*2010年12月のワタクシ。*


12/5(日)

長野剛さんを含むグループの展示会『Dreams Gate 5』展が、東中野のギャラリーで開催されていて、行こう行こうと思いながら最終日になってしまった。

9月に和裁教室をやめてから、着物を着る機会がめっきり減ってしまい(と言うか一度も着てないかも…)、今日は以前和裁教室があった神楽坂の小物屋さんへも行く予定なので、着物で行こう!と張り切って用意したんだが……挫けて断念。理由は…寝坊(泣)。
実はもう三回くらい、前夜着物をハンガーに吊して半襟も縫い付けて、帯も小物も揃えて用意して、当日着て行けなくて無駄に畳んだ。しばらく着ないと、どんどん敷居が高くなる。

遅くなってしまったので、簡単に着られるワンピースを引っかけて、出発。
東中野は降りた事の無い駅で、いつものように迷子になってる暇が無いので、駅前の交番で道を聞いて行く。良かった、まっすぐ着けた。
ギャラリーは二階。狭い階段を上がると、入り口の受付に長野さんが座っていた。
一回りして絵を拝見。
今回長野さんは新作は一点でだが、大きくて美しい絵だった。
「撮影された夕日ですね」 「朝日です」…………(汗 )
某巨大SNSに、近頃頻繁に自ら撮影した多摩川の日の出の風景写真をUPしていたが、早速それを背景に、美人が馬に乗る情景を描いていた。ああ、美しい…
展示のメンバーは、玉神 輝美・長野 剛・影山 徹・ツル ノリヒロ・江口 あさ子・高田 美苗・伊藤 清泉・kao・牧野鈴子。(敬称略)
幻想的な作風が多く、それぞれに美的だ。
長野さんと、それから『Dreams Gate 』展でいつも顔を合わせる玉神輝美さんと、ちょっと話をさせてもらい、そろそろ閉館時刻も迫って来たので退散した。

外出ついでに、アクセサリーを置いてもらっている神楽坂のお店にも顔を出す。
神楽坂は東中野から近く、すぐ到着。
お店に入ると、店長さんと、お店のイメージキャラクターを描く切り絵作家のCさんがいる。
今回はクリスマス用のアクセサリーを数点持って来たら、値段の相談もする前に、たまたまいらしたお客様がお買い上げくださった。嬉しい〜♪
店長さんとCさんと、ちょっと話し込んでしまった。
Cさんは若手注目アーティスト。個性的な作風は一度見たら忘れないけれど、主張が強くて嫌われるタイプでもなく、暖かい柔らかい印象だ。要するに受ける要素がいっぱい。いいなぁ。

今日は図らずも、二件とも現役バリバリのアーティストに触れ合える機会となった。
良い刺激をもらった、と言いたいところだけど、今の私はちょっと、萎縮してしまう。



 

 

12/8 (水)

植物好きの母と紅葉を見物に行こうと、今年は何だか力んでいて(笑)、鎌倉にしようか、箱根まで頑張ろうか、色々考えた挙げ句、横浜三渓園に行く事にした。
前夜ネットで行き方を調べたら、母がもっと簡単な道があったはず、とうろ覚えで言う。
また迷うとイヤだな〜と思ったが、行ってみると、磯子駅前から直通のバスですぐ近くに降りられた。な〜んだ、ちゃんと載せておいてよ、公式HP。

桜並木を抜け、一般500円の入場料を払って門を潜ると、広大な日本庭園が広がる。
が、紅葉はあまり目に入らない……昨夜の雨風で終わってしまったのか!?と、話しながら案内板を見ていると、学芸員なのか腕章をしたおじさんが話しかけて来て説明をしてくれた。
言われた通りに塔と反対側の山の方へと進んで行くと、次第に見えて来る、紅葉風景。
しかし広い。これが一個人、それも一般平民の邸宅跡とは驚きだ。
紅葉見物をしようと意気込んでいた割りにカメラを忘れてしまい、残念ながら写真は携帯のみ。
あ〜惜しい、あんなに綺麗だったのに!!

