思うこと第27話       2005年1月1日 記

2005年元旦に思う



 左の写真は今朝(2005年元旦)の日の出直前の磯海岸の寒中水泳の情景を撮ったものである。海面から蒸気が立ち上っていることからもわかるように今朝は相当寒かったが(2℃ぐらいか)、このように、寒さにめげない、元気いっぱいの子供たちを見ることから始まった今年は、明るい年になる予感がした。右の写真は今朝の日の出の瞬間で、2005年の夜明けの瞬間である。日の出にあわせて海中で矢を放つ行事は、私にとってはじめて見る経験であった。
 さて、元旦をむかえ、今年も感無量のものがある。病院長としての過労で病(高血圧)に倒れ約4ヶ月入院加療を受け、そして仕事に復帰したのが、丁度2年前の元旦であったから、あれから2年間、無事に、元気にやってこれたことになる。これも、周囲の支えのお陰と感謝にたえない。今後も、この2年間と同様に、健康に気をつけながら、病気前の半分以下のゆっくりとしたペースで、寿命の来るまでの貴重な時間を、大事に過ごしてゆきたいと思っている。
 “周囲の支え”と書いたが、我が家では女房に支えてもらい、仕事の上では、私の右腕というより今や“殆ど”両腕となってくれている有村公良助教授に支えてもらっている。私が、以前の半分の仕事量でも、教室が順調に運営されているのも、同君の働きに負うところが大きいといえる。私は教室の運営をかなり同君にまかしている。というより、頼っている。教室の各グループの研究計画、予算計画、執行、人事すべてが、教授と助教授と医局長からなる執行部が行っていることになっているが事実上は有村君の知恵に支えられている。同君は、自分自身が研究でも世界のトップを走りながら、国内でも神経内科分野の若きリーダーとして活躍しながら(ちなみに同君は、厚生労働省精神・神経疾患研究委託「遺伝性ニューロパチーの病態に基づく新規治療法の開発」研究班の班長を務めているが、このような全国規模の大きな研究班の班長に指名されることは、教授にとっても極めて難しく、いわんや助教授でこのような任についた人間は私の記憶ではかっていない。先日、このHPの思うこと第26話で世界に羽ばたいている高嶋助手を紹介したが、彼の仕事も有村君の指導の下で、この研究班の中で行われているものである。)、しかも臨床と教育でも教室の中心となって全軍を引っ張り、教室員の相談にもこまめにのっている。有村君の指導の下で世界に羽ばたいているのは高嶋助手はその一人に過ぎず、3人の講師は無論、残る2人の助手、そして、助手は定員があるため助手になれてはいないが毎年多くの業績を上げている幾多の教室員と数え上げたらきりがないほどである。ちなみに、昨年の1年間に私の教室から50篇の英文原著論文が完成し、それらの殆どが世界でとてもレベルの高い学術誌に掲載されたが、これらの研究のかなりのものが有村助教授の指導下でなされたものである。いかに、私が有村助教授に支えられているかわかっていただけたことと思う。このような体制は、私の2年前の病気入院を契機に構築されたものである。入院に際し、病院長としての仕事の全てを愛甲副病院長に託し、一方、教室の運営の全てを有村助教授に託して、私は病気療養に専念させてもらった。4ヶ月後、職場に復帰し、病院は愛甲新病院長のもとで、すばらしい発展をとげ、私がなし得なかった難問も全て解決してくれてあった。教室は、有村助教授のもとで、全軍が一致団結して頑張ってくれたお陰で、私が指揮していたときよりもさらに充実発展していたことに、感動したのであった。それ以来私は、“病み上がりの”、そして、“ほとけの”納として、にこやかに微笑みながら、有村助教授を中心にした教室運営を推進し、その結果、教室は以前に増した発展を遂げつつあるというわけである。
 もっとも、ここでこの文を終えると、「エッ、それでは、納教授は助教授に全ての仕事を押し付けて、自分は何も仕事せずに、教授の給料だけもらっているのだったら、給料ドロボーではないか!」と誤解・非難する人が出ると困るので、一言付け加えたい。確かに現在私は以前の半分のペースにスピードを落とし、有村助教授を筆頭とした多くの周囲の人々に助けてもらいながら仕事をしている。しかしながら、それでも、通常の人の3倍ほどの仕事をしていると自負している。一日は24時間で、これは、全ての人に平等に与えられている。しかし、この24時間をいかに大切に、上手に使うかで、その人の人生は大きく変わる。私は、睡眠時間は、6時間たっぷりとることにしている。睡眠時間を削ると、昼間の能率が落ちるからである。最近は、夜9時に寝て、朝3時に起きる。3時から2時間あまりは趣味の日本画を描くのに熱中し、その後朝食を済まして、教授室に着いて仕事を始めるのはおおよそ朝の6時である。今日、元旦も同じように午前6時から教授室で仕事を始めたのであるが、しばらく仕事をしながら、ふと窓の外を覗いたら、空が晴れてきたので、これなら初日の出を拝めると思い、急いで磯海岸まで車を走らせ、7時45分の日の出に間に合い、また、教授室に帰ったのであった。さて、午前6時から午後9時までの15時間の内、食事や入浴などに使う約2時間をのけた13時間が私の1日の仕事時間といえよう(この時間を出来るだけ多くするために、私は自宅を職場のすぐ近くに構えた)。それでも、私の場合、最近は趣味の日本画に2時間あまりを割いているので、13時間しか仕事に時間がとれず、時間だけで言うと一般の人と差がないか、あるいは少ないかもしれない。肝心なことは、いかに上手に、効率よくこの時間を使うかである。要は、人の3倍深くそして上手に仕事の時間を使うということにつきると思う。(余談であるが、もうひとつ私が自負していることがある。それは、他の人の平均の少なくとも2倍は家族の面倒をみているということである。家族の面倒をみるのに使える時間は他の人のたとえ5分の一でも、心の深さと、努力を人の10倍することで、結果として人の2倍家庭の面倒もみていると感じている。これは、家内に、真偽のほどをきいてもらえば最も手っ取り早いと思う。)というわけで、私が、決して、給料ドロボーではないと思っているお話をもついでに話させてもらって、これをもって、「2005年の元旦に思う」のしめにさせてもらいます。