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Enologo che cura la terra(”大地”に惹かれたエノロゴ)











          "パオロ氏がお薦めするヴァルナッチャ2本、フォンタレオー二のヴィンニャ・カサヌオーヴァ/左)、そしてイル・パラジョーネのデビュー作(右)



一ヵ月後に収穫を迎えるヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ”ヴィンニャ・カサヌオーヴァ‘2001年”を味見するパオロ・カチョールニャ氏(写真右)とワイナリー”フォンタレオー二”のトロイアーニ・フランコ氏


  ”大地”に惹かれたエノロゴ(醸造技術者)・パオロ・カチョールニャ


 2000年度の「ガンベロ・ロッソ誌」のワイン・ガイドにて、中世より引き継がれる伝統のワイン産地”サン・ジミニャーノの新時代”を招くこととなった”初の3ビッキエ―リ”をもたらした2本の赤ワイン、チェザーニの「ルエンツオ‘97」ランパ・ディ・フニャーノの「ジセル‘97」は勿論、2001年度ヴェロネッリ誌ににて、93点と驚異的な数字を叩き出したファット―リア・パラディーゾの赤ワイン「サクサ・カリダ‘98」、92点の「パテルノU」などなど、まさに現代トスカーナを・ワイン・シーンを代表するスーぺル・トスカンを生み出した一人のエノロゴ(醸造技術者)と会する。

 パオロ・カチョールニャ。50年代に大量に振り降りたマルケ州からの移民一族の一家に生まれた”農作業”に魅せられたひとりの情熱家で、実際その祖先を代々農家に持つ。

 巨匠、アンドレア・マッツオー二氏の元に醸造学を学び、これだけの”スーぺル・トスカン”と呼ばれる輝かしい赤ワインにおける歴史的にも誇らしい経歴を片手に、彼が真っ先に放った言葉はひとつ。

 「僕は白ワインを好んで飲みます。ここ”赤ワイン天国”のトスカーナに従事するエノロゴとして可笑しく響くかもしれませんが、食事に最も合い、心地よい香りと喉越し爽やかな現代のテイストにマッチする品種は、イタリア原産の古典品種たち、”ソアーヴェ”、”ヴェルディッキオ・デイ・カステッリ・ディ・イエージ”、”グレコ・ディ・トゥーフォ”、”ヴェルメンティーノ”、そして”ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ”でしょう。」

 それはそれは衝撃的な一言でした。僕自身、一人の料理人としてほぼ同様の見解を抱いていながらも、表現することに限界を感じてしまう”赤ワインブーム”の中、「カヴェルネット・ソーヴィニョン種のエレガントなゆとりは・・・」だとか「メルロー種のポテンシャルが生み出す・・・・・」とその持論を切り出さなかった初めてのエノロゴ”パオロ・カチョール二ア”。

 古代フェニキア人によりギリシアから伝わり、ローマ時代以降ヨーロッパ各地へと伝達されるに非常に重要な役割を果した中世街道のあちこちに生まれ、その華やかな栄光と歴史的なストーリーにも包まれるこれらの白ワイン。ラッツイオ州の”エスト、エスト、エスト”にまつわるその命名伝説や、今回取り上げるヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ種の”ダンテ・アリギエーリがこよなく愛した”などの逸話はあまりにも有名で、煌びやかなイタリア・ワインの世界マーケット・デビューの垂れ幕としてかざされたのも、そんなストーリーでありました。

 そんなさなか、思えば十と数年前とことですが、日本のいう国において、品質を求める高級嗜好と時代の求めていた”商売姿勢”の間に低迷していたフランス・ワイン・ブームを煽る形で沸き起こった”ディスカウント酒屋”の隆盛におき、ただただ”安い”のイメージの元に大量輸入され、安易なテイストと投げやりな運搬、そして管理による質の低下がもたらす”悪評”を世に広めるハメになってしまった”イタリア・ワイン”の先頭を斬ったのも、これらの白ワインであったはず。

 彼はこう続けました。

 「1966年に制定されたDOC制度(原産地統制名称)のあとさながらに、当時はまだまだ、将来を見据えた明確な意図と正しき学術が、政府はおろか、生産者、瓶詰め会社、そして輸入業者の間にも欠けていたと言えるでしょう。

 大戦後の処理の曖昧さや農耕者の畑離れ、変わりつつあった時代にも係わらずはびこり続けていた伝統的製法の見直しの欠如などの理由もあり、そして手作業の割合の高さに反して値を下げられていた”大衆的白ワインの宿命”のためにも人々は”キャンティ”に重点をおいた当時、あまりにも過小評価され、蔑ろにされていたヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ。「イタリア最初のDOC」を獲得しながらも、絶滅の危機すら騒がれてほどの低迷を彷徨う運命の悪戯にさいなわれる。