昨日の雨と風で、少し紅葉は落ちてしまっていたが、まだまだ全然見頃は終わってない。赤と緑のグラデーションが綺麗、地面に積もった落ち葉も綺麗。
紅葉の季節に合わせて、普段は未公開の古い建物も特別公開していたりして、熱心な学芸員?が解説をしていた。ちょっと熱心過ぎの人もいたけど(笑)。
丘の上、どん詰まりに立つ天授院(重要文化財)を内部見学し、下って人が群がる聴秋閣(これも重文)を眺める。優雅で粋な姿の、建築についての解説も興味深かった。秋を聴くというだけあって、周囲に色づく紅葉も素晴らしい。
狭い通路を辿って細い坂を上がると、急に視界が黄金色に染まる。
思わず感嘆の声を上げた。春草廬(これまた重文)が、銀杏の葉に埋もれている。ちょっとした別世界!
すれ違ったおじさんが、「あっち側からの眺めが素晴らしいよ」と教えてくれた。
反対側に回って見ると、なるほど、なるほど。思わず他人に教えたくなる、素敵な眺め。
地面も一面銀杏の落ち葉で黄色く染まり、所々に楓の赤が差し色になっている。綺麗!

池端をぐるりと回って、三渓記念会館へ入る。
夕方になり、ちょっと肌寒くなって来てたので、暖かさが嬉しかった。
中は歴史博物館みたいな、三渓園にまつわる資料の展示と、主であった原三渓自身の手になる日本画を多数展示してあった。腕前は……まあまあ(笑)。
だけど、美術に造詣が深いからこそ、こんな庭園を造ってしまったのだな、と納得する部分はあり、また生前より一般公開したり、取り壊される古い建物を解体・移築して保護したりと、財力を美意識に注ぎ込むだけでなく、世に知らしめす事もしたのだな、と、ちょっと尊敬。
三渓さんの作ではないが、萩の描かれた大きな屏風絵が素晴らしかった。
一回りして、入り口にある茶店でお抹茶を飲もうとしたら、ちょうど閉館時間で入れず。残念。

会館を出ると夕暮れで、寒いけどちょっと疲れたので池端のベンチで一休み。
カラスが盛大に鳴きながら巣に向かって群れて行く。
桜の季節にも来たいねと話し合いながら帰った。








12/9(木)

実家の近所のスポーツクラブ、一応席を置いていて、実家に行った時にはいつでも泳げるようにしてあったんだが、今年いっぱいでプールを廃止するという。
以前から、何度も名前(=オーナー)が変わったりリニューアル工事をしたりと落ち着かなくて、私もそんなに頻繁に通えるワケでもないし、どうしようかな、とは思っていたんだが。
以前のリニューアル工事のさいには、お気に入りだった明るい浴室を潰して閉鎖的なシャワーブースにし、普通のサウナを廃止して有料の岩盤浴スペースをバカみたいにいっぱい作ってしまった。素敵なピンクの大理石の、居心地の良い浴室だったのに。
今回はまた、20いくつかズラリと並んで、いつ行っても2〜3人しか利用していなかった岩盤浴スペースを全廃し、25m6コースある立派なプールも潰してしまうと言う。
ああ、もったいない……そして、絶対に方向が間違っている。
だいたい、元々はプール専用会員があったのを、新しくなってプールのみ仕様の会員を受け付けなくなって、それではプールを使う人が減るのは当たり前。
プールとジムの両方を使う人はわりと少ないし、お年寄りの多い地域だからプールしか使わない人も多いはず。
プールの維持費が大変なのは分かるけれど、私だって泳ぎたいから通っているものを。
プール会員とか、スクール会員とか、そういう企業努力を全然してないで、いきなり廃止ですか?ったく腹の立つ。
私も最初はプール会員だったのを、やむなく正会員になって、ついでのつもりで始めたフラメンコが楽しくなっていたんだけれど、もう泳げなくなるのでは席を置いておくのは無駄が多すぎる。
残念ながら、ここは退会する事にした。
フラメンコは面白かったので、本当に残念だけど、それだけのために会費は出せない。
残念です。






