旅費精算申請書


 彼らに与えられた最後の安息日。
 故郷へ帰る者。肉親や愛しい者達と過ごす者。再び自分を見つめ直す者――彼らが生きるか滅びるか。どちらにせよ、明日で全てが終わるのならば――せめて今日ぐらいは。
 それぞれが、思い思いの場所で時を過ごしていた。
 そんな中。

「……どうしてこんな所にいらっしゃるんですか?」
「君の方こそ。てっきり郷里に帰っているものかと思っていたよ」

 建物の高層部分と、指揮系統が崩壊した神羅に、自らの意志で戻ってきた者達がいた。
 一人は普段通りのパンツスーツ姿。いま一人も――やや草臥れた感のある――背広を身につけている。互いに、台車に積んだ数多くのファイル類を運んでいる最中のようだった。

「わっ私は……その、残務処理です」
 言葉を選んでいるのだろうか? 詰まりながら彼女は答えた。
「総務の方の資料整理か? ……そんな事より、彼氏の傍にでもおった方がええやろ?」
「……。統括こそ、こんな所で一人油を売ってる暇はないんじゃないですか?」
 総務部調査課――通称タークス――の新米工作員・イリーナは、都市開発部門統括に向かって僅かばかりの皮肉を込めて言うが、リーブは笑顔でそれを受け流してしまう。
 その飄々とした振る舞いを見ていると、都市開発という異部門のリーブをスパイ役に抜擢した上層部の判断は正しかったのだろうと、今更だが納得するのだった。
「明日は、いよいよ大空洞でしたよね」
 イリーナの表情に不安の色を見て取ったのか、リーブは頭の後ろに手を当てながら、戯けた口調で返した。
「けど、実質わいは現地には行かへんからなぁ〜。でも、心配いらへんで! 明日は大安や!」
 ケット・シーの占いだと付け加える。
「……統括ご自身は行かれないんですか?」
 少し意外だという口振りで尋ねるイリーナに。至極当然といった表情を向けてリーブは答える。

「出張費が経費で落ちんのや。わいの財政状況で大空洞遠征は無理や」

 イリーナは今度こそ呆れたように溜息を吐く――よく今まで、都市開発部門の統括を務められたなと――カートを押し、再び歩き出そうとした彼女の耳に、小さな声が届いた。
 照れ隠しなのか、それとも申し訳ないという思いからなのか。本当に、小さな声で。

「わいが行ったとしても、生身ではなんも力になれへん。……自分の実力ぐらい弁えとるで」
 その言葉に、はっとして横に立つ男を見上げれば――彼の表情は思いの外柔らかく。
 けれど次の瞬間には、いつものどこか戯けているような、ケット・シー独特の口振りに変わっていた。
「君とはもう会えんかと思とったけど、今日会えて良かったわ」
「どうかしたんですか?」
 不思議そうに見上げながら、リーブの言葉を待つ。
「……どうしても、渡しておきたい物があったんや」
 ゆっくりと顔を向け、イリーナを正面から見つめる。年齢相応の落ち着いた雰囲気に、半ば圧倒されたように彼女は言葉を失う。
「受け取ってくれるか?」
 無言で頷くイリーナの様子を見届けてから、話を続ける。
「もしかしたら、明日。全てが終わってしまうかも知れん。……わいらも、この星も」
 イリーナは無言で首を横に振った。
「せや。わいかてそんなのはゴメンやで。せやから明日、クラウド達と大空洞へ行く。……100%の自信はあれへんけど、全力は尽くすで」
 クラウド達とも幾度かは一戦を交えた事がある。だから彼らの強さは、ケット・シーを通して共に行動しているリーブより、恐らく彼女の方が身をもって知っていただろう。
 クラウド達は確かに強い。
 そんな彼らが立ち向かうのは、神羅にとってかつての英雄。
 そして今、こうして居る自分たちは神羅の人間で――皮肉な話だと思った。
 まるで仕組まれたような偶然。それとも神羅という組織が、一企業という枠に収まらない程大きな力を持ってしまったという必然なのか。
「…………」
 ゆっくりと、何気なくイリーナが視線を向けた窓の先には魔晄炉の明かりが見える。
 ぼんやりとした薄緑色の光が、倒壊の煽りを受け非常灯が点灯しているビル内に漏れ入っていた。
 かつて賑わいをみせていた神羅ビルの1フロアも、今やその面影すら失せてしまった。静寂と薄闇の支配するそこは、まるで墓場の様だった。
「私達……生き延びられますか」
 問うわけでもなく、独り言のよう零されたイリーナの声に。
「そればっかりは、分からんなぁ……」
 ふう、と大きく溜息を吐いてからリーブは答えた。
「何と言っても、星の意志やからなぁ」
 ――それは恐らく、セフィロスですら分からないのではないか?――声には出さず呟いてから、リーブも視線を窓外へと転じる。靄のかかった空のはるか彼方に、目指すべきその場所がある。
 星の生命。人々の思い――『ライフストリーム』――それを糧として生き続ける地上の人々と、それを支える文明技術。そして、担い手となった自分達に突き付けられた現実。
「魔晄――私達のやっていた事は……」
 視線を外にやったままイリーナが続ける言葉を遮って、リーブは断言した。

「わいらは間違っとらへんで」

 言葉に表れた相手の思いを遮ってでも、それだけははっきり言える。
「……統括?」
 あまりにも自信に満ちたその声に、困惑しながら視線を目の前の男の方へ向けたイリーナに、リーブは穏やかな表情のままで告げる。
「わいらはなんも間違っとらへん。こういう生き方を、わいらの意志で選択して来たんや。……ま、中には不可抗力ってやつもあるんやろけど」
 そう言って、微笑んだ。

