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その翌日は晴れやかな好天に恵まれた。
エオメルは朝から張り切ってボロミアに披露する馬の手入れに余念がない。
今回のゴンドール使節の訪問目的のひとつは、武具の供給と引き換えに優秀なローハンの馬を譲り受けたい、というものである。
ゴンドールの総大将に、リダーマークの駿馬の素晴しさをとくとご覧いただきたい、とエオメルは思っていた。
かれらロヒアリムほど、馬を愛している民族は他にいない。
やがてマークの平野に、たてがみを綺麗に編み込み、飾りのついた鞍を載せて美々しく装った馬の群れが引き出された。
長槍と盾をいだいた金髪碧眼の騎士たちが騎乗している。
エオメルが軍団長を務める第三軍団の精鋭たちである。冑が日に映えて銀色にきらめく。
エオメルは部下たちに整列したまま待つように言い置くと、王宮に向かった。
玉座の前では、ボロミアが王に朝の挨拶をしていた。
エオメルは冑を脱いで御前に進み、「王よ、大将殿に拝覧していただく準備が整いました」と告げた。
「おお、そうか。ボロミア殿、今回貴国が求めている馬の取引の裁量は、すべてこのエオメルに任せておるでな。わしの甥と一緒に、マークの駿馬を見定められるがよかろう」
セオデンの言葉にボロミアがうなづく。
「それではさっそく拝見させていただこう。エオメル殿、案内をよろしく頼みます」
ボロミアは王に一礼すると、エオメルに笑いかけた。騎士軍団長の頬がまたもや赤くなる。
二人は御前を下がると、肩を並べて王宮を出た。
高台に築かれている黄金館から平野に下りていく道すがら、「昨夜は、エオメル殿とはあまり話が出来ませんでしたな。食事の後の酒席にはいらっしゃらないようだったし」とボロミアが話しかけてきた。
エオメルは「はあ、いろいろとすることがございまして」などともごもご言った。
ゴンドールの一行を迎えての晩餐のあいだ、エオメルはボロミアやセオドレドからなるべく離れた席について大人しくしていた。
その前にセオドレドに言われたことを意識してしまったため、「恋・・・?恋・・・?」と頭の中がぐるぐるしていたのである。
そのかわり、一座の華になったのはかれの妹エオウィンだった。
最近とみに美しさを増してきたローハンの姫は、あれこれ話しかけるボロミアにはにかみながら答えていたが、その清純な様子がゴンドーリアンたちに賞賛された。
セオドレド、エオメル、エオウィンの3人はゴンドールのロスサールナッハ出のモルウェン姫を祖母に持っている。
特にエオウィンの容姿は祖母の血が濃く出ていた。
ヌメノール風の典雅な美貌を好ましく思った使節たちは、口々にエオウィンの美しさを誉め、ローハンの姫君の気品は生粋のゴンドール貴族令嬢にも劣らないとたたえてゴンドール生まれで都の文化を好むセオデン王を喜ばせた。
「それにしても、可愛らしい妹ぎみをお持ちですな。父が、セオデン王の母君モルウェン姫は大変美しいかただったと言っておりましたが、妹ぎみにお目にかかってなるほどと思いました」
エオメルは妹を誉められて嬉しかったが、謙遜して答えた。
「まあ、近頃いくらか見られるようになったという程度です。まだまだ子どもで」
言葉と裏腹に、エオメルの口元はほころんでいる。
ボロミアはそんなかれを見て、微笑んだ。
「いや、エオウィン姫は実に凛とした美しい方だ。ローハンの清冽とゴンドールの典雅をともに身のうちに備えているようですな。そうそう、ゆうべ姫は、わたしがローハンにいるあいだに手ずから料理を作って振舞ってくださると約束してくれましてね。楽しみにしているのです」
・・・それを聞いたエオメルの顔がへんな風にひきつるのを、白の総大将は足元の石に気をとられて気づかなかった。
強壮な駿馬を操る、マークの騎士たちの見事なパフォーマンスを間近に見て、ボロミアは感嘆した。
「あれほど巧みに槍を操る者は、ゴンドールにはおりませんぞ」
馬上槍術に興奮した総大将がエオメルにそう話しかけ、それを聞いた騎士団長の胸を幸せな誇りでいっぱいにした。
一方、少し離れた木陰では世継ぎの王子とその従妹姫が、木の根方に腰を下ろして涼んでいた。
