罪状認否 [逆転裁判4]
2007/05/20 Sunday


 ――なるほどくん。
    深追いはキンモツです。

 いつも、頭の中に聞く警告の声は、いったい誰のモノなのか?
 ぼくには分からない。
 でも、その声は確かに……事実を告げていた。
 ぼくはそれを、身をもって知ったからだ。

 幾重にも施された心の錠を浮き彫りにし、その人の秘密を暴くための『勾玉』。
 それを使いすぎたぼくが、こうなるのはやむを得ないことだった。

 でも、今はまだ。
 ぼくには解錠しなければならない錠があるんだ。それまであと少し、もう少し待ってくれ。

 すべてが終わったら、この勾玉は必ず君に返すよ、真宵ちゃん。
 もう、ぼくには必要のないモノだからね。
 それまでの間、もう少しだけ待っていてくれないか? もう少しだけ……。


***


 カーテンの間から差し込んできた陽光が、瞼を貫かんとする勢いで脳裏に届き、頼んでもいないのに朝の訪れを知らせてくれる。それはとても不快な気分だった。
「……また朝か」
 毎朝思う、ぼくは別に目覚めたい訳じゃないんだ。できるものならこのまま眠り続けていたかった。
 しかし、現実はそうさせてくれなかった。
「パパー! パパ起きてー!!」
 賑やかにと言うよりは騒々しく聞こえてきた娘の声に、今度は鼓膜が貫かれるのではないかと身の危険を感じたぼくは、仕方なしに布団の上で半身を起こす。これ以上ここに横たわっていると、本当に危険なのだ。
 と言うのも以前、なかなか起きないぼくを見かねて部屋に入ってきた娘は、布団を頭からかぶせてぼくを消した事があったのだ。その時、ぼくは自分の命がこの世から消されているのではないかと恐怖におののきながらも同時に、或真敷の大魔術はかなり危険なものである事を悟った。お陰でその日以来、朝はちゃんと起きるようになったのだけど。
 近づいてくる足音が止まった直後、部屋の扉がもの凄い音を立てて開かれる。
「……おはよう、みぬき」
「もう! 起きてるなら返事をする!!」
 開け放ったドアの前で仁王立ちになって、ぼくを見下ろしているのは成歩堂みぬき――中学2年生になるぼくの娘だ。さすがに娘と言うだけあって、必要以上に元気がいいところなど昔のぼくとそっくりだ。
「今日はふつうの格好だね」
「これから学校! ……さすがに学校にステージ衣装着ていくわけないでしょ。さ、起きてください」
「はいはい」
「返事は1回でよろしい!」
「……はい」
 ああ、こういう物言いをしてくる人を昔、どこかで見た気がするけどよく思い出せない。みぬきを見上げながら、ぼんやりとそんなことを考えていると。
「今日のご飯当番はパパだからね、忘れないでよ?」
 などと、さっそく釘を刺された。そうだなと頷いてから、部屋の奥の鏡台に映った時計を見る。字は逆さまになっていても、時間は変わらない。時計の針は8侍5分前を指している。
「……ところでみぬき、時間は大丈夫かい?」
 そう言うとみぬきはまたも慌ただしく走り出した。台所に置いた鞄を取って戻ったかと思うと、部屋の前を通過して玄関へと向かう。慌ただしく玄関の戸が開く音と同時に、みぬきの「行ってきます」の声が聞こえた。
「いってらっしゃい」
 玄関戸が閉まる音とぼくの声はほぼ同時だった。異議を叫ぶでもないぼくの声は、閉まる玄関の音量には敵わなかった。だから多分、本人には聞こえてないだろう。布団の上で起きたまま、本人に聞こえないとは分かっていたものの、そう言って娘を送り出した。

 中学2年生になるみぬきは、“6年前から”ぼくの娘だった。
 ぼくは、みぬきを娘だと思っているし。
 みぬきも、ぼくを二人目の父と思っている。

 お互いに嘘はついていない。一般的に見るといびつな形をしているかもしれないが、それは紛れもなくぼくら家族にとっての真実だったから、特に何か思うところがあるという訳でもない。
 ただ、この歳にして、さらに独身のままで中学生の娘を持つというのは些か複雑な心境ではあるけれど、それはそれで楽しい日々を送っている。まあ、本音を言えば確かに……時折めんどくさいと思う事もあるけど。

 ――ぼくは、なにも後悔していない。


***


 学校へ行ったみぬきを送り出してから、しばらく布団の上にぼんやりと座っていた。正直、みぬきが羨ましいと思う事がある。それは彼女の若さと、真っ直ぐに未来を見つめる瞳への憧れだった。
 こうして目覚めたぼくには、行くべき場所がない。強いて言えば、場末のレストランに弾けないピアノを弾きに行くぐらいだ。
 それでも目覚めてしまったぼくは、今日も生きなければならない。平和で、平穏な。けれど吐き気がするほど退屈な、この世界で。

