1 時代区分と特異性
フォークのことあれこれ

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目次  

 ●時代区分
 ●フォークにこだわる
 ●特異性
 ●歌謡曲との違い
 ●僕にとってのフォーク











  まえがき   入力; 2005/04/29開始、5/13終了

 同い年が身を固めはじめ、体力や気力が萎えて山歩きやドライブも空しくなった1980年ころにフォークソングについてまとめたノートがある。どうでもいい内容だが、私と音楽の結びつきを示す内容だから捨てられない。日本の「フォーク」が
聞き手にとってどんなものだったかを残しておきたい。

 原稿用紙200枚程度のものだが、自分と関わった音楽のうち「フォーク」だけに固執した内容で今ではかび臭いものだ。フォークだけに関わっていたわけでないのに、あえてそれだけに絞ったのはロックやジャズ、あるいは歌謡曲や演歌と異なった流行歌への思い入れがあった。

 ブログに思いつきで始めた思い出の唄は、ひとつひとつの唄をとり上げてきた。唄というものは作り手を離れて歩き出すものだからそういう扱いもある。でも、作り手ごとにスタイルやパターンがあるのをかたまりとしてとらえ、聞き手がどんなところに共感や反発したかをまとめておくのは決して無駄ではないだろう。

 あえて弁解をすれば、このノートは第1に
理屈っぽいことだ。引用が多いだけでなく、それに対する批判もくどい。論文風だから読む人は退屈になるだろう。第2は扱う作り手に偏りがある。私が関わり、好んだ作り手に限られる。だから、フォークソング史というものとはかけ離れる。第3は歌詞の読み取りに偏ることだ。楽器を扱えない私の不器用さの反映である。歌詞の解釈も私の勝手な思い入れや飛躍もある。

 そういう欠陥をかかえた内容でも私には捨てがたいものである。
流行歌が聞き手にどんな影響を与え、記憶に残るかの例として残しておきたい。聞き流してしまう流行歌であろうと忘れられないものがあるからだ。


(1) 時代区分

 富沢一誠という音楽評論家は、
『フォーク大全集ー1978年版ー』(共同音楽出版社)に「フォークソングの流れ」を解説している。この『大全集』は1966年からのフォークのヒット301曲を収めているものの僕とかかわりのなかった曲も多く、フォークとためらうものもあるが、日本におけるフォークソング史を明確に規定しているので参考にしよう(注)

  第1期 カレッジフォーク・・・アメリカのコピー時代(敗戦後から1964年ごろまで)
  第2期 関西フォーク・・・俺たちがうたわなければ! (1965年から1970年安保まで)
  第3期 生活派フォーク・・・うたいたいからうたうんだ(70年安保から1975年まで)
  第4期 フォークからニュー・ミュージックへ・・・より純粋に音楽的に(1975年以後


 この時代区分は、富沢の解説につけられているキャッチフレーズや内容を任意に抽出したものである。富沢の時代区分は音楽そのものより、それが生じてきた政治・社会の状況を重視している。

 75年を境に、フォークはニュー・ミュージックへ移行した。だが、ここで考えておかなければならないことは、第1期、第2期、第3期、それぞれが移行するときとは意味が違うことである。第1期カレッジフォークから第2期関西フォークへの移行には「コピーからオリジナルへ」という必然性があった。第2期関西フォークから第3期生活派フォークへの移行の裏にも「眼が外から内に向かう」という必然性があった。ところが第3期生活派フォークから第4期ニュー・ミュージックへの移行の中では、必然性がない。あるのはただ便宜的なことだけである。それはどうしたことだろうか。
 ぼくが思うに、やはりより音楽的になったということだろう。それまでは時代とのかかわりの中で、フォークは音楽だったのだが、音楽を超越したところがあった。ところが、時代とのかかわりが希薄になるにつれて、フォークはより音楽的になっていった。
 おそらく、これからは、より音楽的になっていくだろう。
」(前掲書p16) 

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●フォークにこだわる

 この引用箇所には多くの内容がコンパクトにまとめられている。

 第1は、引用では最後になっているものの、日本でフォークが果たした「
時代とのかかわり」である。それはフォークソングの意義であるとともに、政治的・社会的な状況の反映なしにフォークを語れないといえまいか。「フォークは音楽だったが音楽を超越したところがあった」という富沢の表現は、それにどっぷりつかった世代として適切なものである。フォークは音楽の1ジャンルというより、時代状況あるいは生活そのものだったと僕は思う。

