1-2輪島の熱湯と日焼け

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 最近地震があった能登半島には何度も出かけている。そのたびに感激が薄れていくのもただの旅行に変わったからだろう。最初の能登訪問は富山から内海づたいのドライブだったが、二度目は金沢から電車やバスを乗り継ぐ外海づたいの徒歩旅行だった。

 輪島で思い出すのはやけに熱い銭湯だったこと。日焼けしていた肌が刺激されてヒリヒリしたのを今も思い出す。飛騨白川郷とか奥能登の民宿を泊まり歩いた中でこれほど刺激の強い風呂はなかった。その後に山歩きを始めて下山のたびに身奇麗にするため銭湯に立ち寄ったがこんな刺激はなかった。同じように日焼けをしても、海と山とでは違うのだろうか。能登の巌門

 内灘の弾薬庫跡でテント泊し、能登金剛や巌門の奇岩や断崖を眺めて輪島に着いた。五木寛之の『内灘夫人』や松本清張の『ゼロの焦点』を読んで物知りぶりのホラを吹く旅だった。なぜ輪島といえば二つの理由があった。一つは朝市見物。それは舳倉島(へくらじま)の若くて美形の海女が話題になっていた。もう一つが学生時代の友人に会うことだった。

 この旅は奥能登の禄剛崎(狼煙)でテントで3泊したことしか記憶がない。昼は日焼けを避けて喫茶店にたむろし、アルバイトの女学生たちに「お兄さんたちは何をしにきたの」と呆れられた旅だ。珠洲市を抜けて輪島に戻って電車で米原へ出たが、最近は能登空港もできて(ほんの数年前のことだ)線路が見当たらない。だから、友人宅に出向いたのは後先が不明である。

 ともあれ、名所や旧跡には無縁なわたしが輪島塗の作業所まで出向いたのは美術家指向の友人の紹介だった。息子のともだちを恐縮して歓待してくれたご両親は健在だろうか。この友人とは年賀状のやりとりしかしていないのが残念である。

写真は巌門の絶壁です



【追記】
 能登半島に出向いた記録は「地域別さくいん」や「出向いた場所」でたびたび触れています。カメラを持ち歩いたのは山歩き以後なので写真は残っていません。景色を撮っても我が身は写さなかったのが悔やまれます。