エオルの誓い(前編)  Oath of Eorl

指輪戦争より五年位前の話だと思ってください。





 ローハン国、エドラスの黄金館。
「まだ、お着きになりませんか」
厩舎から戻るなり、エオメルはバルコニーのベンチに座ったセオドレドにたずねた。
ゴンドールの執政デネソール大候の長子、勇猛で知られる総大将ボロミアが本日、このマークの国を訪れることになっているのだ。
騎士軍団長エオメルは朝から上の空で、ボロミアに披露する予定の、馬の手入れの様子を見に何度も厩舎にでかけていた。
そしてときたま宮殿に駆け戻っては、王子に同じ質問をするのだった。

 高台に築かれた黄金館のバルコニーからは、エドラス−ミナス・ティリス間を結ぶ大西街道を見晴らすことができる。
だが、そろそろ日が傾きつつあるというのに、その街道にはまだそれらしき旅人の姿はなかった。
「落ちつけよ、エオメル」
王子はあきれた表情で従弟を見た。
「日が沈むまでには着くさ。このところ天気もよかったし、大きな遅れはないだろう」

 ゴンドールの首都からエドラスまでの旅程は、馬を飛ばしても4〜5日、通常のペースなら10日前後の日数を要する。
今朝はやく、先触れの使者がボロミアの到着はもうじきだと知らせに来た。
それ以来エオメルはそわそわしどおしで、そこらをばたばた駆け回っており、セオドレドはその様子を見ているだけで疲れた。
「なにがそんなに楽しみなんだろうね」
エオメルのはしゃぎように、幾分微妙な口調で王子は言った。
従弟はそれに気付かず「ボロミア殿とお会いするのは何年ぶりだろう!確か、アノーリエンでのオーク掃討戦の際に、ゴンドール軍と共に夜営した時以来でしょうか。あの夜は実に楽しかった」と瞳を輝かせた。

「それは三年前のことだね。わたしは参戦しなかったのでわからないが」
「ええ。ボロミア殿の戦いぶりを間近に見るのは初めてでしたが、それは見事なものでした!さすがはゴンドール屈指の名将だと感嘆したものです。そして戦いのあとには一緒に酒を飲みましたが、高貴な身分にもかかわらず、気さくにいろいろ話しかけてくださって、お人柄も素晴らしい方だと思いました。わたしの部下たちも皆、白の大将はとてもゴンドール貴族とは思えない、われわれと同じエオルの子のように剛勇だと口々に誉めていて」

 夢中で思い出を語る従弟を横目で見ながら、世継ぎの王子はぼそりとつぶやいた。
「じゃあ、かれとわたしが入れ替わればよかったかな。わたしはいつも、王子はあまりエオルの血筋らしくない、まるでゴンドール人のように取り澄ましていると皆に言われてるようだからね」
それを聞いたエオメルはうろたえた。
「そのような・・・つまらぬことを。そのような言葉をお耳に入れる必要はございません。セオドレド殿下は、まことに我が国の王座を継ぐにふさわしい方です」
そう懸命にエオメルが言っても、王子は遠くを見たまま返事をしなかった。

 気まずい沈黙がおりて、そのまま二人とも黙り込んでしまう。
確かにそういう陰口があるのは事実だが、実際は王子自身はさほど気にしていなかった。
なんといってもセオデン王の息子はセオドレドだけなのだし、他に競争相手がいるわけではないのだから。
ただ、手放しでボロミアを賞賛するエオメルの様子にあまりいい気持ちがしなかったので、かれは従弟を困らせてやりたくなったのだ。
エオメルが困惑してもじもじしているのを、王子の方は内心面白がっていた。

 やがて景色に視線を戻してセオドレドが言った。
「エオメル、きみの待ち人がやっと現れたようだ・・・街道の南からこちらに向かう一団が見える」
王子は立ち上がると「出迎えの準備を」と従弟に命じた。
騎士団長はほっとして「ハッ!」と返事をし、城門に向かって駆け出した。
その姿を見送ると、セオドレドは客人の到着を告げるため王宮に入っていった。



「おお、ボロミア殿よくいらした。デネソール閣下はご健勝であられるか」
「はい。セオデン陛下、セオドレド殿下にもお変わりなく」
数年ぶりにローハンを訪れたゴンドールの次期執政が、笑顔でセオデン王とセオドレド王子に挨拶すると、ゴンドールびいきの国王は、相好を崩して喜んだ。
セオデンの母はゴンドール貴族出身の姫であったので、当代のエオル王家は歴代中もっともゴンドールと近しい血縁を持っている。