12/10(金)

合唱練習の後、シナリオの会の忘年会。
毎月一度集まってミーティングをしている、某シナリオ教室のOB有志の会だが、今年は合唱練習が重なってしまって夏から顔を出してない。
忘年会も合唱に重なって始まるので、練習が終わってから駆けつけて、21時過ぎからの途中参加になった。
…そう言えば、合唱の練習が始まった当初は、「歌うってお腹が空くんだなぁ」というのが最初の驚きだった。
18:30〜21:00の練習で、途中で空腹で倒れそうな気がした(笑)。だから夕食は食べて行くようにしていたが、今日は宴会が待っているので食べずに練習参加。
でも、少し歌い慣れたのか?そんなに空腹は感じなかった。

近頃仕事の話がいっこうに無い上、漫画家仲間とも疎遠になってしまっているので、物を作る人との会話は久しぶり。
そんなに具体的な話が出るワケでもないけど、やはりひと味違います。
物書きとの会話は、そうでない人とのそれとは脳味噌の別の部分を使う感じ。錆びさせてはいけない。
その上、子供の頃バレエをやってたという人と、バレエの話で盛り上がってしまった。
合唱は楽しいので来年も参加するつもり、と言ったら、「マンガはいつ描くんだ」と突っ込まれた。
そうなんだよね……。







12/11(土)

『第九』のゲネプロ!
とうとう本番前日になってしまった。
まだ完全には歌詞を覚え切れてない。
でも、皆と歌っていると、何となくそれっぽい発音が出て来るようにはなってるみたい。
今日は17時に本番をやるホールに集合して、入場練習と、軽い発声とオケとの音合わせを一通りやって解散になった。
合唱団へのアドバイスは「毎回良

くなってるので、本番で力み過ぎないで」。
無理です(笑)。

ちょっと寒くなったりして(12月だから当たり前だけど)喉が心配。
後はもう、本番を楽しもう。
と言いつつ、未練たらしくiPodで練習用CDを聴き、歌詞カードとにらめっこ。

衣装は、長袖(または七分袖)の白いブラウスに、黒のロングスカート、という規定。
大昔に買った市販品の木綿ブラウスを引っ張り出して来て、漂白してアイロンをかけた。
スカートは、さすがにくるぶし丈のロングは持ってないので、安い化繊生地を買って来て縫った。裏地も付けず脇ファスナーで2枚接ぎのセミフレア。笑っちゃうくらい簡単。
だけど、試着してみたら、ちゃんと合唱団ぽくてワクワクした。
後は黒のタイツに黒のパンプス、忘れないようにしなくちゃ。

…しかし、毎度イベントのたびに夜鍋して衣装を縫ってる私って、映画の『キャリー』みたい……と、いつも思うわ(笑)。







12/12(日)

『第九』いよいよ本番!

緊張して眠れないかと思ったけど、そんなでもなく。でも早めに目覚めて、ゆっくり支度ができた。
9:30に入ったら終了まで外出禁止だというので、お弁当を作って行く。
玄米のオニギリ二つと、野菜やら卵を簡単に。
近頃、ダイエットの関係からも金銭的理由からも、お弁当持ちの外出が増えている。たいしたモン作らないけどね。

昨日もゲネプロで行った道なので、迷う事も無く安心して到着。
ホールに着くと、すぐ控え室に行って荷物を置く。
パイプ椅子と机が並ぶ狭い部屋なのは仕方無いが、窓が無いので息苦しい感じ。でも、サスガに衣装ハンガーはあったので良かった。
ハンガーに今日の衣装、白ブラウスと黒ロングスカートを掛け、その上にコートを掛けて、未練たらしくiPodで練習用CDを聴く。
9:30、カフェエリアに集合して、最後の発声練習。
声楽指導の先生も、今日が最後…でもなくて、来年も引き続き指導を引き受けたとの事。なんと来年の予告までして、発声は簡単に済ませて終了。「頑張りすぎないで」と、ご注意。
解散して一時間ばかり待ち時間。
休憩室は、なんだかほんのりタクアンの香り。誰かお弁当に入れて来たか?(笑)
まだしつこくiPodを聴く。

