後編

−−あなたは、わたしと言葉を交わすことが嬉しくてたまらない、とでも言いたげに振舞ってくださる。
まるで甘い毒のようですとエオメルは思った。
そんな風にされたら、わたしは望んではいけない夢を、見てしまいそうになる。



 斥候の報告によると周辺にオークの姿は見当たらないという。
その夜、ゴンドールとローハンの兵士たちはくつろいで酒を酌み交わした。
翌日にはモルドールと対峙する最前線に向かわなくてはならない。
そのために執政に請われて出撃してきたローハン軍だった。

「こういう気を休める時間は、近頃では稀ですね」
「ええ」
穏やかな口調でファラミアが言い、エオメルが頷きを返す。
食事が終わった後も、二人は並んで火にあたりながら飲んでいた。
(この香り・・・)
ファラミアの衣服からよい匂いがしている。
遠い昔にかいだことのある、同じ香りだった。
すこし離れたところでゴンドールの楽士が、静かに絃を爪弾いている。
ロヒアリムは何を話せばいいかわからなかったので、相手の話を聞く側に回っていた。
弟君の声は美しい音色のようだと思いながら。

「ヘルム峡谷の奥に、とても美しい場所があるそうですね」
「ああ・・・燦光洞ですか」
ファラミアの問いにエオメルが答える。
「素晴らしかったと兄が言っていました」
「以前ボロミア殿が我が国にいらした際に、セオドレド殿下が案内したようです。わたしは一緒ではありませんでしたが」
エオメルは黄金館を訪れた時の、執政の長子の姿を思い浮かべた。

 そのボロミアの傍らにいつも寄り添っているはずの弟君が、今はかれの隣に腰を下ろしている。
ゴンドールの兄弟が二人一緒でないこと、その一人のそばに自分がいることが不調和な気がした。
「ボロミア殿はゴンドールの跡継ぎにふさわしい、立派な方でした。エドラスにいらしても、畏れ多い気がしてあまりお側に寄れませんでした」
あの方は尊い血筋の貴公子だから。
そしてファラミア殿、あなたも・・・そう胸の中で呟いたエオメルだったが、弟君はそれを聞いてふっと笑った。

「ボロミアに会いたかったのですね。今回は申し訳ないことをしました。では、次の機会にあなたを紹介しましょう。兄もエオメル殿のことが印象に残っているようですよ」
「いえ、そんなつもりでは」
エオメルは少し焦って言った。思わず頬が赤くなる。
ファラミアはかれの思いには気づかず、相変わらず柔和な笑みを浮かべている。
幾度かボロミアのことを口に出したので誤解されてしまっただろうか。
なんとなくしょんぼりして、酒杯を傾けるエオメルだった。

「兄から話を聞いて以来、わたしもヘルム峡谷を訪問したいと思っているのです。今度お国にうかがった際には、エオメル殿、わたしを連れて行ってくれますか」
「は、はい。勿論です」
エオメルはぶんぶん首を縦にふって承知した。
ゴンドーリアンが微笑む。
「そのお礼に、あなたをイシリアンにご案内しましょう」
「イシリアン、ですか」
初めて聞く地名だった。

「イシリアンは我が国最東端の地です。ゴンドールの庭とも呼ばれています。香しい所ですよ。せせらぎが優しく、陽光は柔らかい」
ゴンドールの庭イシリアン・・・美しい響きの土地だと思った。
ファラミアに良く似合う。
「是非訪れてみたいものです」
ファラミアがかれに頷く。
「でもあなたにお見せする前に、あの地を蹂躙する敵を掃討しなくては。そのためにわたしは明日、イシリアンに向かいます」

「えっ」
エオメルは驚いて声を上げた。
「われわれと共に行軍なさらないのですか」
「残念ですが。先刻、執政からの伝令が届きました。わたしと直属の一隊はご一緒できません。どうも次第にあちこちの防衛線が破られつつあるようです」
表情を引き締めて弟君が言う。
エオメルは「わかりました」と答えた。

 大きな瞳に影が落ちる。かれは内心がっかりしていた。
この行軍のあいだは、密かに恋する相手のそばに、ずっといられると思っていたのだ。
そのあと二人は黙りがちになった。
楽士がつむぐ音色に耳を傾けながら酒を飲む。
夜が更けると、酒宴に飽いた兵士たちがテントに引き上げ始めた。
あちこちに点っていた焚き火の灯かりが、一つ二つと消えていく。

