ギンライとキシーユ

4 妖魔界の現実

 お仕置きが済んだ後、ぎゅっと抱き締めながら、パンツをはかせてやって、髪も乾かしてやった。泣き止んだので、コーナータイムをさせた。

 後姿を眺めているギンライに、父と母が心配そうな目を向けているのに、気づいた。彼は二人に微笑みかけた。

 あの時、何も考えずにキシーユを連れて来た。落ち着いてから考えていた。彼女の人生の面倒もみなければならないと。こういう形ではなかったけれど…でも、いいのだ。彼女が、本当の恋を知るまでは…。

 

 父は、第三者くずれなんて酷い表現をしたが、その格闘の師匠になってもらおうと考えている男は、別に今、荒れている訳ではない。エッセルのように、自分の力の限界を知り、第一者や第二者を目指すのを止めて、町を守ろうとしているだけだ。

 町外れはいい場所だ。堂々と馬鹿正直に前から攻めてくる盗賊以外は、ここから見張れるからだ。上手くすれば、町の人に盗賊の襲来を知られぬまま、片付ける事も可能だ。

「俺、第一者を目指しています…。」

「…君かね、あの村の生き残りは?」

「はい。…やっぱり、滅びたんですね…。」

「女達は陵辱され、子供達は食われたそうだ。」

「…そういう話は遠い場所の出来事だと思っていました…。」

 ギンライは、きつく目を閉じて、長く息を吐き出した。せめて、せめて苦しまぬよう逝けた事を祈るしかないのだ…。

「妖魔界の民は皆そう思う。そうでなければここでは生きていけないからな。」

「ええ。」

「…君には、力がある。だから、鍛えてやるのは構わない。」

「本当ですか!?」

「ただ。」

「?」

「ただ、折角生き残れた。別の生き方を取る道もある。何も、修羅の道を歩まずとも、誰もお前を責めない。ここは、そういう所なんだ…。」

「俺は、大切な人と約束しました。」

「…妖魔界は決して変わらない。人の上に立つ者は聡い。第一者や第二者達がどうして世を変えないのかを深く考えれば、自ずと答えは出る。…君はたまたまこの戦乱の世を変えようとは思わない者達ばかりが上に立つと思うか?」

「それは…。」

「分かるだろう…。君だって、妖怪だ。旅も出来るなら、この体に流れる暗きものにも気付いている筈だ…。」

「…。」

「たまに道も外す。外れた者は血だけを求める。そうなるのは…。」

「俺等が魔の生き物だからですね…。」

「妖魔界は変わらない。変えられない。妖怪が魔の生き物である限りは…。」

「盗賊は必要悪。悲しみはなくせないと…。」

「そうだ。…それでも君は力を求めるかね?」

「…俺には…大切な女性(ひと)がいます…。その人はまだ幼くて、そんな事実を知らせれば、耐えられないでしょう。俺は…彼女が別の楽しみを知るまでは、彼女を引き受けようと思います…。」

「…君の心は辛いな…。」

「…俺は、俺を倣岸だと思います…。それでも…今の俺には、それしか出来ません。」

「君の望むものを与えよう。君がそれをどうするかは、全てが終わった後で決めてもいいんだ。」

「はい…。」

 ギンライは鍛えてもらえる事になった。

 頭の端で考えていなかったわけではなかった。彼から言われた事を。世を変えたいと思う男達はかなりいる筈だから。支配欲を満たす為に目指す者の方が少ないかもしれないのだ。それでも…。事実は辛かった。見たくなかった、知りたくなかった現実。もっとも、村は帰ってこない。あの盗賊達だって見つけられないかもしれない。それを考えれば、どんな事実があろうとも、結局は同じなのかもしれない。本当に望んでいる事は叶わないのだから…。

 

 訓練は苛烈だった。もしかしたら、ギンライが諦める事を何処かで思っていたのかもしれない。そう思えるほどに辛いものだった。

「ギンライ…大丈夫?」

 お帰りのキスをくれたキシーユが悲痛な表情を浮かべる。

「大丈夫さ。これくらいで音を上げていたら、第一者になんて、なれはしない。」

「うん…。」

「あんまり構ってやれなくてご免な…。」

「いいのよ。愛されている実感があれば、多少の寂しさには耐えられるの。」

「子供に戻れよ、キシーユ。」

「わたしは最初から、子供よ。」

「話す言葉が子供じゃない。大体、子供は子供だと言われたら、子供じゃないって反論するんだ。」

「そうね。わたし、少し変わっちゃったのかな…。」

「…悪い。考えが足りなかった。」

「大丈夫。わたし、今はよく皆と遊ぶのよ。悪い子にもなるの。」

「お前がどうなっても、俺はお前を愛してる。無理に子供にならなくてもいいし、大人へと背伸びしなくてもいいからな。今のキシーユでいいから。」

「うん、ギンライ!」

 少しだけ、何もなかった頃の笑顔に戻ったキシーユは、ギンライの腕に抱かれて、幸せな表情を浮かべた。

 

 キシーユが9歳になって数週間が過ぎた。

「準備を終えたら、旅に出るから。」

 ギンライは、父と母に言った。

「もう行ってしまうの?」

 ギンライの言葉に母が泣きそうな表情を浮かべた。

「ごめんなさい。母さん。でも、もう師匠が教える事はないと言ったんだ。もうここにいる必要がなくなったんだ…。」

「時々でいいから顔を見せて、生きてると分からせてね。」

 母にぎゅっと抱きつかれ、ギンライは少しだけ悲しくなった。我が侭を続けてきた自分。母はずっと耐えていたのだろうか。

 『でも、止められないんだ。もう決して。』

 笑顔を輝かせているキシーユがその証拠だ。

「必ず。第一者になったら、母さん達も城に呼ぶよ。」

「そんなことはいいから。無事でいて。」

「はい。」

「キシーユも寂しい思いさせるけど…。」

「どうして?」

「え?」

「寂しくなんてないわ。不便だって平気だもの。」

 キシーユの明るい笑顔をギンライは、ぼんやり眺めていた。泣くだろうと思っていたのに…。

「あら、不便な思いなんてさせないわよ、キシーユちゃん。」

「おば様は、ギンライをとても信頼してるのね。」

 母も固まった。

「キシーユちゃん、もしかしてギンライについて行くつもりかい…?」

 ギンライの父が恐る恐る訊いた。

「当然よ!」

 それからギンライの家に様々な言葉が飛び交った。

 

「いってきまーすっ。」

 ギンライの側でキシーユは明るく微笑んだ。そう、キシーユを止められなかったのだ…。

 はしゃぎながら歩くキシーユ。見晴らしのいい場所で、静かにする必要がないからだ。

「ねえ、ギンライ?これからどんな冒険が待っているのかしらね。」

「遊びに行くんじゃないんだぞ。」

「楽しまなきゃ。ただ辛い旅なんてごめんだわ。」

「そりゃそうかもしれないけど…。」

「わたし達は幸せになるの!その為に旅するのよ。」

 明るく微笑むキシーユへ、ギンライも仕方ないなと笑った。そう、彼女はまだ子供なのだから、深刻さを要求する方が無理なのかもしれない。それに、子供らしい微笑みを見ている方がいい気分でいられるし…。

 

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