 ――ぼくは、なにも後悔していない。

 顔を上げて、部屋の奥にあった鏡台に目を向けた。鏡にはぼくの姿が映っている。そうすると当然だけど、鏡の中のぼくと目があった。
 自分でこんな事を言うのも何だけど、この6年でそうとう老け込んだと思う。肌に張りはなくなったし、髪の毛の尖り具合もずいぶん穏やかになった気がする。
(歳のせいかな……)
 大きくため息を吐いてから、ぼくはようやく布団から立ち上がった。「どっこいしょ」とか言わないだけまだ老いてないぞ、などと誰に向けた言い訳かも分からない独り言を呟きながら、鏡の前に立つ。
(……やっぱり歳のせいだよな)
 この姿を見れば、間違っても「お兄さん」と呼んで貰えることは無さそうだ。髪の毛の尖り具合どころか、白い物さえ混じって来たし。こうして近づいて見ればシワも増えた事に気付く。
 老いという現実を鏡に映ったぼく自身に突きつけられて、鏡の前に立ったぼくはもう一度、今度は観念したよと答える代わりにため息を吐いた。それから、鏡台の前に置いてあったニット帽を手に取った。
 そう言えば、こうして帽子を被るようになったのは何年前からだっただろう?
 あの公判――みぬきの父親を被告人とした、或真敷天斎射殺事件――以来、表立って人前に出ることは無くなってしまったし、なにより一介の弁護士の記憶など、大半の人々は既に忘れてくれていた。それでもぼくは、まるで老いを隠すように帽子をかぶり、人目を避けるように生きていた。
 帽子の中に包んでしまっておいたそれを手に取ると、帽子をかぶった。
 ニット帽に包まれていたそれは、緑色に輝く小さな『勾玉』だ。8年ほど前、当時霊媒師見習いだった真宵ちゃんから借りて以来ずっとぼくが持っている。そう言えばなんだかんだと返しそびれたままになっていた。
 勾玉には、対峙した人が心の底に封じている真実と、それを守るために施された嘘という名の錠を見せてくれる不思議な力を秘めている。弁護士時代、ぼくはコイツの力を借りて数々の嘘を見破って証言を引き出し、隠された真相を暴いてきた。
 今となってはもう、ぼくには必要のないモノだと思っていた。
 けれどあと1つだけ、解錠しなければならないロックがある。それも、とても身近な場所に。
「……ぼくは」
 顔を上げ、手の上で輝く勾玉を握りしめると鏡に視線を移す。鏡の中の自分も、同じようにぼくを真っ直ぐに見据えていた。
 そして、朝起きてから心の中で何度か繰り返していた言葉を改めて口に出してみた。

「ぼくは、なにも後悔していない」

 鏡の前に立っている自分と、鏡の中の自分は同じ言葉を発した。
 そして鏡の中に現れる、サイコ・ロック。

 ――ぼくは、嘘をついている。
    ぼく自身を欺くための、嘘を。

 勾玉は、対峙した人間の心に施された錠を見せることは出来ても、所有者自身の嘘を見ることはできない。それは恐らく、自分で自分の姿を見ることが出来ないのと理屈は同じなのだろう。だから鏡の前に立ったぼくは、鏡に映った自分を見ることが出来る。
 こうして手にした勾玉は、自分の心に施している錠――つまり嘘の存在を、ぼくの目の前に突きつけた。
 ぼくは何度もその錠を解除しようと試みた。けれど失敗した。
 不毛だと、何の意味もない事だと知りながら。それでもぼくは、文字通りの自問自答を今日まで繰り返した。
 なぜ嘘をつく必要があるのか? 嘘をつくからには、ぼくにとって不都合な真実があるのだろう。
 では、その真実とは何なのか? きっと考えれば分かるはずだ。でも、その真実と対峙することを無意識のうちに恐れている。
 だから嘘をついている?
 誰かを……いや自分を、守るために……?
「ぼくは……」
 だけどその為に、別にあると分かっている真実から目を逸らすのが良いことだとは思えない。そうすることによって、たとえ誰か――あるいはぼく自身――が傷つき、新たな罪を重ねる結果になったとしても。
 だからこそ毎朝、ぼくは目覚めこうして鏡に向かい合うのだ。
 ぼくが、ぼく自身にすら隠し通そうとしている『嘘』を、暴くためには――



 もう一度、法廷に立つ必要があった。



<終>

------------------------------------------------------------
# 時系列的で言えば逆裁4第1話の1ヶ月ぐらい前とか。
# サイコロック@成歩堂は逆裁3の頃からの悲願。だってホラ、やたら解錠難しそうじゃないですか?
# ニット帽が白髪を隠すためだったら良いな! とか。
# 家庭内大魔術とか日常茶飯事なんだろうな! とか。
# 7年前法廷の偽造証拠提出を引きずってる! ってゆう。
# 考察と言うよりも主に願望を優先した結果のSS。逆裁4プレイ後の憂さ晴らし(?)は、ひとまずこれで完結です。
# ここまでお付き合い下さいまして有り難うございました。

# 逆裁4の三部作→[1][2]

 
[REBOOT]