第19章5節 : ヴェルドの義戦 |
神羅カンパニー総務部調査課、通称タークス。恐らくは神羅内で最も構成員が少ないであろうこのセクションが取り扱う業務内容は、人数とは反比例して幅広く多岐にわたり、しかもほとんどの場合が危険を伴う困難なものばかりだった。その一部を例として挙げるなら、内偵調査や隠蔽工作、時には暗殺まで手がける特殊――言ってみれば会社として表沙汰にできないような案件を、時には非合法の手段を用いてでも片付ける――部隊として、水面下で活躍していた組織である。 そんな業務の性質ゆえに一般社員や兵士の採用とは異なり、志願する者なら誰にでも門戸を開いている訳ではなかった。狭き門どころか、たいていの者はその入り口すら見つけられずに終わる。優れた身体能力、卓越した知識、正確な状況把握能力と咄嗟の判断力、それら全てを満たす選りすぐりのエリートばかりで構成されたこの部署に配属される事は、彼らにとって最高の名誉だった。タークスの正式メンバーとなった彼らには高額の給与と豊かな生活の保障が与えられ、なによりもタークスである事への誇りを手に入れることが出来た。しかし同時に、彼らは様々な制約に縛られる事になる。その最たるは、『死亡以外の理由で神羅を退社する事を許さない』という厳しい掟である。つまり彼らは会社に命を捧げ、最期まで運命を共にすることを義務づけられていた。 ジェノバ戦役が始まるよりも前、ヴェルドはこのタークスに所属していた。しかしある時期に、彼の記録は神羅のデータベース上から人為的に抹消された。さらにその後の混乱によって彼の記録はほぼ永久的に失われたと言って良い。故意と偶然によって歴史の闇に葬り去られた彼の記録は、今や一部の人間の記憶にのみ残るだけである。その中には、都市開発部門所属のリーブも含まれていた。 たとえ記録は抹消されていたとしても、彼自身の能力を消すことはできない。年を重ねたとは言え、まともに戦って生身のリーブに負けるようなことはないと、ヴェルド本人にもその自負はあった。たった1つの懸念要素を除けば。 (……異能力、か) リーブの持っている『インスパイア』という能力の詳細について、ヴェルドが得ている情報は少ない。もともと公表されている能力でもないし、在社中も本人が好んで口に出す事は無かったからだ。神羅を離れてからは――追われる身になったヴェルドから部門の統括責任者と接触を図ることは容易ではなく、その後もメテオ災害の混乱と猛威を振るった星痕症候群、さらにオメガ戦役と続き――ほとんど連絡を取り合う事もできず今日に至った。日陰の道を歩んできた自分とは違い、神羅の重役どころか今や『世界を救った英雄』の1人に名を連ね、なおも世界の表舞台で活動を続けるリーブは、メディアを通してこちらが一方的に知るだけの存在となっていた。 先日W.R.O本部に侵入した際、施設内で出会った隊員がオメガ戦役の事も語ってくれた。そこでリーブが「人形をまるで生きているように操る」能力の持ち主だと知った。操るのはケット・シーのようなぬいぐるみではなく、等身大の人形である。そして、その原理を知る者は誰もいないとも言っていた。 となると、いま目の前に立っている『リーブ』も生身ではない可能性がある。店に入ってきたリーブと最初に顔を合わせた時から、妙な違和感はあった。どれだけ念入りに若作りをしても、生身の人間がここまで若返る事は不可能だと思ったからだ。外見はごまかせても体組織の老化を抑制する方法は(一部の例外を除き)存在しない。だとすれば、これこそが「まるで生きているように操られている人形」なのだろう。 操作原理はどうあれ、“自分の若い頃の姿に似せた人形を操る”というのは、いかなる気分なのだろうか? そんな疑問がふと浮かぶ。 (もともと少し変わった奴だとは思っていたが) その度合いが少しどころではなく相当だと思い直したのは、この時である。 こうして両者が向き合ったまま、膠着状態がしばらく続いた。