「わたしたちもそろそろ」
そう告げてファラミアが立ち上がる。
エオメルも腰をあげたが、かなり酒を飲んだので目眩がした。
「大丈夫ですか?」
足元をふらつかせる若いロヒアリムに、ファラミアが手を差し伸べる。
「楽しいひとときをありがとう、エオメル殿。わたしは翌朝出立しなくてはなりませんが、またいつかお話できればと思います」

「ファラミア殿」
かれは差し出された白い手を見やった。
そしてためらいながらその指を握り、執政家の公子の温かい体温を感じたのだった。
飲みすぎて高揚していたからかもしれない。
戦場では大胆だが恋に内気なロヒアリムは、思わず相手に告げていた。
「今夜、お時間をいただけますか」
ファラミアが不思議そうにかれを見る。
「夜はもう、終わりですが・・・」
エオメルは声が震えぬよう自分を叱咤しながら言った。
「いえ、このあとよろしければ、わたしが寝屋のお相手を」



 天幕の寝床にはやわらかな毛皮が敷かれている。
エオメルはその上に座ってぼうっとしていた。
どうしてあんな申し出をしてしまったのか。
断られると分かっていながら。
いつも表情を崩さないファラミアが、かれの言葉に驚きをあらわにした。
「いや・・・エオメル殿・・・それは・・・」
相手が困惑して口ごもり、眉を寄せるのをエオメルは見た。
迷惑なのだ。
あの魅力的なボロミアを愛している弟君にとっては当然のことだろう。

 かれは痛みにきしる心を押さえつけながら、笑ってみせた。
「わかりました。いいのです、もしお気がむいたらと思っただけです」
「エオメル殿・・・」
「ではもう休みましょう。ファラミア殿と話が出来て嬉しかったです」
軽く会釈してエオメルはその場を辞去した。
立ち去る後姿が、弟君の瞳にみじめに映らなければいいがと思った。

 ずっとあの青い瞳を間近に見たいと願っていた。
願いはかない、吐息がかかる距離で言葉を交わすことさえ出来た。
それだけで満足すればいいのに、つい余計なことを言ってしまった・・・。
胸苦しい思いを抱きながら、ロヒアリムは寝床に横たわった。
自分のしたことに今更おそれおののきながら、両手で肩を抱きしめて、大きな身体を丸めるエオメルだった。

 月はもう山の端に沈んだろうか。
あたりは静まり、夜鳴き鳥の声も聞こえてこない。
思い乱れて寝返りをうつばかりだったエオメルも、ようやくうつらうつらしはじめたところだった。
ふいに夜闇が揺らぎ、人の気配がした。
はっと飛び起きて枕もとの愛剣に手をかける。
一瞬で覚醒したかれの耳に、やわらかな声が響いた。
「エオメル殿」

 ロヒアリムは呆然としながら、ファラミアの指が、かれの頬にそして顎に触れるのを感じた。
抱きしめられると薔薇の芳香に包まれた。
(ああ・・・)
「あなたの後姿を見ながら、すぐに後悔したのです。お許しくださいエオメル殿」
耳に口づけられながらかれは相手の囁きをうっとり聞いた。
「許すなどと・・・自分のような者でも、わずかな気慰みになればと・・・」
「あとからのこのこやって来て、怒ってらっしゃいませんか」
「いいえ。ファラミア殿・・・」
エオメルは相手の広い背中に手を回して、力を込めた。

「−−エオメル殿」
甘く名前を呼ばれ、唇が触れ合う。
すぐにかれは相手の頭を抱えてゴンドーリアンの唇をむさぼった。
芳しい舌を探り当て、夢中で絡ませる。
「あ・・・エオメル殿・・・」
弟君が苦しげな声を洩らしても、エオメルは口づけをやめなかった。
位置をずらし、角度を変えて舌で弄りあい、音を立てて唾液を吸う。
(あなたの、甘い香りと感触が、忘れられなかった・・・)
激しいキスに陶然となりながら、かれはファラミアの肌をまさぐった。
熱い、張りつめた身体を感じあう。

