第19章6節 : 子ども騙し




 喧噪から解放されたセブンスヘブンの薄暗い店内では、壁掛け時計の秒針が規則的に時を刻む音と、外で降りしきる雨の音、そこに少年の嗚咽が混ざり合って不気味な三重奏を奏でている。
 そんな店内のカウンターに立ったまま、店の主でもないヴェルドはそこを動けずにいた。
 通話切断後に現れた簡素な待ち受け画面が静かに姿を消すと、ディスプレイには持ち主の顔が映り込んでいた。バックライトも消灯し完全な待機状態に移行して尚も、彼は携帯電話をしまおうとしなかった。その姿をたとえるなら、念願かなって新しい端末を購入した喜びに浸りながら電話に見とれている若者のようだったが、残念ながら彼が持っているのは新機種ではないし、持ち主は若者でもない。電話をしまうことに意識をやる余裕がなかった、というのが正確なところだ。
 彼の頭の中では今し方聞かされたリーブの言葉が幾度も繰り返され、その意味するところを見出すことに集中している。
(例外、か)
 世の中にはあらゆる法則や規律、掟が存在することで秩序が保たれている。一方でそれらの殆どが必ずと言って良いほど『例外』を認めている。一見すると本則とは相反する例外にも、年齢を重ねるにつれて自然と寛容になれるものだ。元タークス構成員という経歴の持ち主であるヴェルドが、ここに今こうしている事が既に例外によって成立している現象だった。そんな経緯もあって、例外に対して他よりも寛容な考え方の持ち主だと彼自身は思っていた。
 だが先ほど示された『例外』についてだけは、どうも釈然としない。

 ――「人間が自分の余命を知る方法なんてありません。」

 命あるものはいずれ必ず死を迎える、それはどんな生物にも普遍の法則として古来より君臨し続けている。事故か、病気か、自然的あるいは人為的な原因によるものか――訪れる死の存在を知っていても、自分がいつ、どういう形で直面するのかは誰も知らない。知る術がない。いずれにしても自分の身に将来起こる出来事を、事前にすべて正確に把握する事など不可能なのだ。
 そのはずなのに、リーブはそこにも『例外』があると言い切った。
 言わばこれは簡単な謎かけだ。ヴェルドには簡単すぎてすぐに答えは導き出せそうにも思えた。しかし、それを容認できるかと問われれば、答えは否だ。
(そんなもの、俺は認めない)
 勢いよく携帯を折りたたんで、ヴェルドは顔を上げた。
 謎かけの答えはいたって簡単だ。未来を予知する手段がなければ、いま頭の中で思い描いている未来像を実現させてしまえば良い――カウンターに置かれたままのチラシに視線を落とし、自嘲するように口元を歪めた。そんなことを苦もなく思いついた自分自身に落胆したからだ。かつての神羅カンパニーがそうであったように、自分やリーブ、そこにいた人間は皆、知らぬ間にこんな傲慢な考えを持つようになってしまったのだろうか? そんな考えが脳裏をかすめた。
 チラシの裏にびっしりと記されていた、およそ3年前から続く記録。恐らくそれは、予知できない未来をリーブが自らの手で作り出そうとするための原案と、それに基づいた経過記録だろう。
 死がいつ訪れるか分からないならば、あらかじめ自分で設定すれば良い。つまり死という最終納期を定めたうえで、リーブは何かを成そうとしている。常人からすれば自棄以外の何ものでもない、常軌を逸した行動とも思えるそれは、しかしながら綿密に練られた計画の上に存在している事をチラシの裏の記録は示している。
 現時点で計画の先に何があるのかは分からない、分からないまでも何かを目指してリーブが動いているというのは明らかだった。同時に、どんな状況や内容であれ手際よく着実に事を進めるあたりが実にリーブらしいと思った。長年にわたってミッドガルの都市開発に取り組んできたリーブは、タークスのように身体能力や戦術に長けている訳ではない。しかしながら期限までに仕事を完遂させるというスタイルは両者に相通じるところがある。神羅時代を思い起こしながら、ヴェルドはカウンターを出た。
 ついさっき自分がばらまいた皿の破片が散らばる床の上に、それは倒れていた。機能を失ってしまえばただの人形だ。膝をついて人形に顔を近づけると、弾痕の残る額に触れた。指に付着した朱色の液体を眺めると、苦笑を抑えきれずに喉を鳴らす。
「……子ども騙し以下の演出だな」
 手に付いた物を認識し、それが正しいかどうかを自らの舌で確かめる。思った通り、それは食用ソースで肉を煮詰めたスープだろうと分かった。余談にはなるが、これは彼の亡き妻が得意とする料理の一つだった。しかもなかなか美味くできていることに思わず眉をしかめる。
(当てつけか?)
 一瞬そうとも考えたが、リーブがそこまで知るはずはない。こうして余計なところに考えが及ぶということは、集中力を欠いている何よりの証拠だ。ここで感傷に浸るつもりも暇も無いが、この事態を前にして少なからず動揺しているのは認めなければならない。
 不要な思考を頭の中から追い出すようにして、ヴェルドはため息を吐いた。
 それにしても、わざわざそんな物を遠隔操作している人形の頭部に詰めておく事に一体なんの意味があるだろうか? 人間のそれに見立てた演出だとしたら陳腐だし、それ以前に演出者の品格を疑う。よもやこんな物で元タークスを欺けるとは思っていないだろうが、こちらの動揺を誘う目的であったとしてもお粗末すぎる。職業柄、過去に携わった任務には過酷な現場も少なくなかった。頭蓋骨の損傷によって中の脳髄をさらけ出したまま転がる遺体も目にしたこともあったが、こんな生易しい物ではない。
 どちらにせよ見くびられたものだと、舌打ちをする。
(……まさか俺に試食させる為に詰めておいた訳でもあるまい)
 迷走した挙げ句、浮かび上がったあり得ない結論を即座に否定し苦笑した。考えるだけ無駄だ。そうと頭で分かっていても、このまま放っておくのは腹立たしい。
「本当に子ども騙……」
 二度目になる言葉を口にしかけたところで、はっとして顔を上げる。脳裏に再生されたリーブの声と重なるようにして、秒針の音と叩きつける雨の音が耳の奥に纏わり付いてきた。さらに遠くの方で微かに響く雷鳴を聞いた。

 ――「これ以上“子ども達を傷つけないようにしてあげて下さい”ね。」

(しまった……)
 そう思って視線を向けた先には、床に転がっていた水鉄砲を手にした少年が立っていた。窓から差し込む稲光に浮かび上がった少年は泣き濡れた顔を向けながら、「大人なんて嫌いだ」と声と肩を震わせた。言葉はさらに、ヴェルドのような人間はもっと嫌いなのだと続く。
 この時、目の前の子ども騙しにまんまと引っ掛かったのが、少年ではなく自分の方だった事にヴェルドは気付いたのだ。





―ラストダンジョン:第19章6節<終>―
 
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