 彼女には、それが不思議でならなかった。
 何故この男は、こんなにも自信にあふれた表情で言い切れるのだろう?
 多くの同僚達を失った。同僚だけじゃない、大切な人達を失った。神羅内外を問わず、一連の出来事で犠牲になった多くの人々がいた。
 神羅、そしてそこに与していた自分には、大きな責任がある。
 決して弱いとは思っていないが、この重圧には耐えられそうにない。
 現に、目の前で多くの人々が死にゆく様を見ている。そして今、星そのものが滅ぼうとしている。
 逃れようのない現実に、普通の人間であればとっくに命を投げ出し、生きる事そのものを放棄していたかも知れない。けれど、イリーナはここにいる。
 自らの足で神羅に、戻ってきたのだ。

 何故?
 不思議なのはリーブの態度ではなくて、自分の行動だと気付く。
「間違っとらへん。あんたもそう思とるから、ここへ戻って来たんちゃうか?」
 彼の言うそれが、全ての答えだった。

 軽く肩を叩かれて、ようやくイリーナは我に返ったようにリーブを見上げる。
 いつもの笑顔がそこにある。
 そして。
「間違っとらへん。せやからもっと、リラックスしーや」
「でっ、でも……!」
 今度はまるで宥めるように肩に手を置いて。
「たまたま、今回は納期が差し迫っとる仕事やと思えばいい。わいらなら出来る。……いんや、プロフェッショナルやさかい、やり遂げたろやないか。な?」
 一瞬、驚いたような表情を浮かべたが、直ぐに下を向いてしまうイリーナに。

「わいらはプロフェッショナルや」

 繰り返し告げられた言葉。
 それは、仕事ではない。
 生涯をかけてこの星に懸けようという決意の言葉。

「……ミッドガルの人達は、一時的にプレート下に避難してもらおうかって思とるんや」
 元来、ミッドガルのプレートは貧民層を押し込めておくための隔壁ではない。いざという時の為にシェルターとしての機能を持たせたその真価を、今こそ発揮できるのだ――それは、都市開発に携わってきたリーブにとっては念願でもある。
 自信と、希望に満ちた声は語る。
「わいは、これが正しいと思とる。せやからここに留まっとるんや。北の大空洞へ行ったって役に立てへん。けど、ここにいれば出来ることがある」

 ――都市開発部門の長として、それが務めや。

 それが武器を持たないリーブが選んだ、彼なりの戦い方だった。

 「この男は強い」と、イリーナは心底思うのだった。
 同時に、見失いかけていた自分を取り戻したような感覚を、その身に覚える。
 沸き上がるこの感覚は、紛れもなく。
「統括。わたし……」
 生きようとする力。
「私にも、手伝わせて下さい!!」
 守ろうとする意志。
 この星に生まれ落ちた者が背負う宿命と戦わなければならないと言うのなら、最後まで抗ってみせよう。星の前に一個体の抵抗など無駄だと分かっていても、そう思うのは性なのだと思う。
 自信を持って言えるのは今、自分が生きているという事実。そして生きたいという真実。ならばそれに、身を委ねるのも悪くはない。
 「ただ、滅びを待つだけ」。
 残念ながら人間とは、聞き分けの良い生き物ではない。
 空から降る巨大な災厄にさえ、立ち向かおうとする彼らなら尚のこと。

「……待っとったで、その言葉」
 リーブはイリーナの顔を見て、楽しそうに笑っていた。
「人手が足りんのや。……悪いけど、こき使うで?」
「のぞむところです!」
 無意識のうちに、イリーナの声が弾む。
「危険やで?」
「承知の上です!」
 躊躇い無く答えるイリーナの姿に、リーブは一瞬表情を崩したものの。それでも彼女の固い意志を確認すると、こう告げたのだった。
「……そいじゃ、75分後に神羅ビル1F正面玄関入り口に集合や。時間厳守の無理は禁物。ええな?」
「分かりました! それじゃあ、用意して来ます!!」
 止める間もなくそう言って、イリーナはカートを押して走り出した。

「わっ! ちょ、イリー……」
 走り去るイリーナの後ろ姿と、自分の発した語尾が薄闇のフロアに消え入る様を見届けながら。
 取り残されたリーブはやや困った表情を浮かべると、ポケットにしまってあった紙片を取り出した。
 都市開発部門統括・リーブに言い渡された最後の辞令。
 それが、諜報活動。
 紙片は、この任務遂行に際して発生する費用を申請するためのものだった。
 結局、上層部へ提出することの無かったそれを見つめて、いたずらを思いついたように口元を歪め笑ってから、胸ポケットにしまってあったペンを取りだした。

「……申請、受理してもらえるやろか?」

 提出する宛てのない、旅費精算の申請書を記入しながら呟いた。



 行き先。希望を込めてその欄に書き入れた字は――
 『約束の地』。





―旅費精算申請書<終>―
 
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* 後書き(…という名の言い訳)
 会社ネタ。とにかくそんなネタを書きたかったと言う……
 総務部(しかも調査課)のイリーナに、旅費精算申請書を渡すのは筋違い……いや部署違いだと思う、思うのですがもうそんなツッコミする気も起きませんでした。
 北の大空洞突入前日ネタは、シド編もあったりします[参照:蒼きマテリアの光輝]。全員分書ければ理想だなー…なんて。

 尚、『約束の地』までの旅費は自腹です。