第12章3節 : スタンバイ





 SND――センシティブ・ネット・ダイブとは、要するにユーザー自身の意識と感覚を保ったままネットワークに接続、潜行できるという特殊能力だ。この能力を獲得するために、シェルクは本来手にするべき多くの平穏な時間と、正常な身体機能、そして心からの笑顔を失った。
 生きるために、あるいは必要に迫られて使っていたこの能力を今、ようやく自らの意志で求めた。こんな日が来るなど、夢にも思わなかった。
「まずはSNDでネットワークに潜行。ここから各地域の中継基地を経由して、全世界のネットワーク端末にアクセスします。原理としては不可能ではありませんが、本格的なSNDと違い精神レベルへの干渉は恐らく不可能でしょう」
 その言葉に男は納得したように頷いてから、手近にあった端末の前に座ると新たな画面を呼び出した。
 もちろん、シェルクの申し出にはリスクが皆無という訳では決してない。SNDで相手の端末を強制的にオンラインにした上で自身を潜行させる、つまりネットワーク上で起きた現象をダイレクトに、ユーザーが感覚として受け取る事は変わらない。何らかの原因で回線が強制的に切断された場合、そこに潜行しているシェルクの身の安全――命の保証はない。1つの選択ミスが文字通り命取りになる危険性をはらんでいる。
「ちょっと待ってシェルク。あなたはそれで大丈夫なの?」
 女性が心配そうな表情で問いかけた。シェルクは平気だと言う代わりに、淡々と答えた。
「100%の確証はありませんが、まったく見込みがないものを提案などしません。現状、この方法が最も有効な手段と考えています。それに」
「……それに?」
 言葉の先を促されてシェルクは僅かにためらいながらも、自嘲するように小さく笑んでこう告げた。
「全世界のネットワーク端末を強制的にオンラインにする事で、私の目的の1つが達成できます。こんな機会、もう二度とないでしょうから」
「目的って……?」
 呟きながらシェルクを見下ろす。ほんの少し前までその手に握られていた携帯電話の事を思い出すと、彼女の脳裏には1つの憶測が浮かんだ。それが正しかったのだとシェルクは言葉を続ける。

「一度も返信を寄越さなかった姉の居場所が、端末番号から特定できるかも知れません」

「……あなた、やっぱり」
 シェルクが、3年前に死んだはずの姉に送り続けていたメール。しかし一度も“返信がなかった”と彼女は言った。
 通常、使われなくなってしまったアドレスは一定期間を置いてネットワーク上から抹消される。もし仮に、シェルクの言う通り3年前に宛先人が死亡しているとすれば、送信先メールアドレスは存在しないものとして差出人の元に“宛先不明”としてメッセージは返信されるはずだった。
 一度も返信がない――つまり、宛先のアドレスは今も存在し、そのアドレスの所有者もあるいは……。
 その結論に至り、女性の表情が見る間に明るくなった。本当に素直な人なのだろうとシェルクは思いながら、同時に少しだけ気まずくなって、視線を逸らす。
「……安心してください、私自身の目的はあくまで副次的なものです。第一の目的は侵入者の特定と断片化ファイルの検索と収集、そして関係者との交信にあります」
 それはシェルクの急ごしらえの言い訳だった。その言葉に女性ははっとして振り返る。横にいた男の背中に慌てて視線を向けたが、彼はモニタを凝視したままでふたりの会話を気に留めていないようだった。
 その姿に安堵したように、女性はもう一度シェルクに向き直る。
「バックアップは私達に任せて」
 彼女の言葉に圧倒されるようにして頷いたシェルクに、画面から目を離したツォンが見計らったようにこう告げる。
「各地の中継基地の所在地と、仕様リストは揃えてある。飛空艇師団中央管制への侵入経路は今のところ検索中だ。他にも必要な物があったら言ってくれ」
 彼らの手際の良さには付け入る隙がない。
「どう? 私達の仕事、少しは信頼してもらえたかしら?」
 誇らしげな表情で問いかける女性を前に、今度こそシェルクは大きく頷くと改めて告げた。
「よろしく……お願いします」

 その言葉を口にしたシェルクの身の内から湧き起こる――魔晄とは別の――エネルギーは、これまでに感じたことの無いほど強いものだった。その正体を探ろうとするよりも先に、シェルクは端末に向かっていた。






―ラストダンジョン:第12章3節<終>―
 
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