 暗闇の中で息を吐き、互いを抱きしめあい、エオメルは初恋の狂おしい愛しさをこめて口づけを繰り返したのだった。



 ミナス・ティリスの磨かれた白大理石が、太陽の光を受けて白い炎のように輝いている。
壮麗な白亜の都からは全ての影が消えうせていた。
遂に、ゴンドールの失われた王が還ってきたのだ。
そして中つ国は強大な王権の保護のもとで、新しい時代を刻みはじめたのだった。

 エオメルはテラスに佇みペレンノールの平野を見下ろした。
数多の同胞がその地で命を落し、その中には伯父王も含まれていた。
亡くしたものの大きさが実感できず、平和が訪れたことも、まだ少し信じられないでいる。
「エオメル陛下」
柔らかな、どんなときも穏やかな声がかれの背中にかけられた。

「−−まだわたしは王ではない。執政殿」
かれは振り向かずに答えた。
「失礼しました。エレスサール王が、午後にでもお時間を頂けないかと」
デネソールが斃れたのち新たに執政を任じられたファラミアだった。
偉大な王と聡明な執政が、両輪となってこの国を守っていくのだろう。
「我が王は改めてキリオンの贈り物を差し上げ、ローハンとの盟約を確かにしたい意向です」

「承知した」
そう返答する自分を、エオメルは不思議に思った。
エドラスに戻って伯父王の葬儀を済ませれば、この身がマークの王座を継ぐことになる。
外交も内政も自分の判断で決定されるのだ。
しかし平和が訪れたといっても、国は荒れ、民は疲弊している。
かれの背負う重責は大きかった。
だから、もう恋に浮かれている暇はない。

「それと、わたしはイシリアンの地を賜わる事になりました。素晴らしい所です。住居を構えて落ち着いたら、お招きしたいと思います。いらして頂ければ光栄です」
イシリアン・・・最初にその名を教えてくれたのはファラミアだった。
あれから何年も過ぎた。
甘い夜の思い出は過酷な戦いの記憶に上書きされて、今では幻のようだ。
「いずれうかがおう。美しい土地だと聞いている。妹も気に入ると思う」
「ええ」
背後の貴公子は、いつもの微笑みを浮かべているのだろうか。
でもエオメルはそれを知るために、振り向きはしなかった。
振り向いて視線を合わせたら、また言ってはいけない事を口にしてしまいそうだったから。

 あの夜、思いがけずかれの恋はかなった。
だが、次に会ったとき、弟君の傍らにはやはりボロミアがいた。
エオメルはかれらのあいだに入り込めないことを知っていた−−だから平静に挨拶をかわし、必要以上に親しげにすることを避けた。
そしてせめて役に立とうと剣を振るい、必死に馬を操ったのだった。
戦いが済むと、感嘆したボロミアが瞳を輝かせてかれを賞賛した。
エオメルは戸惑った。
だが兄の後ろで微笑むファラミアに気づいて、何故かしら満足を感じたのである。

(わたしはあの方の唇も肌の熱さも、知ることが出来た・・・そしてあの方が、ボロミア殿のそばで幸せそうに笑う姿を見るのが、とても好きなのだ)
だからこれ以上、なにも望む必要はない。
そんなかれを、気に聡い従兄が「いい子だね」と苦笑して、肩を叩いてくれたものだった。

 そのセオドレドとボロミアも、もういない。
「それではまたのちほど」
かたくなに平野を見つめたままのエオメルに、新執政が控えめに告げた。
「ああ」
「会見の用意が出来たら、お迎えに上がります」
「わかった」
「御機嫌よう。義兄上・・・」
足音が軽やかに遠ざかる。
一度だけ肌を合わせた恋の相手は、今はもっと、愛してはいけない人になっていた。

 エオメルは瞳を閉じた。
ふわっと流れてくる甘い残り香を感じる。
でもこの香りと、青い澄んだ瞳の記憶を、心の奥に秘めておくことくらいは許されるだろう。
これまでもずっとそうしてきたのだから。


***


 魅力的な若いロヒアリムが、自分を誘うことが信じられなかった。
もともと傷つきやすい脆弱な人間だ、とファラミアは自分を認めていた。
だから、意志の力で何事にも動じない風情を装っているのだ。
冷たい仕打ちに耐えることなら慣れているが、思いがけない好意や友情には、ひどく動揺してしまう。

