思うこと第54話 2006年01月01日(元旦) 記
2006年元旦に思う
私が病に倒れ、4ヶ月の入院の後に、もう一度社会復帰させてもらったのが丁度3年前の元旦であったから、あれから丸3ヵ年という歳月が経ったことになる。
病を機に、私の人生観が変わり、“生き方”も変わり、その後の一年間の間に、このHPを立ち上げ、思うこと第一話を丁度2年前の2004年元旦に感慨をこめて書き、さらにその1年後の2005年元旦に思うこと第27話を書いたのであったが、今日、さらなる感慨を込めて2006年の元旦を迎えた。
人は、周囲の助けなしには生きてゆけない。 私も、周囲に助けてもらい、昨年の神経学会総会という一大事業も成功裏に終了できた。 大学の本業の仕事も、着実に進行できた。 趣味の日本画も、限られた時間しか使えないとはいえ、すこしだけ前に進めることが出来た。 すべてが、周囲の方々の支えで、ここまでこれたように思う。
ただ、目標が高いこともあり、そして多岐にわたっているため、自分の歩みがのろすぎて、じれったく感ずることもあるが、その都度、「無理しないこと、マイペースを保って、」と自分に言い聞かせながら、歩んできた。
昨年もまた、毎日毎日が自分自身との戦いであった。 一日は24時間しかない。 体の健康のため、6時間の睡眠時間だけは聖域として守らないといけない。 残る18時間を、どう有意義に使うか、その勝負であった。 午後9時就寝、午前3時起床はすでに定着した。 起床後すぐから午前5時まで2時間日本画を描き、教授室での仕事は、午前6時開始を目指すパターンも同じであったが、仕事が忙しいと、この時間が切り詰められることはしばしばで、これが、昨年、なかなか日本画製作の進捗が思うようにいかなかった理由の一つでもあった。今年は、今一度、気合を入れなおして、この朝の2時間を切り詰めないですむよう、昼間の仕事の能率を上げようと思う。
自分の寿命があと何年あるのか、もしも、あと、10年生きれたら、今より、すこしはましな自分になれるような気がするが、寿命は神のみぞ知るである。 お召しのあるその日まで、ひたすら、お世話になった、私を支えてくれた周囲の方々のお役にも立ちながら、自分の健康管理にも努めながら、ゆっくりペースで歩み続けてゆきたい。