第12章1節 : SND構想





「……親父の再来、か。それこそ悪夢だ」
 部屋の扉が開いても、声の主は姿を現さなかった。苦笑とも自嘲ともつかぬ声が紡ぎ出す言葉の意味を、シェルクは考えようとした。この男はなぜ、わざわざそんなことを口に出す? 一体何を考えている?
 男の声と重なるようにして聞こえてきたのは小さな機械音だった。近づいて来る音が、電動車いすのものだと分かったのは、扉の前にようやく現れた男の姿を視界がとらえたからである。
 よく見れば端整な顔立ちの若い男で、ゆったりした作りの白いスーツを着崩していた。身につけている物や言葉遣いから察するに、何不自由のない豊かな生活を送ってきたのだろう。彼にとって唯一の不自由と言えば、歩行機能ぐらいだろうか。
 自分の足下を見つめていたシェルクの様子に気が付くと、男は応えるようにして言った。
「6年前の災害で負傷して以来こんな生活をしているが、慣れてしまえばそれほど不便は感じないものだ。……私は、君のように熱心にリハビリに励まなかった怠け者なのでね。もっとも、私にはそうしなければならない理由も、必要性もなかった」
 そう言った男に対し、不快感の様なものを感じたのはなぜだろう? シェルクは言いしれぬ感覚に戸惑った。理由も分からないまま男の顔を見つめる目は、自然と鋭さを帯びていた。明らかに好意的ではないと分かる声で、目の前の男に問う。
「あなたは?」
「これは失礼。私はルーファウスだ。こうして実際に会うのは始めてになるが、君のことは資料を通して知っていた。……歓迎するよ、元ディープグラウンドソルジャー、シェルク=ルーイ」
 口元に笑みさえ浮かべてルーファウスと名乗った男は言葉を返す。仕草や物言いこそ品のあるようには見えるが、そこには常に相手への威圧を含んでいる。浮かべた笑顔は、決して友好の類で作られたものではない。
 それも男の名を聞かされた今となっては、彼の言動すべてに納得がいった。ディープグラウンドにとって彼は、言わば「神の子」だった。つまりシェルクにとっても彼はまったくの初対面ではなかった。
 とは言え、シェルクにとって「神」は神でも疫病神に他ならない。彼らのお陰で自分と姉が、とんでもない人生を歩まされる事になったからだ。そんな神の子を目の前にして、機嫌が良いという訳にもいかない。不快感の正体に思い当たったは良いが、だからといって機嫌が直るかと言えば答えは否だ。
「好んでなったのではありませんが」
「しかし間違いではないだろう? 君の持つ優れた能力を見込んで、今回の依頼を出したのは私だ。そして君は、その依頼を受けてここへ来た――」
「正確に言えば半ば強制的に、ですが」
 男の言葉をわざと遮ってシェルクは反論する。
 彼らは一方的にメッセージを寄越して来た挙げ句、連れ去るようにしてここへ招き入れた。シェルクにとっては、自ら積極的に取った行動の先に辿り着いた場所ではない。よりにもよって依頼主がこの男だと打ち明けられて、シェルクの不快感がさらに増したのは言うまでもない。
 一方、男はシェルクの主張をつまらなさそうに聞いていた。実際のところ、シェルクの反応がやや期待はずれであった事は否めない。もう少し歯ごたえのある会話を楽しめると考えていたからだ。そんな落胆を隠さずに、ルーファウスは大きなため息を吐き出した。
「『仕方なく』……か? そうやって自分でしてきた行為の責任を誰かに転嫁するのも一つの生き方、と言う訳か」
 あからさまにシェルクの不快感を煽るような言い方に、口を挟もうとする女性をツォンが制止した。そんなふたりの遣り取りを尻目に、ルーファウスは先を続ける。
「君の言うように、確かに我々からのメッセージは一方的だった。しかしそれを受け取り、実際に話を聞いてお前はここへ来た。そう判断し行動に移した時点で、お前自身の意志で依頼を引き受けると承諾した、あるいはお前自身の目的があるからに他ならないはずだ。……それを『半ば強制的に』と言うのは筋違いも良いところだ。それとも……」
 そこまで言うと肘掛けの上で右手を挙げ、手の甲に顎を乗せるとルーファウスはさらに言葉の先を続けた。