 ボロミアにとっても、ただ同盟国を訪問したというより親戚筋の館に遊びに来たような身内意識があるようだった。
セオドレドに向ける笑顔や会話の口調も、ごく親しげな胸襟をひらいたもので、王子は自然にボロミアの方に身を乗り出して熱心に話をしている自分に気づいた。
確かにボロミアには相手を夢中にさせる魅力があるようだと王子は思った。
白の塔の長官であり、ゴンドール軍の総大将、執政デネソールの跡継ぎでもあるボロミアは、ロヒアリムとは違う色合いの金髪と、澄んだ緑色の瞳を持つ端正な容貌の持ち主で、生粋の戦士らしく逞しかったが、その仕草は優雅だった。

 セオドレドは、あれこれ近況を報告しあう父王と客人から視線をうつして謁見の広間を見回した。
すると、後ろに控えて夢中でボロミアを見つめているエオメルが目に入った。
王の側近たちや近衛兵ら、居並ぶロヒアリムの勇士たちの中で、ひとりだけキラキラした乙女な眼つきの従弟を、セオドレドはなんだかなと思いながら手招きした。
「おっ、お呼びでしょうか・・・」
ギクシャクした足取りで玉座のそばにやってきたエオメルに、振り向いたボロミアが嬉しそうに声をかけた。

「これは、エオメル殿ではないか!アノーリエン以来かな?またお会いできて嬉しいですぞ。すっかり立派なマークの軍団長におなりだ」
総大将はエオメルの肩をばしばし叩いて、親愛の情をあらわした。
エオメルは真っ赤になって「はあ」とか「ええ」とか言っている。
男に肩を叩かれたからといって何故に顔を赤くするのだろう、と疑問に思いながらセオドレドは言った。
「ボロミア殿、わが従弟殿はあなたにわれらがリダーマーク自慢の名馬を披露しようと、それは楽しみに待っていたのですよ」
「おおそうですか、それは楽しみだ。ぜひ、拝見させていただこうエオメル殿」

 ボロミアの、目の眩むようなまぶしい笑顔を至近距離から浴びせられて、エオメルは頭がクラクラした。
「はっ、はい、喜んで」
すぐにも厩舎から馬を引き出してこようと若いロヒアリムは逸った。
だがセオデン王が「まあそれは明日のことじゃ。ボロミア殿もお疲れであろう。今、晩餐の用意をしておるでな」とのんびり言ったので、騎士軍団長は一礼して一歩下がったのだった。
王の言葉を合図に一同は解散し、ロヒアリムたちがぞろぞろ広間を引き上げていく。
広間では大きなテーブルが引き出され、賓客用のテーブルクロスがかけられて夕餉の支度が始まった。



 ゴンドーリアンたちは、一旦荷物を解いて着替えたいということで、用意された客室へと案内されていった。
まだうろうろしていたエオメルが、バルコニーに王子がいるのに気づいてそばに寄る。夕映え時の風が心地よく吹いていた。

「晩餐にはわたしもご一緒させていただいて、よろしいのでしょうか」
日が落ちなんとする、山並みの際の部分だけオレンジ色に縁取られた山脈の景色を眺めながら王子は答えた。
「もちろん、きみは王家の一員だからね。エオウィンにも同席するよう言ってくれ。それに、きみは白い塔の長官殿とひとときも離れたくないようだしね」
「はあ?いや、そんなことは」
セオドレドは従弟を横目で見てつぶやいた。
「きみがボロミアに恋してるなんて知らなかった・・・」
「なっ。なんですと!恋!?わたしが、ボロミア殿に?」
驚いて叫ぶ従弟に身を乗り出し顔を近づけて、王子は言った。

「だってきみは、ずっとかれを夢中で見つめていたじゃないか。あれはどう見ても恋する者の目だと思ったけどね。きみがわたしに隠し事をするとは」
そういうと王子は、衝動的にエオメルの肩をぐいと抱き寄せた。
唇が触れる寸前まで顔を近づけて、従弟の眼をじっと見つめる。
「で、殿下、このような所で、人目というものが・・・」
困惑したエオメルが、セオドレドの身体を押しのけて遠ざける。
「ボロミアに見られて、わたしたちが接吻しているとでも誤解されたら、きみは困るだろうね」
従弟に拒まれたセオドレドは不機嫌な口調で言った。

