第13章3節 : 人形が託した願い





 音もなく床面が大きく隆起したかと思うと、中心には巨大な穴が現れた。そこら中に散らばった射撃装置の残骸や、積み上げられたフロアタイルの破片もろとも、次々に穴の中へと吸い込まれていく。その光景を例えるなら、海面に現れたクジラが大きく口を開けて周囲の海水ごと小魚を飲み込み捕食する姿に似ている。こうしてクラウドは文字通り床に開いた口に飲み込まれて行った。
 瞬きをする間もなく、その口は再び音もなく閉じられフロアから跡形もなく姿を消した。後に残されたヴィンセントの目に映ったのは、何事もなかったかのように広がるエレベーターホールの風景だった。見る限りフロアタイルも、ここへ到着した当初と同じ元の整った状態に戻っている。
 それはほんの一瞬の出来事で、恐らく床に飲み込まれたクラウド自身、自分の身に何が起きたのかを理解する暇は無かっただろう。こうして一部始終を目の当たりにしたヴィンセントでさえ、状況を把握――あまりにも想像を絶する現実を前にして、理性でそれを認識――するのに、時間を要したほどである。
「ただ見ているだけで……クラウドさんを助けなくても宜しかったんですか?」
 半ば呆然とするヴィンセントに向けてリーブが問う。確かに彼の言うことも尤もだったが、今し方目の前で展開されたとんでもない現象について気にしている様子はなかった。察するところ、この“仕掛け”もリーブの仕業なのだろう。その原理について考えを巡らせる気も問いただす気も起きなかったので、ヴィンセントは素直に質問に対する答えだけを返すことにした。
「お前の目的はクラウドに剣をとらせる事であって、命を奪うことではなかった。少なくとも私にはそう見えたが? ならば手を貸す必要はないだろう」
 もっともあの状態でクラウドは実力の半分も出し切れていない、しかも防戦どころか正面からまともに攻撃を受けるばかりだった。一時の感情にまかせ剣を向けたところで、クラウドが本気でリーブに危害を加える動機には足らなかったのだ。
 その一方でリーブは、クラウドに刺せるとどめを刺さなかった。その結果を見ればリーブの側にも殺意どころか戦意がない事は考えるまでもなかった。
「ご明察の通りです」そう言ってから、ヴィンセントの方に顔だけを向けるとリーブはこう続けた。「このフロアに配置された射撃装置も、私が最初にティファさんに仕掛けた事も。あなたはこちらの狙いにすべて気付いてらっしゃるのでしょう?」
「…………」
 ヴィンセントは答えなかった。それを肯定と取ってリーブは彼の方に向き直ると話の先を続けた。
「おふたりから頂いた質問にお答えしておきましょう。私の目的は他でもない、みなさんの力をお借りする事です。それも“全力”をお借りしたいのです。その為に、もう少しだけ本気になって頂く必要がありました」
「……全力、だと?」
 リーブの口から出たその言葉にようやく納得がいった。クラウドに剣をとらせる――本気、と言うよりは彼の怒りを煽る――最も効果的な方法をリーブは心得ていた。そして、それを忠実に実行したのだ。
「いったい何を企んでいる?」
 その質問に答える代わりに、リーブはエレベーターに身体を向けた。
「下で皆さんがそろい次第、私自身の口から直接お話し致します」言いながら、ヴィンセントにエレベーターへ乗るようにと手で促す。明らかに何かを含んだ物言いが腑に落ちなかったが、ティファとクラウドの事が気がかりだったのも事実だ。この場合、ひとまず下のフロアへおりるという選択肢は妥当だと判断し、ヴィンセントはエレベーターへ向かって歩き出した。
 途中、リーブとすれ違いざま足を止めずにヴィンセントが告げる。
「……望まれたから……」
「はい?」
 注意して耳を傾けなければ聞こえない、そんな小さな声が紡ぎ出した言葉の断片を拾ったリーブは、ヴィンセントの背中に向けて問い返す。エレベーターの前で立ち止まると、足下を見つめながらヴィンセントは改めてこう言った。
「どんな形であれ世に生まれ出ることを望まれた。そしてどんな目的であれ、存在することを本人が望んだ。その結果として、すべての生命は地上に在る」

 ――死ぬことを前提に生み出された生命。
    それではなぜ、私は今ここにいるのでしょう? なぜ生み出されてしまったのでしょう?

