第18章3節 : インスパイアとの遭遇 |
医務室の扉はシャルアの存在を認め、塞いでいた道を明け渡す。 その光景を眺めながら、彼女はおよそ3年前の出来事を思い出していた。 「ケット・シー……ぬいぐるみを、ですか?」 シャルアは声と表情にあからさまな呆れを含んで問い返す。机を挟んで向かいに座る男――現W.R.O局長であり創設者――は、真顔で「はい」と言って頷いた。 この当時W.R.Oは、ジュノンを皮切りに各地で発生した集団失踪事件の調査を行っていた。事件の裏に見え隠れする『ディープグラウンド』の実態を掴むべく、ミッドガルへの調査団派遣を目前にしていた時期だった。 この日W.R.O本部の局長室を訪れたシャルアは、ミッドガル調査団の先遣隊として自らも神羅ビルへ同行したいと進言したことに会話の端を発している。シャルアの申し出に対し、局長であり今回の作戦を総括する立場にあったリーブは、二言目にはあっさりと彼女の申し出を退けた。その根拠としてケット・シーの使用を打ち明けたのだが、シャルアはケット・シーが任務に対して適任とは思えなかった、これが先ほどの発言に繋がっている。 シャルアの不満を解消するべく、リーブは手元のパネルを操作すると部屋の脇にあるスクリーンの電源を入れた。すると壁面全体に浮かび上がるようにして現在のミッドガル全景が映し出された。傾いたまま放置されている建物や、寸断された道路に積み重なるおびただしい量の瓦礫、どこを見ても荒廃した光景が延々と広がっていた。そこにかつての繁栄は見る影もない。映像はゆっくりスクロールしながら、画面には映りきらなかった部分も時間をかけて見せてくれる。 スクリーンの動作を確認すると、正面に立つシャルアに視線を戻してリーブは話を始めた。 「神羅本社ビルを含めミッドガルの多くは3年前のメテオ災害以来、ほとんど手つかずのまま放置されています。建物だけでなく、それを支えるプレートそのものの強度も設計段階で想定された以上の負荷に耐えています。都市開発責任者だった私が言うのもおかしいと思われるでしょうが、倒壊の危険性は否定できません。加えて残留魔晄の影響、モンスター襲撃の可能性……今のミッドガルはあらゆる危険に満ちています。そんな場所へ女性であるあなたは勿論、調査団を向かわせる訳にはいきません。その為の先遣隊です」 過去に自らが手がけた都市の末路を目の当たりにしながらも、現状を説明するリーブに感情の類は見られなかった。いったん言葉を切ってから机の上で手を組むと、やや声を落として続ける。 「……先を急ぎたいお気持ちも分かりますが、これだけは譲れません。先遣隊が戻り内部の状況、安全の確認が取れるまで、申請者や理由の如何を問わずミッドガルへの立入調査を許可することはできません」 「だからと言って、あのぬいぐるみが役に立つとは思えないが?」 憮然とした態度を隠さずにシャルアは問う。 もちろんケット・シーがジェノバ戦役の際、戦いに参加した事は知っている。しかしそれは戦闘用の機体と組んだ結果で、このぬいぐるみ単体での功績ではない。見た目の通り非力なぬいぐるみよりは、自分の方がよほど適任ではないか、と言うのがシャルアの主張だった。 その主張を受けて、リーブは真っ向から切り崩しにかかった。 「ケット・シーはああ見えて、かなり高性能のコンピュータを積んでいます。それからもう1つ。先遣隊に求められるのは腕力や戦闘能力ではありません、機動性と潜入能力です。先ほども申し上げたとおり、現在の神羅ビル内部の状況を正確に把握し、調査団本隊の派遣に必要な情報を得ることが目的ですからね。ケット・シーを先遣隊として向かわせる理由はこのためです」 「局長が遠隔操作を?」 「もちろん。もうずいぶん続けているので操作に問題はありません」 「単独で?」 「ええ。侵入するのが神羅本社ビルですからね。私よりも内部に詳しい者と言われても、残念ながら思い当たりません」 「通信が途絶えた場合は?」 「ケット・シーは単なる遠隔操作ロボットではありません。ですから通信環境を気に病む必要もありません」 「危険はないのか?」 「『無い』とは言い切れませんが、これが最も危険の少ない方法である事は確かです」 ……と、まあこのようにしてシャルアの繰り出す問いは片っ端からきれいに回答されたのである。ここまで言われては、これ以上出る言葉がない。完敗だ、と言った具合に手を広げたシャルアに、リーブはようやく小さな笑顔を作って、諭すようにこう告げる。 「急いては事をし損じます。神羅に復讐を果たすにしても今はまだ時期尚早と言えるでしょう」 「……復讐?」 リーブの言葉はシャルアの失笑を買った。そこでようやく自らの失言に気付いたリーブが首を傾げる。シャルアは真剣な表情に戻ると反論を続けた。 「神羅への復讐なんてくだらない理由のために私はここにいる訳じゃない。そう言うからには私の前歴も?」 「……ええ。申し訳ないとは思いましたが一通り拝見させて頂きました」 反神羅組織の一員といたところを、タークスと接触した記録が残っていた。リーブの発言はここを拠にしたものだった。シャルアとしても、そのことを隠すつもりはなかったので事実を認めて頷いた。 「確かに神羅とは敵対する立場にいた。が、それは神羅への復讐が目的じゃない」 「他企業の人間と言う経歴は見つかりませんでしたが、なにか他に目的が?」 