一瞬、セオドレドを恨めしそうに見たイムラヒルだったが、ボロミアが側に来ると喜んで手を差し伸べた。
「我が麗しの甥よ。さあ、叔父さんの膝においで」
「何ですか大公殿、わたしはもう大人ですぞ」
「おまえは今でも中つ国一の可愛い子ちゃんだよ。生意気に髭なぞ生やしおって」
「もう、叔父上ったら」
などとキャアキャアじゃれあう様子が、微笑ましいような濃ゆいような二人である。
ボロミアは「とっておきの酒をお持ちしましたぞ」と告げ、手を叩いて近習を呼び入れた。
そして大きな木樽が部屋に運び込まれたのだった。

 それぞれの杯に酒が注がれ、三人は「乾杯」と言って一気に飲んだ。
夕食でもかなり飲んだセオドレドは、いささか過ごしすぎかとも思ったが、もともと酒に目がないほうである。かれは勧められるままに飲み干していった。
さらにそれはイムラヒルの好みの酒だったらしい。
ドル・アムロスの大公は文字通り、浴びるほど飲んでいた。
「叔父上、あまり一度に召し上がると」
ペースの速さにボロミアが心配したが、大公は「なあに、わたしは飲んでも飲まれん男だ」と言い放ちぐいぐい呷るのだった。

「わたしはずっと王子殿下と、色々語り合いたいと思っていたのです」
ボロミアはセオドレドの傍らに腰掛けると、笑顔で言った。
「わたしもです、ボロミア殿」
セオドレドが率のない答えを返す。
「これまでは、なかなかこういう機会に恵まれませんでしたな」
「まあ、今回は従弟があなたを独占してしまいましたから」
そう言うと、ローハン王子は酒を咽喉に流し込んだ。
空になった杯にまた酒を注ぎ、それも一口、二口と飲み込んでいく。
ボロミアと面と向かうと、なんとなく落ち着かないセオドレドである。デネソールの秘蔵の愛息子は、初めて会ったときからどこか面映い存在なのだ。

 飲み続けるかれをボロミアが悩ましい目つきで見つめている。
「・・・せっかくセオドレド殿下とご一緒出来たと言うのに、何も気の利いた事が言えない自分が残念です」
「何を言われる」
セオドレドは驚いて相手を見た。
屈託のない明るい人柄のボロミアが、そんな事を言い出すのは意外だった。
「あなたと躊躇なく話が出来るファラミアを、いつも羨ましく思っていました。わたしはあなたの興味に応える自信がなかったので、お声をかけるのもためらわれて」
「いや弟君とは、それほど特別な話をしていた訳じゃないですよ」
「わたしは同い年のあなたと、もっと友情を深めたいと思っていたのです」
「こちらこそ、ボロミア殿」
魅力的な相手に間近に見つめられ、友情を求められてセオドレドの胸はどよめいた。
だが、ボロミアは翡翠色の瞳を翳らせた。

「それは社交辞令でしょう、王子殿下。本当にわたしに関心がおありなら、我々はもっと早くに親しくなっていたはずです・・・でも、そう言って下ったことは有難く思いますぞ」
そう言って寂しげな笑みを浮かべるボロミアである。
セオドレドの中には、何とも言えない感情が沸き立った。
イムラヒルの方を見ると、大公は杯を抱えてソファに横になっていた。酔いが回り、遠出の疲れが出たのだろう。
王子はまた酒を飲み込んだ。そして執政の長子を見据えて言った。
「−−ボロミア殿。酒の勢いを借りて言ってしまうが・・・わたしがあなたと親しくなることを避けていたのは、なけなしのプライドを守ろうとしてのことでした」
「プライド、とは」
ボロミアは首をかしげて相手を見た。
「ローハンはゴンドールの属国にすぎませんから」
セオドレドは言った。その厳しい言い回しにボロミアは瞳を見開いた。

