第18章2節 : 優しさと理由




 寝台に背を向けると、シャルアは医務室を出ようと扉へ向かって歩き出した。ティファの傷は心配する程ではなかったし、もう彼女ひとりでも大丈夫だろうと判断したからだ。ティファ達がどのような経緯でここへ来たのかは分からない。ただ、どちらにしてもシャルアは彼らと行動を共にする気はなかった。
「人は」
 部屋を出ようとした時、不意に聞こえてきたティファの声にシャルアは足を止めて振り返る。
 寝台の上のティファは目を閉じて、静かに語り出した。
「死んでしまった人はどこへ行くんだろう? ……小さい頃、私の母が死んでしまった時とても悲しくて。母は死んだんじゃなくて、いなくなったんだって思ったんです。だからいなくなった母に会いたい一心で、無茶をした事があったんです。私を心配して追いかけてきてくれた子の事にも気付かずに、そのまま橋から落ちて大ケガをして……」
 親や周囲の人々を心配させて大騒ぎになったはずなのに、後になって言われるまで自分じゃすっかり忘れてたんですよ。とティファは照れたように笑った。扉の前に立っていたシャルアは何も言わず、黙って話に耳を傾けていた。
「死んだら星に還る……そう言われても、やっぱり実感が湧かないんです。本当は今でも」
 死んでしまった人達はどこへ行ったのか、分からないんです。と、ティファは申し訳なさそうに告げた。彼らは思い出として、確かに今も心の中に生き続けている。けれど自分には、エアリスのように星の声を聞くことができるわけでもない。だから人々が星に還った確証を持てずにいるというのが本音だった。
「それに……」
 ――もしケット・シーにも生命が宿っていたとするのなら。
    黒マテリアの中に閉じ込められたケット・シーは、星に還れたのだろうか?
    もし、星に還れないのだとしたら……私達は、あの時……。
 それ以上を口に出さないティファの横顔は、苦渋に満ちていた。まるで罪を犯した自分に下される審判を待っているような――少なくともそれは、星を救った英雄と讃えられる者のする顔ではなかった。
 自分にはないものへの憧れのような、一方で呆れのような。吐き出したくなったため息を飲み込むと、シャルアは口を開いた。