ステージでオケとの最終打ち合わせに行くと、急に入場のやり方を変更すると言われて焦った。
昨日の練習はなんだったんだ。
だいたい、普通なら第一楽章の始めから合唱団はステージのベンチに待機して待つはずなのに、直前になって「お子さんの参加者がいるので、最初から待たせるのは無理」との理由で第二と第三楽章の間に演奏を中断して入場する事になった。なんじゃそりゃー?
(通常の行程をこなす能力が無いなら、参加させなければいいと思うんだけど。)
たださえ、演奏の途中では入場が一番プレッシャーになるのに、直前に変更とは。
合唱団はけっこう年齢層が高くて、足下も怪しいご老人もチラホラ。私のすぐ後を歩くお爺さんなんか、一歩踏み出すごとに「ふん、ふん」と唸っている。階段も手放しで上るのは大変らしく、ベンチに手を付く人が多くて、固定してないベンチがどんどんズレて行く……心配
自分の事も、慣れないロングスカートで階段を上がるのに蹴躓かないか、とても心配だけど。
でも、打ち合わせはまだ皆衣装を着ていなくて、普段着のままで行った。
一通り歌って、指揮者が「合唱、ちょっと頑張り過ぎ」ああ、本番前にして、もうリキ入っちゃってるのね…。
最後に指揮者さん、「オケ、指揮を、見て。」と、ボソリ。ああ〜、可哀相!!
ソデに下がってから、周囲の合唱団の人達が「本当に指揮見ないよね」と話し合っていた。私は歌うのでイッパイイッパイだったけど、何度も参加してる人は色々見えてるんだなぁと、感心する。

本番まで三時間近く待ち時間があるが、外出はできないし、オーケストラの演奏が始まっても楽屋では聴く事もできない。
ステージ上で硬いベンチに座って待機するのも苦痛だろうけど、せめて本番くらい、最初から聴きたかったな。待ち時間長くて退屈だし。
いつもは本を持ち歩くが、近頃はiPodと歌詞カードがその代わりになってる。ギリギリまで聴く。
その三時間の間にうたた寝をし、お昼になったのでお弁当を食べ、楽屋の廊下をうろつき、自販機の缶コーヒーを買ってあまりの甘さに給湯室の流しに半分流して、戻って来てまたうたた寝して、隣のおばさんからミカンをもらって食べ、前の席のおばさんがヘッドホンして歌い出したあたりで、そろそろいいかなと衣装に着替えて、14:30を回った頃ゾロゾロと舞台ソデに向かう。
集合場所の側にはディスプレイがあって、演奏の中継が流されている。なんだ、早めに来て聴いてればよかったな、と思ったり、でも楽屋裏がザワついてては演奏の邪魔になるしと思い直したり。
練習中知り合って、衣装をどうするかと話し合っていた人が、私がスカートを縫ったと言ってあったので、「わ〜素敵!」と褒めてくれた。
小学生の男の子が、姿見の前で蝶ネクタイを直している。その姿が可愛くて隣の人と顔を見合わせて笑ってしまった。
途中入場は残念だけど、それは子供の罪じゃないからね、と思う。場が和やかになるのは確かだし。

