親不孝は子の不幸 |
空に浮かぶ巨大な災厄――メテオを前にしても動じることなく、あの人は少年に言ったという。 「私はここで最後の時を待つつもりだ」と。 その話を聞かされたとき、私はあの人の決意を始めて知る事になった。あの日から4年も経った、今になって。 ――あの人は、私に代わって星の罰を受ける。 その覚悟でミッドガルに留まった。 「あなたが代わっても、どうなるものでもないのに……」 少年と話した後、席を立った私は店を後にする。誰にともなく呟いた言葉は、砂塵と共に風に流され消えていった。 その言葉も、あるいは言葉にして伝え忘れた思いも。あの人にはもう、届かない。 最後にあの人の手を握ってくれたのが、私ではなく彼で良かったと心の底から感謝した。 私は、振り返らずにエッジを後にした。二度と振り返ってはいけないと思った。 WRO<世界再生機構>局長リーブ=トゥエスティ。元神羅カンパニー重役という経歴も手伝って、今や世界中に名を知られた男。メテオ災害やオメガ戦役の痛手から復興し、新たな道を歩み始める世界の中で、彼は平和を願い今も精力的に活動を続けていた。 メテオ災害の前――ミッドガル壱番魔晄炉の爆破事件から今日まで、彼は1日たりとも歩みを止める日は無かった。時にはケット・シーの姿を借りて世界中を飛び回り、何かに取り憑かれたように前だけを見つめ、その時の自分に出来ることに全力で取り組んだ。 その姿を見てある者は言った、「まるで感情のない機械のようだ」と。 私には、密かに怖れていた物がある。それが“暇”だった。 何も考えないでいると、思考が過去に呑み込まれそうになる。だから今、目の前にある事やこの先起こり得る事に意識を集中していなければならなかった。 振り返らずに歩いていた、ただ前だけを向いて。この道がどこへ続いているのかも考えずに。歩けるだけ歩こうとした。過去から逃げるためだったのかも知れない。 やがてたどり着いたのは線路だった。ミッドガルの中央部、そこはかつてプレートの上下を結ぶ列車が運行していた物だ。どうやら、ずいぶん歩いてきたようだ。 風にさらされ剥き出しのレールが軋んでいた。何も考えず、何も怖れず、私は線路の上を歩き出した。ここを歩いてどこへ向かおうというのか、今さら何をしようと言うのか。そんな疑問を持つこともなく、ただ目の前に続いている線路の上を進んだ。 4年という歳月は、人や風景を大きく変貌させる。そうでなくてもミッドガルは――メテオの接近、ライフストリームの直撃、ディープグラウンドとの交戦、オメガの顕現――災いの温床として何度も戦いの舞台となり、たくさんの命がここから星に還った場所。平和だった頃の面影は跡形もなく消えていた。 まるで夢か幻であったとでも言うように、どこにもその面影は残されていない。 2日間歩き通した末にたどり着いたのは、名義上は私の家とされていた場所だった。とは言っても、ここへ帰ってくる事はほとんど無かった。5年ぶりぐらいだろうか。今や意味を失った敷地の境界は瓦礫で覆われ、その姿さえも失っていた。 私はここへ来た理由を、ようやく理解した。確かめたかったのだ、あの少年の言葉を。 ――「私はここで最後の時を待つつもりだ」 ふだんの私ならば、今の自分を見て正気の沙汰ではないと非難するだろう。 恐らく、今の私は正気ではない。正気でこんな事ができるほど丈夫な精神は持ち合わせちゃいない。 家の裏手に回ると、土の上に立てられた簡素な墓標を引き抜いて、そこを素手のまま掘り返し始めた。中から出て来たのは、ひからびた植物の種子だけだった。 今となってはそれだけが、あの人の生存を示す痕跡。 私がここを訪れるずいぶん前に、肉体を構成する有機物は分解され、精神はライフストリームへ還ったのだ。土を掘り起こして、そこにあの人が眠っているとは思わなかった。ただ確かめたかったのだ。 その場に両手と膝をついて、目の前に広がる乾いた土を見つめた。風に巻き上げられた土埃も気にはならなかった。私はただじっと地面を見つめていた。 涙は出なかった。 その時は必死だったから、何も感じない。 でもそれが過ぎてしまえば、まるで体中が沸騰したかのように熱かった。熱さを通り越した激痛に耐えかねて、細胞の一つ一つが悲鳴を上げている声が聞こえるような気がした。今すぐに意識を手放しさえすれば楽になる。でも、私を現実にとどめたのは彼の声だった。 まだ幼いその声が、必死に私の名前を呼んでいる。 「……デン、ゼル……?」 ここにいるのは本当の息子じゃない、両親を失ったばかりのデンゼルという少年。帰ってこない息子を待ち続ける私と同じ。 小さな手が私の肩を揺する。懸命に私の名前を呼ぶ声が、震えていた。だけどこの子は生きてる。私とは違う。 「……よかった」 本当に良かった。あなたはまだ生きている。これからも生き続けるのよ。重い瞼を何とかこじ開けて、彼の姿を目に焼き付けようとした。でも、視界は暗くてよく見えない。まだ夜が明けていないのかしら? 「手を、握らせて」 あなた、そこにいるわね? デンゼルは小さな手で私の手を握った。その上に、もう片方の手を添える。 「ありがとう」 その瞬間、再び体中を貫くような激痛が走った。もうダメね、耐えられそうにないわ。 「デンゼル、外は……? 外はどうなってるの?」 動けない私の代わりに見てきてちょうだいと、そう言ってデンゼルを部屋から追い出す。戸惑いながらも彼は外へ出て行ったらしいと、遠ざかっていく足音で知る事ができた。 もう体を動かすのもままならない。悔しいわね、自分の体なのに言うことを聞かないわ。相変わらず視界は暗くて見えないけれど、耳や鼻から血が流れ出てるのは分かった。