2 関西人と東京人
フォークのことあれこれ
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目次
●僕の偏見
●東京人の典型
●東京の不思議
●山歩きをして
●なじめない都市
●地方の時代
●僕の視点
(1)僕の偏見
関西人という呼び方はあいまいである。だが、東京人と対比するには便利なこともあって僕は使う。フォークにも関西フォークといわれる時代があったからである。(注)
(注)ここでは「関西人」を大阪や京都を拠点に活動してきたフォークの歌い手とする。それは、大阪生れあるいは京都生れとは異なり、これらの土地で《活動》したというだけにすぎない。九州や中国あるいは四国の出身であることもあろう。また、関西人に対比する概念なら関東人とすべきだがここではそうしない。関東というのはひとつにまとめづらい土地柄だし、僕自身も東京で暮らしつつまったく分からないのである。東京人というのは東京で《育った》人々をさす。比較する地域概念や類型に混乱があるものの、東京育ちの友人と僕との違いを区別し、僕自身の偏見を明確にできるゆえに使う。
京都や大阪と東京とは同じように日本の《都会》であっても、また、太平洋岸に形成された《都市》であろうと大きな相違を感じる。これは単に都会と田舎との相違と済ませられないのではなかろうか。都会どうしであっても微妙なズレを僕は感じてしまう。それを気候とか地理で断定するのに抵抗を感じつつも、そういったものを度外視して人間を規定できないのを味わされる。その地域の歴史も反映するはずである。だが、そういった詮索は他人にまかせ、これから先は僕が接してきた人間類型(それいえ例外はどこにも存在するはずである)から独断をさらす。
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●東京人の典型 はっぴいえんど
音楽に限ってしまうと東京人の典型は「はっぴいえんど」になる。このごろ流行しているYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の原形たるロックグループだ。はっぴいえんどというグループを知っている人はごくわずかだと思う。もう10年前にちょっぴりブームを起こし、さっさと解散したグループにすぎない。だが、その影響は続いている。ニュー・ミュージックのメロディのほとんどはこのグループのメンバーによって基礎づけられている。大瀧詠一・細野晴臣・鈴木茂・松本隆の4人はそれぞれがユニークな活動をしている(前の3人はミュージシャンとして、松本隆は作詞家として自分たち以外のミュージシャンに影響を与えている)。荒井由実・太田ひろみ・矢野顕子・山下達郎といった人々のバックを固めているのだ。彼らは、はっぴいえんど、ティンパンアレー、YMOと発展していくのだがここではそれ以上立ち入らない。彼らの音楽をひとことでいえば、メロディ(サウンド)優先の音楽グループといえるはずである。
日本におけるフォークソングの流れにおいて気づくのは関西フォークという地域の固有名詞を冠される時代があることである。今だかつて僕は、東京フォークとか東京ロックなんてものを耳にしたことがないのだ。もちろん、関東フォークも関東ロックも耳にしたことがない。東京や関東がいつも音楽の中心だったから固有名詞がないというわけでもないはずである。むしろ、東京にそういうものが形成されえないところに特異性を感じる。関東で音楽に固有名詞がつけられるのは横浜や湘南だけである。
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(2)東京の不思議
東京という日本の中心地の特徴は次のようなものではなかろうか。
まず第1に、流行を取り入れるのが上手な土地である。一旗あげようとする者には、そして、ちょっとばかし有名になった者は東京へ向かおうとする。東京は彼らを取り込み、それをかすめとる。
第2に、地方から入ってきた流行や人間を形骸化させ、捨て去る土地である。去勢の都会(まち)といえるのだ。
関西人はどこか抜け目なく目立ちたがり屋だ、というのが悪友の反論である。大勢でたむろしてワイワイ騒ぎ上手に女をタラシコムえげつないやつらだ、という。この悪友は東京人を自称する得意な男である。周囲の東京人がおとなしすぎるのを歯痒く感じているらしく、僕が東京を皮肉るたびに興奮するいじらしい男だ。こういう郷土愛を持っている東京人は珍しい。東京は日本の中心地であるとともに、東京人にとっては生活の基盤たる郷土なのに、東京人はそれを隠している。
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●山歩きをして