「殿下。何を言われます」
「我々が友邦同士だ、というのは建前です。ローハンはあなたの国に膝を屈するしかない、それが事実です。我が国は、確かに今では独立国の体裁を整えていますが、カレナルゾンの土地はもともとゴンドールのものでした。執政の承認なくしてマークは成り立たない。そのことをあなたはお分かりにならなくては」
そう指摘されたボロミアが眉根を寄せる。
相手が何か言おうとするのを、さえぎってセオドレドは続けた。
「そもそも国同士というのは、対等になるのが難しい。どちらが上かはっきりさせようと争うのが常なのです。我々が思い上がって、平等だ同等だと主張しようものなら、あなたの父上はゴンドールの優位を思い知らせるために、力を行使することでしょう。−−わたしだって、昔からあなたに惹かれていました。だが、いくら友情を育んでも、いずれはあなたを頭上に仰がねばならないと思うと、くやしかった。わたしは人一倍、自尊心と権勢欲が強いほうですから」

「王子殿下」
戸惑いをおもてに浮かべてボロミアがセオドレドを見る。
「確かに、そういう側面はあるでしょうが・・・」
「友邦と言うが、綺麗事じゃすまない」
セオドレドはさらに言い募った。
「でも安心なさっていい。わたしはゴンドールに刃向かうほど愚かではありません。自分の立場をわきまえていますから。わたしの代になっても、マークの忠誠を頼りにしてくださってかまいませんよ、次期執政殿」
皮肉を効かせ過ぎた言い方だったかもしれない。酒が身体に回って、王子の気分は普段より高揚していた。

 一気に喋ったせいでクラクラしているセオドレドの横で、ボロミアは物憂げに考えている。
そしてやがて口を開いた。
「セオドレド王子、あなたは貴重なことを教えてくださった。ミナス・ティリスで近習に囲まれているだけではわからないことを」
「い、いや、少し言い過ぎてしまったような」
「わたしにはあなたのように率直に語ってくださる方が必要です。我が国の未来のためにも」
「そう仰ってもらえると、わたしとしても・・・」
素直に感心してくれた相手に、王子はやや困惑して答えた。
「だから、ローハンは素晴らしいをお世継ぎを抱えていると言うのだよ!」
イムラヒルが急に大声で叫んだので、二人はそちらを振り向いた。
ソファにひっくり返ったドル・アムロス大公は、そのままイビキをかきはじめた。
「あなたのお言葉に甘えるようですが、ローハンにはこれからもずっと、我が国の良きパートナーでいて頂きたい。心からそう望みます」
「勿論です」
セオドレドはボロミアと視線をあわせて頷きあった。

 再び乾杯すると、二人はさらに飲んだ。
かなり酩酊してきた様子のボロミアが、襟元をくつろげて息を吐き出す。
「しかし、わたしが弟の半分でも賢いと良かったのだが」
「あなたは実に見目麗しいし、わたしは美しい方は好きですよ」
セオドレドは相手の白い咽喉を見ながら言った。
「美しいなどとご冗談を。あなたにそんなことを言われたら嬉しくなりますな」
「冗談ではありません、ボロミア殿はゴンドールの輝ける太陽です」
「王子殿下」
ボロミアがかれに笑いかける。天真爛漫な笑顔にクラッとくるセオドレドである。
この向日葵のような表情に魅せられ、たわいなく恋にのめりこんだエオメルの気持ちがよく解った。
セオドレドとて、ゴンドールの公子には大いに魅力を感じていたのだが、あまりに愛らしい生き物を前にして、かえって手を出しかねてしまうようなところがあったのである。

 王子は照れくさそうに言った。
「あなたの良さは、このミナス・ティリスにあって枷に嵌められていない所でしょうね。わたしはそれが羨ましかったのかな」
ボロミアが声を落として言う。
「それは誤解です−−わたしはあまり自由な人間ではありません」
「わかっています。わたしが言うのは立場のことではなく・・・あなたは、自分自身に囚われていない方だという意味です。そういう人間が多いのでね、わたしも含めて」
「わたしにはやはり、あなたの言うことがよくわからないようだ」
翡翠色の瞳が王子を見つめる。かれは目眩がした。

「よくわからないが、あなたのお話を聴いているのは楽しいですな」
ボロミアはセオドレドに身体を寄せて囁いた。そして王子の手を取った。
セオドレドは鼓動がひどく早まるのを感じた。
「どうも、そんな風にされると−−ボロミア殿」
「ずっとあなたと心を開いて語りたかった」
「ええ、わたしもです・・・」
「せっかくこのような機会が訪れたというのに、時間は限られている」
ため息とともにボロミアは言った。
「今夜は、あなたが側にいてくださる。エオメル殿も、ファラミアもイムラヒル叔父上も、みんながいます−−でも、明日は・・・?明後日はどうなのです?あなた方はミナス・ティリスを去ってしまう。わたしはひとりでこの石の都に残らねばなりません」