そして、いよいよ入場。
指示されるままに進んでスカートの裾を慎重につまみ、段をそうっと上がる。良かった〜、躓かなかった。これで本番の半分は済んだ気分(笑)。後のお爺さんも、ふんふん言いながら、無事登り切った。やれやれ。
実は、第三楽章も初めて聴く。なかなか………音が外れる(笑)。指揮者さんはすでに汗だく。
たまたま私の目の位置に、チェロの弦巻きのピンの反射が当たって、眩しい。でもベンチは狭くて移動はできず、合唱団がソッポ向いてるのもおかしいよな、と思って目だけ逸らしてガマン、我慢。本番では意外な事で困る事もあるのね。
知り合いが二組、来ているはずなので、客席をそっと探してみたが、あまりキョロキョロもできないので、目が届く範囲は限られていて、視界の中には見付けられなかった。
でも、意外にお客さんの顔は見えるものなんだ。
そんなこんなで気が付くと、呼吸が浅くなっている。いかんいかん、深呼吸、深呼吸。
待ち時間が長いので、かえって落ち着く事ができた。ベンチが硬いし狭いし動けないしでお尻が痛い、やっぱり途中入場で助かったのかも、私。

そして第四楽章。
出番の直前に合唱団がザザッと立ち上がる。それでもう、テンションが上がる。
先に男声が出て、それから全員の第一声。よしよし、ちゃんと声が出る。
隣の人が、とても上手で声が聞き取りやすい人で、引っ張られて歌えるので楽だ。練習中は発音が曖昧だった箇所も、何となく身体が覚えて来ていて、思ったより歌えた。
一カ所、練習中に何度か出遅れた部分があって、そこはちょっと緊張したが、無事クリア。遅れずにスタートできた!と、ホッとした途端、その直後のスタートで出遅れてしまった。いつも遅れた事の無い箇所なのに!あ〜悔しい
その一カ所だけが残念だったけど、他はほぼ困らずに歌えた。
楽曲の盛り上がりと共に、どんどんテンションが上がる。
ラストの一声もズレずに決まった。合唱団は身体を動かすなと言われているけど、最後は指揮者と一緒にミエを切るように首が動いてしまう。いいよね、それくらい。
そして、あの過剰にドラマティックなエンディングを、私はニヤニヤしながら気分良く聴いた。

演奏が終わり、なんだか観客が立ち上がって拍手してくれたり、ソロ歌手や指揮者に花束が渡されたり、かなり経ってから、退場。
もう、ここで転んでもちょっと恥ずかしいだけだ、と気軽に歩いたけど、誰も転ばなかった(笑)。
ソデに入る直前に、ごく前の席でカメラを構えるR子さんとNさんが目の端に入った。やはり死角にいたようだ。
ソデに入って、周囲の人達と「お疲れ様」を交わす。そして「また来年!」と言い合う。

控え室に戻ってすぐ、周囲の人と挨拶もソコソコに、取りあえずロビーに出てみる。
いたいた、ダイビングのイントラT氏の姿。Y子さんとF氏と3人で来てくれたのは知ってたけど、会場では見付けられなかった。
Y子さんは可愛らしい花束まで持って来てくれていた。
合唱団は会場では受け取れない決まりで(300人がいちいちやってたら収集が付かないんだろう)劇場に持ち込みも禁止と言われたが、隠し持っていたんだとか。
素人コンサートなのだから、収集なんかつかなくたっていいじゃん、と思うんだけどね。
まさかそんなモンがいただけるとは思ってなかったので、すごく嬉しい。合唱ごときで照れくさいけど。
3人と別れて、R子さんとNさんを探す。うろうろしてやっと見付けた時には、同じく合唱団で歌ったNさんのツレアイさんが着替えて一緒に立っていた。
今回の参加は、去年このツレアイさんが参加した、と聞いて「私もやってみようかな?」と思ったのはキッカケ、なんだけど、実はこれが初対面。合唱団は300人もいて、練習でもパート別に並ぶので、殆ど接触は無いような状態だった。
各自出掛けて行ってその場でスッキリ解散、というのが、私にはけっこう心地よかった。
せっかく来てもらったけど、私は「おデコだけしか見えなかった」そうだ(笑)。