セオドレドは、ボロミアから贈られた北方国伝承の写本をぱらぱらめくりながら、ときどき、並んで立っているエオメルとボロミアのほうをちらりと見ていた。
そしてエオウィンは、うっとりした目つきで執政の跡継ぎの姿だけを見つめている。
そんな従妹を、「ねえ、きみの瞳にはボロミアしか映っていないようだけど、そんなに見たらかれの背中に穴があくよ」とセオドレドがからかう。
エオメルよりずっと正直で大胆なその妹は「だってセオ兄さま、わたしあんなにステキな殿方にお会いしたのは初めてなんですもの!わたし、あの方がすっごく好き」といきなり告白したのだった。
ははあ、兄妹というのは好みも同じなんだなと妙な感慨を覚えつつ、セオドレドは言った。
「じゃ、ボロミア殿のお嫁さんにしてもらうよう頼んでみるかい?かれは独身だし、まだ決まった相手がいないからね」
それはまんざら冗談でもなかった。
両国にとって悪くない組み合わせであり、血筋的にも釣り合っている。
しかし、なぜかそれを聞いたエオウィンは憤慨して「まあ、セオ兄さまったら、いやらしい」と言い、セオドレドをにらんだ。
「いやらしい?どうして?」
王子が不思議に思って問うと、従妹姫は「わたし、一生結婚なんてしません。わたしは勇敢な女騎士になって、ボロミアさまと一緒に戦いたいの!」と叫ぶのだった。
見かけよりずっとお転婆な彼女は、出来れば今すぐ兄を押しのけてボロミアの隣に立ち、騎馬軍団にあれこれ指示を出してみたいとでも考えていたらしい。
ああそうなんだ、悪かった、と従妹に謝りながら、まだまだエオウィンは子どもなんだなとセオドレドは苦笑した。
そしてエオメルとボロミアに目を移すと、楽しげに談笑する二人の姿が目に入る。
さて、妹ほど単純でない兄のほうの感情は、どのように転がっていくのやらと王子は思った。
その行き先はまだ見えていないが、いずれにしても、(エオメルが気づいて怒り出さない程度に)自分も介入させてもらうぞと、かれは勝手に決めていた。
「大将殿とその辺を見回ってきます」
公開調練が終了し、部下たちを解散させた後、それぞれ馬を引いたエオメルとボロミアが、セオドレドとエオウィンのもとにやって来た。
馬と騎士の妙技をさんざん見せられた総大将は、さっそく自分もローハン馬に乗ってみたくなったらしい。
ボロミアは、エオメルに遠乗りにつきあってくれるよう頼み、軍団長はそれなら自分の受け持ちである東マークの周辺を案内しましょうと申し出たのだった。
「ああそう、二人きりで出かけるんだね。いい天気だし、乗馬日和だ」
セオドレドが片眉をあげて意味ありげにエオメルを見る。
視線の先の従弟はなんともいえぬ表情を浮かべて、かすかに身体をよじらせた。
ボロミアは気づかず、嬉しそうに馬の手綱を曳いている。
「いや、どうしてもすぐに騎士国の駿馬の乗り心地を試したくなりましてな。エオメル殿にお願いしたのです」
「そう、そうなのです。では参りましょう、ボロミア殿。殿下、またのちほど」
セオドレドがボロミアに何か妙なことを言い出さないうちにとでも思ったのか、エオメルはボロミアを促すと馬に飛び乗り、そそくさとその場を去ろうとした。
続いてボロミアも騎乗したが、そうやってローハン馬に跨ったかれの姿は大柄な身体といい陽にすける金髪といい、かれらと同じエオルの家の子のように見えた。
その様子をエオウィンが眩しそうに見上げる。
駆けて行く二人の後姿を見送ったあと、エオウィンは大きなため息をついて言った。
「つまらない。わたしが男の子なら一緒に連れて行ってもらえたでしょうに・・・」
セオドレドは読書を再開すべく頁をめくっていたが、「きみはきみにしか出来ないことをすればいいんだよ」と言って微笑んだ。
「そんなの、なにがあるかしら」と拗ねてみせる従妹に、王子は「料理とか」と本に視線を落としたまま言った。
「うーん、そうねえ」
スカートの裾をはらいながらローハンの姫君は立ち上がった。
「二人は昼食までに戻るかしら?これからお肉を煮込めば、昼餐に召し上がっていただけるわね」
「そうだね。きっと腹をすかせて帰ってくるだろうから、たくさん作っておくといい」
エオウィンは王子にうなづくと、黄金館に向かって急ぎ足で帰っていった。
セオドレドはくすくす笑いながら、自分がランチを欠席する口実を真剣に考えはじめたのだった。
マークの国の平野を、二人の長身の騎士が馬を駆って走り抜けていく。