良かったらその理由を聞かせて頂きたい。と申し出るリーブに、シャルアはこう答える。 「およそ10年前に神羅が連れ去った私の肉親、妹を捜している」 返されたシャルアの言葉を聞いて、表情こそ変えないものの返答までには不自然な間があった。それがリーブの中のどういった感情によるものなのかは分からない。 「……そうでしたか」 いちど視線を外し呟いたあと、リーブは改めて正面に立つシャルアに顔を向けた。彼女が何故ミッドガル――神羅本社ビルへ急ごうとするのか、その動機はここにあった。だがそれを知ったからと言って、シャルアの同行を許可する理由にはならない。 「事情は分かりました、後はお任せ下さい」 そう言ってリーブは席を立って部屋を出ようとすると、シャルアはその進路をふさぐようにドアの前に立ちはだかった。リーブが無言で顔を向けると、促されたように語り出す。 「まだ納得したわけじゃない」 「はい?」 「妹は私の命、つまり生きる目的の全てだ。その証拠にいま私はここにいる。私がミッドガルへ向かうのは、私の命を探す為だ。いくら局長といえど、それを妨げる権利はないはずだ」 シャルア自身、どうしようもなく子どもじみた理屈だなと思う。しかし、どうあっても局長を説得してミッドガルへ向かいたかった。形振り構っていられるほど余裕はない。 リーブは呆れたように溜め息を吐き出すと、こう告げた。 「……あなたの身を案じての判断です。どうかご理解下さい」 「それを余計なお世話という。私の身も命も、私がどう使おうが自由だろう?」 もし仮にシャルアの理屈が正しいとするなら、こうしてリーブにミッドガル行きの許可を請う必要性は全く無いはずだった。しかし、シャルアにはW.R.Oにいて得られるメリットの方がはるかに大きい。まして本人も言っている通り神羅ビルやミッドガルに関して、局長以上に精通している人物が他にいないのも確かであり、ここで話がこじれて損を被るのはシャルアだった。 これはどう考えてもシャルアに勝ち目のない交渉、それどころか口論にすらならない、シャルアの一方的で理不尽な言いがかりだという事は、向かい合った両者とも分かっていた事だ。 それでもリーブは真剣な表情でシャルアに対し、静かに告げた。 「シャルアさん。あなたが妹さんを探しているのだという事情も、思いも、私なりに理解したつもりです。ですが、こちらとしても軽い決断ではありません。この作戦には……命が懸かっています」 「命……って、あんたのか?」 その問いにリーブは答えなかった。そのかわり、シャルアを見据えるとこう断言した。 「少なくとも、いくら大切な者の為とは言え、自らの命を投げ売りするような方に今回の作戦同行を許可する事はできません」 声を荒げるわけでも、口調が強まるわけでもない。 「……私からお伝えしたいことは以上です」 ただ淡々と語られた言葉だった。にもかかわらず、どんな反論にも応じる姿勢はないと言外にはっきり示されている。横合いを通って部屋を出たリーブに、シャルアは返す言葉を持たなかった。 その後、先遣隊が戻った後に編成された調査団本隊と共にシャルアは神羅ビルへ赴き、そこでディープグラウンドについて記されたレポート(後に「スカーレットレポート」と呼ばれる事になる)を発見する。W.R.Oとディープグラウンドとの対立が表面化するのは、調査団派遣からさらに後の事である。 またこの時に発見されたのはディープグラウンドに関する資料だけではなかった。資料室にはルクレツィア博士の残したカオス研究のレポートと同じく、データ化されなかった論文の数々が調査団を出迎えた。あまりの数と保管状態の悪さに阻まれ、収められている全ての内容を把握する事はできず、ほとんどが置き去られる事になる。 しかしそのうちの1つがシャルアの目に止まった。年代別に分類されているフォルダによれば、時期はルクレツィアレポートとほぼ同じ頃である。しかし著者は不詳で、『星還論』と付けられた論文内で語られているのは、『インスパイア』という能力の存在だった。それはマテリアなどを介さずに無機物を意図通りに操ることができ、やがて生命を吹き込むに至る“異質な能力”と位置づけられ、その能力の発生と作用が仮説として記されている。どの項目においてもすべてが仮定を基にした推論に終始しており、それを実証するデータは1つとして無かった。その点から言えば「研究論文」にはほど遠く、さらに提唱されている仮説自体に重要性が認められなかったため、研究対象からは除外されデータ化もされずに今まで眠っていたものと思われる。もちろんW.R.O調査団の目的ともかけ離れた内容だった。 それでもシャルアはこの論文に興味を示した。論文としてはほとんど要件を満たさないものの、それを手にしたのは直感に近いものがある。 ――『インスパイア』とは、 ライフストリームによる生命循環システムから逸脱した存在であると同時に、 この星の内部を巡る生命循環システムを超越した存在であると仮説する。 また、インスパイア因子を持つ変異体を『インスパイヤ』と呼称する。 この日、インスパイアという能力の存在を知ったシャルアは、やがて気付く事になる。 その能力に支配され、翻弄される命の存在があることを。 ―ラストダンジョン:第18章3節<終>―
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