「それに死が前提となっているのは……一部の例外を除けば皆同じだ」
 唐突にリーブから問われてとっさに答えが出てこなかった。ただそれだけで、答えが分からなかった訳ではない。リーブ同様、フロアを去る前にヴィンセントも質問に答えを示したのだ。
「反論があるなら、後で本人の口から直接聞くとしよう」
 どんな経緯であれ、望まれずに産まれる命はない。それは感情を持たなくとも生物に等しく備わった本能として機能する。本能の他にさらに感情を持つ生物であれば尚更、望むからこそ命が産まれる。それがたとえ実験であったとしても、取り返しのつかない過ちを発端にしていたのだとしても。形はどうであれ、あるいはほんの一時であったとしても子の誕生を親が望んだからこその結果なのだ。そしてその子は、世を恨むという動機であっても自らの生を望んだからこそ、この世に存在していたのだ。そんな者達の姿を、ヴィンセントは自身の目で見てきた。
 なにより、たとえその身に異質な生命を宿したのだとしても、そこに「生きて欲しい」という願いが込められていた。その願いに応じて、ここに在る――それが、ヴィンセントが身をもって知った答えだった。


 エレベーターの扉が開く間際、言葉に出すことの無かったヴィンセントの思いを打ち消すようにしてフロアに二発の銃声が響き渡った。ほぼ同時に放たれたうちの一発が、エレベーター横の壁に弾痕を作る。
 火薬の炸裂音を聞くよりも早く右腕は銃を掲げ、指は引き金を引いていた。自分の背中に向けて引き金を引こうとした対象めがけて、放たれた弾丸は寸分の狂いもなく目標の額を撃ち抜いた。それは厳しい訓練と生死をかけた実戦に長年身を置く中で、もはや思考とは別に肉体に染みついてしまった習慣だった。それは幾度となくヴィンセント自身を救って来た一方で、今回ばかりは染みついた習慣を呪わずにはいられなかった。
 エレベーターの扉が開き、フロア到着を知らせるべく場にそぐわない機械音が鳴った。しかし今となってはその音を気に留める者は誰もいなかった。
「リーブ!」
 駆け寄ろうとするヴィンセントに、リーブはぎこちなく首を動かすと無表情のままの顔を向けた。額から流れていたのは血よりも鮮やかな色の液体だった。やがて支えきれなくなったのか右手に握っていた銃が床に落ちる。これほどの深手を負いながらも表情一つ変えずに直立したままの様相を前にして、僅かだが戸惑った。
 その様子を察し、リーブはこう言った。
「最初に……言いました私は『人形』です」
「なぜだ!? なぜ撃った!!」
「私がインスパイアの制御下から外れるためにはこの方法しかない」
 何かを言いかけたヴィンセントを遮って、リーブは一方的に話を続ける。
「ヴィンセント時間がない今まだ私の意識があるうちに伝えたい。
 この下で待っているのは“私”ではない“私”の望んだ事とリーブの望みは違う。どうか」
「リーブ?」言葉の中にある違和感に気付いてヴィンセントが声をあげた。直後、リーブはバランスを崩しフロアに倒れた。言いようのない鈍い音と共に、側頭部が変形し醜い姿を晒す。それでも尚、人形は語り続けた。

「彼を救、てやってほしい。それ、ガ……ワタシの、ノ」

 すべてを言い終えないうちに声は途切れ、口元が痙攣するように何度か動いてから横たわったリーブはやがて完全に機能を停止した。
「……望み、だと?」
 すべてを聞けなかった言葉の最後を問いながら、ヴィンセントは無意識に肘をついて額に手を添えると黙祷を捧げる。目の前に横たわるのが人形であり当人は別の場所にいるのだとしても、目の前の死には変わりない。

 リーブによって生命を吹き込まれた人形、その人形が望んだものが何であるのか?
 能力者であり自分を生み出したリーブとは異なる望みを、ヴィンセントに託した意図はどこにある?

 今は見えないその答えと、仲間達の後を追ってヴィンセントはさらに地下深くへと向かうべく、待機していたエレベーターへと乗り込んだ。最下層を示すボタンを押して扉が閉まりきるその瞬間まで、彼は横たわったリーブの姿を見つめていた。






―ラストダンジョン:第13章3節<終>―
 
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