第5章2節 : 受信記録





 ここまで着てきた服を脱ぎ、念のためにと用意した荷をほどくと、中に納められていたソルジャースーツを取り出す。それはディープグラウンドで暮らしていた10年間、ずっと身につけていた物だ。
 オメガ戦役以降、シェルクは開放されてから体質改善におよそ1年もの時間を費やした。かつてクラウドが陥ったような魔晄への急性的中毒症状ではなく、彼女の場合は慢性的な魔晄依存症と言って良い。ディープグラウンドでは能力の酷使と相まって、1日1回の魔晄照射を受けなければ身体機能を保持できないほど重度の依存症だった。あれから能力を使う事それ自体は無くなったが、体質が元に戻るまでには時間が掛かった。決して楽ではないリハビリを支援してくれたのは、W.R.Oをはじめとした「理屈抜きのお人好し」な人々だった。彼女の場合、身体機能の回復はもとより、心の安定を取り戻すためにも時間が必要だった。
 こうして魔晄照射をまったく受けなくなってから2年が経過し、魔晄に頼らなくても日常生活を送る分には支障ないまで回復していた。
(まさか……今になってこれを着る事になるなんて)
 そう考えると思わず苦笑が漏れた。
 前腕部分をすっぽりと覆うグローブに手を通すと、少し違和感があるように感じた。これを着るのもおよそ3年ぶりだ。機能を回復したとはいえ、止まっていた成長が再開したわけではない。彼女の成長はディープグラウンドで繰り返し施された実験の後遺症で、今も止まったままである。残念ながら彼女の感じた違和感は、成長による体格の変化から起きるものではない。
 シェルクが自ら望んで捨てたはずの能力に、今さら頼ろうとしている矛盾に対する感情が、違和感として表れたと言える。しかし、そんなことを気にしている場合ではなかった。
(環境も設備も満足に整っていないこの状況で、本格的なSNDを行うことはないと思いますが……)
 本音を言えば不安だった。
 これまでの2年間、シェルクは魔晄照射に頼らず身体機能を維持できていたのは“能力”を使わなかった為である。能力を使う事は彼女自身の体力と精神力――ひいては生命エネルギーそのもの――を著しく消耗する。それを補うための魔晄照射だった。
 今回、万が一にでもSNDを強行すれば回復する手段はない。
 潜行するにしても時間は限られている。短時間でケリを付けて戻らなければならない。自信が無いわけではないが、保証はない。
(…………)
 脱いだ服をしまい、かわりに携帯電話を手に取った。地上に戻ってからというもの、不安になるといつもそれを見つめていた。
 3年前の再会の折、気がつけばいつの間にか登録されていたアドレスがあった。教えてと頼んでもいないのにと言ったが、けっきょく削除することができずにいたアドレス。
 返信は来ないと分かっていながらも彼女は3年間、そのアドレスにメッセージを送り続けている。
 事実、返信は未だに一度もない。

 それでもシェルクにとって唯一、姉に思いを届ける事ができるのはこの携帯電話だった。

「……どうしたの?」
 手にした携帯電話をじっと見つめて佇んでいるシェルクに、訝しげに声をかけたのはあの女性だった。
 呼ばれて顔を上げると、シェルクは小さく微笑んでこう申し出た。
「メールぐらいは平気ですか?」
「悪いけど……宛先にもよるわ。誰に?」
 問われて、少し気まずそうにシェルクは視線を外す。それから俯いてこう言った。
「私の……姉です」
 その言葉に女性は一瞬、表情を変える。シェルクは顔を上げ再び向き直ると、平静を取り戻してこう続けた。
「でも安心してください、こちらが一方的に送るだけのものですから。これは……私の気休めに過ぎません」
「なぜ?」
 わざわざ届かないと分かっていてメールを出すなんて。と、口に出さずとも女性の顔に書いてある。きっと素直な人なんだろうとシェルクはぼんやりと考えていた。
 それから問われている事に答えるべく、それを表現するのにもっとも相応しい言葉を探し、笑顔を作った。

「姉は3年前、私を庇って死んでいるからです」

 女性は驚いた表情のまましばらくシェルクを見つめていたが、やがて目を閉じてすまなそうに告げた。
「嫌なことを聞いたわね、ごめんなさい」
「事実ですから、なにもあなたが気にする必要はありません。それに3年前、私が姉を拒んだことを今になって悔やんでも、どうにもなりません。でも……」
「その気持ち、分からなくもないわ」
 彼女は柔らかく微笑んで、まるで何かを懐かしんでいるように呟いた。
 ああ、とシェルクは思う。きっと彼女も、自分と同じなのだろうと。
「……良いわ、メールを送信し終わるまで待ってるから」
 そう言って彼女はシェルクに背を向けた。そんな彼女に「ありがとう」と呟いて、シェルクは携帯を手に操作を始めた。慣れた手つきで文字を入力し、送信ボタンを押す。一度も返信のない宛先に向けてメッセージが発信されたのを確認した後、彼女はスーツのポケットから細いコードを取り出すと、充電用の端子にそれを繋げた。
 傍目から見れば充電中の携帯電話と区別はつかないが、シェルクの端末にはある特殊な処理が施されていた。携帯電話にさされたコードを辿ると、ソルジャースーツに繋がっている。
(……準備は整いました)
 もういちど携帯端末の文字入力を実行する。

 ――#VIN

 幸いにも、その行動が示す意味を知っている者はここには誰もいない。
 シェルクは端末の前に再び腰を下ろすと、コピーしたデータの解析を始めるべく、プログラムを起動させた。





―ラストダンジョン:第5章2節<終>―
 
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