 驚いて狼狽しているかれに、エオメルが照れくさげに笑いかける。
かなり酔って首から頬が赤く染まり、足元もふらついていた。
「わかりました。もういいのです」
ロヒアリムはそう言うと、すぐその場から去っていった。
飲みすぎて気まぐれにそんな気をおこしたのだろう。
だが、ファラミアは相手に背を向けられて、おそろしく後悔した。
これほど悔やんだのは生まれて初めてだった。

 執政の次男は、兄のボロミアを愛していた。
明るく頼もしい、誰よりかれに優しい兄を愛さずにいることは不可能だ。
兄の幸福だけを願ってファラミアは生きている。
そのボロミアは、今はオスギリアスの奪回戦を指揮していた。
かれ自身も何度か兵を率いて星の砦に挑んだものの、未だ取り戻せずにいる難所である。
今回こそはと思っていたのだが、父デネソールがオスギリアスはボロミアに任せることを決めてしまった。
そしてかれはローハンとの合同軍に回されることになり、その準備が整ったとたん、今度はイシリアンへ行けと告げられた。
「役立たず」と罵る執政の声が聞こえる気がした。

 そんなファラミアの心を、友邦の若い武将が慰めてくれた。
かれはエオメルのことを覚えていた。
早くに両親を亡くした事も知っている。
東谷の跡継ぎの消息を気にかけて、折にふれ報告させていたのだ。
人懐こい可愛い子だった。
あまりに可愛いくて、あの雪の朝、こっそり唇を奪ってしまった。
「あそんで」と言ってかれを見上げた大きな瞳を、ずっと忘れられなかった。
本当は、かまって遊んで欲しいのは、自分の方だったから・・・。



 そのエオメルの、すっかりたくましく成長した、強い腕の確かさがファラミアを夢中にさせた。
屈託なくかれを誘ったロヒアリムのことだ、断られたらすぐに他の相手を見つけてしまったのではないか。
そう考えて思い惑い、しばらく呻吟していたが、やはり諦められずテントに忍んで行ったのだ。
するとエオメルはかれを受け入れてくれた。
そして激しく求めて来たのである。
ファラミアは喜びに満たされながら、二十年ぶりの口づけに没頭した。

 荒い息を吐きながら服を脱がせあい、乱暴なくらいの愛撫を交す。
エオメルの昂まりを指で確かめると、ロヒアリムはその上に手を重ねて、強く擦るように催促した。
「ファラミア殿・・・もっと・・・」
相手の大胆さに、かれも燃えた。
首筋に唇を這わせて吸い上げつつ、脈打つものを扱きあげる。
「んっ、あッ」
エオメルも、かれのペニスを握る指に強弱をつけてくる。
ロヒアリムの手は熱く、快楽に目の前が霞んだ。

「もう、こんなに露が、エオメル殿・・・」
ファラミアは甘い衝動に突き動かされながら囁いた。
鈴口から汁が洩れ、エオメルの性器がびくびく震えている。
口をこじ開けるようにぐりぐりと弄ると、腕の中の相手は「ああっ」と仰け反った。
引き締まったなめらかな肌が心地よい。
性感が鋭く敏感なのも、かれの好みにかなっていた。
ファラミアは指で愛撫しあうだけでは満足できないと思った。

 さらに奥を探っていくと、エオメルが喘ぎながら声を上げた。
「ファ、ファラミア殿、そんなところは・・・」
「もっとあなたを知りたいのです」
むっちりした尻の肉の間を探り当て、固い蕾の襞の中に、人差し指を突き入れる。
「あっ−−あっ」
収縮するのを無理に押し広げて、侵入していく。
閉じようとする肉の感触が悩ましい。後腔は思ったより狭かった。
ファラミアは一度抜くと、二本に増やして再び挿入した。
「うぅ・・・!」
エオメルが呻き声をあげる。

「い、いやです。辛いので、そこは許してください」
「確かにかなりきついですが・・・エオメル殿、経験あるんでしょう」
暗闇の中で、相手が羞恥に身体を熱くするのが分かった。
「・・・ありません。だから」
ファラミアは驚いた。
あんなに気軽に誘ってきたから、もう何人も男を知っていると思ったのに。
(本当に・・・?なら、余計に欲しくて堪らない)
そして、絶対に奪ってしまおうと決めたのだった。