この状況は視界のないヴェルドにとって頭の中を整理する事と、室内に充満した催涙剤の濃度が薄まるまでの時間稼ぎという2つの点で有利に働いた。少年が噎せている声を聞くと、リーブの言うとおり彼の生命に危険は及んでいない事を知って内心で安堵し、次に取るべき行動を考える。 カウンター伝いに移動していたヴェルドは、自分が持ち込んだアタッシュケースに手を伸ばそうとした。そのとき足に触れた異物感に気付いて、動きを止める。頭の中で店に入ってから見た光景を元にこれまでの状況を整理し、床に落ちているものの正体をデンゼルの手から落ちたトレーだと特定する。 床とトレーの間の隙間を利用し、つま先でトレーを蹴り上げると宙に浮いたそれを手の中に収めた。対峙した相手が水鉄砲なら、こちらの武器はこれで充分だ。ヴェルドは言い放つ代わりにトレーを持った方の手を大きく振り抜いた。トレーの空気抵抗を利用して、室内に対流を起こそうというのが狙いの1つではあったが、目を開いたヴェルドは次の瞬間、反射的にトレーを眼前に構えていた。 開けたばかりの視界がとらえたのは、リーブが手元のレバーを引き銃身の先端から“水”が出るまさにその一瞬だった。身を守る為に取った咄嗟の行動は、タークス時代の鍛練の賜と言えるが、自身に迫る重大な危機を認識したのは、直後に嗅いだ刺激臭と、大きく歪んだトレーを目の当たりにした時だった。 (溶剤!?) 手にしたトレーの材質と変形具合から、思い当たる試薬はいくつかある。そのうちどれであったとしても、人の皮膚に付着すればただ事では済まない。そしてここへ来てようやく、リーブが最初に濃度を薄めた催涙剤を使った事の意図に思い至った。彼は水鉄砲から射出する溶剤が持つ独特の臭気を事前に悟られないよう、カムフラージュするのが狙いだったのだ。 自らの浅慮を悔やもうにも、ヴェルドには猶予がなかった。今は溶剤の種類や濃度を特定することよりも、まず相手の動きを封じる方法を考えなければならない。と同時に、持っているものが水鉄砲でも、それを向けてきたリーブは本気なのだと今さらながらに改めて思い知らされた。 ヴェルドはすっかり変形したトレーをリーブの顔面めがけて投げつけた。回転しながら真っ直ぐに飛んでいったトレーは、いびつに変形しているため当たる角度が悪ければ裂傷を負わせることのできる凶器になっていた。リーブの意識が逸れた僅かの間に、ヴェルドはカウンターに置いた手を支えにして床を蹴ると、反動を利用してそこを軽々と飛び越えた。 こうして先程デンゼルが立っていた場所に立つと、開店前と言うだけあって厨房内の器具類はきれいに整頓されていた。振り返って手近にあった食器棚から数枚の皿を拝借すると、振り返りざまそれらを投げ放つ。皿はリーブに辿り着く前に床に落ちると、けたたましい音を立てて割れた。うずくまっていたデンゼルが、驚きのあまり肩を振るわせ涙に濡れた顔を上げる。 皿が割れ床に散らばる音に乗じて、ヴェルドは懐から素早く取り出した拳銃の引き金を引いた。消音器の効果も相まってその動作に気付いた者はいない。弾はリーブの腕に命中し、持っていた水鉄砲が床に落ちた。 「そこまでだ!」 宣言するように言い放ったヴェルドの声に、撃たれた方の腕を押さえながらリーブは顔を上げ淡々と返す。 「……優しいですねえ。でも、これだけでは相手の動きを完全に封じたとは言えません」 利き手ではないものの、まだ片方の腕が残っている。そう言って無事な方の手で床に落ちた水鉄砲を無造作に拾い上げると、再びその銃身をヴェルドへと向けた。 そうされても尚、動じる事なくヴェルドは笑顔で応じた。 「さっきの言葉、もう忘れたか?」 任務の遂行――目的達成を阻むものに対し決して容赦はしない。それはタークスとしてのヴェルドが掲げた信念であり、今の自分自身に課した責務だった。 言ってから間を開けず、ヴェルドは立て続けに3発の銃弾を撃ち込んだ。リーブの手にしていた水鉄砲は再び床に転がった。 「相手の腕と足を狙う。……たしかに、これで相手の動きを封じる事はできましたね。マニュアル通りの完璧な対応です」 どこか他人事のようにリーブは言う。