ちょっと話して控え室に戻ると、もう誰もいなくなっていて、電気も消えている。
慌てて着替えていると、職員がカギを掛けにやって来て追い立てられた。すんません。
17時から打ち上げがあるというから、それまでは控え室を使わせてもらえるかと思っていたのに。
追い出されてしまったので、一時間以上廊下で立って待つ。皆何となく立っている。
最後くらい、と思って参加にしたが、意外と合唱団は参加者が少なく、何人か知り合った人達も、皆帰ってしまっていた。
会場は楽屋の中の一室で、立食形式で、食べ物も飲み物も豊富に並んでいる。
自然と合唱とオーケストラが分かれてしまうのは、仕方無いのかな?
たまたま側にいた人達と話していたら、ソプラノパートの人だった。控え室で一緒だった人が一人後からやって来て、合唱の話で花が咲く。やっぱり今日は、合唱の話がしたい。
地元の合唱団に誘ってくれたので、来年早々の公演を見学に行く約束をした。
第九は来年も絶対参加しようと決めたけれど、8月まで全然歌えないのも寂しいかな、とも思うし、でも第九が始まったら他のコーラスはやらなくてもいい(合唱団では年末はそれぞれ公演があって大忙しだそうだ)かな、と思ったり。
まあ、舞台を見てから考えよう。

打ち上げは、執行部の退屈な(笑)挨拶の後、指揮者、声楽指導、発音指導の先生と、ソロ歌手の挨拶が続く。ソプラノの人達はサイン帳を持ってソロ歌手に突撃していた。
素人目にも「うん?」って所もある演奏だったけど、皆口を極めて褒めそやしていた。客入りも上々でホールの記録に届きそうだったとか。
皆が笑顔で健闘を讃え合っている。ショーは終わったのだから、それでいいんだな、と思った。
一通り挨拶が済んで、こちらは勝手に私語で盛り上がっていたら、司会者が「今年初参加の人〜」と呼んでいる。
私も隣の人も初参加なので呼ばれるままに近寄ってみると、マイクを渡されて「一言ずつ」。
ひ〜!そんなの聞いてないよ。と思ったけれど、スラスラと言葉が出て、来年も出ると宣言して来た。

二時間ばかりで打ち上げが終了し、飲んで帰ると言っていたT氏に電話をしたら、ホールの地下の居酒屋にいるというので、合流して飲み直し。
あ〜あ、終わっちゃった。
明日から何をして生きて行こう?







12/21(火)

父のお墓のあるお寺のご本尊の仏像3体が、横浜市の指定文化財になったという。
それを記念して博物館で展示されるので、お寺主催のツアーが組まれて、母と二人で参加した。

お寺の近所の港(ここら辺が実家っぽい)に集合して、マイクロバスを3台連ねて行く。
近所の別のお寺の仏像も文化財に指定されたので、合同ツアーとはいえ、予想以上に集まっちゃったんじゃないかな?
バスの中ではお茶にお菓子にミカン、来年の干支"卯"のストラップまで配られて、お寺の経営大丈夫なんかい?と心配になった(笑)。

横浜歴史博物館へは、約一時間。横浜市をほぼ縦断した形で、馴染みの無い土地だと思ったら横浜国際プールのすぐ近く。昔よく行ったので、見覚えのある観覧車が見えて懐かしくなった。
初めて行った博物館は、広くはないが小綺麗な造りで、われらがご本尊の特別展は、学芸員さんが丁寧に解説をしてくれるサービスぶり。
難しい話も多かったが、制作時代の読み取り方等、なかなか面白い話を聞かせてもらった(大部分忘れたけど・笑)。
何度も本堂の中まで入っているが、ご本尊をこんなにジックリ明るい所で拝見するのは、モチロン初めて。阿弥陀如来様と、脇侍の観音・勢至両菩薩様の三人組と言うか、三点セットと言うか
おまけに阿弥陀如来座像の光背(こうはい・背中に背負ってる輪っか)は後世の作だというので展示されない。だから、阿弥陀様のお背中までバッチリ拝見できちゃうという、もったいなくもありがたい状態なんであった。
解説が終わると、一時間ばかり自由時間があって、常設展の見学もできた。
横浜市の遺跡から近代に至るまで、様々な展示がドーナツ型に並んでいて、一時間ではとても見切れない。後半は母をせかして駆け足で見た。
ちょっと不便な場所なんで、なかなか行けないと思うけど、ゆっくり常設展示見てみたいな。