「あッ、あッ、あん、はあッ・・・」
指で後腔を犯しながら、ペニスを弄り、ロヒアリムを快感の高まりへと導いていく。
そして第一関節までめりこませたあたりを掻き回したとき、相手は一際高い声を上げて悶えたのだった。
「あぁーッ」
「ここですか?」
ポイントを指の腹で強く押す。
「ひっ」ビクンと震えてエオメルが喘いだ。
「ああっ、い、いってしまう」
かれはロヒアリムのカリ首をぐっと握って阻止した。
「まだ駄目です」
「そんな、ファラミア殿・・・!お願いです」
懇願する相手に、かれは言った。
「なら、わたしの願いもかなえてくれますね」

 悲鳴を上げそうなロヒアリムの唇を舌でなだめながら、ゴンドーリアンは熱い、狭い部分を押し開いてねじ込んだ。
(う・・・。いい・・・!)
挿入の摩擦だけで達しそうになる。
それを我慢して、痛がって逃れようとする相手の奥深くまで貫いた。
(ああ、エオメル殿ッ!)
繋がった悦びに、口には出さずにかれは叫んだ。
心臓の鼓動が重なり合い、うねる身体が体温を伝えてくる。
(あなたの中はすごく熱い)

 動かし始めると、激しい悦楽の波がファラミアの内部から湧き上がり、かれの遠慮を押し流した。
「い、痛い、お許しを、ファラミア殿・・・!ああ!」
初めてだと告白されたことも忘れて、かれは容赦なく腰を突き上げ、きつい締めつけを堪能した。
「くッ、うぁッ、あぁ・・・!」
エオメルの苦痛の声さえ心地良かった。
それにその声には、淫らな媚が混じってもいた。
かれはロヒアリムに「誘ってくださったのはあなたの方でしょう」と囁き、さらに大きく揺すり上げるのだった。
かれらは夜明け間近までからみあい、繋いだ身体をもつれあわせて喘ぎ続けた。



 あれほど濃密な夜を過ごしたというのに。
ロヒアリムの青年は、次の機会をかれに与えてくれなかった。

 ローハンの人々は素朴で純心だといわれる。
なのに、ファラミアにはエオメルの心の動きがわからない。
気まぐれにかれの前に現れ、甘いひとときを降りこぼして去っていく、馬の国の騎士殿。
もしや、あの夜乱暴にしすぎたのがまずかったのかと、かれは内心悔いていた。
つい我を失って性急にことを進めてしまい、無理強いする結果になった。
エオメルはそのことを怒っていたのかもしれない。

 ファラミアは、佇むロヒアリムの背中を見つめながら願った。
今更、もう一度口づけして欲しいとは思わない。
ただ振り向いて、あのはにかんだような笑みを投げかけてくれたなら、自分はそれだけで幸福に満たされるだろう。
だが、盗み見たエオメルの横顔は、精悍に引き締まっていた。
その表情は以前の若い騎士のものではなかった。
ローハン王の威厳がファラミアを拒んでいる。
厳しい視線はペレンノールの野に向けられたまま動かない。
セオデン王をはじめ、多くの人々がその地で果てたのだ。

 そしてかれ自身の父と兄も、この世を去った−−しかし失ったものを嘆き悲しむことは、まだ許されていない。
残されたかれらは還らない人々の責務を継いで、前に進まなければならないのだ。
ファラミアはそっとため息をもらした。
「会見の用意が出来たら、お迎えに上がります」
「わかった」
かれを見ようともせず、エオメルが答える。
「御機嫌よう。義兄上・・・」
ファラミアはこのロヒアリムに繋がるものは全て欲しかった。



 新執政は光にあふれた回廊を歩きながら、そっとポケットに手を入れた。
そこには、幼いエオメルが打ち明けてくれた秘密が収まっているのだ。
あのね、いいものをみせてあげる。
取り出した水晶のかけらは、あの日のままに青くきらめいていた。


20061210up


む、片想いではないようですv
さらに簡単には渡さん!なセオドレドのスピンオフあり。




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