 ゴンドーリアンの呟きに、ロヒアリムは相手の掌をぎゅっと握り返して応えた。
(ボロミアは愛されることに慣れた、華やかな存在だと思っていた・・・)
だが、この大国の跡継ぎもやはり、誰にも言えない鬱屈を抱えて日々を過ごしているのだ。
セオドレドは相手の腕を引いてボロミアを引き寄せた。
美貌の公子が、かれと視線を合わせながら顔を近づけてくる。
その瞳の奥が灯かりの加減で、翠、蒼、琥珀と微妙に色を変えて王子を惑わせた。
頭の隅で「エオメルには黙っておこう」と考えつつ、セオドレドは不思議な陶酔に身を任せることにした。
「セオドレド・・・」
誘惑を秘めた声がかれの耳朶に流れ込む。
そして互いの頬に息がかかり、唇がかすかに触れ合ったときのことだった。

 セオドレドとボロミアは顔を離して目線を交わした。
「感じましたか」とボロミア。
「見てましたね」とセオドレド。
二人は目を閉じて横になっているイムラヒルを見た。
「叔父上!今、目を開けていたでしょう」
ボロミアが強く言う。だが大公は寝転がったままイビキをかいている。
「アッ、空にナズグルの影が!」
セオドレドが叫ぶと、イムラヒルは「何っ」と言って身体を起こした。
「起きてるじゃないですか」
ローハン王子と執政家の長子が同時に言う。

「なんですかな、まだ夜は明けませんな。いやいや、わたしは何も知らんし何も見てないですぞ」
わざとらしく伸びなどしながら、立ち上がる大公である。
「ま、わたしは部屋に帰って寝るとしようか。明日の朝には出発することだし」
「いいえ、ここにいて下さい大公殿」
セオドレドはそう言ってイムラヒルを引き止めた。
「いやあ、お邪魔のようですしなあ」
そう横目で見ながら告げる相手に、王子は首を振った。
どうも、気を回されてさあボロミアと何かしろ、と言わんばかりに二人きりにされるのは気恥ずかしいことである。

「まだ酒が残っています。飲みましょう」
セオドレドは杯に酒を注いで二人に手渡した。
ボロミアは微笑みながら受け取ったが、その表情は少し残念そうだったかもしれない。
「ボロミア殿、わたしたちにはたくさん時間がありますよ。これから、未来に向けて」
王子が思いを込めて告げると、ボロミアが嬉しそうに笑みを返す。
イムラヒルはかれらを見比べつつ、酒を啜っていた。
「まったく若いもんはすぐに意気投合していいねえ。わたしにだってそういう時代が・・・」などとぶつぶつ呟いている。
そしてセオドレドは、何だか今夜はモテて困るなあと思いながら、さらに杯を傾けたのだった。



「エオメル殿。夜の散策ですか」
ファラミアが振り向いて言った。
「はい。あまり眠たくなくて。それに月がとても綺麗なものですから」
中庭の、丁寧に手入れされた木々が、月に照らされて美しかった。
「わたしもあまり寝つけませんでね。明日には都を離れるので、少し気が高ぶっているのかもしれません」
弟君はそう言って夜空を見上げた。
その白い横顔が、彫刻のように端整である。

「殿下から伺いました。南方に行かれるのですね」
「ええ」
「わたしは船に乗ったことがありません。海では、海賊と戦うこともあるとか」
エオメルは興味を引かれて尋ねた。
「さあ。そういう者たちがいるようですが。わたしもあまり、海上には詳しくないですよ」
ファラミアが黙り込むと、エオメルはそれ以上なにを言えばいいかわからなくなった。
ただでさえ、弟君と一緒にいるのは緊張することなのである。
かれらは静かな夜の底にいた。天には無数の星がまたたいている。
「エオメル殿」
ふいに弟君がかれの名を呼んだ。
そして、どこか怖い、冷やりとした眼差しでエオメルを見た。