12/22(水)

ご本尊様の翌日は、ドガ展へ行った。
母が今年の2月でお店を畳んだので、平日の外出が自由になった。
ここ何年か、パステル画を習いに行っていて、楽しそうに描いている母。
私はと言えば、バレエ始めましたから!みたいな(笑)。
真面目な話、美大受験は油絵科だったけど、印象派は好きじゃなかった(ゴッホは別、個性的過ぎて)。なのに歳と共に?だかなんだか、近頃いいなと思ったりする、セザンヌだの、ルノワール。
ドガも例に漏れず、良かった。思ったよりずっと良かった。

会場は横浜美術館
この辺り(みなとみらい)に来るといつも、"未来都市"だぁ〜って思う。
混雑を覚悟して行ったけど、案外空いててゆったりと見物できた。年末ギリギリに行った人は、かなりの混雑だったと言うから、ちょうどいい時期に行ったみたい。
初期の油彩は、ちょっと大味な物も多かったけど、パステル画は本当に綺麗で躍動感溢れてて、素敵。素描も素晴らしい、完璧なデッサン力。
それにしても、こうまでバレリーナを描き続けたのはどうしてなのか。ちょっと聞いてみたいな。馬もお好きだったようなので、やはりダイナミックな動きが描きたいというのはあったのでしょうね。あれだけ描けたらそりゃ、楽しいわ。
ポスターにもなり、今回の呼び物だった『エトワール』は、思ったより小さい絵で、しかしその無駄の無い完成度には息を飲んでしまった。
晩年は目を患ったせいで、作品は彫塑に移行する。展示されたのはブロンズ像だが、殆どは作家の死後、蝋細工の形で発見されたものだとか。
中でも有名、と言うか、生前唯一発表して大批判を浴びたと言われる『14歳の踊り子』は、圧巻。展示品はブロンズだが、側のディスプレイで流されるビデオには、発表当時の様子が写し出されていて、なんと人毛が植え込んであったのだとか。チュチュは今でも布製。彫刻にしなかったのは面倒だからという理由ではなさそうだ。
当時「まるで」と酷評されたという少女の表情は、しかし何やら深くて人間臭い。パリの貧しいダンサーだった事は分かっているようだが、ちょっと東洋的にも見える顔立ちは、我々には馴染みやすいのかも。猿で悪かったね(笑)。

ドガという人の人生についても、初めて知った。
恵まれた家庭に生まれたが、晩年は目を病み、けっこうお気の毒な状況だったらしく、それでも生涯描き(造り)続けた、という点に感銘を受けた。
画家の命ともいえる視力が衰える中、だんだんと抽象画化していく画面の流れも興味深い。
自分の今のタイミングで見に行ったのはいい事だったかもしれない。

出掛けるのが遅かったので、最後は閉館時刻で追い出されるように会場を出た。
約2時間があっという間。
外はすっかり暗くなって、美術館前のイルミネーションとみなとみらいの夜景が綺麗……と、思ったら、まん丸な月がビルの谷間にクッキリ浮かんでいて、思わず歓声を上げてしまった。








12/23(木)

バレエスクールの生徒さんからお誘いを受けて、近所の蕎麦屋で年越し蕎麦を食べる会。忘年会に出席できなかったので、私にとってはそれも兼ねて。
今日は祭日で特別レッスンがあったので、その後皆(4人)で移動する。
地元スポーツクラブのクラスが閉鎖になった時に皆で打ち上げをやった店。
各自蕎麦と、つまみを少々。
季節メニューのザル蕎麦があり、今は『柚子切り』だというので、それを皆で食べる。絶品!
春は桜蕎麦が出るという。家の近所なので、是非食べに来たい!
で、「お花見やろうか?」なんて話で盛り上がった。
一人半前ザル蕎麦を食べ、つまみも2品、シッカリお汁粉のデザートまで付けて、忘年会へ行くためお先に失礼する。

