第19章4節 : 豪雨の中の訪問者 |
もともと男はそういう声の持ち主だったのかも知れないが、デンゼルは何となく気になったのでグラスを手に取ると水を注ぎ、それをトレーに乗せてカウンターまで戻ってくると、そっと男の横に置いた。少年のささやかな心遣いに男は目を細めると、短く礼を言った。 男の方にはまったく悪気はないのだが、デンゼルにはなぜだかこういう態度がいちいち癇に障るのだと、手に持ったトレーを放り投げようとした。しかしそれも大人げないと思いとどまって「注文はティファがいるときに」と不愉快を隠さずに言い捨てると目の前の男から視線を逸らし、後ろにある店の入り口を見つめた。 つまりデンゼルと向き合ってカウンターに座っていた男にとって、店の入り口は完全に死角になっていた。それでも、異変に気付いて口を開いたのはデンゼルではなく男の方だった。 「……そう言えば君はさっき、『まだ店は準備中』と言っていたな?」 「はい」 「では、ここはかなり繁盛しているようだ」 「え?」 「どうやら俺のほかにも開店を待ちきれないお客がいるらしい」 その言葉に再び顔を上げたデンゼルの視界には、ちょうど店の扉を開けようとしている人影が映った。さっき見た時にはそんなもの見えなかったのに、と呟く代わりにデンゼルは目をしばたたいた。 (おじさん、どうして見てないのに人が来るって分かったんだろう?!) 音もなく静かに扉が開かれると、店内には外の湿った空気と雨の音が流れ込んでくる。時間を追うごとに雨脚は強まっているようだ。少し遅れて、ドアについた鈴の音が控え目な音を立てた。 「あのー、すみません。店はまだ……」 トレーを手にしたままデンゼルは今日3度目になる台詞を口に出そうとしたが、その言葉は最後まで語られずに飲み込まれていった。 開店前のセブンスヘブンを訪れた3人目の客も傘を持っていなかったようで、細身で背の高い男性の着ていた黒いレインコートは雨ですっかり濡れてしまっていた。コートと同じ色の髪の毛も、こめかみに張り付いて水を滴らせている。コートの下には紺色のスーツを着用しており、ネクタイもしっかり締められている。身なりだけを見れば、まだ若い真面目そうなサラリーマンだった。 「セブンスヘブンは、ここですね?」 その男性客は左手を扉に添えたまま、誰にともなく問い掛けた。その声に、カウンターに座っていた男はゆっくりと振り返る。そして、確かめるようにしてその名を告げた。 「……リーブ」 「リ、リーブさん!? この人が?! っていうか何で?」 デンゼルが目を丸くするのも無理はない。彼の知っているリーブといえば、W.R.O局長という肩書きも手伝ってか威厳と貫禄を十二分に備えた、実年齢以上に落ち着いた風貌の持ち主だった。しかし目の前の男性客はどう見ても20歳代ぐらいの、まだまだ威厳や貫禄というよりは若々しさの方が強調されているようにしか見えない。威厳や貫禄はおろか髭までないのだから、彼をリーブと呼ぶには多少の抵抗がある。けれど声だけを聞けばリーブのものに間違いない。それに、よく見てみれば顔立ちも(確かに髭はないものの)現在のリーブを思わせる面影だってちゃんとある。 より正確に言えば、いま目の前にいるのはリーブを若返らせたような容姿の人物なのである。 「おや、ヴェルドさんじゃないですか。あなたがここの常連だったとは知りませんでした」 「お前こそ、わざわざ“そんな姿”でなぜここへ?」 デンゼルの脳裏に渦巻く疑問をよそに、ふたりの会話はどんどん進んでいく。こうなると、どうやら今日3人目の男性客は本当にリーブらしい。そして両者がお互いの事をよく知る間柄だと言うことも会話から分かる。男の言っていた「昔なじみ」と言うのも俄然、真実味を帯びてきた。 「もちろん、あなたにお会いするためですよ。所在を特定するのに少々苦労しましたが、何年ぶりかの再会ですからね、気付かれずに素通りされてしまうのも困りますので、昔の姿の方が良いかと考えた次第です」 「それで若作りしてまで来たという訳か」 ヴェルドと呼ばれた男は席を立つと、カウンターを背にして店の入り口に立つリーブと向き合った。 「あっ、あの!」 訳が分からなくなってデンゼルはカウンターを飛び出すと、向き合う二人を前に立ち止まる。入り口に立っていたリーブは顔だけをデンゼルに向けた。 「……。……デンゼル君、お久しぶりですね。お元気そうで何よりです。ですが残念ながら今日こちらへお伺いしたのは別の用件ですので、お話はまた今度」 妙な間を置いてから、しかも一方的に会話を切り上げると、リーブは再び正面に顔を向けた。それから笑顔もなく淡々と話をはじめた。 「先日、あなたが本部から持ち去ったデータをお返しいただきたいのですが」 「何のことだ?」 「数ヶ月前になりますが、我々W.R.O本部施設に侵入者がありました。その侵入者は司令室から直接データベースにアクセスした形跡があるのです」 「さあ、覚えはないが」 「そうですか。しかし司令室への入室に使われたコードはあなたの旧社員コードだったんです、お心当たりはありませんか」 「見当も付かないな。それにしてもリーブ、俺の旧社員コードが司令室への入室コードになっているなんて、些か不用心じゃないか?」 「もとは予備のコードでしたからね。ですが仮に、この件にあなたが関与していなかったとしても、偶然と片付けてしまうには不自然な点が多いと思われませんか?」 「そうだな、お前の言うとおり確かに不自然だ。まるで『最初から俺を疑うために予め用意しておいた』みたいでな」 「考えすぎですよ」 「だと良いんだが」 笑顔もなくどこまでも淡々と交わされる両者の会話に、デンゼルは不気味さを覚えた。 