「あなたは、兄を愛しておられる」
青い瞳に射抜かれて、エオメルはどぎまぎした。
「い、いえ、愛というか、憧れているだけですが」
「わたしは自分の命より、ボロミアを愛しています」
「ファラミア殿・・・」
相手の告白に思わず気圧されるエオメルである。
「ですが、わたしはあなたにボロミアを託したい。エオメル殿、兄をお願いします」
「あの」
かれは相手の意図をはかりかねた。
「それは、どういう」
「あなたは人をひきつける魅力がおありだ。ローハン国内での人望もかなりのものでしょう。そのあなたがボロミアを助力してくださるのなら、わたしは安心して旅立つことが出来ます」

「もちろん、わたしに出来るかぎりボロミア殿をお助けしたいと思いますが」
「セオドレドさまは、さほど兄に思い入れがありません。その点はわたしも迂闊でした。一応王子殿下にも話をしておきましたが・・・もし兄に何かあったときには、あなたからセオドレドさまにお願いしていただきたいのです」
「何か、とはどんなことでしょう」エオメルは不安になって尋ねた。
「ボロミア殿に危険が迫っているのですか」
ファラミアはゆっくり首を振った。
「何、ということはありませんが」そして月を仰いで告げた。
「この中つ国に、次第に暗い影が忍び寄るのを感じませんか。明るい陽射しの下でも、冷たい風に身を震わせることがおありでは?」
エオメルは頷いて答えた。
「確かに。オークといい、妙に数が増しているようだし、国境を侵されることも多いです。この数年で、特に頻繁になりました」

 弟君はふたたびかれに向き直った。
「エオメル殿にお願いしたいことはひとつだけです。わたしがいなくなっても、兄が笑って過ごせるように手を差し伸べていただきたい」
「まるで、遺言のようなことを言われるのですね・・・」
思わずエオメルがそう言うと、相手はふっと息を吐いて笑った。
「そうですよ」
エオメルは相手の白い顔を凝視した。
「わたしは、生きて還るのが難しいでしょう」
かれは仰天して相手を見た。思いもかけないことを言われたからだ。

「ファラミア殿、何を」
「ハラドはゴンドールにとって、もっとも危険な敵地のひとつです。覚悟無しではいけない場所だ」
「そうなのですか?で、でもあなたは執政家の公子でいらっしゃるのに。なのに、そんな所に」
この若いロヒアリムは何も知らないのだ−−とファラミアは覚った。
そして、太陽の下でなら、胸にしまったまま口にしないだろうことを語ってしまったのだった。
もうこの若者とも会うことがないだろう、と思ったからかもしれない。
「わたしはこの国に必要のない人間ですから」
「ええっ、何を仰るのですか。そんなわけないでしょう、誰がそのようなことを」
「父が」

「デネソール候が?」
エオメルは思わず口ごもった。
「ど、どうしてですか」
「どうしてでしょうね。気づいたときには、わたしは父の不興を買っていました。それが何故なのかはわかりません。−−ボロミアは愛され、自分が疎まれるのはどうしてなのか。何度も自らに問いましたが、未だにわからないままです。そのうち、問うことに疲れてしまいました」
かれは言葉を失ってファラミアを見た。
そんな内情があることは知らなかったのだ。
月明かりに浮かんだ貌は相変わらず整っていたが−−そこには自らの感情を表に出すことなく、日々を送ることの困難と苦しさが刻まれていた。
そのことにロヒアリムはやっと気づいた。

「そして、わたしは人生のある時点で兄をうらやみ憎むより、愛することを選択しました。それは賢明な判断だったと思っています」
問わず語りに言葉を吐き出すファラミアを、エオメルはただ見つめていた。
「わたしは苦しかった。理由もわからず父に遠ざけられて、自信を失いました。そんなわたしにセオドレドさまが温かな友情を示してくださいました。嬉しかった−−わたしのような、生きている意味がはっきりとわからないような人間にです。あなたの王子殿下は、わたしの支えでした」
エオメルは相手の告白に耐えかねて、呟いていた。
「でも、でも、あなたは、そんなに美しくて、賢いのに・・・」
ファラミアがそんなかれを見て微苦笑を浮かべる。

