罪状認否 |
朗読される起訴状。犯行時の状況が克明に記されたそれを読み上げる声に、男は黙って耳を傾けていた。 瞼を閉じれば、今でもそのときの光景がよみがえった。それは読み上げられているよりも日常的で、穏やかなものだった。 *** 男は手した拳銃を女へ向けるとこう告げた。 「大人しくして頂けますか? 貴女にはこれから、人質になってもらいます」 地味な色の背広を着こなし、ひどく落ち着いた声と丁寧な口調で言われたものだから、身に迫る危険とは裏腹に、女は少しおかしくなった。 「……説得力がないわね」 その行為が略取、あるいは営利目的の誘拐であることを知りながら男は銃口を向けた。 その行為が神羅、あるいはプレジデントの意思である事を知りながら女は向けられた銃口を見つめ、微笑んだ。 引き金が引かれることは絶対にない――初対面であるはずの男に、それでも確信めいたものを感じた。それは銃を持つ男の目を見れば分かる。魔晄色に染まっていない瞳は、心身共に純粋な人間であることを物語っていた。 「不慣れな物で。色々と至らない点はあるかと思いますが……」 「分かったわ」 こうして女は、男の人質となることを承諾したのだった。 *** ――さて、ここで裁かれるのはいったい何の罪か? *** 目の前に広がる書類の海。真横に整然と並べられたディスプレイには無数の数字が羅列されている。 雑然としたその部屋に、男は一人佇んでいた。 「……吐き気がする」 片付けても片付けても増す一方の書類と、増加を続けるコンピュータ上の数字を一瞥して、彼は溜息混じりに呟いた。 「どないすれば……ええんやろか?」 独特の言葉と抑揚をつけたその口調、顎にひげを蓄えた中年男性――このビルの中では少し名の知れた人物だった。 突然、机の端に置かれた電話が騒がしい声をあげた。慣れた手つきで受話器を取り上げると、形式的な短い返答を返す。スピーカーからは早口でまくし立てる部下の声が聞こえてきた。 『統括、新しく入った被害状況報告をお送りしました。ご確認お願いします』 「ああ、ありがとう。いま手元で確認していたところだ」 (言われなくても見とるわい!) 神羅都市開発部門統括――それが、この男の肩書きであり職業だった。彼はここミッドガルにもっとも深く関わる者の一人であり、今やその責任者にまで上り詰めた人望と才能にあふれた人物だった。 自らが携わり、築き上げた都市『ミッドガル』。誰よりもその都市の繁栄を願い、都市開発という仕事を誇りとして来た彼にとって、あの会議で下された決定は受け入れがたいものだった。 「七番街プレートを爆破する」 神羅による自作自演。プレート下7番街住民の生存権は侵害どころか奪われることになる。それを認識したうえで良しとするプレジデントの決定だった。 この決定に対し、幹部の中で異を唱えたのはリーブのみである。しかしその声は、圧倒的な権力と道徳を伴わない営利主義の前に呆気なく敗れ去った。 そんな自分の姿を揶揄した同僚に反論することもできず、ただ呆然と立ちつくすリーブを労ったのは、他でもないプレジデント自身である。 「君は疲れているのだよ、休暇でも取ってゆっくり養生したまえ」 そう言って自分の背を押す彼の手を振り払うことはできなかった。こうして、彼は7番街の爆破を見守り、その後の事態の収拾に奔走することになった。 そんな彼が、再び5番街郊外に建つこの家を訪れたのは真夜中の事だった。 「……あの、夜分に申し訳ないのですが、少しお願いしたい事がありまして」 キッチンに立つ『人質』エルミナに対し、『誘拐犯』リーブが申し出る。 「電話に出ていただきたいのです」 「電話?」 「ええ。……一応、形式的には誘拐ですから。……その、“取引”を……」 「……アンタも大変だねぇ」 リビングでソファに座っているマリンが、眠い目をこすりながらキッチンに立っていたリーブを指さして。 「あとかたづけ、ジャマしちゃだめだよ!」 と窘める。 ごめんねと謝りながら、リーブは困ったようにエルミナに視線を戻した。彼女は食器を洗う手を休めないで答える。 「……形式も崩れてる気がするよ」 「すみません」 そう言って頭を下げるリーブの姿を見て、「どうも迫力に欠ける誘拐犯だね」とエルミナは一笑した。誘拐犯にも被害者にも、一様に緊張した様子は見られなかった。むしろ、ここに漂っている奇妙な雰囲気は何だろう、リーブはそう思う一方で居心地の良さを確かに感じていたのだった。 しかし彼女の顔から笑みはすぐに消えた。それから真顔になって続ける。 「ただね。どういう事情があるのか知らないけど、こういう卑怯なやり方は感心できないねえ」 「……そうですね」 反論はしなかった。彼とてそれは重々承知していたし、彼女の指摘はもっともだ。その上での行動だったが、だからといって今さら自分一人の意思で中止するわけにもいかない。 背広のポケットにしまってあった通信機を取り出す。