3年ばかり北アルプスをこの悪友と歩き回った僕が感じたことは、東京人と関西人の相違だった。槍ヶ岳周辺にはこの2つのタイプがほどよくたむろするのだが、まったく対照的である。陽気で集団的行動を愉しみ、それでいて一人一人が個性的なのが関西人。いたずらに知的ぶり、こっそり行動していて臆病なのが東京人だ
った。
とりわけ、女の子が対照的だった。バカになりきり憎めない陽気さが京都や大阪の娘なら、いかにも育ちがよさそうに振舞っていたいたのが東京の娘だった。もっとも、僕らは仲間割れを始めてそのいずれにも相手にされずいじけていたのだが。
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●なじめない都市
東京とて1つの地域にすぎない。もし、地理的条件や気候環境によって人間が個性づけされるなら、そしてまたそれらによって地域と自分との一体感が芽生え、これらを《郷土愛》というのなら、東京はそういうものを育ててもおかしくないはずである。ところが、それが希薄に映るところに東京なり東京人の不思議さがある。
もう10年以上も東京で暮らしながら、どことなくなじめないのもそこにあるのかもしれない。もっとも、悪友にいわせれば、東京を悪くしているのは田舎から追い出されたあぶれ者たちであって東京人は人の良い心優しい人々となる。食い詰めたやつらが勝手ざんまいをしても許してやるのが東京人だとか、田舎のやつらはいつも東京のアラ探しばかりしやがってと、悪友は僕をののしるのだが・・・。
僕はそのたびに田舎という言葉に反発し、東京も田舎の1つじゃないかとか、都会と田舎の単純な比較をやめろと言い争うのである。静岡県人の僕は、今でも東京のほうが田舎だと感じているし、山紫水明・経済程度・人格それに郷土愛のいずれもが東京人より優れていると信ずる。悪友をけなすつもりはないが、僕の接してきた東京人は自分たち以外の者を安易に田舎者扱いしたがる傾向がある。自分たちをいつも中心に考えることこそ田舎者根性丸出しではなかろうか。中心を1つしか認めず、中心点からの距離やズレをあげつらうのは子どもの思考であり、差別主義者や独善家の振る舞いだ。
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(3)地方の時代
僕の関西人のとらえ方は、関西フォークの歌い手たちから形成されるとともに、東京人に対する反発によって美化する側面があることを否定できない。けっして、平等かつ客観的であると思わない。ここであえて関西人と東京人とを対比するのは、フォークについて語るときは関西人を多く取り上げることになることが第1の理由であり、関西フォークをきっかけにして音楽の中心が多くの地方に分散している事実が第2の理由である。本当は関西人と東京人の対比でなく、個々の歌い手を取り上げるだけでいいはずなのだろうがそれではつまらないのでこうした対比をしてみただけである。
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●僕の視点
僕がかつて好きだった詩人は次のような力強い文章を残している。これから先はそのようにして独断をさらすつもりである。
「どのような文学運動でも、その運動が過ぎ去ったあとに残るものは、個人個人の作品だけだと僕は考える。もしも、後に残る作品がないならば、運動とはえたいのしれない何物かである。【中略】その個々の成員がすぐれた作品を書かなかったのならば、運動そのものについて、【中略】いくら力説してみたところではじまらないのである。」(『現代詩入門』黒田三郎・思潮社p235)
この引用にあえて付け加えるとすれば、その個々の作品と受け手との共感なのかもしれない。その作品の生み出された時代的背景とともに、その作品を自分とかかわらす何かを僕は《共感》と呼びたい。こういうものの介在があることによって、1つの時代の枠を超える何ものかを身に付けるとともに、それを明確にさせることが可能となるような気がするのである。それによって、今ではもう失われてしまったフォークを再現できるし、僕がのめったフォークがどういうものだったかを浮かび上がらせうると思う。
地方の時代がこのごろもてはやされているものの、フォークはこれを生むきっかけとなったはずである。関西フォークの歌い手は決して関西人だったのではなかったのだ。しかし、1つの地方にすぎない東京が、そしてまた東京人がそういった個性を見せないのが今も僕は不思議でならない。
さきに取り上げた「はっぴいえんど」にしても、音楽としてのユニークさがあり、多くの影響を与えているし、また、メンバーの一人一人に個性があるもののそれが単なる音楽だけに終わるアクのなさ、自慰(自己満足)的な側面だけがもてはやされがちな欠陥を僕は感じる。育ちの良いボンボンの遊戯としてもてはやされるのも僕は不満である。これがすべて東京人ゆえにとは思わないが、やはりどことなく感ずるのである。
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