 −−突然、ロヒアリムがゴンドーリアンの腕を乱暴につかんだ。そして叫んだのである。
「わたしが!わたしがあなたのかわりに、南国に行きます!」
「エオメル殿」
唖然としてファラミアはかれを見た。
ロヒアリムの瞳に涙がいっぱい浮かんでいた。それは見る間にあふれて、頬に流れた。
「わたしが行きます!わたしは丈夫だし、死にません。海賊もハラドリムも蹴散らしてやります。だから、あなたはボロミア殿のそばに残ってください」
ファラミアは言い募るエオメルの肩に手を置いて、静かに言った。
「あなたが遠くに行ったら、王子殿下が悲しみますよ」
「そ、それはそうですが、でもあなたがいなくなるのが嫌なんです。わたしは絶対に帰ってきますから、平気です!どうかわたしを南にやってください」

「エオメル殿、あなたは・・・」
(真っ直ぐで熱く、自らを投げ出すことを厭わない)
感情を抑えることが洗練された美徳だと考えてきたファラミアに、ロヒアリムの率直さは刃となってその胸を突き通した。
その裂け目から感情があふれでる。
それは止めようがなく、激しい渦になって弟君から冷静さを流し去ったのだった。
「エオメル殿」
ファラミアはエオメルを力の限りに抱きしめた。
相手も応えて抱き返してくる。
弟君の身体は、陶器のように固くすべらかな気がしていたが、こんなに熱いぬくもりがある−−とエオメルは思った。

「残念ですが、申し出はお受けできません。セオドレドさまが心配して痩せ細ってしまわれるでしょうから」
「だけど、だけど・・・」
「有難うエオメル殿−−あなたは、わたしを祝福して下さった。それはわたしの心に強く響きました。わたしは今、この上なく幸福です」
「ファラミア殿、あ・・・っ」
唇を塞がれてエオメルは身体を固くした。
ファラミアの熱い舌が入り込み、かれの口内を探る。
すぐにエオメルもそれに応えた。舌をからませ、激しく唾液を吸いあう。
そして互いを抱きしめる腕にさらに力を込めた。
唇を離すと、エオメルは顔を真っ赤にして喘いだ。
若いかれはくちづけに興奮し、ついでに下半身もエキサイトしてしまっていた。
それに気づいたファラミアが、エオメルの股間に片方の太腿をぐいと入れてくる。
「あッ」
「あなたは、わたしを求めている」笑いを含んだ声で弟君は囁いた。
そしてエオメルの腰を抱えると、すべるように中庭に降りて潅木の陰に連れ込んだのだった。

「ファ、ファラミア殿っ」
柔らかい芝の上に押し伏せられてエオメルはもがいた。
手足をばたつかせているうちに、弟君がかれの上着をめくり上げ、下衣も引き下ろそうとする。
「あ、あの、そんな」
相手を押しのけようと腕をつっぱると、ファラミアはその手首をつかんで地面に押し付けた。
そして白い貌を、吐息のかかるほど近づけてエオメルを見つめた。
「なぜそんなに暴れるんです」
「いや、だって、こんなこと」
「たった今、あなたはわたしに命すら与えて下さろうとしたのですよ。でも、それは受け取るわけには参りません。そのかわり、ひと時の慰めをいただけませんか?」
ゴンドーリアンはかれの耳をそっと噛んだ。
「あッ」
「あなたは、わたしを拒んだりしないでしょう?」
「−−ファラミア殿・・・」
甘やかな声に囁かれ、かれは逆らう気力を失くしてしまった。
エオメルは途方にくれて空を見上げた。月がかれの真上に輝いていた。

 衣服をはだけられると、エオメルの肌の上をファラミアの唇が彷徨った。
「陽に焼けてないところは、随分白いんですね・・・北方の肌だな」
ところどころに痕を残しながら弟君が呟く。
「でも体温が高くて、抱きしめていると暖炉に温まるようです」
「ああ・・・ファラミア殿・・・」
エオメルも相手の身体を撫でさすって愛撫を与えている。
ファラミアはその手を取って口元に寄せると、指を一本づつ含んで舐めるのだった。
馬の匂いでもするんじゃないかとエオメルは気後れしたが、相手は「あなたの手は皮の匂いが染み付いていますね」と言った。
そのファラミアの髪からは、薄荷のさわやかな香りがしていた。

