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道幅の狭い曲がりくねった山道を通り抜けるとようやく日本海が広がった。緊張感がゆるみ、徒労感がおそってきた。信濃大町から小谷を経て糸魚川へ抜ける渓谷の国道がやけに長く感じた。苦手な山道走行を強いた相棒が恨めしい。スピードを落せず下り坂の車線を大きくはみだして突っ込んできた反対車線の車に肝をつぶされた怒りはまだ冷めない。
9月初旬の親不知(おやしらず)海岸は人の姿もなくひっそりとしている。海に沈む太陽を互いがぼんやり眺めていると先の不安にかられた。
「どこに泊まるつもりだ」と相棒にただせば、
「おまえにまかすよ」とそっけない返事が戻る。
「そのくらい計画してるんだろう」と言えば、
「道は確かめたが宿のことは考えてなかった」と素気ない。いつものとおり宿の交渉が面倒で誘われたと気づいたがいまさら東京に戻るのも辛い。
日も落ちて行き交う車が少ない国道を地図を頼りに富山に向かう。何もかもが初めての場所だからどこに何があるのか皆目不明である。早朝に東京を発ち、ろくな休憩もとらずに走り続けた疲れで互いの口が重い。
お金を払えば泊まれると相棒はいつものとおり高をくっている。お金があっても宿がなければ泊りようがないという考えはない。でも、予約をして旅行する考えは互いに持ち合わせていない。なければ車で寝ればいいというのも同じだ。
「疲れちゃったよ、ちゃんとした宿でぐっすり眠りたいな」と無口な相棒がつぶやく。
「それじゃ探すけど、交渉はおまえがやれよ」と言えば、
「そういうことはおまえが向いている」と切り返された。そのために誘ったと言わないところが憎らしい。
明るい看板につられ、国道から外れて金太郎温泉に向かうがやけに寂しい。連れ込み旅館風で腰がひけた。民宿には慣れていても予約を要する宿の交渉はおっくうだった。風体も怪しい金のなさそうな男二人を迎えた温泉宿は値踏みをはじめた。「金ならあるよ」と相棒が財布を見せると急に愛想が良くなった。たがいに疲れきっていて温泉に入ったかどうかも覚えていない。
今から35年前(1972年)の能登半島ドライブは宿も決めず京都を回って帰る3泊4日の旅だった。魚津、千里浜、琵琶湖に泊まったけれど宿の交渉は冷汗をかきつづけた。学生運動は下火になっていたが過激派の闘争も続き、同じ世代のわたしたちは交通検問で必ず止められ、車内点検もされたものだ。そういう先入観がある時代に飛び込みで宿を探すのは気が重かった。
【追記】
金太郎温泉についてインターネットで調べると富山県魚津市天神野に同名の立派なホテルが出てきた。わたしが泊まった宿とは規模が違う。うす寂れた連れ込み旅館という記憶が残っているが、ネットに出ているホテルは「1100坪の壮大な湯煙の世界」とあり銘石・希石を配した岩風呂や露天風呂がある。
なお、このドライブについては「出向いた場所」に「初めての旅」として掲載しています。また、能登半島と金沢の記録は地域別写真集にも掲載しています。
【補記】
この記事をブログに掲載したところ金太郎温泉はわたしが泊まったところと同じという指摘を受けました。魚津市では有名な娯楽施設ということです。
また、『温泉の基礎知識(温泉学の入門)』http://homepage1.nifty.com/machispa/html/chishiki.htm には健康吸入室を持つ温泉として紹介されていました。