 これまでは、軽いキスぐらい誰が見ていようと従兄弟どうしなら気軽にかわすのが普通(とエオメルにインプットby王子)だったはずなのだが。
「ああ、はじめてメドゥセルドにやって来た頃のきみはとても可愛らしくて、わたしの言うことは何でもきいたのに。いつのまにかこんなにデカくなって、しかも他の男に惚れてわたしのことをハエか何かのように追い払おうとする」
王子は額に手を当てて嘆いてみせた。
エオメルが「なにを仰ってるのか意味が・・・」とあきれて言った。

 ひとまわり年上なのと世継ぎの王子の立場であるのをいいことに、純真な従弟に良いことも悪いこともいろいろ教え込んできたセオドレドである。
王子はエオメルの心の動きや感情の変遷についてもすっかり把握しているつもりだった。
ボロミアに関しては、ローハン王家のものは皆ゴンドールの総大将に好意を抱いていたので、当然エオメルも同じようなものだろうと思っていた。
だが、従弟のボロミアへの思慕の強さは好意の範囲を超えていることに、今日はじめてセオドレドは気づいたのだ。

「それは、ボロミア殿は素晴らしい方ですし、つい目で追ってしまいます。しかしそのような、王子が言われるようなことではありません」
エオメルは真面目くさった顔でそう言い、今度は自分から王子の頭を抱え寄せて額と額をくっつけた。
子供のころから二人のあいだでよく行われていた、相手をなだめるための行為である。

 セオドレドはどこかふてくされた様子でされるがままになっている。
そんな従兄を見て、エオメルは自分があまりにボロミアのことを心待ちにしていたので、殿下はやきもちを焼いておられるのだと合点した。
世継ぎの君にはそういう子供っぽいところがあるからなあ、と内心苦笑する。
とはいえ、久しぶりに会った白の総大将の姿は輝かしく、かれが見知っているローハンの戦士たちの誰よりも偉大に見えた。(不敬に思われたが、敬愛する国王よりも世継ぎの王子よりも)
王子とともにいる今も、エオメルの心はボロミアの素晴しさを想わずにはいられなかったのである。

 一方、セオドレドのほうは(ふん、それはまあ、いくらエオメルがボロミアに熱を上げたって向こうが相手にするとは思わないが。いや、そうとも言いきれないかな・・・エオメルは無駄に可愛いし)などとあれこれ考え、今後の展開に思いをめぐらせていた。
といってセオドレドは別に、エオメルの恋路を邪魔するつもりはないのである。
両親を幼くして失くした従弟を、王子は兄がわりとなって必要以上に可愛がり、またある時はいじめてみたりなどして導いてきた。
いまや幼かった従弟はすっかり大人になって、ロヒアリム一の勇猛な騎士へと成長した。
いつかは恋も知るだろう。おそらく、どこかの美しい姫君がその相手になるのだろうとも想像していた。

 セオドレド自身のエオメルへの想いはというと、純粋な兄弟愛、というにはもっとずっと密着した要素が存在していたが、対等な恋愛相手に考えたことはなかったのである−−今までは。
どんなに従弟が成長しても、依然として幼い少年のイメージが抜けないのと、意識していない心の奥で、王子は王族らしい傲慢さで、エオメルを忠実な家臣であり目下のものだと認識している部分があるのだ。
その従弟の恋の相手が、ゴンドールの総大将と知ってなんだそれは、と思ったのは、自分の部下が勝手に他の武将の旗下に去っていってしまったような、自尊心に触れる出来事だったのである。
更に気に食わないのが、高貴の血筋の戦士という点でセオドレドもボロミアも同じような条件のもとにいるというのに、エオメルが恋したのは自分ではなく「ボロミア」のほうだった−−ということがある。

 要するに王子は、なんで「わたし」に惚れないんだ、おまえは?え?と不愉快になったのである。



 ローハンの王子とその従弟の騎士軍団長は、夕闇せまるバルコニーで互いのおでこをくっつけたまま、互いにあれこれ思いにふけってた。
黄金館の下ではロヒアリムたちが宮殿を見上げ、王子殿下とエオメル団長があんな目立つところでまたイチャイチャしておられる、ゴンドールからの客人の目もあるというのに、とため息をついていた。




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