「いつまでも被害者気取りか?」

「社……っ!」
 どう見ても挑発的な態度を取るルーファウスに、思わず声をあげた女性の前に無言でツォンが立ちはだかる。背後での遣り取りには気付かずに、シェルクは立ち上がると真っ直ぐ前を見つめていた。
「……! そんなつもりは……」
「本人にそのつもりが無かったとしても、行動に対する結果への責任は常について回る。
 ……親が残していった莫大な負債について、その弁済責任は子が負わなければならない事と理屈は同じだ。私は親を選べない、しかし親の子として生まれた以上、その生存とそれを維持する行為についての全責任は私自身にある。それが嫌なら生を手放せばいい、それが出来ないなら生き続ければいい。常に、行動を選択しているのは自分自身であって他の何者でもない。故に」
「私はここにいる? ……確かに、その通りですね」
 彼の言うとおり、ここへ来たのはシェルク自身の目的を果たすためだった。気付きさえすれば、単純な動機だ。
「シェルク……」
 背後で心配そうに名を呼ぶ女性の事を気にかけながらも、シェルクは男の方へと足を向けた。その行動を、文字通り歩み寄りと取ったのか、ルーファウスは続けて語りかける。
「当面のところ我々の利害は一致している」
「……W.R.Oメインデータバンクへの不正侵入者の特定と追跡、建造中の新本部施設内の構造解析、メディアに流された情報に端を発する騒動の終結……」
 ルーファウスの言葉を補うようにして、ツォンが語る。彼の横に立ったシェルクはいったん足を止め、ツォンを見上げるとこう言った。
「そうですね。……ですが、その先はどうでしょうか?」
「…………」
 問いかけられたツォンは口を噤んだ。シェルクは、ツォンが答えられないことを分かった上で訊いている。ツォン自身もそれを承知の上で尚、返す言葉を見出せずに無言のままでシェルクを見つめた。
 ツォンの沈黙それ自体を、彼からの返答であると納得したように頷いてから、シェルクは小さくため息を吐いた。それでも彼がシェルクから視線を逸らそうとしなかったのは、彼女に対する誠意なのか、負け惜しみなのか、彼自身にも正確なところはよく分からなかった。ただ、とにかく視線を逸らしてはならないと思った。
 そんなツォンの視線を振り切るようにして顔を背け、無言でシェルクは再び歩を進めると正面にいるルーファウスに言葉を向けた。
「確かに私がここへ来た目的は、SNDの実行に耐えうる設備を使用する為です。それ以外には興味がありません」
「そう。我々がこの騒動の先になにを実現しようと、君には関係のない事だ」
 ツォンとは逆に、ルーファウスはあっさりとそれを認めた。依頼主と請負人の間には、当座の利益という結びつきしか存在しない。互いの意志や信念、思惑などは二の次だと。しかし一方で、それだけあれば契約を成立させる要件は充分に満たしていると言うことを。
 なによりもそれは、つい先程までシェルク自身が考えていた事だった。ルーファウスの言葉はためらわずに同意できる理屈のはずだった。
 しかし、シェルクの口から出たのは否定の句だった。
「……いいえ」
 そう言って脇からスピアを取り出すと、およそ3年ぶりに起動させた。小さなノイズと共にオレンジ色の輝きを湛えた凶器を差し向けながら、彼女は続けた。
「状況によってはこの場であなた方を始末します。私の目的はあくまでも設備であって、あなた方の存在など最初からどうでもいい。……それに、先ほどあなたはこう言いましたね? 私が『被害者気取り』だと」
 武器を眼前に突きつけられても尚、動揺一つ見せずに男はシェルクを見上げた。それから先を促すように顎を引く。その態度に僅かな驚きと、それ以上の不快感を込めてシェルクは言葉の先を続けた。
「では望み通り、私は最後まで被害者を気取りましょう。そしてあなたの父親が残した負債の一部を回収することにします。……もちろん、要求するのは金銭などではありません、あなたの命です」
 シェルクの脳裏には13年間の様々な記憶が蘇る。あらゆる恐怖、苦痛、孤独を見てきた彼女が作り上げたのは、あたたかみのない笑顔だった。
「私自身が奪ってきた命の数からすれば、とうてい足りませんがね」
 今さら目の前の男を殺したところで、得られるものは何もなかった。自己満足すら得られないだろう。確かにこの男の父親が、ディープグラウンドを創設したことによって自分と姉の人生は大きく狂うことになった。しかし、この男の命と引き替えに自分達の過去を取り戻せるわけでもない。
 ましてやこんな。
(……こんな)
 そこまで考えてようやくシェルクは不快感の正体に辿り着く。それはプレジデント神羅の息子であるルーファウスに対する恨みとか憎しみといった強い感情ではなく――むしろ落胆だった。シェルクもまた、ルーファウスに何らかの期待を抱いていたのだろう。少なくとも、車いす生活に満足しているような男が「神の子」であるはずはない。
(殺す価値もないような男に武器を向けるだけ無駄というものでしょうか)
 そんな男を手にかけたところで、無駄な体力を消耗するだけだ。今はそんなことよりもSNDに集中したかった。自分のしたいことを遮られている苛立ちと、遮っている者に対する不満が、不快感をさらに増大させていた。
 そう思うと無性に腹立たしくなった。
 しかし結果的にはそれで良いのかもしれない、多少でも満足を得られるのならばこのまま――ルーファウスの言葉を借りれば、最後まで被害者を気取って――殺してしまえばいい。楽になれるのかも知れない。
 スピアを持つシェルクの手に一瞬、力がこもった。

