したようなマリンの声、だが彼女の言葉が途切れる事は無かった。

『この部屋にいる全員を人質に取っています。もちろん、あなたの大事なケット・シーも』

 6年前。ミッドガル伍番街のあの家で、かつてリーブがそうしたように。



「まっ、マリン……!?」自分達にナイフを向けるマリンの姿を目の当たりにしたしたデンゼルは、思わぬ展開に続く言葉を失った。彼女の手に握られているナイフが、たとえ殺傷能力のない食卓用ナイフだったとしても。
 しかし、これを好機と捉えたのはヴェルドだった。
「よさないか! そんな物を人に向けるんじゃない!」
「黙って! 人質は大人しくして下さい」
 鋭く言い捨てるのとは裏腹に、マリンはにこりと微笑んで見せた。その顔を見てヴェルドは悟る、彼女の真意はどうあれ、リーブに一芝居打っているのだと言うことに。
 音声通信ではこちらの音と声が聞こえても、状況まで正確に把握する事は出来ない。先ほどケット・シーが言った事が正しければ、リーブには通信を経由した「音」しか聞こえていないはずだ。それを逆手に取ったのだ。
 あとは決定打が欲しかった。リーブを切り崩すとまでは行かなくても、動揺した隙を突けばいいのだ。
 本来、こういった心理誘導ならリーブの方が得意なのだろう。しかしこうなれば一か八か、賭けてみるしかない。
「リーブ、聞こえているか? ……さっき言ったのは嘘だ。お前が欲しがっていたデータなら俺が持っている。持参したアタッシュケースの中にしっかり収めているよ。ただ残念ながら俺にはこのデータが示しているものが何なのか、皆目見当も付かなくてな。ここへ来れば何かしら手がかりが見つかると思ったんだが……」
 話を続けながら、ヴェルドは手元に残った紙に走り書きしたものを示してみせた。
    このまま続けるんだ。
    我々は、君の人質だ。
 それを見てさらに困惑を深めたデンゼルに、大丈夫と言うようにマリンが頷いてみせる。ヴェルドの意図を完全に理解しないまでも、ケット・シーは畳みかけるようにして問い掛けた。
『なあ、リーブはん。なんでか分からんけどボクは今、異常動作を起こしとる。定期メンテナンスをサボっとったお陰かも知れんな。でも、それだけやとは思えへんのや。リーブはんなら、心当たりあるやろ?』
 呼びかけてみたものの、やはり返答はない。それも承知の上だと言うように、さらにケット・シーの言葉が続く。
『実を言うとこの現象……“システムエラー”に心当たりがあるねん。他に同じボディがあったとしても、どうしてボクだけにこの現象が起きたんか。……リーブはん、もしかして今回の騒動ってこのエラー現象と関係あるんと違うか?』
 ケット・シーの言葉を聞いて閃いたヴェルドは、口調を早めて後を追う。
「他にも複数ある同型の機体、それでもエラーを起こしたのはここにいいるケット・シーただ1体のみ。だとしたら、自ずと答えは見えてくるな。……そう、この機体が保有する『エラー因子』の存在だ。俺が理解できず、お前が欲しがったデータの正体。それはこのエラー因子について記された物だった……という訳か」
 口に出した推測が正しいかどうかと言うことは、今は大した問題ではない。
 ヴェルドの言葉に、今度はデンゼルが問い返すようにして言った。
「良く分からないけど、ここにいるケット・シーが他のケット・シーとは違う。っていう事は……」
 続けようとした言葉を遮ったのは、スピーカーから聞こえてきた声だった。
『みなさんの勝手な推論で盛り上がるのは結構ですが、生憎とこちらには時間がありませんので、この辺で失礼させて頂きますよ』
 淡々とした口調で告げると、半ば一方的に通信は切断された。結果としてヴェルドの思惑どおりに事は運んだ。
「万が一通信を回復されるとまずい。すまんが、いったん端末の電源を落としてくれ」
 その言葉に振り返ったマリンが、急いで端末本体の電源ボタンを押す。その様子に慌てたケット・シーが、自分と端末を繋いでいたデバイスケーブルを本体から引き抜いた。
『…………。ま、マリンちゃん。今度から端末の電源落とす時は、ちゃんと手順踏んでーな? こんなに可愛い顔しとるけど、ボクも中身は一応、精密機械やから』そう言って実際に発汗はないものの、汗を拭うようにして額の辺りに手をやった。
「ごっ、ごめんなさい」
 しょんぼりと肩を落とすマリンに向けて、声を掛けたのはヴェルドだった。
「それにしても君の機転に助けられた、ありがとう」
「リーブさんの真似をしてみただけなんですけどね」
 手にしていた食卓用ナイフを、置いてあったテーブルの上に戻したマリンは振り返って笑った。
「手本が悪い上に、にわか仕込みだったにしては真に迫る名演技だった。俺がまだ現役ならスカウトしたいぐらいだよ」穏やかな声でそう言うと、ヴェルドも目を細める。
「……嬉しくありません」どうせスカウトしてもらえるなら女優さんとかの方が良いですと、いたずらっぽい笑みを浮かべて反論したマリンに驚いた表情を向けると、彼女は続けてこう言った。「おじさんの顔を見れば、どんなお仕事をしていたのか、だいたい想像できますから」
 それを聞いたヴェルドは、今度こそ小さく溜め息を吐いてから降参を宣言する。
「どうやら君には敵いそうもない」
 続けて(彼女の父親は大変だろうな)と声には出さず呟いた。それは嘘偽りのない、ヴェルドの本心である。





―ラストダンジョン:第21章4節<終>―
 
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