第10章1節 : 残滓に触れた者達 |
呼出ボタンを押してからかなり時間が経っていたものの相手からの応答は一向になく、シェルクはやむを得ず通信を切断した。これ以上待っていても無駄だ、諦めるしかない。 そもそも確証があったわけではないし、その行為自体はシェルクにとって賭けだった。 発信先のヴィンセントが、応えてくれればそれで終わる――祈るような気持ちで呼出ボタンを押した。しかし、彼は着信に応じなかった。あるいは「応じられなかった」可能性ももちろんあるが、シェルクにとって結果はどちらも同じだった。 『直通通信』で呼び出す端末の特定は出来ても、現時点の持ち主と所在地まで特定する事はできない。 それに通信回線が繋がっている環境でも、相手が応答しなければ意味はない。 どれだけ発達したネットワークであっても、所詮は遠隔地にある“端末”同士を結ぶ繋がりでしかない。そんなことは誰よりも一番よく分かっている。だからこそ賭けだった。 そしてその賭けに、シェルクは負けたのだ。 (やはりSNDしか方法は……) そこまで考えてから、何かに気付いたようにシェルクは目の前のディスプレイを見つめた。無意識にキーボードの上で拳を作ると、小さく首を振る。 (違う。最初から私には……これしかなかった) ――SNDで意識ごと直にネットワークへ潜り、端末にアクセスして操る能力しか無い。 その方法しか……知らないから。 頼るべき人の存在も、方法も。3年前に姉を失ったシェルクは知らないままだった。 彼女の失ったもの、取り戻すべきものは「10年」という時間だけではない。 2年前。魔晄依存症がある程度の回復を見せるとシェルクはW.R.Oから離れ、行方不明だった姉を捜すために単独で行動するようになった。リーブなどは最後までシェルクを引き留めようとしていたのだが、結局はシェルク本人の意志を尊重して送り出してくれた。 もちろんシェルク自身、ディープグラウンドから自分を救い出してくれたヴィンセントやリーブ、彼らの仲間達やW.R.Oの人々の恩に報いたいとは思った。その一方でW.R.Oに身を置き保護されている立場にある自分は、単に彼らの好意に甘えているだけで、このままの生活を続ければやがて彼らに依存するのではないかと恐くなった。だから身体機能が回復したら一刻も早く、この場所から離れようと決めた。今にして思えば、子どもじみた強がりや焦りにも似た動機だった。 彼らから離れて改めて気付いたのは、その存在の大きさと有り難みだった。同時にシェルクは、人を頼る術を知らなかった。彼女を心配して時折リーブから送られてくるメールに、どれほど救われ支えられたことか。 余談にはなるがリーブからのメールには励ましの言葉だけではなく、「仕事」の依頼も混じっていた。どれもシェルクのネットワーク技術を活かしたものばかりで、成果に応じて報酬も支払われる。それは地上での生活に慣れていないシェルクにとって、文字通りの支えになった。 感謝しているのは事実なのに、それをどう伝えて良いのかが分からず、伝えられないままでいる自分に苛立ちを募らせていた。 この時になってようやく、シェルクは自分が何も知らないのだと痛感した。だからといって自分から出てきた手前、何も果たせないまま戻るわけにも行かない――せめて、姉と再会するまではと躍起になっていた。しかし、地上に残された痕跡を辿っても、姉と再会することは出来なかった。 こうして姉の消息も不明のまま月日は過ぎ、何一つ手がかりも掴めず途方に暮れていた頃。シェルクは半ば自棄になって世界中のあらゆる機関のネットワークにアクセスを試みた。なんでも良い、とにかく姉に関する情報が欲しかった。自分を探すために地上で活動していた10年間の記録だっていい、どこかに手がかりが残されているのではないか? そんな小さな可能性にすがる思いで。 その中にはもちろん、W.R.O<世界再生機構>も含まれていた。メインのデータバンクにアクセスし、そこから更に中枢へと向かった。暗号化や防壁、幾重にも施されたセキュリティ網を無我夢中でかいくぐりたどり着いた先には――結局、手がかりになるような物は何もなかった。それに、もしも姉に関する情報があればリーブのことだ、真っ先に教えてくれたに違いない。その程度のことは冷静に考えればすぐに分かったはずだった。 落胆の中、帰途を見失ったシェルクがデータバンク内で偶然見つけたのがデータの廃棄エリアだった。