「ところで君は、自分の置かれている状況を理解しているかね?」

 車いすに座ってシェルクを見上げたまま、みじんの動揺も見せずにルーファウスは問う。皮肉にも彼の言葉でシェルクは我に返った。そして、やはりこの男を殺しても意味がないと同じ結論に落ち着いた。シェルクにとって第一の目的がSNDの実施である以上、ここで無駄な体力を費やすのは得策とは言えない。
 そうなれば今、相手に向けるべきはスピアではない。
「私もずいぶんと低く評価されたものですね。……ここにいる人間を皆殺しにするぐらい、大した作業にもならないでしょう」
 本意ではないにしても、シェルクが口に出した言葉に女性は顔を上げると、目の前の小さな背中を見つめた。けれど、いざ口を開こうとしてもなんと声をかけて良いのかが分からなくなった。助けを求めるようにツォンに視線を向けてみたが、彼は首を横に振るだけだった。
 彼らの心配をよそに、両者の舌戦は続いていた。見方によっては二人とも、いつの間にか弾む会話に夢中だったらしい。
「これはこれは、ずいぶんと物騒な物言いの被害者だな」
「……そうでしょうか? あなたの言う『被害者』を充分に気取っていると思いますが?
 加害者への憎しみや復讐心を、忠実に再現している……違いますか? ルーファウス神羅」
 その問いかけに、ルーファウスは涼しげな顔でこう返した。

「ここにいる限り、君が『被害者』で居られる場所と時間はまだ残されている。せいぜい楽しむことだ」

 それだけ言い残すと車いすごと方向転換をしてシェルク達に背を向ける。それは武器を向けられている者の取る行動にしては、あまりに無自覚で無防備だった。だが、武器を向けていたシェルクは黙ってその背中を見送ることしかできなかった。結局のところ彼女の心理――少なくとも殺意がない事――は見透かされていたのだ。
 部屋の扉が閉められると、今度こそ室内は重苦しい静寂で満たされた。
 向ける者も去ってしまった室内で、役目の無くなってしまったスピアを振り下ろすとシェルクは溜め息を吐き出した。ルーファウスと名乗った男は、話せば話すほどつくづく腹の立つ男だと思った。その一方で、そう感じる理由が彼の個性だけではないと言う事についても、薄々だが気付き始めていた。
「……ありがとう、シェルク」
 不意に背中から聞こえてきた女性の声と、唐突な言葉にはっと顔を上げた。動揺している事を悟られまいと、そのまま振り返らずに答える。
「あなたに礼を言われる覚えはありません」
「シェルクに覚えが無くても、私が言いたいから言ったのよ?」
「そうですか」
 気さくに声をかけてくれる女性の顔を見る事ができなかった。自分を心配してくれている彼女には感謝しているのに、なぜだか気まずかった。成り行きとはいえ、心にもないことを――ここにいる人間を皆殺しにするぐらい、大した作業にもならない――口にしてしまった事に対する罪悪感と、そんなことを平気で口にできる自分自身に対する嫌悪感。気まずさの原因はこの辺りだろう。
「気分を害したか?」
 振り返らずに答えたシェルクの横に、いつの間にか立っていた男に問われ、シェルクは首を振った。
「……問題ありません。ただ、あの男は面白い事を言いますね。
 だいたい、この格好で『被害者』と名乗ったところで、説得力に欠けると思いますが」
 そう言って身につけていたソルジャースーツを示してシェルクは自嘲するように笑う。このスーツを着た者達が、各地を襲撃したのは3年ほど前の出来事だ。それに、確かにシェルクも3年前まではそこに属していた、その事実は今さら覆せない。
 そんなシェルクに向けて、ツォンは意外なことを口にした。
「彼も、あなたと似たような事を言います。『外に出れば私は紛れもなく加害者だ』とね」
「“被害者で居られる時間”……そう言うことですか」
 心の中に湧き起こる不快感の正体、その中心を成すものが何であるかを垣間見た様な気がした。
 彼も、自分も、結局は同じなのだ。絶対的な加害者であるという立場も、それ故に現実に背を向けようとする思いも。だからこそ余計に腹立たしい。
 今となっては殺す――殺される――価値もない。それは、自分も同じであるのだから。






―ラストダンジョン:第12章1節<終>―
 
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