これは当時の小型通信機器の主流だったPHS――のような形態はしているが、どうにも様子が違って見えた。エルミナはリーブの様子を見ながらさらに問う。 「すべての事情を話してもらえないのかい? でなきゃ私は電話には出ないよ」 「…………」 まるで子どもを叱る母親のようなエルミナの語り口に、それでも優しい瞳を向けられて、リーブはどう言葉を返して良い物か分からなくなった。 いっそのこと、自分の行い全てを否定してくれた方が楽だったのに、と思う。7番街プレート爆破の事から――それこそ、歩んできた全てをうち明ければ、望み通りの言葉が返ってくるのかも知れない。ふと、そんな考えが頭をよぎった。 しかし全容を語る訳にはいかない。もちろん、エアリスの育ての親にあたる立場にあったエルミナには、語らずともある程度の背景は見えていたはずである。だからこそ、自分の口から全てを話すわけには行かなかった。 真実を隠すため、憎まれ役に徹しよう――リーブはそう決意していた。PHSを左手に持ち替え、あいた方の手で背広の内ポケットからそれを取り出しエルミナに向けると、静かに告げた。 「エルミナさん。申し訳ありませんが――今は立場をわきまえて頂けますか?」 そう言って銃口を向けたものの、エルミナの目を見る事はできなかった。 一方のエルミナは、そんなリーブの姿を痛々しく思いながら見つめていた。 (あんたに、引き金は引けないんでしょうに……) 迫力のかけらもない誘拐犯だと思った。それでも彼は、必死に役を演じている。だから声に出すことはしなかった。 エルミナにとって、銃口を向けられるぐらいでは今さら怯むことはない。エアリスの後をつけ狙う神羅の総務部調査課の連中に比べれば、リーブの方がよっぽど礼節を重んじているように感じる。事実、やっていることとは不釣り合いなほどに彼は紳士的だった。神羅の社員であることは社章を見れば分かるが、同じ部署の人間だとは思えなかった。 だからこそ、銃口を向ける彼の姿がエルミナの目には痛々しい姿として映ったのだろう。 そんな必死の決意を足下で揺るがしていたのはマリンだった。リーブの上着の裾を引っ張りながら、エルミナの方を向くと短く告げた。 「この人わるくない、たぶん」 「マリンちゃん?」 エルミナが怪訝そうな表情を向けて問いかけたが、マリンはそれ以上なにも答えなかった。 ――分かってる。 この人が、お人好しすぎるんだって事ぐらい。 だけど言ってしまえば、きっと彼自身が困惑するだろうから。そう思ってエルミナは黙っていることにした。 共犯になってしまう事はもちろん承知のうえで、それでも彼女は見守ることを選んだのだ。 やがて通信が始まる。通話に応じることは拒否したものの、一方的に会話を聞かされるエルミナの表情は暗かった。通話の相手を知っている――通話中、リーブは自分の名前はもちろん、取引相手の名前も口に出す事はしなかったが――そんな気がしたからだった。 ソファに座るマリンに通信機を向ける。リーブは先程、予め渡して置いたメモを指さした。そに書かれているのは、マリンにとっての父親の名前。 「父ちゃん」 そう口に出した瞬間、受話口から声が返ってきた。聞き覚えのある女性の声にマリンは躊躇いなく彼女の名前を口に出した。 「……あのね!」 心配しないでと、伝えてあげよう。自分とエルミナさんの無事を。とにかく必死に叫ぼうとしたマリンをやんわりと遮って、通信機を遠ざけるようにして立ち上がったリーブは言い放った。 「……と言うわけです、みなさんはボクの言う通りにするしかあらへんのですわ」 『最低だ』 「最低よ」 エルミナはリビングを見つめながらそう呟いた。自分が呟いた言葉が、通話先の相手と同じ言葉だとは知る由もない。 リビングからは少し控えめになったリーブの声が聞こえてくる。 「そりゃ、ボクかてこんな事やりたない。人質とかヒレツなやり方は……」 その声を聞いたエルミナはエプロンをたたきつけるようにして台所に置くと、リビングへ足を向けた。その間もリーブの話は続いている。 「まぁ、こういう訳なんですわ。話し合いの余地はないですな。今まで通り、仲良うしてください。明日は古代種の神殿でしたな? 場所知ってますからあとで教えますわ。神羅のあとになりますけどまぁ、そんくらいはガマンして下さいな」 この家で見せる表情とは違う、狡猾な態度。エルミナが憤りを感じたのは、なにもそれだけの理由ではなかった。 リーブが通信機の通話を終えるのと、エルミナが叫ぶのはほぼ同時だった。 「いい加減になさい!」 「……あ、すんません」 頭を下げたところまでは良かったが、とっさのことについ訛もそのままに言葉を発して、リーブは我に返ってまた頭を下げた。どこまでも腰の低い誘拐犯だ。 「不快な思いをさせてしまって申し訳ありません。ですが、これであなた方の役目は終わりです。