第19章1節 : 霧雨の中の訪問者 |
上空を分厚い雲に覆われたエッジは、今や街全体の空気が大量の湿気を抱え込んでいた。こうなると頭上から雨滴が落ちてくるのも、いよいよ時間の問題だ。夜も迫り人通りもまばらなエッジの街に入った男は、エンジンを停めて車を降りた。手にしたチラシに目を落とし、記載されている地図から改めて目的地を確認すると、来るべき雨に備えてそれをジャケットの内ポケットへと押し込み、時計を気にしながら早足でメインストリートを進んだ。 しかし歩き始めてすぐに、霧雨が降り出して来た。傘を差したくなるほど濡れはしないが服や肌、髪の毛にと体中にまとわりつく水気を鬱陶しく思いながら、店の入り口の前に立つ。『開店準備中』の札が見えたが、気にせず男が扉を開くと小さな鈴の音が聞こえた。控え目だが耳に心地のよい響きは、店の主にこうして来客を知らせるためのものだろう、やがてカウンターの奥から慌ただしく階段を駆け下りてくる足音が聞こえてきた。 「あのー、すみません。今日はまだ……」カウンターへ出るなり、彼は訪問者に向けてそう告げた。 店の奥から出てきたのは、声も姿もまだあどけなさの残る少年だった。聞いている話では、セブンスヘブンの経営者は女性だったはずだが。地図を読み間違えたのかとも考えたが、チラシに記載された住所はここで間違いなかった。 「『セブンスヘブン』は、ここで良かったかな?」 男が念のためにと尋ねてみる。すると少し困ったような表情を作りながらも、ハッキリした言葉が返ってきた。 「そうです。だけど、今はまだ開店前で……」 店の外には準備中の札を出しているのに、この人もそれを見なかったのかな?――今日、開店前2人目の来客を迎えたデンゼルは心の中で愚痴をこぼしながら、男をやんわりと追い返そうとした。ティファもいないしここで注文を聞いても何も出すことができない。そしてなにより今は店の営業どころではない。 しかし男は帰る気配を見せなかった。それどころか、カウンターまで来ると持っていたアタッシュケースを傍らに置いて、自身は隣の椅子に腰をかけた。 「あの、店はまだ」 ここまで言ってるのに図々しい客だなと思いながら、デンゼルは目の前の男をまじまじと見つめた。着ている服こそ――ちょうど死んだ父親の様な――勤め人風の装いだったが、ジャケットの上からでも分かるほど引き締まった体格の持ち主で、顔を見れば刻まれた深いしわと多くの傷跡が目についた。 「開いてな……」 そんな男と正面から目が合って、デンゼルは思わず言葉を止める。 この人はきっとクラウドやティファ以上に、たくさんの戦いを生き延びてきた強者なのだろう。顔のしわや髪の毛に混じる白いものを見ていると、死んだ両親よりは年上だろうとデンゼルは思った。その年齢であれば、もしかしたら戦争も経験しているのかも知れない。戦争――デンゼルにとっては記録の中でしか知ることのない出来事だった。もっとも、戦争と同じぐらいの惨状ならば彼にも経験はあるが、自ら武器を持って同じ人間を相手に戦ったことはない。いつかそんな話をしたとき、ティファに「そんな経験はしない方が良いの」と窘められたことを思い出す。 やがて男は何かに気付いたように僅かばかり眉を上げ、ひとつ咳払いをした。途端に、険しかった表情と声に柔らかさが加わる。 「準備中すまない。しかし今日ここへ来たのは出される料理や酒を楽しむのが目的ではないんだ」 そう言って男は笑顔を浮かべる。笑っている顔を見れば、人の良さそうなおじさんだった。デンゼルは内心でホッと胸をなで下ろす。 「あの、それじゃあ……」 何しに来たんですか? というデンゼルの問いかけに、今度は男が質問を返すのだった。 「リーブがここにいるだろう? 彼に話があって来た。会わせてくれないか?」 男の口から出た意外な言葉にデンゼルは面食らってしまう。とっさにどう返して良いのかが分からなくなって、視線を彷徨わせる。 (この人は誰だ? 大体どうして、リーブさんの事を知ってるんだ? ……違う。リーブさんは有名人だし、みんな知ってて当たり前だ。だったらどうしてここに? ここにリーブさんがいるはずないのに) そんなデンゼルの様子から彼の心中を察し、男はまた笑顔を浮かべてこう言った。 「言い方が悪かったな。リーブじゃない、リーブの『分身』がここにいるだろう?」 (ケット・シーのこと?!) デンゼルは注意深く男を見つめた。ケット・シーを知る人は沢山いる、なにせ『ジェノバ戦役の英雄』のひとりだし、今やW.R.Oの局長にまでなった人の操るぬいぐるみだ。しかし、ケット・シーがこの店にいるという事を知っているのはクラウド達以外には誰もいないはずだった。セブンスヘブンの常連客でさえ、その事を知る者はいない。 「おじさん……誰?」 声に含まれている警戒心を男は聞き逃さなかった。浮かべていた笑顔を消し、低く通る声でこう答える。 「安心して良い、少なくとも君たちの敵ではない」 デンゼルは視線を逸らさずに男を見据え、カウンターを挟んで座る男もまたデンゼルから視線を逸らすことはしなかった。 こうして互いに向き合ったまま沈黙が続いた。その間、店内の置き時計が時を刻む音や、外の霧雨の音まで聞こえてきそうな静寂が室内を満たす。やがて諦めたようにため息を吐き出すと、男は再び口を開いた。 「……と言っても、簡単には信じてもらえないか」 無言のまま不信感をあらわにしたデンゼルの視線を正面に受けて、男は苦笑したように呟くと言葉を変える。 「俺は昔、神羅カンパニーに勤めていた事がある。そうだなリーブの……」続けようとした言葉の先に疑問を見つけて、男は暫く思案した。『同僚』と呼べるほど近い部署にもいなかったし、同じ仕事に携わる事も無かった。しかし『知り合い』と表現してもこの少年の不信感をぬぐい去るには説得力が足りないだろうと思う。どうしたものか。 言葉の代わりに男は懐にしまったチラシを取り出すと、カウンターに乗せた。 デンゼルは身を乗り出して紙を覗き込んだ。表側にはセブンスヘブンの案内図が載っているチラシだったが、裏返すと細かな文字がびっしりと埋め尽くされている。示している内容まで読み取ることはできないが、共通しているのは左側がすべて日付で始まっている事だ。横1行が1日、縦1列で約1年、それらが3列に並んでおり、およそ3年前から継続する何かの記録らしかった。中には金額や、量を示していると思われる数値や単位も記載されている。 (何だこれ?) すっかりデンゼルの注意が紙上に注がれた頃に、男は再び口を開いた。 「……リーブの昔なじみだ。今すぐこれを止めさせる、その為にここへ来た。とにかく今は時間がない、話をさせてくれないか?」 言いながら、男は紙の上の一点――書かれていた一番最後の行――を指し示す。 最後の行の左側に記されていたのは、今日の日付と、「0」の文字だった。 ―ラストダンジョン:第19章1節<終>―
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