不要とされ断片化されたファイルが無秩序に散乱するこの場所は、一定期間ごとに行われる全データ抹消作業までの間、一時的にデータが集まる場所のようだった。たとえば、W.R.O<世界再生機構>新本部施設建造に関するデータ――これは、シェルクが先ほどからアクセスを試みている物の草案だと思われる――があった。ここには内部の基本構造や工程、予算など細かに設けられた項目についてそれぞれ記された計画書らしい。とにかくそこいら中に沢山の断片が散らばっていて、それだけでも作成者の苦慮が見て取れる。その数に圧倒されながらもひとまず目を通しては見たものの、さすがに姉に関する情報は見あたらなかった。 そんな中で1つの断片データが目にとまった。見たところ何かの報告書にも思えたが、まったく意味が分からない。新本部施設建造に関連した記述ではないし、W.R.Oの運営に関するデータでもなさそうだ。まして姉に繋がりそうな要素はかけらもない。 しかしそのデータに触れたとき感じたのは、それが単なるデータではないという妙な感覚だった。まるで――ルクレツィア・データを体内に埋め込まれたときの様な――データに残された作成者の意思や感情のような、とても抽象的なもの。しかもあの時とは違い、自分の肉体に直接埋め込まれている訳でもないのに伝わってくるだけの、強い思いだった。 最初こそ戸惑ったが、なによりもこのデータに興味を持ったのは、それが意図的に「分解」され「破棄」されているという点だった。 断片化という点では、かつてルクレツィアがネット上に残したデータも同じだったが、彼女の場合はそれを“残し”、後に“再統合”させるための手段としていた。しかしこれは――言ってみれば書き損じた物を破棄した結果生じた――本当の断片だった。 例えるならば二度と再現されないようにと細かく裁断された紙屑を拾い上げたシェルクの目には、それを記した人物の書き残した文字が見えた。とても丁寧で読みやすい文字は、その人柄を反映しているとでも言うように――これがデータ作成者の意思や感情が、シェルクに伝わるという原理だ――また念入りに、復元不可能なほどに細かく破り捨てた点から見ても、用心深い性格なのだろうと推測できる。 しかし、捨てる物になぜこれほどの思い、あるいは意思が残されているのだろうか? シェルクはそれを不思議に思った。やむを得ず捨てたのか? それともデータ作成者の意思とは関係無しに破棄されたのか? だとしたら誰が? 何のために? そして、このデータはそもそも何だったのか? 姉に辿り着く情報ではないと知りながら、シェルクは自らの好奇心を満たすためだけに断片化され散らばった情報をかき集めた。それでも既に残されているもの自体が少ないらしく、原文を再現するにはほど遠かった。 『システムの星還』 唯一、断片からまともに読み取れた言葉はこれだけだで、しかもまったく聞き覚えのない言葉だった。『星還』と書いて『せいかん』とでも読むのだろうか? 『システム』とは何を示しているのだろうか? 結局データから得られたのは疑問ばかりだった。 しかしいくら考えたところで、それ以上は何も分からなかった。 ただ、断片化されたデータに残された強い思いと、それに触れたシェルクが抱いた不安を取り除くためだけに、彼女はその後、独自にデータを追い続けた。 その途上、自分とは別の経路でこのネットワークに侵入する者の存在に気付いたのは、最初のデータ発見から数ヶ月後の事だった。シェルクに比べれば劣る物の、手口を見ればこういった事に慣れた者だと言うのは分かった。どうやらこの『第二の侵入者』も、ここにあった何かのデータに興味を持っているらしく、頻繁にアクセスする様になった。 そんなことを数回繰り返すうちに届いたのが、半月前の差出人不明メールだった。正体こそ分からないが、それが『第二の侵入者』から届いた物だと言うことをシェルクは察知した。しかも、彼らの方から接触を図ってきたのである。 シェルクが彼らの要請に応じてここへ来た目的の1つは、この謎のデータの正体を突き止めることでもある。 自分を呼んだ彼らの思惑はどうあれ、この機を逃す手はない。 誰かを頼る方法は知らなくても、利用することならできる。彼女はそう思っていた。 ―ラストダンジョン:第10章1節<終>―
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