だから体を反転させた。こうすれば見えないわね? 戻ってきたあの子に、こんな醜態をさらすのは嫌よ。きっとあの子だって見たくないはず。 「デ、ン……ゼル……、……っ!」 デンゼルと、自分の本当の息子の名前を口にしようとしたルヴィは、声を詰まらせた。喉に絡みついた何かは息を塞ぎ、彼女の呼吸を止めた。 体中の激痛と共に失われてゆく意識の中、ルヴィの脳裏にふたりの息子の顔が浮かぶ。 「いいかい、リーブ」彼女は口癖のようにいつもこう言い聞かせていた「男やったら泣いたらアカン。どんなにつらくても、悲しくても、人にそれを見せたらアカンで?」。 「ぬいぐるみみたいだよ」 「ぬいぐるみを見ても悲しくならんやろ? 人を悲しませるぬいぐるみなんて無いからや。人を泣かせる様な事だけは、絶対にしたらアカンからな」 「……わかった。じゃあ、約束する」 そう言うと彼は小さな手を出して、微笑んだ。 「僕もう泣かんよ。つらくてもガマンする」 母が息子に言い聞かせた言葉が間違いであったと気付くには、あまりにも遅すぎた。 その症状は数え切れないほどの資料でも見たし、当時ミッドガルにいた私は、実際にたくさんの死を目の当たりにしていた。部下や同僚、知人、避難誘導に参加していた神羅の社員、街の住民。何も出来ないまま彼らを見送った。 その正体が何であるか、正確に知られていなかった当初は「患者に触れただけで感染する」という流言もあったが、自分がそれで死ぬとは全く思わなかった。現に移りも死にもしなかった、だから躊躇することは無かった。 それよりもただ、怖かったのだ。 「……母さん……」 土を握りしめる。心の内に湧き上がって来るのが怒りなのか、それとも悲しみなのかは分からなかった。肩が震えだし、やがて口から出る言葉も震えていた。 「私、怖いんですよ」 脳裏によみがえったのは年老いた母親の顔だった。そこに重なる、星痕に冒された患者達の姿。見ていないはずだったあの日の光景が、さも昨日の出来事を思い出すような鮮明さでもって脳裏に再現される。皮膚にまとわりつく黒い液体、同じ物が耳や口から垂れ流され、激痛に瞼を閉じることができないまま絶命した――母の姿だった。 彼女から何度か着信があった。それに応えることが出来ず、応えようともしなかった。ただ一度だけ、メールを出しておいた「一刻も早くここを離れるように」と。しかし彼女はここにいた。最後の、最後まで。あのとき会社を飛び出して、無理やり腕を引っ張ってでも彼女を連れ出すべきだったのか。 ――「息子さんが神羅の社員だからミッドガルに住んでいたけど、本当は ちゃんとした土があって花が育つような――」 私こそがミッドガルの都市開発責任者だ。全世界の魔晄炉の稼働だって私の管轄下だった。 ライフストリームの奔流が、星からの罰であると言うならば、本来星は私に罰を下すべきだろう? なのになぜ、私ではなく母が死ななければならない? 「どうして……」 憤りに全身が震えた。過去の自分に対する後悔の念、やり場のない怒り。それらを上回る悲しみ。 そして、拭い去ることの出来ない恐怖。その恐怖の正体を、ここで知ることが出来た。 「こんなに悲しいのに、涙が出ないんです。まるで、ぬいぐるみみたいに」 恐怖の正体――それこそが、不確かな存在に対する疑問だった。 無機物を自在に操り、その能力でこれまで数々の局面を乗り越えてきた。異能者、数こそ少ないものの、自分のことをそう呼ぶ者もいる。あの人も、私と同じ思いをしたことがあるのだろうか? 「もしかしたら私は、人形だから泣けないのでしょうか?」 生きているのか、死んでいるのか――ここへ来て確かめたかったのは、そう言うことですら無かった。ただ自分が、本当に人間であるのかという事だった。自分が人形を操っていると思っているだけで、実は操られている側なのではないかと。 どれほどの時間をそうして過ごしただろうか。やがて太陽がプレートの上に盛られた土を照らした。その上に、人の形をした自分の影が伸びている。 リーブはようやく顔を上げた。服も髪も、体中が砂埃だらけだった。振り返って空を見上げる。朝日を浴びた廃墟の向こうに広がる、新しい都市の輝きが見えた。 その光景を見たリーブは口元を歪め、小さく笑みを浮かべた。 「……人を泣かせる様な事だけは、絶対にしません。約束します」 人間か、それとも人形か。 どちらであっても構わないと思った。 なぜならその言葉が、母に伝え忘れた自分の思いである事をようやく確かめることができたからだ。 私は、振り返らずにミッドガルを後にした。ここにはもう何もない、そして二度と忘れてはいけないと思った。 ―親不孝は子の不幸<終>― |
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* 後書き(…という名の言い訳) |
ここまでお読み下さって有り難うございます。
Final Fantasy VII Advent Children Complete(FF7ACC)に収録のOVA「On the Way to a Smileデンゼル編」を見た直後に勢いで書いた話。“感想代わりの妄想”とも言う。 「息子さんが神羅の社員だからミッドガルに住んでいたけど、本当はちゃんとした土があって花が育つような――ごめんなさい、話が逸れちゃいました」……ここまで取り留めもなく書いてますが、結局のところ作品自体は全体的に上手くまとまっていて面白かったです。
以下は拙文の補足。
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