窮屈な思いをさせてしまった事もお詫びします」 このまま本社へ帰ろうとリビングを出て玄関へ向かおうとしたリーブの背中に、エルミナはぶつけるように言葉を吐いた。 「やりたくないと思うなら、今すぐやめてしまいなさい」 彼女の声に驚いてマリンが顔を上げる。その姿に気づいてエルミナは口元に手を当て、今度は小さく呟くようにして言った。 「そんなことをしていたら、きっと今に後悔するわよ」 「…………」 リーブは立ち止まり言葉を失った。彼女は、ここに至るまでの全ての経緯――夢を抱いて神羅に入社した日の事、都市開発部門に配属になって必死で働いた事、そして……その都市を神羅自らの手で破壊し、その計画に荷担した事――を、知っているとでも言うのか? こみ上げてくる感情が、のどの奥で息をふさぐ。 「取り返しのつかない間違いを、あとで後悔したって遅いのよ」 「分かっています。それは、そんなことぐらい……充分」 現に7番街は潰れた――もう、遅い。 リーブは拳を強く握りしめる。あふれ出した感情を手の中で握りつぶした後、言葉を続ける。 「それでも私は、神羅の社員である以上……会社には、逆らえないんです」 「最低よ」 「ええ、自分でもそう思います」 玄関の戸を開け建物を去る間際、彼は一度だけ室内に身体を向けて深々と頭を下げた。 「でも、私は神羅の社員です。社員でいることを望んで今もここに立っています。その意味も、負わなければならない責任も分かっています。ですから今度こそ……」 この都市を守ってみせると、心の中で呟いて。 頭を上げると、振り返ることなく家を後にした。 ぱたんと静かに扉が閉じられてから、エルミナは言いようのない脱力感に襲われていた。 なんと不器用な男だろうと、つくづく思うのだ。 遠い昔、同じ様な事を言ってここから出ていく夫を見送った日の事を思い出していた。彼は――二度と帰ってくることはなかったけれど。 こうして、この奇妙とも思える誘拐事件は幕を閉じる事になる。 *** 起訴状の朗読が終わり、意見陳述の機会が与えられる。 「エルミナおよびマリン誘拐の罪について、君はそれを認めるかね?」 自分の横に立つ男に問われ、リーブは起訴事実は認めると答えた。しかしその直後、自信と確信をもって彼は口を開き、己の裁かれるべき本当の罪を告白した。 「述べられた事実は認めます。……しかし私が裁かれるべき罪状は、他にある」 誘拐罪について、確かに被害者であるエルミナとマリンからの直接の訴えはなかった。この機会も略式的な物にすぎないことは、この場に集まった全ての者が認識していた。 しかし、リーブはあえて言葉を続ける事を選択した。 「私は、神羅都市開発部門の責任者でありながら、もっともしてはならない罪を犯しました。私が裁かれる罪状は――殺人罪です」 判事の誰もが顔を見合わせ、言葉を失った。リーブに罪状を問うた本人さえも口をつぐむ。 真っ直ぐに見つめるその先に、この場所における最高権力者が座している。判事と呼ばれるその男は、一言も発さなかった。 沈黙の時間が過ぎ、ようやく言葉を発したのは質問者だった。 「誘拐罪について彼はそれを否認しました。被害者からの起訴もありません。何よりも、我々は立件できない事案について証拠なしに審理することはできません。ただ、1つだけ言える事は、彼の……リーブの行動によって、ミッドガルの多くの住民が、救われたという事実です。……私から申し上げるのは以上です」 罪を追及する側であるはずの質問者は、その発言を最後に着席した。 再び流れた沈黙。それを破ったのは、判事の声だった。 「罪があるからこそ罰が存在する。私はそう考えています。 犯行を立証できない以上、この場でその真偽を見極め裁くことは不可能です。 ですがあなた自身が罪と認識しているのであれば、その罪を償う事ができます。 そして我々の手を借りずとも、あなたにはそれができると判断しました――」 はっとして見上げれば、壇上の男は微笑んでいるようにも見えた。 その後、判決の言い渡しはとても短い物だった。 しかしその先に続くのは、果てしなく遠い道。 彼は言う、「その道を進む足を止めないことが、あなたの犯した罪の償いなのだ」と。 主 文 本件公訴を棄却する。 罪状認否<終>
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* 後書き(…という名の言い訳) |
FF7:Disc1ゴールドソーサーでのイベントの裏側。と言う意味で書いた物です。 ケット・シーを通してクラウド達に見せる狡猾な態度の一方で、エルミナとマリンの前では“本体”でそれを演じようとするものの、良心の呵責に苛まれると言うそんな図です。 こういうのがリーブらしいというか、リーブなんじゃないかなと書いた本人は思っています。(理想のリーブ像……かも知れません)
ところでこのSSを投下した際にも思われた様ですが、FF7にしては「裁判」って唐突な設定ですよね。 |