かれらの馬は力強い足並みで風のように進んでいる。
長い金髪をなびかせた騎士国の軍団長が先に行き、少し遅れてゴンドールの総大将があとに続いた。
ボロミアが騎士国を訪れたら、ぜひ二人で遠乗りしたいと願っていたエオメルである。
思いが叶ってかれの心は喜びに満たされたが、同時に緊張もして、やみくもに馬を走らせる。
草原を駆け、林を抜け、いくたびか丘を越えたころ、振り返るとボロミアの馬をかなり引き離してしまったことに気づいた。
かれは巧みに馬首を反転させ、後方のボロミアのもとに向かった。
「お疲れになりましたか」
手綱を握りながら汗をぬぐっている総大将に声をかける。
ボロミアは息を切らせて答えた。
「いや、なかなかエオメル殿のように見事に乗りこなすというわけにはいきませんな」
(そういえば、大将殿は昨日この国に着いたばかりなのだ)
まだ長旅の疲れも残っているだろうに、ついオーバーペースで走ってしまったのはかれの不注意だった。
自分のうかつさを反省しながら、エオメルはボロミアと轡を並べてゆっくりめに馬を進めていった。
「しかし頑強な馬ですね」とボロミアが感心して言い、馬の首を撫でる。
「その馬はいにしえの名馬フェラロフの血を受け継いでいます。直系の馬は国王しか乗りこなすことが出来ませんが、傍系でも優秀な馬が数多く生まれています。いま大将殿が乗られている馬と、その兄弟馬をゴンドールに献上するつもりですから」
エオメルの言葉にボロミアは嬉しそうにうなづき、「すばらしい贈り物だ」と言った。
乾いた風に吹かれながら馬に揺られていると、ボロミアが「そういえば先ほどセオドレド殿下が読まれていたのは、わたしが差し上げた写本ですかな。気に入っていただけたなら良かった」と言った。
「そう、かもしれません。わたしにはよくわかりませんが、王子はこの国の人間には珍しくああいうものがお好きなのです」
なんとなく言いにくそうにエオメルが答える。
一般のローハン人には、読み書きの習慣がほとんどない。かれらは過去の伝承を書物ではなく歌に託して伝えるのだ。
だから読書好きの世継ぎの王子は、マークの武将たちから都かぶれだ柔弱だと言われがちだった。
高貴な身分の者はそういう教養も必要であると、エオメルは従兄を庇っていたが、ゴンドールの風俗を好み、ゴンドール語を好んで使うセオデン王とその息子を不満に思うロヒアリムは多い。
セオデンが善良な王であるのと、セオドレドが瀟洒な外見に反して戦場では勇猛なことを皆知っているので、国民の不平はそれほど目立つものではなかったが、学問のない素朴なローハン人たちは、世継ぎの王子は書物など捨てて常に長槍と大剣を携えるべきだと思っていた。
ゴンドールの次期執政はそんな事情には疎かったので、エオメルが口調に混ぜた微妙な懊悩に気づかなかった。
ボロミア自身は、伝承の書物より剣を選ぶ質だったが、ミナス・ティリスにいるかれの五歳年下の弟は、本の虫といっていい人間で、子どものころから剣術の稽古より読書のほうが好きだというタイプである。
ボロミアはセオドレドを見ると、何とはなしに弟のことを思い浮かべるのだ。
色合いは違うが、クセのある金髪の秀麗な容貌の貴公子であるところも、弟のファラミアと似ているとゴンドールの大将は思っていた。
「今回持参した文献は、みんな弟が選んだものです。とくに以前から殿下がご所望になっていた「執政の書」も、一部だけですが写本にしました。「執政の書」は本来門外不出の品なので、父に知れたら大目玉ですが・・・前回、セオドレド殿下がミナス・ティリスを訪問されたときに、弟が約束していたようなので。あの二人は会うと過去の伝承記録のことばかり話していますな。気が合うんでしょう」
エオメルは、会ったことのないボロミアの弟の話を興味深く聞いた。
かれはエドラスでこそ王族と同等に扱われているが、実際には臣下の身で、まだ若年なこともあって国外での外交の場には無縁だった。
ゴンドールの白い塔の都、ミナス・ティリスも話に聞くだけで訪れたことはない。
「弟君は、大将殿に似ておられるのですか」
その姿を思い浮かべようとして、エオメルは尋ねた。