 ファラミアにペニスを握られ、きゅっと締めつけられて「ああ・・・ッ」とエオメルは仰け反った。
指は意外なほど猥褻に動いてロヒアリムの熱を引き出した。
力の強弱と、摩擦がエオメルを翻弄する。
「あ、はぁっ」
「わたしの方も」
弟君に導かれて、かれも相手の性器をつかんだ。激しく指を上下させる。
「ああ、エオメル殿・・・」
「ファ、ラミア殿・・・ッ、あっ、あっ」
互いに呼び合う声に、熱い息を織り交ぜながら二人は求め合い、肌を高潮させて昂ぶりの極致に達しようとしていた。
すっかり力の抜けたエオメルの膝を押し広げて、ゴンドーリアンはその間に腰を入れた。
「エオメル殿、いいですね」
「あ・・・?」
かれは無防備に足を開くと、潤んだ瞳を相手に向けた。

 敏感な場所に固い感触が押し当てられた。
「アッ」
熱い感覚が入ってくる。さすがにエオメルは驚いてもがいた。
「ま、待ってください、それは、あぁっ」
「駄目です、動かないで」
この数日間、セオドレドに弄られほぐされていた部分は、ファラミアの物をさほど苦痛でもなく受け入れていく。
そこは刺激に敏感になってもいた。
肉壁を擦られながら貫かれると、甘美な快感がロヒアリムの脊髄を駆け上がる。
だがエオメルは半ば呆然としながら(殿下に怒られてしまう・・・!)と焦っていた。
「止めてください、あッ、ファラミア殿、困りますッ」
「大丈夫。そっとしますから」
「あ、あう・・・」

 根元まで埋め込んで、ひとつ息を吐き出したファラミアは、ゆっくり腰を動かし始めた。
エオメルの内部が動きにあわせてきつくつぼまり、侵入物を締めあげる。
「う・・・いいですよ、エオメル殿・・・」
「あッ、あぁ−−あ、あ、あ・・・!」
「あなたの方も、悪くないでしょう?−−でも、悲しそうなお顔をしてらっしゃるのですね」
エオメルが涙目でファラミアを見あげる。
堪らない悦楽にロヒアリムは陶酔していた。同時に、困惑と罪悪感に苛まれてもいた。
ファラミアが微笑んで、相手と視線を重ねあわせる。
「人生は思いもよらないことが起こります。これは、秘密です・・・わたしたちだけの」
エオメルは必死で頷いた。
「見ているのは月だけですから。お気になさらぬよう」
弟君の瞳の向こうに、かれは青い透明な闇を見た。

 月の冷たい光の下で、エオメルはさざ波のような快楽の中に漂った。
「くッ・・・アッ・・・はぁッ・・・」
大きな声を出すのが恥ずかしく、唇を噛み締めて喘ぎを殺す。
その慎み深い様子をファラミアは愛しく思った。
腰をうねらせて相手の体を押し上げる。
すると背中に回されたロヒアリムの指が、爪を立てるのだった。
「あ−−あッ・・・」
エオメルは身悶えながら、水の中の藻のように揺らいでいた。
繋がれた部分がきしんで苦痛が高まると、波間に浮かび上がって息を吐こうとする。
だが、またすぐゴンドーリアンに引き戻されて水底に沈められてしまう。
「エオメル・・・」
「ファラミア・・・ああ・・・」
夜に溶けてわからなかったが、弟君は今もあの湖のような瞳で自分を見つめているのだろうとエオメルは思った。



 いつの間にかかれらは、抱き合ったまま柔らかな芝の寝床で眠りに落ちていた。
やがて東の空が白みはじめた頃、ファラミアが身体を起こしてエオメルに囁いた。
「もう行かなくては」
「・・・ファラミア殿」
かれが伸ばした手を、執政の次男は大事そうに押し戴いて口づけた。
「またお会いしましょう。二人の秘密が記憶に埋もれないうちに」
エオメルが横たわったまま肯う。
「きっとですよエオメル殿。わたしは一度手に入れたものは放さない方なんです」
「忘れません・・・この夜のことは・・・」
ファラミアはそっとエオメルの手をおしやり、立ち上がった。
「御機嫌よう、わたしの馬の司殿−−遠い海の上で、あなたの夢を見ます」
そう告げて弟君は身を翻し、薄明の中に去っていった。
エオメルの頬を暁の風が撫ぜる。

 その姿を目で追いながら、かれはまた涙を浮かべていた。
まるで心の一部を持ち去られたかのように、切なかった。



次で終わらなければ拙者、腹を切るでござる(大迷惑)。



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