 第2は、時代区分を質の変化としてとらえ、
移行を「必然性」としていることである。ところが、第3期から第4期の移行を必然性でとらえられないところに、フォークの消滅を感ずるしかない。これは、フォークがいかに時代とかかわっていたかということに結びつくといえまいか。

 第3は、音楽のありかた或いは音楽の存在基盤というべきものだ。それは、ニュー・ミュージックとフォークとの区別に富沢が固執するところにある。通常はフォークもまた音楽の1ジャンルと扱われるものの彼はそうしない。彼は、フォークを音楽というより
時代状況を反映する民衆ないし若者の情念の噴出としてとらえようとするふしがある。

(注)フォークソングはアメリカ合衆国に発した民謡と説明する者もいるがそれは起源を求めたがる人たちだけしか通用しない。僕が「フォーク」と親しみを感じて口にするのは、異国の受け売りをしようとするのでなく自分とかかわりの多かった音楽としてあるからだ。ここでとりあげる富沢のフォークソング史も僕と同じ扱いをしている。彼と僕の違うところは、音楽の1ジャンルとしてのフォークを富沢が規定しようと試みるに対し、僕は自分と音楽とのかかわりで取り上げようとするだけにすぎないのだ。フォークはあくまでフォークであり、決して日本の民謡ではないはずである。僕が「フォーク」とカタカナで書くのは、日本の民謡と区別するためにも不可欠と感ずるからである。

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(2)特異性

 わざわざ、音楽評論家の所説をとりあげ、それを持ち上げたりけなすのもナンセンスなはずである。音楽の1ジャンルにすぎぬフォークをああだこうだとほざきたてるのも大人気ないことだ。しかし、僕はあえて固執したい。僕にとって単なる「音楽を超越したもの」、つまり、生活の一部に強固に組み入れられた情念の噴出としてフォークもロックもあったと考えているからだ。歌謡曲が1つの時代の反映を持つようにフォークにもそんな側面があるはずだし、そいうものを度外視した音楽性などは音の学たりえても音楽といえないのではなかろうか。
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●歌謡曲との違い

 フォークと歌謡曲との相違を並べたらきりがない。しかし、フォークを持ち上げるばかりに音の学性をうんぬんするのもナンセンスである。歌謡曲にある、思わせぶりとか陰鬱さを僕は嫌うものの、だからといってフォークがそんなものを含んでいないとか、歌謡曲より高尚だなんてうぬぼれたくもないのだ。

 引用した富沢一誠の時代区分は日本におけるフォークソングと「時代とのかかわり」として妥当なものである。しかし、僕はそこによそよそしさと物足りなさを感ずるのだ。第1期は20年もあるのに対し、第2期・第3期を70年安保で単純に区分し、第4期のニュー・ミュージックもあいまいな概念である。そこには単純で機会的な時代区分がなされてもいる。

 フォークという音楽のジャンルに固執するがために、彼自身が「時代とのかかわりの中でフォークは音楽だったのだが音楽を超越したところがあった」と規定するフォークの独自性ないし特異性が希薄になっているのである。あえて僕の独断をさらすなら、日本のフォークは第2期と第3期だけに存在したとすべきではなかっただろうか。富沢はニュー・ミュージックにこだわりを持つがそれだけでは片手落ちである。第1期のカレッジフォークは彼が規定するように「アメリカのコピー時代」であったし、それはまた一部の学生たちの趣味にすぎなかったはずなのだ。
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●僕にとってのフォーク

 僕らの世代がどう感ずるかは別にして、僕にとってのフォークは感覚的で生活に密着したもの、たとえば空気とか緑に似た《風景》であるとともに衣服や髪型と同じ《流行・はやり》であり、それ自体が《生活》ないし《日常》だったのだ。フォークソングを口ずさみ、話のタネにし、どっぷりそれにつかった僕はことさら固執したい。

 《青春》を実体以上に美化したがる日本の風土性に反発を覚えるものの、わずかな期間とはいえ、価値判断を行う前にフォークが生活にどっぷり組み込まれていた僕の体験がそうさせるのかもしれない(人生70年からすれば10年ぐらいはわずかな期間だ。青春というものはそれよりもっと短い期間なのに日本では大げさに美化されるのも不思議だ)。

 僕はフォークの規定はしない。そうすることはフォークにあった何かを捨て去るような気がするからだ。僕にできることは個々の作品や歌い手と自分自身とのかかわりを記録するだけである。その記録のなかからおのずと僕自身のフォークが表出するだけでよいと思う。

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