「その感覚は間違ってない。むしろ私はその方が正しいんだと思ってる……生物としてな」

 それからシャルアは顔を上げ、さらにこう続けた。
「私も幼い頃に母親を亡くした。悲しかったがそれ以上に、泣きやまない妹をなんとか落ち着かせようと必死だった。生前、母がよく話してくれた星命学の話を引用して、母も星に還ったんだと、また会えるんだと妹に話してやった。けど、本当は信じてなかった」
 それは私が科学者になろうとした理由の1つだ、とシャルアは語った。「こんな場所にいるから医者だと思った」と言いたげな表情を向けてくるティファに、こう見えて本業は科学者なのだとシャルアは苦笑を返す。科学者には見えないか? と問えば、迷った末うなずくティファに、皆から良くそう言われるんだと一笑してから話の先を続けた。
「死んだ者の精神エネルギーはライフストリームとなって星を巡る……星命学で説かれている原理は嘘ではない。
 でも、そこに私達の知る母はいない。だから母には二度と会えない。結局のところ私がシェルクに話したのは、気休めでしかなかった。子供心にそうと知りながら嘘をついていた」
 だからこそ、連れ去られたシェルクを捜し続けることができた。この地上でしか再会できないと分かっていたから。死んでしまったら二度と会えない、あの時の母と同じように。
 妹を取り戻すためなら、自分の持っている全てを差し出す覚悟はあった。シャルアが10年という長きにわたり戦いに身を投じて来られたのは、その覚悟があったからだ。
「……でも、あなたは嘘だと言うけれど。シェルクはあなたに救われたと思うわ」それはあなたの言葉だけじゃなく、あなたという存在がシェルクの支えになっていたからなのだと。短いながらもシェルクと共に過ごしたティファにはそう思えたのだ。
 そんなティファの思いを、シャルアは柔らかく否定した。
「あんたは本当に優しいな」
 その言葉にティファは首を振る。これは優しさなどではないのだと、自分の知る限りシェルクは確かに姉であるシャルアの存在に支えられていたのだと言いたかった。けれどティファは姉妹の間に何があったのかを知らない。だからこれ以上、口を挟んではいけないと思った。でも、自分の言葉は優しさや憐れみから出たのではないのだと、それだけは伝えておきたかった。
「優しくなんてありません。ただ臆病なだけ……なんだと思います」
 ティファは自分の右手を見つめながら、ぽつりと「恐いんです」と呟く。同時にそれが、今の自分にできる精一杯の反論だと分かっているから、言葉を止めるつもりはなかった。
「たとえ相手がモンスターだったとしても、命を奪う側にも痛みがあるから」
 星を救った英雄などと言われても、これまでにやって来たことは所詮、血腥い戦いだった。敵が誰であれ多くの場合、敗北は死を意味している。生き残るために自らの意思で戦い、勝利と生を得てきた。最初から星を救うために戦った訳ではない自分が、今さら讃えられる存在などではないとティファは思う。
 剣や銃を持たないティファはいつでも身一つで戦場に立ち、その拳で敵と対峙してきた。過去には憎しみのあまり痛みを忘れ、あるいは痛みを忘れるために拳を振るった事もあった。しかし、たくさんの戦いを経て彼女は知った。失われる命の重さと、それを奪うことの痛みに。
 拳を通して伝わってくる痛みに、嘘や偽りがない事を。
「だから、恐いんです」
 戦場に立つ自分のすぐ隣にある死への恐怖、それ以上に相手の命を奪う痛みを知った。大切な人の死も、自分が誰かの命を奪うことも。勝利も敗北も、生も死も。戦いの後に残されたものに触れる度、ティファは戦う事を忌避するようになった。形振り構わず、感情にまかせて拳を振るっていた方が楽だったとさえ思う。もちろん、それが良いことではないのも承知のうえで。
 そう言ったきり俯いてしまうティファの姿に、シャルアは短く詫びた。もともと彼女を巻き込むつもりはなかった。
「……すまない」
 あのままここを立ち去るべきだったと、この話をティファに聞かせるべきではなかったと後悔した。しかしここまで話した以上、最後まで伝えておかなければならない。
「あんたの言ったように、ここにいる人形達には命が宿っている。だから私がこれからやろうとする事は、単なる破壊ではなくなる」
 理由や状況はどうであれ、命ある者からそれを奪おうとしている。だから。
「今からでも遅くはない、引き返せ」
 その言葉に顔を上げたティファに、驚きと戸惑いをない交ぜにしたような視線を向けられた。なぜと問うように真っ直ぐ向けられた瞳の奥には、非難の色を見た気がした。シャルアは僅かに句を繋ぐことをためらったが、決意を揺るがす程ではなかった、躊躇もほんの一瞬の事である。
「……私はあんたの様に優しくはない」
 語られるシャルアの話を遮ろうにも、ティファの口から言葉は出なかった。扉に背を向けたシャルアは、小さく笑って言い換える。
「いや、あるとなしで語るなら、優しさではなく理由だな。別に戦うことを好んでいる訳ではない、ただそうする理由が私にはある」
「理由?」
「そう。他の命を踏み越えてでも先へ進み、目的を成そうとする理由だ。故に、ここで足を止める訳にも引き返すわけにも行かない」
 それを盾に他の命を犠牲にすることが正当化される道理はない、そんなことは分かっている。だが恐怖や痛みを上回る理由があれば、人は戦場に身を置くことが出来る。ティファの無言の問い掛けに、シャルアは視線を逸らさずにこう答える。
「……私もね、この通り体の一部は人工物に頼ってる身だ。だから今回の件がどうしても他人事には思えない」
 失われたままの左眼、義手と交換した左腕、そして一部の内臓――肉体を構成するものを失い、それを人工物と取り替えてでも生に執着した。こうして生きながらえる一方で、体内に入り込んだ“異物”にシャルアの肉体は拒絶反応という抵抗を示す。生命を維持する代償として与えられたのは、止むことのない苦痛だった。
 それでもシャルアはその苦痛すらも、生存の証と受け入れた。妹を救い出すためなら何だって差し出す覚悟でいたからこそだ。事実、命以外の多くを差し出して来た。そうして3年前、戦いの中で10年振りに妹と再会した。そしてこの先、妹が生きて平穏に暮らせるのなら、自分はもう星に還っても良いと思った。自分の命はそこで役目を終えるのだと。
 しかしシャルアは今もこうして生きている。昏睡状態から目覚めたとき、最初に感じたのは絶望感だった。もう生きている意味はない、止むことのない苦痛に耐えられるほどの理由が無い。そう思ったからだ。


 そんなシャルアを再び生に執着させる事になったのが、この施設の存在だった。
 無機物を意のままに操り、さらには生命を吹き込むという異能力『インスパイア』。そのすべてが、この建物に収容されていると伝え聞いた。
 肉体の一部が人工物である自分と、肉体の全てが人工物である彼ら。思考を司り、自律行動を取り、行動するための機能を持った身体を持つ。
 そうなれば、『生きている』と自覚する自分自身と、彼らの違いはおよそ半分の肉体構成でしかない。
 その半分の中の一体どこに、生命と物とを別つ違いがあるのか?
 あの日以来、彼女はずっとその答えを探している。


「これは星に還り損ねた私が、果たすべき使命なんだ」


 インスパイアという能力の存在を知ったあの日から。
 その能力に支配され、翻弄される命の存在を知ったあの日から。彼女はずっと、答えを探している。






―ラストダンジョン:第18章2節<終>―
 
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