「外見はよく似ているといわれます。ただ性分はだいぶ違いますな。ファラミアは物静かで考え深い質というか、文官気質というか・・・いや、戦いの場では非常に勇敢に剣を振るいますが。雰囲気だけなら、わたしよりもセオドレド殿下のほうが似ておられるかも知れません。殿下がゴンドールにいらしたときには、みなが殿下は生まれながらのゴンドーリアンのようだ、そしてファラミアとは実の兄弟のようだと言ってますからな」
ボロミアの言葉に、エオメルは昨日セオドレドが呟いた「王子はあまりエオルの血筋らしくない、まるでゴンドール人のようだ」と国民が噂している、というくだりを思い出して、冷やりとした。
と同時に、白い都の人々から見ても、ローハンの世継ぎの王子は高貴な人物に見えるらしいことが誇らしかった。
「わたしはまだ、ミナス・ティリスに伺ったことがありませんが、素晴しく美しい都だと聞いております。ぜひこの目で拝見したいものですが・・・お父上のデネソール閣下やファラミア殿、大公がた、尊貴の方々とお会いすることを考えると気後れします。わたしはセオドレド殿下と違って、教養もない無骨な田舎者ですから」
いくぶん恥ずかしそうに言うエオメルに、ボロミアは笑って答えた。
「ゴンドールはロヒアリムの純朴と誠実をこそ愛しているのですぞ。それに、エオメル殿の馬術の見事さは、わが国の者の目を奪うに違いありません。諸侯は争って、エオメル殿に乗馬の教えを乞うことでしょう」
ボロミアに賞賛され、どぎまぎしたエオメルが「そ、そうでしょうか」などと答えているうちに、かれらは雪白川ぞいの森に辿り着いていた。
休憩することにした二人は、馬から下りて冷たい川の水を飲んだ。
「わたしが、ローハンの訪問をどんなに楽しみにしていたか、エオメル殿にはお分かりにならないでしょうな」
水面を見つめていたボロミアがふいにそう言った。
「わたしはミナス・ティリスにいながら、ときどき、一介の騎兵としてローハンの草原を駆け巡ることを夢想することがあります。このマークの国の風や空気、人々の気質がわたしにとって特別に慕わしいものに感じられるのは何故でしょうか。わたしはローハンと何か特別な縁があるような気がするのですよ」
ボロミアの言葉を、エオメルはローハンへの賛辞だと受け取って胸を熱くした。
「ボロミア殿、初めてお会いしたときから、わたしはあなたを我等と同じエオルの子のようだと思っておりました。あなたのほうでもそう思ってくださっていたとは、まことに嬉しいお言葉です。わが王国の始祖、青年王エオルとゴンドールの執政キリオン候は実の親子のように慕い合っていたと伝えられていますが、かれらの魂がよみがえってわたしたちのなかに宿っているのかもしれません」
激しやすいエオメルは、話しているうちに心が高ぶってきた。
そして衝動的にボロミアの手を握った。
「なぜなら、エオルがキリオン候を慕ったように、わたしもボロミア殿をこの上なく尊敬しているからです」
大きな目をひたと据えて、熱く語る年下の騎士を、ゴンドールの総大将は「なんと可愛らしい」と思い好もしく見つめた。
ボロミアが語ったローハンの騎兵になりたい云々は、半分は執政の長子として都で課せられている責任の重大さに苦悩する心が言わせた言葉だったが、飾らない情愛を示すローハン人の純粋さに、かれはうたれた。
「いにしえのキリオンがエオル王を信じてその助勢を請うた心がよくわかりましたぞ。ゴンドーリアンにとってロヒアリムほど、無償の友情を誓うにふさわしい相手はいない」
そう告げてボロミアがエオメルを強く抱きしめる。
「ボっ、ボロミア殿・・・」
憧れの総大将に抱擁され、エオメルは一瞬我を失ったが、すぐに相手の背中に腕を回して力を込めた。
ボロミアの逞しい肩に顔を埋め、その蜂蜜色の金髪に頬をくすぐられた時−−騎士軍団長ははじめて「わたしはこの人に恋している」と思い至った。
従兄の言葉は正しかったのだ・・・。
自分のボロミアへの想いは友情や敬愛の範疇にはおさまらず、相手の身体に触れることによっていや増す種類のものだということにエオメルは気づいた。
かれはボロミアといだきあうことで、今までの人生のなかで一番の高揚を感じた。
そしてもっと他のこともしたくなったのである。
健全デート編、これにて終了でございます
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