5 関西フォーク雑記
フォークのことあれこれ
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目次
●西岡たかし『遠い世界に』
●岡林信康『クソクラエ節』
●加川良『教訓T』
岡林信康、加川良それに五つの赤
い風船になじんだ僕は10年前をふと懐かしむときがある。デモに参加したり学生集会に参加することが当然という時代に学生生活の前半を送ったゆえに、今もお祭り気分が抜けずにいる。社会に出て多様な過程を認め、現実の厳しさを充分味わされているものの、それをハイソウデスカとすんなり受け入れられない。
「あの頃はよかった」などと口にする自体が年寄りじみてきたものの、やはりイイモノハイイと信じる。素朴でぎこちないフレーズゆえに大切にしたくなる。荒削りゆえに魅力があるのかもしれない。少なくとも若者たちに《連帯》を呼びかける雰囲気がただよっていた。それは、バラバラに分断され常に周りの者を敵対視する習性が身についた若者とは別の視座がある。岡林信康の『友よ』とか、五つの赤い風船の『遠い世界に』には連帯を呼びかける側面があって僕はときおり口ずさむ。
●西岡たかし『遠い世界に』
流行ったわりに忘れられているのが、西岡たかし作詞・作曲の『遠い世界に』だった。外国かぶれが海外に出かけたがるのに反発して、俺は近場で十分だと言い張ったこともある。なんてことはない、飛行機に乗るのが苦手で金がないだけだ。
足元も固めず遠くをめざしたってコケるだけじゃないかと皮肉を並べつつ、黒い霧を吹き飛ばしたいに力を込めてうたったこともあった。それだけである。
五つの赤い風船の『遠い世界に』(西岡たかし作詞)の第2節には次のようなフレーズがある。
ぼくらの住んでる この町にも
明るい太陽 顔を見せても
心の中は いつも悲しい
力を合わせて生きる事さえ
今ではみんな 忘れてしまった
だけどぼくたち 若者がいる ♪
この唄には挫折感がただよわず、もっと積極性を秘め、着実な歩みを示唆するものがある。この唄の最後のフレーズは次のとおりだ。
若い力を体に 感じて
みんなで歩こう 長い道だが
一つの道を力の限り
明日の世界を さがしに行こう ♪
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●岡林信康『クソクラエ節』
「夜明けは近い 夜明けは近い ♪」と煽ったのは岡林信康の『友よ』だった。岡林信康の詩は社会に直接訴えかけようとする側面が強い。『私達が望むものは』、『クソクラエ節』、『山谷ブルース』などは特にそれを感じる。しかし、そのどこにも暗いものがあって僕はなじめなかった。『チューリップのアップリケ』は特に暗かった。
でも、彼なりのユーモアがあって記憶しているのは『クソクラエ節』である。第3節は次のとおりである。
ある日会社の社長はん
社員を集めて訓示した
君たちワタスを離れては
マンズ生きてはいけない身の上サ
くそくらえったら 死んじまえ
くそくらえったら 死んじまえ
金で買われた奴隷だけれど
心は俺のもの ♪
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●加川良『教訓T』
加川良の『教訓T』は今も僕に何かを教えてくれる。どちらかというと熱中しがちで飽きっぽい僕は次のフレーズを口ずさむ。自分の身は自分で守るしかないのは山歩きやドライブで常に感じているからこのフレーズを肝に命じている。
死んで神様と言われるよりも
生きてバカだといわれましょうヨネ
きれいごとをならべられた時も
この命をすてないようにネ ♪
【追記】関西フォークと呼ばれた歌い手はここに上げた人々のほかにの多数います。どんな人や唄があったかは、森達也著『放送禁止歌』(解放出版社・2000年、光文社知識の森文庫・2003年)が参考になります。
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