【廃墟マニヤ File010】
S野煉化Hフマン式輪窯(栃木県)
(その1)
明治時代、建造物の近代化はレンガによって始まりました。そのため大量のレンガが必要とされ、1888年現在の栃木県野木町にS野煉化製造会社(Sは下で「しもつけれんが」と読みます)が創立されます。翌年大量生産に適した赤煉瓦焼成用のHフマン式輪窯(Hはホで「ほふまんしきりんよう」ですね)がつくられ、さらにその翌年1890年から操業を開始します。
この考案したドイツ人の名前が付けられた窯の特徴は、16の焼成室を持ち、1室のレンガを焼いている際の余熱で次室のレンガ素地を乾燥させるということを繰り返し、効率よく、しかも連続的にレンガを生産していくことが可能であったという点です。
この窯は東西2基あったらしいのですが、西窯は関東大震災で倒壊してしまい、残ったのは東窯のみ。こちらは1971年(資料によっては1974年)まで操業していました。関東大震災以降、建造物の主役は鉄筋コンクリートに移っていったわけですし、もっと近代的なレンガ窯もおそらく登場していたと思われるので、意外に最近まで稼動していたという印象を受けます。そして1979年には国の重要文化財に指定されました。
さて、ここまでで話が終わりであれば、立派な産業遺跡でここに登場しません。2003年、この窯を敷地内に持つ乗馬クラブを経営していたSモレン(旧S野煉化)が事実上倒産、窯の保存が危ぶまれているという新聞記事を発見したのです。そこで、現存しているうちにこの目で見ておこうと、あわてて見学に行ってきた次第です。
満足度:★★★
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