1-4ひなびた城崎温泉

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 わたしが妻と一緒になったころはぶっそうな事件が続いた。消防士の連続殺人【1】とか列車の工場転落【2】などがあった。そして中国自動車道は三次(みよし)まで開通していた。新婚旅行にあえて山陰地方を選んだのは志賀直哉の『城崎(きのさき)にて』を意識したわけではない。秋も終わりで日本海は寒風が吹き曝し、行き交うクルマも少なくやけに詫びしいドライブだった。

 中国自動車道経由で三次ICから出雲大社に出向き、松江・境港大山・蒜前(ひるぜん)鳥取砂丘を経て城崎温泉(兵庫県)に立ち寄った。ひとりでクルマを運転し、観光ガイドと夜のおつとめで疲れきったドライブだった。城崎の宿はKという国際観光ホテルで12畳の部屋は二人に持て余す広さだった。

 ホテルの温泉は妻も記憶にない。目的が入浴じゃなかったからだろう。でも、外を歩いた記憶がある。観光客目当ての遊戯場が並び湯治客が浴衣姿で歩きまわる古い映画に出てくる温泉街のイメージそのままだった。どことなくひなびていて、心安らぐ雰囲気がただよっていた。

 ところで、城崎温泉といえば「外湯めぐり」である。この記事を書くために城崎温泉観光協会のホームページ http://www.kinosaki-spa.gr.jp/ を開いたら、七つの外湯めぐり、湯飲場、泉源、足場のコーナーがある。また、障害者の機能回復に適した設備もあるという。眺めているうちにふるさとの近くにある修善寺や熱海の昔の姿を思い出した。

 通り過ぎた場所には、三瓶温泉(島根県)、玉造温泉(松江市)、皆生温泉(米子市)、三朝温泉(鳥取県)、そして城崎のまわりにも芝山、佐津、竹野、日和山、夕日ケ浦などの温泉が多い。そういうことに気づかなかったのはわたしが入浴に関心が欠けたからだろう。万葉集や古事記の番外編にすぎない出雲にひかれて出向いたことは確かだ。余談になるが出雲の神様のご利益は強固のようである。東京の神様では行き先不安だから神様の元締めである出雲大社に出向いた効果はある。


【1】すでに死刑が執行された元消防士が逃げ回り、高速道路は厳戒体制がひかれて何度も検問された。わたしは犯人顔じゃないのに!!

【2】昭和61(1986)年12月28日に山陰線の余部(あまるべ)鉄橋を強風下に走行した列車が転落し、40m下にあった水産加工工場を直撃して従業員5名と車掌が亡くなった。ちなみに、余部は鳥取と城崎の間にあってわたしは事故前にその場所を通過した。

【追記】

 新婚旅行の記憶は薄れましたが自分で作った式の企画から旅行計画まですべて保存しています。来賓のあいさつの原稿まで残っていて渡した原稿をそのまま読んだ上司を思い出し、「もう少し褒めてくれたらよさそうなものなのに」と妻と苦笑しました。きっと上司も褒めようがなかったのでしょう


 記憶誤りによるご迷惑を避けるために城崎温泉観光協会はじめ出雲大社、松江市、大山及び鳥取砂丘を紹介される各地の観光協会等のホームページにリンクさせていただきました。
 また、香美町ホームページの「余部鉄橋(あまるべてっきょう)のご案内」は出向いた当時のイメージをよく伝えていますのでリンクさせていただきました。
 リンクはかけていませんが事典ウッキペディアの「余部橋梁」にはここでふれた列車転落事故が詳しく記載しています。掲載に当たりましては記事を参考にさせていただきました。