ふつうの人間なら両腕両足に1発ずつ被弾した状態で、こんな冷静に立っていられるはずはない。どんなに訓練を受けた人間でも、痛みによって行動が抑制されるからだ。 「ですがマニュアルはあくまでも人間に対してです。私にも通用するとは限りません」 (……やはりお前は、人間ではなく人形か) どこか呆れたような心持ちでヴェルドは入り口の前に立ったリーブを見つめた。リーブは笑顔になるでもなく、ただじっとこちらを見つめて立っている。 わざとらしく大きな溜め息を吐いてから、ヴェルドが告げる。 「お前は病気なのかと、少年が心配していた」そう言って、うずくまっているデンゼルの方へ顔を向けた。リーブは何も反応を示さなかったので、ヴェルドは話の先を続けた。 「俺も最初は彼と似たような事を考えた。……そうだな、病気なのかも知れないし、他に何らかの事情で自分の余命を知った、あるいは知ってしまったのではないかと。それで自棄を起こした結果が一連の行動だったのではないか? とな」 そこまで言い終えるとリーブからの返答を待った。 ずいぶん長い沈黙があったような気がする、それでもヴェルドは黙って待った。ここで根負けするようでは何も聞き出せずに終わってしまう。 やがてリーブは小さな声でぽつりと呟いた。「違いますよ」 ぎこちない動作で床に転がった水鉄砲を三度拾い上げる。袖口から見える赤いものに気付いて、ヴェルドは眉をしかめた。 「まずもって人間が自分の余命を知る方法なんてありませんからね」 感情も抑揚もなく、それは言葉としての意味だけを持ってヴェルドに伝えられる。操られた人形は、痛みを感じないのだとでも言うように。 「……そうか」 落胆したように答えると、ヴェルドは躊躇わずに引き金を引いた。この距離から標的に当てるのは難しい事ではない。たとえその的が、昔なじみと同じ姿形をした物であったとしても。こうして5発目の弾丸は、リーブの顔面を正確に撃ち抜いた。 頭部を撃たれ機能を停止した人形は、しばらくの間その場に立ち尽くす格好でいた。その様子はまるで、戦場で自分が撃たれたことを理解しないまま死を遂げた兵士の様にも見えた。額の弾痕から流れ始めた物が、色こそ似ているものの人間の血液でない事はすぐに分かった。しかし作り物とは言え、こんな物を見せられて良い気分はしない。ヴェルドが意識的に顔を背けた直後、人形はとうとうバランスを崩して床に倒れた。 息をつくヴェルドの耳に聞こえてきたのは、持っていた携帯電話の無機質な着信音だった。目の前の人形が床に倒れるのと同時に、あまりにもタイミング良く鳴った音に驚きこそしたものの、ヴェルドは懐からそれを取り出すとディスプレイを見つめた。しかしそこに番号の表示は無い。発信者非通知という表示には慣れていたし、もともと番号の登録は端末にはせず記憶にするというのがタークス時代の習慣として身についてしまっていたから、この状況でも何ら不自然とは感じなかった。 しかし、今回に限って言えばその習慣が災いした。 しかし、今回に限って言えばその習慣が災いした。 耳に当てた受話口からは、つい今し方まで聞いていたのと同じ声が聞こえてきた。 『人間が自分の余命を知る方法なんてありません。ただし、たった1つだけ例外があります。 ヴェルドさん、あなたはそれに気付いてしまった。ですからこうして“私”がそちらに伺ったのです』 リーブ――おそらくは人形の操り主本人――の声を聞き、ヴェルドは愕然とした。薄々ではあるが、彼はその事実に気が付いていた、だからこそ今日ここに来たのだ。これが陽動だったと言う事にもっと早い段階で気付くべきだったと、今度こそ自らの浅慮を悔やんだ。 『ああ、それからヴェルドさん。これ以上“子ども達を傷つけないようにしてあげて下さい”ね』 それだけを告げると通話は一方的に切断された。 ―ラストダンジョン:第19章5節<終>―
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