 70年代半ばのこと。この地に初めての近代醸造テクニック、ステンレス樽の温度管理が導入される。現代となっては当たり前でそして不可欠な”白ワイン醸造”の基本的備品のようですが、近隣全ての醸造元がそれを保持したのは、実は90年前半で、つまりわずか10年足らずの出来事であること。そして、過去の栄光に負けぬ品質が生まれてきたのも、この数年来のことだとも言えるのが実状。

 80年代後半、かのエンリコ・テルッツイ氏のもとで働き、その所有する地区最初で最大の近代テクニックの中にその実績を開花させた彼だが、最初にエノロゴとしてのキャリアーをスタートさせたのは94年、最も美しきワイン・ヤードの連なるサンタ・マリア地区は、フランコ・トロイアーニ氏のワイナリー”フォンタレオーニ”であったとのこと。一ヵ月後に収穫を迎える”ヴィンニャ・カサヌオーヴァ”の畑を細やかにチェックしながら、見事にに引き締まった葡萄の房を片手にこう続ける。

 「確かに、思い入れもあるのかもしれない。でも、煌いて豊かな香りに包まれ、ほろ苦い後味が持続するこの”ヴィンニャ・カサヌオーヴァ”は、ヴェルナッチャ種の未来をも示している。シャルドネイやヴェルメンティーノを加えるなどとんでもない。」

 そして彼が薦めてくれたもう一本は、カステル・サン・ジミニャーノ地区に昨年生まれたばかりのワイナリー”イル・パラジョーネ”のデビュー作の”ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ‘2000”。数百本の生産であったために、今年は既に手に入らないが、類い稀な香りの高さとしまったボディが魅力的な逸作である。

 彼の造り上げるヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノの特徴は、必ず100%単一醸造であること。そしてそれを生み出す畑の本質は、無農薬である、つまり身体、そして大地をケアーするものであること。全てのワイナリーが有機栽培協会に登録はしていないために公式なものではないとは言え、”ツオルフォ”と呼ばれる天然硫黄以外の使用は皆無である。

 「家族代々、農耕業をしていたからかな?畑にいると心が落ち着くのさ。だから、その畑を汚したくはないし、守り、そして成長させていきたい。仕事としてのパートナーにも、同じような志を共に抱いていける人たちを選んでいるよ。この仕事のスケジュールを決めるのは、計算された予定表でもなければ、ボスの一言でもない、”大地”なのさ。”健康”な葡萄を造り上げることは、大地が求める時にそこに飛んでいく人たちにしか出来ないこと。そして可能な限り僕もそこにいたいから、何中ものワイナリーを掛け持つ気はないね。指図だけしてそこにいないのは自分の性格に反するし、第一、そんなパートナーとの人間関係だって、葡萄の質に生きてくると思っている。」

 ここ数年の間に起きた”ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ”の革新的な品質向上の第一人者としての実績や名誉を既に得ている一人の若者だが、その志しはまだまだ続く。

 「我々の最初の課題は、”ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ”DOCG(1994年から)指定の規制を100%種ヴェルナッチャ種に見つめ直すこと(10%まではその他白ワイン用品種の混入が認められている)。そして、小学校の学習行程に”農耕業”を入れること。”カボチャ”を作ることだって”飛行機のパイロット”になることに負けないくらい魅力的なことを子供達に知って欲しいから。そしてそれが地域の発展と更なる”ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ”の品質向上に繋がるからさ。」

 家族のルーツこそマルケ州にあるとは言え、この地に生まれ、育ち、働き、そしてその発展を心より望むエノロゴ”パオロ・カチョールニャ”。”ヴェルナッチャ”の進展について、この一言も残してくれた。

 「”ヴェルナッチャ”に数多くの3ビッキエーリ・ワインが生まれるかどうかは分からないし、生まれて欲しいかどうかも分からない。地域の発展の為には当然”欲しい”ものであろうし、それだけの結果は約束してくれる近代のシステムであるけれども、ワインの採点をするガイド・ブックの評価基準というものは常に、マーケティング戦略、そしてワイン単一の”嗜好”の評価に終わってしまっているからね。”ヴェルナッチャ”は食事と共に愉しめるワインさ。決して、シャルドネイやソーヴィニョン種のようなエレガントなテイストは持たないと思うし、そうあるべきだとも思っている。」

 時代がもたらした”白ワインの不況”と、観光地としてあまりにも有名なサン・ジミニャーノの街の影に揺れる”ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ”。ここで唯一言えることは、その将来は”明るい”ということ。少なくともここには、それを一心に願う彼の存在があるから。



 パオロ・カチョールニャ氏の担当するワイナリー一覧(サン・ジミニャーノ):
     Fontaleoni
     Fattoria Paradiso
     Vincenzo Cesani
     Rampa di Fugnano
     Canneta
     Il Palagione
 アシスト:
     Le Calcinaie
                                                  2001年8月18日 土居 昇用