忘年会は電車で20分とかからないNさん邸。
このところ花火を見たハロウィンパレードを見たりと集まっている、Hさんと3人で。
今夜もNさんの料理の腕は冴え渡り、エスニックなご馳走を堪能させてもらい、話が弾んで「あ、もう時間が!」と片付けもせず慌ただしくおいとま。毎度すんません。
行くまで知らなかったんだが、今のマンションを来年早々引き払うそうで、今回はお引っ越し祝い?も兼ねた形となった。
思い起こせば、何度ここでご馳走になった事か。なんだか寂しい気もする。

引っ越しのために荷物を減らしてるという事で、可愛らしいピーターラビットの大皿をいただいたのに、本当に慌てたのと酔っ払ったので、せっかく入れてもらった紙袋ごと忘れて帰ってしまった(爆)。







12/24(金)

父の命日。
今年でもう、10回忌になる。うひょ〜。
例年のごとく、クリスマスも兼ねて母と会食するため、ケーキとグリルドチキン、それに今年はスパークリングワインの小瓶を買って実家へ。
横浜駅は賑わってて、なんだか今年はちょっと華やかみたい。気のせいかな?

二人ともダイエット体勢なので、ケーキは少なめに。日持ちするようにバタークリームのを買ってみたけど、あまり評判は芳しくなかった(笑)。
毎年、早めに行って手作りしたいな〜とチラリと思うのだけれど、なかなか実現できない。
年が替わるからと言って、どうという事は無いのだが、何となく年内に終わらせたい事というのはあるもので、片付けるために翌日トンボ帰り、今年は墓参りもしなかった。
10回忌ともなると、そんなモンですかね……。







12/29(水)

長年使ったプリンタが動かなくなってしまって、年賀状の印刷ができない。
だいぶ前から使い勝手が良くないなと思っていたし、新しいMacにしてからスキャナもすっかり使い辛くなってしまったので、コピーもできる複合機に買い換えたいと思っているんだけど、この年末にそんな買い物をする気にもならず。お金も無いけどさ。
母がお店で使っていたコピー機を当てにして、モノクロ用の原画だけ用意して実家へ向かう。
(良く考えたら、昔使っていた『プリントゴッコ』がまだあったはずなんだけど…もうあの作業で重版印刷する根性は無いなぁ…楽しかったんだけどなぁ)
おそるべき事に、クリスマスケーキがまだ残っていた(笑)。

年上の従姉妹が、餅米やら味噌麹(ここ数年、味噌は母の手作り)やらを持って来てくれた。
色々食べ物も持って来てくれたので、一緒にお持たせでランチにする。
いつも父にお花を持って来てくれるんだが、今回は黄色い百合の花。ちょっと珍しくて素敵。

夜は年賀状印刷。
お店を閉めたのが2月で、コピー機はしばらく使ってなさそうなので、ちゃんと動くか、トナーが切れたりしてないかと心配だった(ここでダメならアウトだ!)が、問題無くコピーできた。
一枚ずつ手差しのタイプなので、絵と差出人で裏表コピーするのが結構な手間だったが、全部無事済んでホッとした。完全モノクロでは、あまりに寂しいので、これまた母のパステルをちょいと拝借して、肌部分だけ軽く色を乗せた。
(ここに載せようとしてハタと気付く…スキャナも使えないんだった)
宛名はここ何年か手書きにしている。
一言コメントも手書きするが、今年はあまり自分の事を書く気分になれず、「元気?」とかそんなのが多くなってしまった。
今年もかろうじて、30日には投函できた。やれやれ。