ただ1つデンゼルにもはっきり分かったのは、ヴェルドと呼ばれた男は嘘をついていると言うことだった。その『嘘』がこれまで自分にしてきた話だったのか、それとも今の会話の中で話している事なのかは分からない。ただ、どちらにしても彼は嘘をつくことを躊躇っていない様だ。 そんな男の態度が癇に障る。 ――いつでも、何もかも分かったような顔をして。 子ども相手だから気付かれないと思って、平気で嘘をつく。 すぐに追いかけるからねと、大丈夫だからと言って背中を向けた母も。 母を連れ戻すから待っていろと言った父も。 自分を抱きしめてくれた人も。手をさしのべてくれた人も。 大人達の誰もが混乱の中、デンゼルに嘘をついた。 嘘をついて、最後には自分だけを置いていってしまう。 ――だから。 (大人なんか嫌いだ) デンゼルは俯くと拳を強く握りしめた。 入り口の扉につけてあった鈴が小さな音を立てた。デンゼルははっとして顔を上げると、リーブが扉に添えていた左手を離していた。閉まりかけた扉を半身で支えながら、あいた左手はコートから覗く長い銃身を支えている。 「こちらの要求に応じて頂けないのでしたら、不本意ですが実力行使です」 「……またずいぶんと」そう言ってヴェルドは銃身を見つめた。 長い銃身だけをみればライフル銃の様にも見えるが、そうでない事はハンドルの上を見れば分かる。通常スコープが装着されている部分には、眩しいほど鮮やかな黄色で着色された楕円形のタンクが取り付けられている。色目を見てもあからさまに浮いた存在のタンクに、デンゼルやヴェルドの視線は自然とそこに向けられる。 「あ、これですか? 市販されている水鉄砲に少し手を加えたものです」 やっぱり迫力に欠けますかね? と本人が述べているとおり、一見すると不釣り合いを通り越して滑稽にも映る光景なのだが、そう語るリーブに笑顔はない。さらに指摘したヴェルド自身にも同じ事が言える。笑顔のかわりにあるのは露骨なまでの警戒心だった。 一方で、向き合うふたりを前にしたデンゼルにしてみれば、いい歳をしたおっさんが水鉄砲片手にどうすればここまで真剣になれるのか、とうてい理解しがたい感覚を持て余していた。お陰ですっかり緊張の糸が切れたのか思わずため息を吐き出そうとした。ところが、またも不意に入り口の扉の鈴が鳴る。 ヴェルドの声がデンゼルに向けられたのは、それとほぼ同時だった。 「目を閉じて息を止めろ!」 言われていることの意味が、というよりも状況がよく飲み込めないでいたデンゼルの目に映ったのは、床に転がった何かと、鈍い金属音だった。声をあげる間もなく、辺りには霧のような煙のようなものが充満し始め、直後から目と喉に強い痛みが走った。 「……っ、な、何だ……よコレ!?」 持っていたトレーが床に落ち、乾いた音を立てながら目の前を転がって行った。それからすぐに、トレーはけたたましい音を立てて床に倒れた。生理的に溢れてくる涙を必死に拭いながら、まるで泣き崩れるようにしてデンゼルはその場にしゃがみ込む。遮られた視界と充満した煙で前はまったく見えない。そんな中、聞こえてきたのはあの男のくぐもった声だった。 「俺ならまだしも、抵抗の術を知らない子ども相手に何をする!」 床に転がった催涙剤の事を察知していたヴェルドは、とっさに口と鼻を覆うように手を当てながら、今までになく感情まかせに声を荒げた。目を開けることは出来ないので足音から互いの距離を推測し、距離を取ろうとカウンター伝いに移動する。小さな鈴の音が聞こえた後、躊躇わずこちらに歩み寄ってきたリーブの姿が瞼の裏にぼんやりと浮かぶ。 「安心してください、薬剤の濃度は薄めてありますから後遺症はありませんよ」 事も無げに語る声に、込み上げてくる感情がそのまま言葉になって吐き出される。 「そもそもW.R.Oの局長がこんな所で何をしている!? 局長でありながら隊員達を混乱させた挙げ句、放置しておく気か?!」 その声とは対照的に、極めて冷静な声でリーブはこう返答する。 「おっしゃる事は確かに正論ですが、残念ながらあなたの口から出たという時点で説得力がありませんよ、ヴェルドさん」 「……!」 返す言葉が見つからず、男は唇を噛んだ。 リーブの言葉は男の過去を指している。当時、自らの決断によって神羅カンパニーを去ったことで、その後は神羅から追われる身になった。そこにどんな理由があろうと、彼のしたことは職務放棄に他ならない。それでも、彼を信頼し慕う部下達の協力を得ることで、彼は救われた──この時、神羅に残される側だったのがリーブだ。ヴェルド直属の部下ではなかったにしろ、少なからず「残される側の混乱」は、今さら指摘されるまでもなく知るところだった。 言葉を失った男に、リーブは穏やかだが淡々と続けた。 「かつてあなたがそうしたように、私も、私自身の意思でこの道を進むことを選びました。ですから行く手を阻む者は、たとえ誰であろうと容赦はしません。それもすべて覚悟の上での選択です」 その言葉は相手に理解を求めるためではなく、ただ一方的な意思表示のために語られたのだということをヴェルドは悟り、同時に確信を得た。 「それを聞いて安心した。俺は、お前の思惑を阻止するためにここにいる。目的達成を阻む者に、初めから容赦するつもりはない。それが俺の方針だからな」 そう語ったヴェルドの顔には、笑顔さえ浮かんでいた。 ―ラストダンジョン:第19章4節<終>―
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